毎日カメラ読本(レンジファインダー読本2001ライカとその兄弟たち)
カタログ探検紀行【5】
2000.10.25……交換レンズ開発の考え方(初稿原稿)



 レンジファインダーカメラの特集号でこう言うのはかなりマズイかな、と思う――のではありますが、ファインダーと距離計がレンズとの間でかなり精密な機械的連携をとらなくてはならないレンジファインダーカメラには、大きな構造的限界がある。レンズの選択に一定の枠がはめられてしまうという点である。写真はレンズとフィルムが撮るという観点からいうと、ボディ構造が撮影領域をせばめている。
 日本の多くのカメラメーカーがライカシステムに準拠したカメラ(コピーライカ)を作ることによって、本家のライカに追いつきたい、追い越したい、という時代があったが、ライカM3の登場によって、追従の道を閉ざされたのだった。
 ライカM3は精密機械としての完成度を追求したことによってレンジファインダーカメラとしてほぼ理想の領域にまで駆け上がったが、ファインダー系に内在する構造的限界は解消できていなかった。
 日本のカメラメーカーがいっせいに一眼レフカメラに向かって方向転換したのは、当然のことだった。レンジファインダーという機械的束縛から解き放たれて、オールマイティなカメラへの道をばく進することができたからだ。
 後発カメラメーカーの日本光学工業(ニコン)が、コンタックス似のコピーライカ機ニコンSPを一眼レフに改造したニコンFが、たちまちのうちにフォトジャーナリズムの標準機という位置を獲得できたのも、それがオールマイティ・カメラへの新しい道筋にあったからだ。
 レンズがとらえた映像をフィルム面に到達する前に盗み見ようという一眼レフの構造は古典的なものだが、フィルム面に天地逆像として投影される映像を正像として見るためのペンタプリズム、ファインダーを明るく見るための自動絞り機構、ファインダーで見ている映像をできるだけタイムラグなしにフィルムへ写し取るためのミラーのクイックリターン機構などを次々に搭載しながら、ライカM3によって実現されたレンジファインダーカメラの高度なヒューマンインターフェースを追っていった。
 一眼レフカメラのそのオールマイティ化は、電気化、電子化によって加速度的に進んできた。そしてふと振り返ると、あまりにもロボット的であり、有能になりすぎていたかもしれない。
 進歩主義、あるいは万能主義に対する懐疑がレンジファインダーカメラの復権をうながしてきたといえる。
 同様に、一眼レフ用レンズも驚くほど進化してきた。ズームレンズ全盛のの時代になると、単焦点レンズを使うこと自体が力ワザになってきたといえるほどだ。
 レンズにおいてもオールマイティを追求してきた結果がどのあたりにあるのか? 交換レンズメーカーにきいてみた。


■レンズのデパートという誇り――シグマ
(03・3480・1431http://www.sigma-photo.co.jp)

●「レンズはタイヤ」論
 なぜ交換レンズメーカーに出かけたかというと、レンズという視野からカメラを見てきた人たちに会えるにちがいないと単純に考えたからである。ユーザーが求めているレンズは何か? というところから始まる仕事がそこにあるはずだ。
 シグマの光学設計者・小山武久さん(光学技術部長)によるとカメラ用レンズは「車で言えばタイヤ」なのだそうだ。
 たしかに、車が走るのはタイヤが回るからであって、走るのも止まるのも、ボディ側ではタイヤの動きをアシストしているにすぎない。
 運転のフィーリングや乗り心地など、ユーザーインターフェースはボディ側に大きな守備領域があるとしても、走る・止まる・曲がるという基本機能はすべてタイヤと地面の接地面でおこなわれていることだ。
 写真も結局、レンズとフィルムで成立する仕事を、ボディ側がサポートしている。
「レンズのスペシャリストとし、顧客満足度を高めるために必然的にラインアップを整えることになりました」
 と小山さんは言う。ユーザーが求めるレンズを作りつづけ、マーケットによって淘汰された結果、現在のラインアップがあるというわけだ。
 シグマの製品カタログを見ると、44本のレンズがあって、例外的なレンズを除いてほとんどがAF対応となっている。そのうちほぼ半数の21本がズームレンズ。これが世界を席巻した日本の35ミリ一眼レフ用交換レンズの、マーケット原理に従ったユーザーニーズの一覧というふうに言えそうだ。
「最初の一時期は1本のレンズがどのボディにもついたんですがね……」
 常務取締役の内田亮さんはいう。交換レンズメーカーが特殊なのは、カメラメーカーがそれぞれ自前のレンズを整えているのに対して、どのカメラにもつくレンズを作るという方向からアプローチしていくところにある。
 ひとつはもちろん、同じレンズを安く供給するということ。
 安いレンズを作るということではない。昔、カメラに標準装備されていた「標準レンズ」は他のレンズと比べるときわめて安価だった。だが安物のレンズがついていたわけではない。他のレンズと同等の品質ながら、価格が安かったのだ。
「安く作るのは簡単なんです。数を作ればいい」
 内田さんによると、レンズの材料費は100個分と1000個分では単価が倍以上違ってくるという。それに同じものを一度に作れば、製造ラインのセッティングの費用が割安になる。
 要するに製作ロットによって値段は大幅に安くなるというのだ。交換レンズメーカーの有利な点は、複数のメーカーのボディに合うレンズを作ることで、そのロット効果を発揮できるところにあるという。
 交換レンズメーカーの役割のひとつは、標準レンズ以外の交換レンズを価格において「標準レンズ化」するというところにあったのだ。

●技術革新をユーザーに還元する
 生産設備の効率化による製造コストの削減という効果もある。
「レンズの研磨でも以前45分で磨いていたものは、いまなら45秒です。旧来型の研磨という方法でさえ、革命的な技術革新がおこなわれています」
 設計もコンピューターによって革命的に効率よくなったんでしょうね?
「入社当時、壁面いっぱいだったコンピューターがいまではデスクトップですから」
 1902年にツアイスによって製品化されたテッサーレンズはパウル・ルドルフ博士が2年の歳月をかけて設計したといわれるそうだが、光学設計担当の小山さんによると、いまならシロウトでも1時間あれば十分に設計できるという。
「下手をすれば5分とか10分でできてしまいますからね」
 コンピューターによって設計手法が大きく変わったわけではないという。ある1点から入った光がどのような光跡を描くかを計算するのだが、それを繰り返し計算して線や面に広げていくだけだという。
 投影面が非常に小さいCDのピックアップレンズのようなものだと使用する光源の波長も決まっているので理想のレンズに近いものが簡単にできるという。
 ところが投影面が広がると、レンズの中心を通る光線とレンズを斜めに通過して周辺域にのびる光線とではズレが生じてくる。それのズレを収差(収斂しない差)というのだが、可視光線のように波長の違う光線が束になっている場合にはそこからも収差は発生する。
「いろいろな手を使って収差を押さえ込んでいくのですが、最後にどの収差を残して仕上げるかが設計者の判断にゆだねられるので、同じ設計に見えてもレンズのバリエーションはほとんど無数にあるのです」
 交換レンズメーカーとしてのシグマの設計思想はどこにあるのか?
「安くて・いいものを・軽く作る」のだそうだ。その3つめの「軽く」というのが、光学設計とメカ設計が最後に気合いを入れてガンバるところになっているという。
 そのとき、問題となる重要な法則があるという。
「レンズ設計の基本として、ケツ玉を大きくすると前玉を小さくできる、ケツ玉が小さいと前玉は大きくしなくてはいけない」
 内田さんは設計チームに開発目標として無理難題を吹きかけていく役目のようだから、この基本原則がきわめて重要なものになっているらしいのだ。
 カメラメーカーのレンズと比べたときにシグマのレンズは同じ性能で「軽くて小さい」という評価を取ろうとするのだが、そこで足を引っ張るのがケツ玉サイズなのだ。
 ニコンのマウントがそのケツ玉のサイズを制約してくるのだという。他のカメラではそこにサイズアップしたレンズを使うことで前玉を小さくして全体を小さくしているのだが、それと勝負しつつ、ニコンマウントにも対応させるところが、いわばレンズ専業メーカーの腕の見せどころとなっている。
 ニコンマウントの空間的余裕のなさに泣かされつつ、それでも何とかコンパクトに仕上げようと努力するのには、もちろんそれ以外の理由もある。
「小さく、軽く作れば安くなるんです」
 ここでも技術力を高めるとコストが下がるという原則が立っている。
 小さく、軽くするのにきわめて有効な新技術がもうひとつある。EP化、すなわちエンジニアリング・プラスチックの採用である。金属を使うより軽量化できるのはもちろんだが、加工精度を大幅に向上させることができて、より複雑な構造を可能にした。
 それと合わせて、レンズのモールド技術。プラスチックだけでなく、光学ガラスも「型押し」でレンズにしてしまえるようになったのだ。もちろん研磨という仕上げを必要としないので、レンズは球面である必要がない。非球面レンズが有効に使えるようになったのだ。
 レンズによって生じる収差を別のレンズによって押さえると、そこでまた別の収差が生じてくるが、非球面レンズは球面レンズによって生じる収差をそのレンズのなかでコントロールしようとする。使うレンズ枚数を少なくできることが、レンズの小ささや軽さに大きく効いてくる。
「どちらも20年、30年前には考えられなかった新技術なんですが、それをレンズを小さくするために使うという設計者の意志がじつは非常に重要なのです」
 小山さんは光学設計の責任者として、そのことを強調した。。
「レンズのラインアップのあちこちに設計者の意志が見えます。それをどの方向へ伸ばしていくかなんです」

●ライバルと自分の役割
 小さく、軽くということでは、タムロンが口火を切った高倍率ズーム戦争はどうだったのか?
「くやしかったですねえ。高倍率ズームではタムロンさんにやられました」
 内田常務はあっけらかんという。
 もともとタムロンとは「開発タスクが違う」のだそうだが、競合部分があって、そこでは熾烈な戦いになる――という構図らしいのだ。
 シグマは「99%、35ミリ一眼レフ用のレンズメーカー」だが、タムロンは35ミリ一眼レフ用レンズとビデオカメラ用レンズ、デジタルカメラ用レンズがそれぞれおよそ3分の1ずつという構造になっているそうなのだ。守備範囲がおのずから違っているのだ。
 タムロンの28―200ミリにも28―300ミリにも、もちろん追随しているが、考え方までは追っていない。それについては後述するが、「10倍ズーム」に対するシグマの解答も出している。
 それよりも何よりも、シグマが自負しているのは「新しいボディにいち早く対応させたレンズを投入する」ということだ。
 交換レンズは各カメラメーカーが独自に開発するレンズマウントに合致するものを作らなければいけないという宿命をもっている。当初はマウント部だけを交換すればどのカメラにも使えるというような交換レンズメーカーに有利な時代もあった。
「しかし……」
 と内田さんはいう。プログラムAEが出てきたときに、それが使えるレンズにするのがかなりの苦労だったという。それは最初の難関というべきもので、対応できにくいマウントのカメラは、カメラ自体がプログラムAEの搭載に苦労したという。
「ニコンが苦しんで、オリンパスはついにダメでした」
 カメラが求める新しい機能をレンズがサポートできるかどうかというポテンシャルが、じつはレンズマウントの接合システムにあるということが表面化してきたのだった。
 フィルムに届く映像を途中でちょっと見せてもらうというだけの一眼レフからスタートしたのは昔の話。ファインダーに見える映像をできるだけうまくフィルムに写し取らせようという仕事をボディが受け持つようになったのだ。ボディ側のコンピューターが命令したとおりに動くレンズが必要になって、レンズはボディに対してセンサーとアクチュエーターの一人二役をこなさなければならなくなった。監視役と実行役である。
 そしてAF。絞りのコントロールに加えて、ピントまでカメラ側からコントロールできるようになった。
 つまりレンズのボディ化が始まったのだ。全メーカーのAFシステムに対応できるようにするといっても、AF革命を起こしたミノルタ(αシリーズ)ではボディ側のモーターでレンズを動かす方式であり、2年後に戦列に参加したキヤノンは個々のレンズがそれぞれ駆動力を内蔵するレンズ内モーター方式を採用した。
 要するにモーターを内蔵したレンズと、外から動かす仕組みをそなえたレンズとを、同じ光学系で作ろうとすることが、かなりナンセンスなことかもしれないという危機的な状況に追い込まれたのだった。レンズ設計ができても、メカ的に収まらないメーカーのものが出てくる。
 すでに交換レンズは「交換自由」ではなくなっていて、各メーカーごとに専用のレンズとなっている。しかしレンズ部は同じなので、組立のバリエーションが増えたということになる。
 しかし問題は、同じメーカーのカメラ間でも生じてくる。
「ニコンのF5とF100でうちのあるレンズを使ってみると、F5では問題ないのに、F100ではマニュアル露出がどうしてもできない。F80だとマニュアル露出そのものを受け付けないので、最少絞りでロックするしかない」
 ニコンマウントを不変のものと見るか、無数のマイナーチェンジによってたくさんのバリエーションを生じたと見るかは人によって違うが、ニコンレンズ自体にこまかな適合・不適合がある問題を交換レンズメーカーはさらに厳しく問われてしまう。
 しかし、交換レンズメーカーならではの逆転もある。キヤノンが導入した超音波モーターをシグマも搭載しているが、これを搭載することによって、カメラメーカーのレンズより静かで速いAFレンズになっているという例もある。
 各社の今後の新しい機能に対しても全部対応していきたいという強い意志がシグマにはハッキリと感じられる。ニコンとキヤノンとミノルタとペンタックスが作り出す35ミリAF一眼レフカメラと運命を共にするという覚悟があるのだ。
 しかし今では、35ミリ一眼レフそのものがレンズ交換式のデジタルカメラに進化するかが、重要な課題として浮上してきている。そこにおいても交換レンズという分野が存続するかどうかは、シグマ最大の関心事となっている。

●10倍ズームの新しい提案
 この「カタログ探検紀行」シリーズの取材依頼時の原則なのだが、自薦の3製品を選んでおいてもらった。具体的な話は、その3製品を軸に聞かせてもらうという仕掛けである。
 シグマのトップスターは高倍率ズームの50―500ミリF4-6.3(写真)である。
 高倍率ズームに関して、シグマではどれだけ軽くできるか、小さくできるか、ズーミング域を広げられるかという課題はもっていたが、突然タムロンから挑戦状をたたきつけられたかたちになった。
「28―200ミリをようやっと作ったら、28―300ミリを出されて、くやしくてしょうがなかった」
 と内田さんはいう。いまでは28―300ミリでも追いついており、新しく50―500ミリという10倍ズームを出してシグマなりの解答を出したところだ。
 10倍ズームにはキヤノンに35―350ミリがあり、タムロンとシグマに28―300ミリがある。それに対して新しく50―500ミリという領域を提案したのである。
 シグマには135―400ミリと170―500ミリがあったが、これはユーザーからの要望の強かった望遠側に突出したズームだった。とくに500ミリという超望遠領域をカバーするズームレンズで96年発売の170―500ミリは「実用になる超望遠ズーム」と評価されていた。
 その超望遠ズームを10倍にするなら、望遠側を500ミリのまま50―500ミリとするのが順当な開発目標であった。設計の小山さんには170―500ミリの時に「せめて5倍の100――500ミリまで頑張っておきたかった」という軽い後悔が残っていたようなのだ。
 シグマレンズのユーザーのなかには野鳥を撮りたいという人が多い。経験的に300ミリではちょっと足りないのだそうだ。
 かくして50―500ミリというレンズができあがるのだが、ニコン、キヤノン、シグマのボディには超音波モーター内蔵のものが使える。高速のサイレントAFに加えてフルタイムマニュアルフォーカスも可能になっている。
「望遠側の500ミリF6.3で鈴鹿の8時間耐久レースを撮りにいったんです」
 宣伝企画室係長の桑山輝明さんはいう。新製品を社員が積極的に使って社内評価するのがシグマの伝統になっているらしい。カメラ好き人間が集まってレンズを作るという専業メーカーらしい雰囲気がある。
 ……で、
「ニコンF5につけたのですが、500ミリF6.3のAFで、ヘアピンのところを全部きっちり押さえていました。F6.3という明るさでAFがどこまで追従できるか心配だったのですが、問題なかったですね」
 こういうオリジナル情報がゆっくりとユーザーのあいだに広がっていくような仕組みができあがっているにちがいない。みなさん、説明のできるテスト結果を取り出すことにすごく意欲的に見える。
 で、50―500ミリだが、
「やはり50ミリまで使えると、これ1本で周囲の出来事までなんとか押さえられます」
 撮影領域の拡大というシグマの基本姿勢が「広角側の50ミリによってかなり意味をもった」と桑山さんはいう。
 それに加えて、このレンズにはEXシリーズ用のテレコンバーターがつけられる。望遠側が1.4倍で700ミリ、2倍で1000ミリにまで拡大する。
 じつは、このテレコンバーターは70―200ミリに合わせて設計されていて、170―500ミリでは使用できなかったのを、50―500ミリでは50―100ミリを使用不可領域とすることで(本体側が100ミリ以上なら)使えるようにしたという。
 どうしてそういうふうになったのかというと、広角側でケツ玉が下がってきてコンバーターにぶつかるのだという。使用制限域があるにしても、ここでは2倍コンバーターによって200―1000ミリという超望遠ズームになるというところに撮影領域拡大の努力を認めるべきなのだろう。

●高倍率ズームを常用側から見直す
 28―200ミリ、28―300ミリ戦争によって、もう一本、新しいレンズが生まれた。28―135ミリF3.8-5.6(写真)である。
 なにが新しいの? という疑問をいだく人もあるだろうが、このレンズはタムロンに対するライバル心でつくってしまった高倍率ズームの揺り戻しのように見える。
 28―200ミリも出した、28―300ミリも出したが、シグマとしては何がだいじか? というところから、28―135ミリが出てきたというわけなのだ。
「とにかく重いんです」
・設計の小山さんはいう。
 28―200ミリにしろ、28―300ミリにしろ、望遠側で見れば驚くほどコンパクトだが、広角側の28ミリで考えると重さ500グラムはかなりヘビーといわざるをえない。
 そこでレンズのデパート・シグマ。標準系ズームと望遠系ズームにテレ側で0.5倍というマクロ機能を搭載した28―80ミリと70―300ミリがあって評判がいい。そのラインに高倍率ズームのノウハウをつぎ込んだ。
「ミニズームマクロと称している28―80ミリにサイズと重さをどこまで近づけられるか」
 というところから、長さでは28―80ミリより5ミリ長いだけの75ミリにまとめた。
「重さは……けっこう重くなってしまいました」
 28―80ミリの255グラムにはかなり遠い410グラムになってしまったが、インナーフォーカスにして合焦品質を上げるためには内部構造を削れなかったという。
 望遠側を手持ち撮影の安全域に押さえて、その余力をズーム全域で最短撮影距離50センチ、マクロ撮影で最短24センチ・0.5倍という近接撮影領域の拡大をはかっている。

●トップランナーの超広角ズーム
 シグマのレンズカタログのトップを飾っているのは17―35ミリF2.8-4(写真)という超広角ズームである。
「超広角ズームというジャンルを作ったのは我々だと自負しています」
 小山さんによると、1979年に出した21―35ミリF3.4-4が超広角ズームとしては世界初であったという。
 ところがAFカメラが登場するとフォーカス群を軽くする必要が出てきたので大幅な見直しをして、21―35ミリF3.5-4.2になる。
 その後、他社から20―35ミリが出てきたので、第3弾として94年に出したのが18―35ミリF3.5-4.5。これは重さが280グラムと軽量化したが、まだあまり普及していなかった非球面レンズを搭載し、インナーフォーカスとインナーズームを実現した。
 99年になって他社が17―35ミリF2.8を出してきた。そこでシグマの17―35ミリはテレ側をF4にし、非球面レンズを2枚使って395グラムという思い切った軽量化を果たした。
 18ミリから17ミリへの拡大というのは技術的に大変なんですか?
「18―35ミリF3.5-4.5を同じ明るさで17―35ミリにするのはわりと楽なんです。今回はF2.8-4へと持ち上げるのが大変でした。明るいレンズほど光量をたくさん入れるので、周辺光量の確保も重要になります」
 広角側への広がり競争はまだ当分終わりそうもないけれど、小山さんはひとつの見識としてこういう。
「個人的には18―35ミリが好きですね。18ミリは水平画角が90度なんです。これがたいへんに使いやすいんです」

●シグマらしいレンズ群
 最後に、レンズのデパートのなかでもシグマ的なレンズがあれば教えてください。
「フィッシュアイレンズですね。うちは8ミリの全周魚眼を出していますが、カメラメーカーで用意していないところがある。交換レンズメーカーとしての自負心の部分です」
 フィッシュアイはほかに対角線魚眼の15ミリがあるが、「うちらしいレンズ」はもう1本、14ミリF2.8という超広角レンズ。
「最近ニコンさんが出しましたが、うちのは超音波モーターを搭載しています。こちらのほうが使い勝手がいいと思います」
 それとズーム。マクロレンズが50ミリF2.8、105ミリF2.8、180ミリF3.5と3本あるが、いずれも等倍から無限遠までの撮影領域を確保している。
「同じ等倍でもレンズの焦点距離によってボケ方や写り込みの範囲が違ってきます。3本必要だったんです」
 シグマの望遠レンズにはマクロという名前を加えたレンズが300ミリと400ミリにもあるが、こちらは1対3までのマクロ撮影が可能になっている。

●レンズは全部会津産
 シグマはレンズのデパートを自負しているが、そのことより、すべてを会津工場で一貫生産しているということのほうが驚きだった。激しい価格競争の中にあって海外生産をしないばかりか、社内での一貫生産というのは特筆に値する。カメラメーカーのレンズの多くがOEM生産されている現在では、むしろこういう専業メーカーのほうが、品質の安定という意味では評価が高いのではないかとさえ思えてくる。
 会社案内には「原材料や電子部品などの一部部品を除いて、硝子、金属、樹脂材の加工、表面処理、組立調整、検査梱包まで、すべて自社内で一貫生産」と明記されている。
 もちろん多品種少量生産のシステムが活用されているというが、同時に技術開発部門も工場内にあって、開発と生産の効率化も図られているという。
 1961年に東京の世田谷に設立されたシグマ研究所はコンバーターレンズからスタートしたというが、たちまちレンズメーカーとなり、カメラメーカーにまで成長。現在もシグマSA-5というAF一眼レフカメラを生産している。
 カメラメーカーでもありながら、各社のカメラを交換レンズという観点から徹底的にチェックしている。
 内田常務はしばしば「交換レンズは特殊な世界です」と繰り返したが、ほんとうに「おかしな位置にいる」ようだ。
 ここのところでレンズ交換式のデジタルカメラが各社から登場しはじめた。35ミリ一眼レフがいずれは電子化していくであろう流れは変えられないとして、内田さんがいま関心を持っているのはCCDのサイズである。35ミリフォーマットで8ミリが全周魚眼、15ミリが対角線魚眼だが、それをたとえばAPSサイズのCCDで撮ると全周にも、対角線にもならない。シグマとしてはそういうところまで目配りを効かせておきたいということなのだ。
 それと高級感。「レンズは精密機械」という認識によって存在感のあるレンズ、持つことに喜びを感じるレンズというべきEXシリーズを整えてきた。動きのスムーズさや、ボディのラメ調の輝きなど、外観部分にもそうとうの注意を払っている。性能でもカメラメーカーに負けないという自負心がそこには見える。


■技術の横展開で得意技を発揮する――タムロン
(03・3916・0136http://www.tamron.co.jp)

●28―200ミリ誕生の背景
 タムロンにはそのときすでに28―200ミリというズームレンズはあったという。
「あったけれど、大きくて重くて、性能がよくないじゃないかと……」
 光学設計という立場から全体を見ているプロダクツ・センター長で取締役の和田久さんはいう。
 いい加減な製品という意味ではなくて、それくらいの高倍率で、広角から望遠にまでまたがるズームとなると、犠牲にしなければならないところがいっぱいあった。
「従来からの技術では、だれがどうやろうと、よくならないだろうということはわかっていた」
 ――というのが出発点ということになる。
 簡単に言ってしまうと、和田さんたちはビデオカメラ用のレンズの設計・製造技術を35ミリ一眼レフ用レンズに導入することによってまったく新しい28―200ミリF3.8-5.6(写真)というコンパクトズームを作り上げたのだった。
 複合非球面レンズとエンジニアリング・プラスチックの形成技術がその重要な柱となったが、最初に掲げられた目標イメージは「胸のポケットに入る――かもしれない」というサイズだったという。タバコの「ハイライト」を机の上に立てて、その場で1回転させた外寸に収まるように開発はすすめられたのだった。
 光学設計の目玉は複合非球面レンズだった。タムロンは、レンズと名のつくものなら広範囲に開発・製造することのできる一種のレンズ総合メーカーであり、とくにビデオ用レンズに特化した技術を磨いてきた。
 すでにその15年ぐらい前から非球面レンズの生産技術的研究をやってきたのだそうで、プラスチックモールド、ガラスモールド、ガラス切削、複合非球面という全方式の非球面レンズを作れるようになっていた。
「切削非球面レンズにしても、測定技術がよくなって、通常レンズの何十倍という価格から、わずか何%増しというほど劇的に安くなりました」
 というのだ。
 切削ではなく、型押しのモールド非球面レンズはプラスチックでもガラスでも作れるようになって、これは金型さえ作ればあとは安く大量に作ることができる。
 しかし、モールド非球面に使える素材には限定がある。プラスチックレンズは素材そのものの屈折率にバリエーションがないために光学ガラスと比べると設計上の幅がとれない。
 光学ガラスには、素材の段階でさまざまな屈折率のものがあるので、レンズ素材の組み合わせ方も設計手法のひとつとなっているのだが、すべての光学ガラスが型押しに適しているわけではない。そこに設計上の制約が生じてくる。
 複合非球面レンズはそのような一長一短を解消するための複合手法であって、最適な屈折率をもったガラスレンズに非球面カーブをもったプラスチックを型押しして非球面レンズに変身させるというもの。
 デメリットは、ガラスレンズを土台にしてプラスチックの非球面部を張り付けるので、土台に大きさの余裕が必要なことから、レンズサイズがいくらか大きくなるという点であるという。
「レンズ径がひとまわり大きくなるとガラスの厚みも必要になります。コンパクト化に逆行する要因ではあるのです」
 でも、これによって光学ガラス側の素材の制約なしに非球面レンズを大量に作ることが可能になったのだ。
 非球面レンズはとくに広角側での収差を取るのに有効で、レンズ枚数を減らすことができる。
 しかし、それによって解決できる程度のコンパクトさではなかった。焦点距離200ミリを全長80ミリに押さえ込むためには、単純に考えて鏡胴を3段伸ばしにしなければならない。
 その単純な方法を真剣に考えてみたのだった。
 従来型のレンズでは金属製の枠の中にレンズをはめていくという考え方をとっていた。
 そのときには金属枠とレンズとを同じ寸法で仕上げてはいけない。ゼロゼロというのだそうだが、精密に同じ寸法にすると入らない。枠の方を100分の1ミリとか100分の2ミリ大きくしておかないといけないのだ。
 つまり管理された微少な値ながら、ガタが生じる構造だった。――そういえば、以前のレンズでは組立精度によって、ときに素晴らしいレンズができたという話が多い。プロはそういう仕上がり性能のいいレンズを探し求めていたから、チャンスがあれば何本も使ってみて、気に入ったレンズと出会ったらもう手放さなかった。あるメーカーではプロからの注文を受けておいて、検査段階でそういうアタリが出るとプロにまわすという話がまことしやかに伝えられていた。
 そういう組立調整によって精度が違ってくる生産技法は、家電製品に近いホームビデオカメラでは通用しなかった。ビデオ用レンズでは生産工程全体の精度を一桁も二桁も上げておいて、ゼロゼロの設計で枠とレンズを組み立ててしまう。
 金属とガラスという硬い関係でなく、枠に柔軟性のある工業用プラスチックを使うことで、精度を上げてピタリとはめることを可能にしたのだった。
 半導体の製造などではサブミクロンと呼ばれる1万分の1ミリの精度が求められるが、一般的な精密機械でも100分の1ミリは当たり前の精度になっている。その上でさらに「金属では出せない精度をプラスチックで出そう」という大転換をやったのだった。
 これからの話は、そういう土台の上でのことになるが、メカ設計を担当した大津裕彦さん(商品企画・技術サービス課長)によると、「最初はいかに精度を出すかでガチガチに」やってみたという。が、もちろんそれだけではうまく行かない。温度によって動かなくなったり、ガタついてきたりする。ガラスにしろプラスチックにしろ温度による膨張係数というのがあるので、そういう不安定材料をうまく押さえ込みながら精度を獲得していく必要があった。
 ――というと初歩的な悪戦苦闘に見えてしまうが、そうではない。
「これほど大がかりではないとしても、プラスチックを使ってきたので、逃げる方法はもっていました。ただし、完璧にできるとものすごくいい性能が出るんです。仕上がり精度に十分な余裕をもたすことが重要なんです」
 ビデオ用レンズの小型化・高倍率化の生産技術にさらに高いハードルを用意したのが新しい28―200ミリの開発だったということになる。
 3段重ねの鏡胴がお互いに連結しながら回転つつ直進するという動きを実現させながら、太らせないために内側に限界まで詰め込んでいくしかなかった。
「あまり詰め込むとコマとミゾの接触部に摩擦が生じて動かなくなってしまう。精度を高めた上できちんと動かすことは、またたいへんなんです」

●28―300ミリへの飛躍
 28―200ミリはかくして完成したが、じつはみんなから祝福されて誕生したレンズというわけでもなかった。
「タムロンさん、そんなレンズ作って大丈夫? というのが日本のカメラ店さんのおおかたの反応でした」
 営業的には、「ズームレンズ2本セット」が1本ですんでしまうという不安が大きかったのだ。
 それと、カメラ評論家などレンズにくわしい人たちが相手にしてくれなかった。紛い物のレンズと思われたのだ。
「ですから、とにかく触って見てください、写真を撮ってみてください、とお願いしていました」
 あるいは非常識なものを作ってしまったかもしれないという和田さんたちの不安な気持ちは、アメリカからの反応で吹き飛んだ。圧倒的な評判が日本に逆輸入されると、国内市場でも急激に売れはじめた。
 いま、タムロンの28―200ミリズームは累計100万台を突破して、創業以来のベストセラーレンズとなっている。マイナーチェンジも加えられて、現行商品は3世代目。
 それに気をよくして……というのではないことが話を聞いてわかったが、さらなる飛躍をテーマにして28―300ミリズームが開発されたのだった。
 望遠側を200ミリから300ミリへとのばすとズーム比は10倍を超える。技術的テーマとしてはもちろん、営業的にも魅力的な課題として認識はされていたという。
 そしてそれを全長が10ミリのびる程度に押さえ込んで実現できれば、売れるだろうというところにまで絞られてきた。
 焦点距離が100ミリのびて、レンズサイズを10ミリアップに抑えるということは、これまでの3段重ね鏡胴を4段重ねにするしかないということに決まっている。
「設計者としては、本当は、同じサイズで仕上げたかったのですがね」
 和田さんはちょっと笑いを含んだ目でそういったが、腕の見せどころがあるといよいよ元気になるというタイプの技術者が多い会社であるらしい。
 光学設計では28―200ミリより28―300ミリの方がレンズ枚数が少なくなっている。レンズの入る余地が初めからないので、複合非球面レンズを増やすことでその難問をくぐり抜けようとした。
 しかもここでは望遠レンズの性能を劣化させる色収差(可視光線の波長の幅が作り出す虹と同じ原因で生じるボケ)を抑える特種低分散レンズに非球面のプラスチック皮膜をマウントするという新しい複合非球面を開発した。いうなれば望遠系と広角系に同時に効く複合レンズの誕生である。
 メカ設計でも精度はさらに高いところを求められた。……が、実際には、「製造技術では28―200ミリのときよりスムーズでした」と大津さん。28―200ミリはその時点ですでに何十万本も生産されており、製造技術のベースは確立されていた。タムロンの技術水準が28―200ミリの開発・生産によって、すでにかなり高いところに引き上げられていたのはまちがいない。
 かくして世界の11もの賞を総なめにしたタムロン28―300ミリF3.5-6.3(写真)が誕生した。

●ホームランをねらった90ミリマクロ
 自薦の3本目は90ミリF2.8(写真)である。
 タムロンのレンズカタログを見ると、AFの単焦点レンズは3本しかない。14ミリF2.8、300ミリF2.8とこの90ミリF2.8である。ニッパチトリオと早合点してはいけない。この90ミリはやむなくF2.8になったというのだ。
 最初に作ったのは90ミリF2.5というレンズだった。マクロ機能を2分の1までもったこのレンズはマクロレンズとしてだけでなく、一般的な中望遠レンズとしても好評を博すものだった。プロに使われるレンズとしてタムロンのブランドイメージをおおいに高めたレンズだった。
 ただ、心残りはあった。マクロ領域を等倍まで広げたかったのだ。
 そこで21年目のモデルチェンジで等倍マクロへのリニューアルを果たしたのだった。
 ただ、F2.5のまま等倍まで広げようとするとサイズアップしてしまう。光学設計がそこで悩んでいたときに、開放F値をF2.8まで落としてもいいんじゃないかという流れになったという。
「そこで妥協したのだから頑張らなくては」
 という気迫が新90ミリに投入されたようである。
 どう頑張ったかというと、かなりのシミュレーションをやったという。「設計なんて紙の上でやれることだから」と和田さんはいう。もちろん紙ではなくコンピューター上でのことだが、タムロンブランドを背負ってきたレンズだけに、パーフェクトなレンズを作ろうというところに目標を定めていたという。タムロンが本気で作ったらこういう単焦点レンズになるというモノである。
 そうそう、どこかで聞きたかったんですが、このレンズはボケのきれいさが評判ですよね。設計者はボケをどういうふうにコントロールしようとするんですか?
「ボケのことは考えていません」
 意外や意外、光学設計の責任者・和田さんの言葉はそっけない。
 ボケのことは評価する人にまかせるというのだ。
 ボケというのは光学設計者にとってはデフォーカスとかアウトフォーカスという問題であって、「収差をとっていくとボケはきれいになる」という単純な原則を信じて作業を進めていっているらしい。
 さらに、どうしても出てくる収差をできるだけ対称のものにする、という原則もあるらしい。
「二線ボケと呼ばれているのは収差が大きいからです」
 したがってボケをきれいにしたいときには対称性ということからいって、レンズタイプそのものを、絞りをはさんで前後のレンズ構成が対称的なガウスタイプとするのが常識なのだという。
 絞り羽根を円形に近くするというのはどうなんですか?
「ボケのことをいうときには開放ボケがきれいでなければいけない。円形絞りは開放では関係ないのです」
 たしかにそうだ。
 対称性という基盤の上で、マクロ領域と中景、遠景それぞれでの解像力とコントラストを高めていったのだという。
 シンプルな単焦点レンズながら、それが要求するメカ設計の精度はあの28―300ミリと比べても「目標値が全然違う」と大津さんはいう。設計のレベルも高いし、製造のレベルも高いということは、シンプルなレンズをタムロンの最高の品質で作ったというふうにいえそうだ。28―200ミリや28―300ミリが「どう実現するか」を目標としたとすれば、この90ミリは「どこまで完璧に近づけられるか」に挑戦したといえそうだ。
 タムロンが本気で単焦点レンズを作ればこうなる――という大見栄を切っている。
 ではその技術で、もっともっといろんなレンズを作ってくださいよ。
 それに対するタムロンの解答は「ノー」である。「単焦点レンズはよほど際立ったポイントがないと差別化できない」というのがその理由。「カメラメーカーとケンカしてもしょうがない」というのである。シグマのデパート型のレンズ・ラインアップと比べると半分ほどもないかわりに、個性的なレンズを集中的に投入している。
 タムロンは今年で創業50年という。板橋周辺に多かった光学系工場のひとつとして町工場的なレンズ研磨から始まったという。その後双眼鏡をつくり、写真レンズもやり、ライフルスコープやスポッティングスコープ、本格派では放送局用取材ビデオに装着するENG用レンズや大判カメラ用レンズもある。あるいは複写機用コピーレンズも。
 次から次へといろんな仕事を取ってくる人がいて、こういうモノを作れないか? という営業の注文を光学設計の和田さんたちが必死にこなしてきた、ということらしい。
 下請け仕事もやりながら現金取引主義という健全な会社経営によって、現在では青森に3工場があり、レンズ研磨はもちろん、金型から成型・組立まですべて自社生産しているという。
 おそらく健全経営という観点からも、技術力を一点に集中して決定打を放とうという意識が強い。「自分の力を最大限発揮する方向で飛躍する」と和田さんは言ったが、そのことと「設計なんて紙の上でやれることだから」と言うこととはつながっている。
「紙の上に書くだけならいくらやってもいい」
 30年前に和田さんが入社したころには対数表と計算尺でいちいち計算していたので、計算だけで汲々として、設計を進めるだけで精いっぱいだったという。
 その計算がコンピューターによって速くなったのは事実だが、「評価が速くなったことのほうが重要」と和田さんは言う。
 紙の上でレンズを何本も作って、その段階で評価していく。メカ的なものも3次元のCADによって作動確認ができる。
 そうやって机上のレンズをたくさん作り、たくさん評価しながら、カメラメーカーでは作らないもの、作りにくいものをねらって勝負をかけていく。
 カメラメーカーが出す純正レンズと同じものを作っても勝ち目がないし、意味がないというのがタムロンの考え方で、カメラメーカーのレンズのラインアップにタムロンのレンズを加えたところから、ユーザーが自分に有効なレンズ・ラインアップを構築できればいいという。
 そういう姿勢によって、タムロンは「今作るべき新しいレンズ」を模索していく。


■少数精鋭で高級レンズに特化――トキナー
(03・5982・1060ケンコー)

●新聞社に入った交換レンズ
 新宿のカメラ量販店でカタログを探したら、シグマ、タムロンと並んでトキナーがレンズカタログを出していた。が、問い合わせ窓口はケンコーになっている。
 そのあたりの事情を知らないので会社の住所から電話番号案内で電話を調べて取材の申込みをしたところ、やはりケンコーにいる、佐藤さんという人が窓口になっている、ということだった。
 今回の取材では開発技術者の話を聞きたいと思っていたので、自前の広報部門をもっていないらしいメーカーへの取材依頼は、本心、ちょっとおっくうだった。
 といっても、タムロンよりまたすこし本数は少ないとはいえ、レンズ総合カタログと呼べるものを作っているのだから、はずすわけにもいかない。佐藤さんに取材依頼のファクスを送ると、間髪を入れずに受諾の返事が戻ってきた。
 佐藤肇さんは、名刺ではケンコーの国内営業部・営業企画課の課長となっているが、話を聞いてみるとトキナーレンズの開発に直接かかわっている。そのまま取材に突入した。
 1981年ごろのことだが、トキナーが80―200ミリF2.8というズームレンズを出した。当時80―200ミリはニコンでも出していたが、トキナーのものは大口径ズームとしては驚くほどコンパクトであったところから、新聞社のカメラマンに認められてニコンレンズをさしおいて使われるようになったという。
 トキナーはもちろん千載一遇のチャンスとばかり、プロサービスを開始、新聞社の写真部にサービスマンが出入りする交換レンズメーカーという特異な地位を獲得したのだった。
 日本の新聞社では写真部員にはニコンが支給されるのが一般的になっている。ニコンのプロサービスも徹底したものなので、キヤノンがF-1発売を期に新聞社に猛然と売り込みをかけたが、結局敗退した。本誌の編集長もその時期にテスト的にキヤノンを使ったカメラマンだった。
 ニコンが完全支配する新聞社にニコンレンズを差し置いて納入される交換レンズメーカーという誇りは、トキナーの進路を大きくゆがめたのかもしれない。80―200ミリのニッパチ(F2.8)に加えて、35―70ミリ、24―40ミリというニッパチトリオをそろえたのだった。
 大口径ズームのトキナーという評価を背景に、最近ではプロタイプと呼ぶシリーズにAFレンズながら昔のマニュアルフォーカスの使い心地も味わえるものをラインアップしている。AF化で犠牲になったマニュアルのフォーカシングを真剣に取り戻そうとしたシリーズになっている。
 あくまでも、プロに使われるトキナーらしく、手に持つとズシッとくる。持ち重りというのだろうか、見た目のサイズよりはるかに重いのだ。コンパクトで軽量を最優先にする交換レンズメーカーの製品としてはそれだけでも常識破りというふうに見える。
 当然、軽いカメラにつけるレンズではない。
「ハイアマチュアを中心にニコンのF5、F100、EOS-1など上級機に使われているようです」
 なぜ重いのかというと、鏡胴を金属にして、しかもプロテクター鏡枠と呼ぶ保護鏡胴によって二重構造にしているのだという。それに生活防水処理を加えている。報道カメラマンが使うとなれば、レンズがあちこちにぶつかってもレンズ性能を落としてはいけない。少々乱暴に扱っても壊れないだけでなく、修理すれば初期性能を回復するというメンテナンス性も重要になる。
「いまは私がひとりでプロサービスまでやっていますから、以前のようにはできませんが、最近の例では沖縄サミットの前に、新聞社各社からの修理・点検でたいへんでした」

●ニッパチ(F2.8)トリオ
 トキナーは1955年ごろに創業したレンズメーカーで、ビビターなどにOEM供給する輸出メーカーとして成長してきた。
 大きな飛躍をしたのは79年の80―200ミリF4というズームレンズで、これが『カメラ毎日』の「レンズ白書」で高く評価された。続いて28―105ミリも出すと、これが高倍率ズームの先駆けとしてまた評価されたのだった。
 そして81年にすでに触れた80―200ミリF2.8が出て、トキナーはプロ用レンズの専業メーカーという自負心を獲得する。
 そのF2.8シリーズにはAT-Xというシリーズ名がついているが、これはアドバンスト・テクノロジー・10という意味だという。F2.8を中心に、大口径レンズを10本作ろうという宣言だった。
 現行機種の80―200ミリF2.8(写真)はそのAT-XにPROを加えたマイナーチェンジシリーズで、AFレンズながらマニュアルフォーカス時の操作感を完全に取り戻している。それに「コストアップして品質を向上させ、塗装も高級感のあるものに代えた」という。
「光学系が同じまま、かれこれ20年になりますから、さすがに他社さんのものと比べると見劣りする部分もあります。来年度にフルモデルチェンジします」
 しかし、と佐藤さんはいう。広角系のズームレンズは非球面レンズの採用によって大きく変わったが、望遠系のズームレンズは基本的には変わりがない、というのだ。
 むしろマイナス要因は重金属を使った光学レンズが使えなくなったことで、20年前に250種以上あった光学ガラスのインデックスが、現在では70種ほどに激減している。要するに屈折率の大きな光学ガラスが昔ほど自由には使えなくなっている。それをいかに補うかが、望遠系レンズ設計の大きな課題になっている。
 新聞社に入った80―200ミリの拡張バージョンとして94年に作られたのが80―400ミリF4.5-5.6(写真)という5倍ズーム。これは80―200ミリの領域で80―200ミリズームと同等の解像力とコントラストを確保した上で400ミリという望遠域を獲得している。全長136ミリ・重さ960グラムは80―200ミリF2.8(全長184ミリ・重さ1350グラム)よりコンパクトにまとまっているため、新聞社系のカメラマンは海外特派などでこれを選ぶことが多いという。
 じつは、トキナーは順風満帆にはいかなかった。いいレンズは作っていたが、企業的には立ちいかなくなって、事業の大幅な縮小を余儀なくされた。営業部門が全部ケンコーに移ったのもそういう経緯からだった。
 佐藤さんは、じつはトキナーの社員でも、ケンコーの社員でもなかったのだが、事業の建て直しのために外から送り込まれてきたのだった。
 しかし、見るところ、天職に巡り会った、というようにも見える。
 88年に発売になった28―80ミリF2.8は、トキナー存亡の危機に開発責任者の机の上にあったものだ。遊びで試作したそのレンズを佐藤さんは見つけて、商品化した。
 AFレンズでありながら、マニュアルフォーカス時のピントリングのネットリ感が際立っていた。
 遊び心がふんだんに散りばめられたぜいたくな作りのレンズを、傾いた会社が起死回生の一打として出したのだった。
 それが当たった。94年にPROシリーズも出し、国内で4万本以上、海外も含めたると10万本以上というロングセラーとなって、新生トキナーの事業基盤を支えたのだった。定価で10万円をほんのちょっと割るだけの高価な大口径ズームでこれだけ売れたことによってトキナーは進むべき道を確信したのだった。
 そのPROシリーズでは同じ光学系ながら、組立工程の精度を10%アップした。これによって88年と94年のレンズ性能はまったく違ったものになった。
 そして今年、新しい28―70ミリF2.8(写真)が出た。これは最短撮影距離を50センチへと伸ばして、第一線に返り咲いた。「おかげさまで、まだモノがない状態です」というほどの人気商品となっている。なにしろ性能をアップして価格は大幅に安くなった。非球面レンズを2枚、低分散ガラスを1枚使用して、とくに広角側28ミリでの周辺光量を上げたという。
 新生トキナーの実力を示すレンズに20―35ミリF2.8(写真)がある。これはケンコーと深い関係にあるガラスメーカーHOYAとの共同開発によって直径50ミリという大型のガラスモールド非球面レンズを前玉に装着している。
「ガラスモールドでは直径30ミリ以上は難しいといわれていたんですが」
 加えて最後部に直径20ミリのガラスモールド非球面レンズを採用。絞りから離れたところに非球面レンズを使うことで、広角レンズ特有のディスとーションと周辺光量不足を効果的に補った。
「キヤノン、ニコンさんはこのクラスでは高価な研削非球面レンズを使っています。われわれは半分の価格で同等の性能を獲得したのです」

●日本の車ならスバルのように
 トキナーのレンズは、HOYAとの関係が深いところから、光学ガラスの扱いに設計の重点を置いている。非球面レンズでも、1枚で「パワーのある非球面効果」を求めようとする。HOYAから供給される特殊な光学ガラスも使えるというメリットを大きな武器にしていこうという意識によって支えられている。
 だから、「コーティングをベタベタやるのも好きじゃない」ということになる。昔のレンズがいまも驚くほどいいという場合、それはガラス素材本来がもっているパワーが効いている――という認識なのだ。
 しかしレンズ設計はバランスだと佐藤さんはいう。たとえばズームレンズを作ったとき、全焦点域でいいということはないから、どういうバランスで仕上げるかを考える。「車のエンジンでいうトルクバランスみたいなもの」なのだそうだ。低めの回転域で高いトルクを発生させるか、高回転域でパワーを出そうとするかによって車の運動能力は大きく違ってくる。それと同じような感覚で、コントラスト(トルク)と解像力(パワー)を考えるとき、トキナーはあくまでも解像度というパワー重視でレンズを作ってきた。
 昔のレンズの味があるという評価は、その解像力重視のレンズづくりから生まれていると佐藤さんは考えている。
 カラーフィルムの写りをよくしようとして、おおかたの新しいレンズはコントラスト重視の設計に切り替わったという。そういうなかでトキナーのレンズはあくまでも解像度にこだわっているという。
 そのあたりは聞き手が十分に理解できていないのだが、大口径レンズにこだわるトキナーの姿勢も、また特殊にみえる。
「大口径レンズというのは作って、実際に撮ってみないとわからない部分があるんです」
 明るさで無理をせず、適当な価格帯で仕上げていくようなレンズの場合、レンズの仕上がりは計算で見えてしまう。そういうレンズを作らずに、カメラメーカーが作る高価な大口径プロ用レンズとガップリ四つに組めるものを低価格で供給していくのがトキナーの役目だというのだ。
「絶対勝てないとしても、ひとあわ吹かせることはできます」
 こうしてトキナーのレンズは国内市場と海外市場が半々という売れ行きになっている。それはキヤノンのLレンズの売れ方と同じで、海外ではプロ用、国内ではプロとハイアマチュアに支持されている。
 しかも半分以上がニコンマウントだから、まるでニコンの専用交換レンズのような雰囲気になっている。
「作るほうも、みんなニコン党だものですから、どうしてもニコンのボディに合ったデザインになっていってしまうんです」
 なかなか無責任な発言に聞こえるが、よく考えれば、そこにトキナー存続の鍵が隠されていたともいえる。相性のいい客筋を絞って、限られたマーケットの中だけでビジネスを展開しようというのである。
 いってみれば高級既製服の作り方。「ニコンのボディが好きな人は、レンズはよければいいといって、ニコン純正品とトキナーとをあまり区別されません」
 トキナーがレンズカタログにMTF(変調伝達関数)グラフを出しているのは、レンズ性能を理詰めに説明したいという現れで、そういう姿勢を求めるユーザーが多いということによる。
 あるいはそういう姿勢に好感をいだいてか、「1本買っていただけば、3本持っていただける」というような、熱烈なトキナー党がまたひとり増えもする。
「車でいえばワゴン車ではナンバーワンと評価されるスバルのようなブランドイメージをめざしています」
 佐藤さんはそうとうの車好きのようだから、ほんとうは、イタリアのマセラティのような車をめざしているにちがいない。
「今のトキナーは道楽息子の集まりみたいなもんです」
 じつはトキナーはいま、所帯をぎりぎりまで小さくしていて、そういう意味でも高級店をめざさなくては収益が上がらない。限られた商品を限られた顧客に提供することで成立するには、いいものの味を知っている人間が個性と余裕を失わずに、遊び心のあるものを作るしかない、と見切ったようなのだ。
 車ならやはりヨーロッパのデザインがいいというような、円熟した商品を作り出したいという野心なのだ。
 そしてそれは、腕のいい光学設計者と、メカと電子の設計者と、営業の声をとりまとめた佐藤さんといった、ほんの数人が午後から集まって、酒を飲みながらじっくりと展開させるレンズ談義の延長線上に立ち上がってくる。
 丸みをつけるところを放物線アールにするというようなことは、レンズでは初めてでも、車や釣り道具では当たり前。そしてそういう仕上がりにすると、なぜか手にしっくりとなじんでくる。
 自分たちが食える分だけのレンズを作って、それで巨像のカメラメーカーをアッといわせたい、というあたりから、トキナーレンズは独自の存在をしたたかにアッピールしはじめた。


■交換レンズ=写真ネーム

■1
シグマ 50-500mm F4-6.3
シグマが提案した10倍ズーム。標準から超望遠までまでをカバーするため16群20枚のレンズのうち7群をズーミング。特殊低分散ガラスを4枚採用して色収差を除去している。ニコン、キヤノン、シグマ用モデルは超音波モーター内蔵。16万2000円。

■2
シグマ 28―135mm F3.8-5.6
28-200mm、28-300mmの高倍率ズームから振り返って、全長75mm、重さ410グラムで28mmから手持ち撮影領域の135mmまでにまとめた常用ズーム。ズーム全域で50cmの近接撮影が可能なほか、135mmで1:2のマクロ撮影が可能。4万3000円。

■3
シグマ 17―35mm F2.8-4
超広角ズームの先端を走り続けるべく投入された大口径ズームの新モデル。キヤノン、シグマ用モデルは超音波モーター内蔵。非球面レンズは前群にガラスモールドタイプ、後群に複合タイプを使用している。8万5000円。

■4
タムロン 28―200mm F3.8-5.6
現行機種は3世代となる大ヒットレンズ。ズーム域全域で49cmまでの近接撮影が可能なほか、望遠側で最大1:4までのマクロ撮影が可能となった。全長82mm、重さ485グラムという高倍率コンパクトズームの先駆け。5万7000円。

■5
タムロン 28―300mm F3.5-6.3
2枚の特殊低分散レンズと、3枚の複合非球面レンズを使っているが、複合非球面レンズの1枚は特殊低分散レンズとのハイブリッド構造となっている。レンズの先端技術を惜しみなく投入して全長94mm、重さ585グラムにまとめあげた。7万5000円。

■6
タムロン90mm F2.8 マクロ
マクロレンズでありながらポートレート撮影にも使えるオールマイティレンズのリニューアルバージョン。マクロ撮影領域が1:2から1:1にまで拡大された。6万8000円。

■7
トキナー 80―400mm F4.5-5.6
全長136mm、重さ960グラムにまとめられた超望遠系5倍ズーム。AF測距性能にかかわるF5.6以上の明るさを確保し、焦点距離200mm以上の収差を良好に除去。80―200mm F2.8ズームよりコンパクト。8万9800円。

■8
トキナー 28―80mm F2.8
大ヒットした28-70mm F2.8のリニューアルバージョン。ズーム全域で50cmまでの近接撮影が可能になり、ニコン、キヤノンモデルではAFから常時マニュアルフォーカスへの切り替えが可能になった。9万8000円。

■9
トキナー 20―35mm F2.8
直径50mmというガラスモールド非球面レンズを前玉とすることによって、本格的な超広角大口径ズームを低価格で実現した。11万8000円。


 

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