毎日カメラ読本(最新カメラ情報2002)
カタログ探検紀行
2002.6.30……CCDとの格闘現場(初稿原稿)



 デジタル写真にとってCCDはどれほどの存在なのだろうか。専門家から見ればあまりにも初歩的なそんな疑問をかかえて、CCDを作る会社と使う会社の広報部に共通の取材依頼文書を送った。
 ――今回のテーマは「CCDとの格闘」というふうに考えています。デジタル写真が銀塩写真に追いつき、追い越しつつある今日、その黎明期からの開発エピソードを御社の「CCD博士」というべき役割の方に、お話いただければ……というお願いです。
 もちろん現行商品につながる話もいただきたいのですが、底流に「デジタル写真」のクオリティに対する技術という要素があれば、どういう展開でもけっこうです。
「CCD」とはいいながら、最終的に問題になるのは画像処理にかかわるソフトウェアかもしれません。あるいは「CCDカメラ」としての新しい考え方に関することごと……。どちらにウエイトがかかっていっても、もちろんけっこうです。御社のもっとも力を入れておられるところをお話しいただきたいと思います。――


■株式会社ニコン
映像カンパニー開発統括部・後藤 哲朗さん(ゼネラルマネージャー)
同・芝崎 清茂さん(設計グループリーダー)
同・鈴木 政央さん(設計グループ主幹)

●ハイビジョン用CCDを手がかりに
 取材日程が間髪入れずに決まったのはニコンだった。あとで分かったことだが、映像カンパニーで第一開発部を率いるゼネラルマネージャーの後藤哲朗さんが登場すれば、ニコンにおけるCCD通史が語れるというはっきりした体勢があったからのようだ。
 1981年にソニーがMAVICAというアナログ記録の電子スチルカメラ構想を発表してセンセーションを巻き起こした。各社がその「スチルビデオフロッピーシステム」に従ったカメラを発売するのは88年以降だが、ニコンは87年に40万画素の白黒CCDを使った報道用カメラを製品化している。
「200台ぐらいですけれど、テレビカメラ用のグレードのいいCCDを採用して、レンズも専用のものを開発しました。白黒カメラにしたのはあくまでも画質にこだわった結果です」
 2/3インチで40万画素というと現在なら画素サイズは12ミクロン相当ということになるようだが、ビデオ用CCDはいわゆる縦長画素となっていた。
 NTSC方式のテレビでは垂直方向の走査線(スキャニング間隔)は525本と決まっている。その代わり水平方向はサンプリング間隔を細かくできる。縦長画素というのはそういうテレビ用CCDならではの進化型になっていた。
 94年にカシオが最初のデジタルカメラQV-10を出して現在につながる流れができるのだが、95年にはニコンは業務用で2機種を発売している。
 ひとつはハイビジョン用の2/3インチ130万画素CCDを流用した動画/静止画兼用カメラ。もうひとつはデジタルカメラ専用の正方形画素をそなえた2/3インチ130万画素CCDをカスタムメイドでとし、ニコンFシリーズのレンズを共用できる報道用デジタルカメラE2とした。
 このE2はボディ価格110万円に対してCCDが10万円以上もしたという。製造原価を考えれば赤字覚悟のぜいたくな使い方だった。
 ――たしかハイビジョンは200万画素とかいわれていましたよね。
「ハイビジョン用CCDは当時ソニーが200万画素、松下が130万画素をつくっていて、130万画素でも読み込みのデータレートがよかったのです」
 カシオのQV-10にはじまる初期のデジタルカメラではビデオ用の縦長画素CCDをサンプリング時に正方形に調整していた。それがようやくデジタルカメラ専用のCCDとして分岐し始めたのだ。
「正方形画素という考え方はコンピューターで画像を扱うようになってからのことなんです」
 ソニーが96年に出した33万画素のデジタルカメラ専用CCDを使ってニコンはCOOLPIX100(96年)と300(97年)を発売する。その上位機種として130万画素の900と910(いずれも98年)で、高画質デジタルカメラの最前列に立った。

●色分離の方式をさまざま検討した
 ともかく、ニコンのデジタルカメラの基礎はE2にあったようだ。
 たとえばCCDをカラー化するためのフィルターについての模索があった。画素を3原色(あるいはその補色)の各色に割り振りながら、カラー画像の解像度を垂直・水平方向ともに最善とするにはどうしたらいいのか。
「コダック社のベイヤーさんが提案したベイヤー配列というのが96年ぐらいから原色フィルターの主流になってきました。グリーンを市松模様にしてR・Bを線順次、という方式なんですが、それに対して、私たちはGストライプR・B線順次という方式を開発しました」
 CCDは白黒センサーなので、カラー化するには細工が必要になる。一般的なオンチップカラーフィルターというのはCCDの各画素ごとに特定の色だけに感じるようにフィルターをかぶせて明暗データをつくらせる。それを取り出したときに色情報を加えて組み立てるという方法をとる。複数の画素を使って色を記録するという方法だ。そのフィルターは3色が細いストライプになっていたり、市松模様になっていたりする。
 ちなみに「線順次」ではなく「面順次」というのは、色分離のフィルターを変えながら3回撮影して合成する方法でスタジオ用のカメラにはある。カメラとしては特殊だが、印刷製版ではごく当たり前の考え方になっている。
 そしてテレビカメラではダイクロイックプリズムで3つのCCDに同じ映像を分離するという方法がある。
「ダイクロイックプリズムを入れると、大型で高価になり、色分解系のガラスがはさまってくることで光学性能も低下するんです」
 けっきょくデジタルカメラではオンチップフィルターが主流になっているのだが、これは補色系と原色系とに二分される。それぞれは原料によって染料系と顔料系に分かれ、さまざまな配列がくふうされてきた。
 補色フィルターの特徴は分光透過率が高いことから感度が高く設定できるということで、解像度を上げるための高画素化の途上では、犠牲にされる感度をすこしでも高くとれる点で有利だった。
 2000年に300万画素が登場するが、A4サイズのプリントまで可能となって高画素化も一段落、色の再現や階調再現に目が向いて原色系のメリットも見えてきた。
 CCDそのものもノイズなどが改善されて、感度の低い原色系フィルターの増幅もしやすくなった。色の忠実度という点で原色フィルターが主流になりつつある。
「結局、補色系でも原色系でもどちらでもいいんです。色を作り出す要素としてカラーフィルターが受け持つのはだいたい4割、あとの6割は色処理、フィルムでいえば現像に当たる部分です。原色フィルターがきれいといわれますが、実際には補色フィルターできれいな色を出しているものもあります。それはもう、メーカーの作り込みのレベルなんです」

●高画質には画素サイズが重要になる
 ニコンは早い時期からメガピクセルのCCDを扱ってきたので高解像度になったときの次の展開が見えていたという。
 時代はむしろ画質という総体的な品質を考える段階に入りつつあったのだ。
「90年代に入ってから、NHK技術研究所が画質を決める要因についての論文を発表したんです。ハイビジョンカメラでの『光ショットノイズの検知限界』という論文なんですが、ノイズ成分が画質を荒らすという考え方を私たちも導入しました。
 それから写真家の方々は、写真は階調表現の技術であるといいますね。その階調をうまく表すにはどうしたらいいかというと、解像度をむしろ上げすぎないほうがメリットがある、という考え方もとりました」
 CCDの特性を天秤で表現すると、片方に「解像度」を載せて、反対側に「感度+階調特性+S/N比+コマ速度+過大光量特性など」を載せると、解像度を上げると反対側の特性が落ちるという関係が成立するのだそうだ。
 階調特性をよくしようとすると解像度特性を抑えていかなければいけない。
「ところがその天秤のバランスではなく、支点自体を高く上げていくと全体の特性が向上するんです。それにはCCDの画素を大きくする。フィルムでも35ミリ判よりはブローニーフィルム、それより4×5というようにフィルムサイズを大きくすることで画質は上がったのです。CCDも同じなんです。
 そのあたりから、ひとつひとつの画素の大きなCCDを作ったほうが写真としていいものができるという概念をもってD1に至るわけです」
 ここで私は2枚の大判プリントを見せられた。270万画素のD1と610万画素のD100の解像度の比較だった。
「わからないでしょう。人間の目の分解能は決まっていますから、鑑賞距離から見る限り区別がつきません。270万画素がそれなりによく見えるのは階調に余裕があるからなんです。D1をそういう階調表現にすぐれたカメラとして作ったのが成功の要因だったと考えています」

●D1は疾風怒濤の革命児だった
 D1というカメラが新しい時代を切り開いたという役割を私は大きく評価している。
 シドニーオリンピックでは毎日新聞社でもD1をベースに取材体勢を整えたが、本誌の平嶋編集長は新聞用に送稿されてきたかなり小さなデータの写真で速報グラフ誌を編集するためのシミュレーションを印刷会社と繰り返していた。
 じつは、D1には問題があったのだ。印刷所にデータをまわしたときに、そのデータがどのような仕上がりになればいいのか、コミュニケーションが成立していなかった。そこでカメラマン側で画像をいじってプリンターで出力したものを見本につけるという流れもあったが、これにも矛盾点が存在した。RGBデータで出したプリントとCMYKに変換する印刷製版とのそれぞれの最適値にズレがあるので、それをどのあたりで調整するかという話はときに、とてつもなく難しくなった。
 そこで最初からCMYKデータにして渡すと、印刷適正とのマッチングが調整不可能ということになりかねない。印刷所ごとのD1データ受け入れのカラーテーブルがなかったのだからしょうがない。
 D1はプロカメラマンの全領域に一気に広がったので、写真そのものというより、印刷対応において一種の混乱状態を引き起こしたのだ。大昔、ワープロ原稿を印刷所に入れると大騒ぎになったことを思い出すが、まさにそういうドタバタをD1は現出してしまったのだ。
 それはD1が突如新しい地平を切り裂いたことによるささやかな混乱だったともいえる。振り返ってみれば、D1というカメラに込められた突破力は、そんな問題を軽々とクリアしてしまったともいえる。
「D1には、F5をデジタル判にしたらこういうふうになるのではないかという明確なイメージがありました。報道のみなさんが要求するスペック、画像を使う用途、それを細かく分析して99年から2000年のコンピューティングの環境ですとか、印刷の環境ですとか、それを考えた場合はこのようなものが適するのではないかという明確な目標ができましたのでセンサーの開発もできましたし、信号処理の開発もできました。ボディそのものの開発もできました」

●Dシリーズ用フルカスタムCCD
 CCDはD1のためにフルカスタムで開発された。コマ速、解像度、高感度時のS/N比などを考え、さらに1世代で終わるのではもったいないので、数世代にわたって使えるようなコンセプトを盛り込んだという。そして後にD1Xの540万画素CCDもフィルターを新しくすることで作れたという。
「これだけの大きなCCDをつくる上で気になったのはさっきの光ショットノイズです」
 光自身がゆらぎのノイズをもっているというのだ。光の光子が100個くるとその中の平方根の分(10個)だけはノイズ成分なのだそうだ。
「碁盤の目のひとますが撮像素子の1画素と考えて、その上にパイプを立てて、ピンポン玉を100個入れます。そうすると100階調とれるかというと、10階調分はノイズですから90階調ぐらいしか取れない。それじゃあ、1万個入れたらどうかというと100個分がノイズになるけれど9900階調がとれる。
 光の入る器を大きくしていく方向で考えて、D1を作りたいというところから始まっています。
 すでにフィリップスが12ミクロンというサイズを実用化していました。私たちは計算上10ミクロン以上の画素なら十分な階調特性がとれると考えたのです」
 CCDが半導体製造装置の進歩とともに画素を小さくして高画素化していくという微細化のプロセスに逆行するようなことを、後藤さんたちは96年ぐらいから始めていたという。
「最近では専門誌にCCDやCMOSセンサーが出るとその横に『何万エレクトロン』という数字が出てきます。取り扱い電子数というのですが、それがCCDの階調表現の能力を表す数字になっているんです」
 使用目的としてプリントサイズが決まるとそれ以上画素を多くしても画質は変わらないので、D1では100線(200dpi)でA4サイズまでカバーできるものとして270万画素という設定をしたという。100線は新聞写真を基本的なターゲットとしている。雑誌の印刷では150線から175線がスタンダードなので、1/2ページ程度までのカット写真なら問題ない、ということになる。とにかくD1は用途に合わせた画素数という絞り込みを約300万画素というところにおいたのだ。
 値段はF5の32万5000円に対して、その2倍という目標を立てたという。
「当時は一眼レフになると100万円台から200万円台でしたから1/2から1/3ですね」

●6割の処理をする現像部
 光を取り込んでくるCCDが4割の重要度だとすると、残りの受け皿が現像部だ。
「CCDの表面にRGBのカラーフィルターをかぶせてあって、Gが輝度の解像度を占めるんですが、無い色をどうやって補完してあげるか、です。270万画素といっても、270万のR・G・Bという3面を作るための補完のシミュレーションをCCD開発の同時期からスタートしました」
 そのアルゴリズムはPC上でシミュレーションされて、だいたいD1開発の初期に固まっていたという。ただ、それをメモリーに記録するまでのスピードをいかに速く処理するかということで、その信号処理のカスタムICも同時期に開発を進めていった。
 そのカスタムICが現像部なのだが、画質補完の機能として、どういう階調カーブを描くと写真的にきれいな表現になるのか、色の表現、色のマトリックスをどうするのか、エッジ強調などをどのように表現するか。
 ――画像処理のエンジンと呼んでいるところですね。ニコンFシリーズのボディとコダックの画像処理部が合体したデジタルカメラがありますが、コダックの影響はないんですか?
「キヤノンさんはコダックの画像処理部を積んだカメラを両者で販売していましたが、ニコンでは完全にコダックのカメラとして出していたので、コダックの影響はいっさいありません。まったく関係なかったといっていいのです」
 やはり印刷対応には問題があったようだ。
「色の作りという点では、D1を出して、いろいろご指摘をいただいて、D1のH、Xを出すまでにいろいろ勉強させていただきました。
 当初はCCDの開発で、カメラとしてはいいものを提供したつもりだったのですが、印刷までのワークフローに対してのフォローは、今からいうとちょっと足りなかったかな、という感じ。
 電子カメラの中身というのはいわばフィルムを作るのと同じなんで、コダックさんとフジさんはいままでフィルムを作ってきた。
 フィルムを使った撮影から印刷まで持っていく間にどこが色管理しているかというと、ラボだったんですよね。フィルムと現像液と、現像の仕方とかで色を管理していたわけです。
 それがコダックだとかフジがクローズドのシステムでやってきたことなんです。そこにニコンが突っ込んでいっちゃったわけです。
 デジタルの一番いいところ、おいしいところをつかっていただだこうということで作ったD1と、クローズドで印刷のスキャナーのオペレーターが扱えるようなフィルムのシステムと整合性が取れてなかったのは確かですね。
 それとフィルムが再現できる色の域がCCDが取り込むことのできる範囲よりずいぶん狭いので、そこですこし整合できなかったことがあります。
 印刷所とカメラマンとカメラメーカーとでこれからきちんとやっていかなければいけないですね。きちんとしたワークフローを作ってくれた印刷屋さんもいますから、そういうところではD1のデータをそのまま素直に流せるようになっています」

●RAWとJPEG
 圧縮のかかったJPEG保存を、プロ用カメラとしてはどのように考えているのだろうか。
「JPEGというのは、レンズ前の仕事をしっかりされるカメラマンには十分使えると思うんです」
 ちょっとまわりくどい言い方が返ってきた。JPEGで保存すると8ビットのデータに押さえ込んでしまうので、後でなにかやろうと思ったときに加工性が低い。だから光を十分にコントロールして一種完璧な撮影ができてさえいれば、問題ないというのだ。
「デジタルカメラはハイライト基準で撮影するんですね。ハイライトが飛んでしまうとデータがないですから、もう復活できません。ところがデジタルカメラは銀塩フィルムと違って粒状性でないので、暗く沈んだところも引っ張り上げようと思えばできるんです。それを理解しないでJPEGで撮った方々はけっこう苦労されていますね。
 一般には簡単に撮れるのがJPEGだと逆にとられているんです。簡単に撮れるというのと、簡単に見れるというのは違うんです」
 ――JPEGというのはかなりすぐれた圧縮方法だとお考えですか?
「汎用性が高いという意味で、しばらく続くと思います。JPEGのあとにJPEG2000という規格もあります。コンパクトに画像を扱いたい、しかもいろんなものでオープンできるという意味ではJPEGの系統は汎用性が高いのでいいと思います。
 それと人間の目の特性に合わせたかたちで圧縮していますので、色のデータは少なめにして輝度を出しているとか、高周波成分を落としているとか、人間の目にあったかたちでセッティングされていますのであまり違和感なく容易に使える圧縮方法だと思います」
 しかし、基本はRAWデータでの保存だということだ。
「本当はRAWデータで保存してほしいんです。われわれにはキャプチャーというアプリケーションソフトがあるんですが、最高の絵が作れます。
 階調特性はモニター上のヒストグラムで見られるので、階調が八ビットの中に入っていれば加工できます。しかしRAWデータであれば、いろんな色にも、いろんな階調にもできるので、さまざまな現像ができるのです」

●D1からデジタルカメラを振り返る
 D1は最初からプロカメラマンをユーザーと想定したので、あくまでも素材の提供という側面を重視したという。
 色空間を広くとり、色もそれほどのせていないのは意識的なものだった。
「いまの民生用のデジカメっていうのはきれいに見えます。パッと見、アッきれいだね、写真みたいだね。
 だけどD1の絵はそのまま出すとくすんでいる、きれいじゃないとか、いろいろいわれたんですが、きれいさゆえに後の加工性を失っているカメラが多いので、それを私たちは避けました。
 だいたい人の肌をきれいに出そうとすると、民生デジタルでは赤が完全に飛ぶんです。真っ赤っかな花を写すと赤がすぐに飽和してしまって再現できなくなるとか、そういう問題を抱えているカメラが多い中で、D1のほうは加工余裕を残したという点で絵づくりはまったく違います。
 その後のD1Xでは素材だけではなくて、不自然ではないきれいな色が出るようなモードも入れましたし、D100ではさらに見た目にきれいな色も出るようなモードも加えました」
 ニコンのDシリーズでは絵を「いじれる人と、いじれない人」に分けて、その両翼に手を広げていこうとしているように見える。
 そこで「いじれない人」への野心的な提案があった。
「B0判の大伸ばしですが、フィルムならブローニーでないとここまでは伸びないでしょうが、D100なら伸びます。ここまで伸ばすと1画素が0・5ミリなんです。ですから近寄れば人間の目で見えます。ただし、ブローニーフィルムでもここまで伸ばすと粒状がざらざら出てしまう。鑑賞距離からだと、むしろこちらのほうがなめらかにきれいに見えるはずです。
 ここまでやろうとすると銀塩ではたいへんでしたが、いまではD100のカードを持ってDPやさんへ行けば、一時間ぐらいでできてしまいます」
 最後にCCDサイズに対してどういう考え方をしているのか聞いてみた。
 ニコンDシリーズの一眼レフデジタルカメラにおけるCCDサイズについては、23・7×15・6ミリというCCDサイズを確定したという。APSサイズよりほんのひとまわり小さいのだが、じつは35ミリに固執している。35ミリサイズの24×36の各辺を1.5で割ると16×24ミリになる。ようするに「ほぼハーフサイズ」なのだ。それによってニコンFマウントの交換レンズをDシリーズでは表示焦点距離の1・5倍相当で使うことができる、としている。
「画角が狭くなった分、広角側のレンズが高価になるという心配をみなさんしていらっしゃるみたいですが、35ミリフルサイズのCCDを採用すると、レンズの周辺の性能はそうとう低下すると思うんです。
 だいたいミラーボックスの中で光がケラレて、CCDの周辺にちゃんとした光が到達しないんです。それを考えると、いまのこのサイズでレンズの真ん中のおいしいところだけを使いたい。すでに35ミリに匹敵する画質を備えているのですからCCDはこれ以上大きくする必要がないと思っています。
 とにかく、CCDを大きくすると高くなって、電力も食います。35ミリフルサイズのCCDなら、中判カメラのボディを利用した方が合理的だと考えています」
 ニコンはDシリーズによって、レンズ交換式一眼レフに「ほぼハーフサイズ」というCCDサイズを確立しようとしている。


■オリンパス光学工業株式会社
映像システムカンパニー映像開発製造本部・木島 貴行さん(シニアエンジニア)

●10万円のメガピクセル機を開発せよ
 木島貴行さんは入社以来15年間、ずっとCCDとかかわってきたが、その最初はアナログフロッピーに記録するスチルビデオカメラ。それからデジタルカメラでは業務用の「弁当箱みたいなカメラ」を出したという。SRAMのカードに記録する「メモリーカメラ」で、ビデオ用の38万画素CCDとビデオ回路をスチルカメラに作り直すというような方法だった。
 その後、96年8月にビデオ用の電子手ブレ補正用CCDを流用して、80万画素のCAMEDIA C-800Lを発売するや、爆発的なヒットとなり、オリンパスが高画素化の先陣を切った。
 その80万画素カメラの開発には参加していなかったが、「これから100万画素の時代だ、10万円で作れ」という命令が下って、その開発集団の中でCCDの担当になったという。
 作ったのは97年に発売になったC-1400Lで140万画素。メガピクセル時代の先端を切り開いた。
「当時CCDをカスタムで作ると1億円〜2億円は軽くかかるよといわれまして、そこまでの投資はできないだろうとずっとあきらめていたんですけれども、カスタムでやる以外に方法がないというところから始まりました」
 汎用品でやれないことはなかったかもしれない。大手のCCDメーカーが業務用で130万画素のものを作りかけていたからだ。
 ただ、値段が高かった。
「いくらですかと聞いたら3万円ぐらいですかねと。10万円のデジカメを作ろうとしているのに3万円のCCDは使えないなと」
 それで別のメーカーと組んで共同開発に取りかかったが、未知なる体験の連続だったという。
 たとえば液晶モニターへ取り出すのに、130万画素を全部読もうとすると時間がかかる。そこで画素を間引きながら読んでいくというような方法を開発しながらデジタルカメラ向けの仕様を作り出していった。
 高画素と同時に、木島さんはCCDの受光面積を大きくするという決断をする。
 当時、ビデオカメラはどんどん小型化へと向かっていた。CCDを小さくするとレンズが短くなり、口径が小さくなって、ズーム比の大きなレンズをつけやすくなる。
 それよりも何よりも、1枚のウエハーから切り出せるCCDの枚数が増えるのでCCD価格が下がっていった。
 ところがスチルの場合はズームも3倍あればとりあえずいいだろう、と考えてCCDの大きさをある程度大きくすることにしたという。
 ビデオ用CCDとしてはもう時代遅れの3分の2インチCCDをあえてスチル用としたのだった。

●全画素読み出しの正方形画素
 ビデオ用CCDではインターレース読み出しが基本だった。テレビがインターレース走査をしていることから1ラインおきに、飛ばして2回取り込んでいる。それに対してスチルでは高速のシャッターを切りたいということから、電子シャッターを使える全画素読み出しのCCDとした。
「ですからこのカメラは一万分の一秒までつけました」
 テレビでは縦の本数は512本と決まっているので、解像度を上げるには水平方向でかせぐしかなく、横の細かさをどんどんどんどん追求していた。だからビデオ用CCDの格子は自然と縦長になっていた。
 で、ビデオ用CCDをスチルに流用するにはパソコンに表示するとき同様、縦横の比を合わせるような変換をしなければいけなかった。だからなんとしても縦横比1対1の正方画素のCCDを採用した。
「当時、ソニーさんは正方画素でVGA(640×480画素)の全画素読み出しのCCDを作っていました。われわれのC-400はその35万画素CCDを使って出しています」
 CCDメーカーがようやく35万画素を市販したときに、木島さんは140万画素を求めていたのだ。
「この機種が出て、当時としては爆発的な売れ方をしたわけです。30万台ぐらい売れたはずです。CCDメーカーもここに市場があるということで目の色が変わってきました。
 CCDメーカーがその後どういう戦略をとったかというと、全画素読み出しという流れのほうにはまだいかないで、画素を単純に正方化して画素数を増やして、方式はインターレース方式を使うというような流れで出してきた。
 インターレースというのは、画素を1個おきに読んでいって、2回目はこっちを読みということで、その間、光が当たり続けるとまずいので、メカニカルシャッターを閉じて、画素上に光を持たせる。それを順番に2回読むという作業をするんですが、メカニカルシャッターの実力で全部決まってくる。1万分の1秒なんていうと高級一眼レフのフォーカルプレーンシャッターを使わなくてはいけなくなる」

●全画素読み出しの得失
 オリンパスはかくして静止画用CCDに全画素読み出しのプログレッシブCCDという流れをつくったのだが、最新の5メガピクセル機E-20は「高画素対応可能なインターレーススキャンと高速シャッター対応のプログレッシブスキャン」のハイブリッド方式というのを採用している。
 全画素読み出しに不利な面もあるのだそうだ。
「CCDというのはフォトダイオードという光を受ける素子があって、その横に転送路というのがあるんです。フォトダイオードから電子を呼び出して溝に沿って転送するというのがCCDの構成なんですけれども、溝に流せる電子の量というのがインターレースのほうが多いんですね。ですからCCDメーカーさんがみんなプログレッシブにしてしまわない理由はそこにあるんです」
 流れる電子の数が制約されるとS/N比が悪くなる。全画素読み出しでも耐えられるようにするために、画素をできるだけ大きくとるという意味を含めて2/3インチCCDにしたのだった。
「画素は大きいに越したことはないんですが、ただ画素数も増やしたい。画素数が増えるということは情報量自体が増えるのでかならずいい方向へ行くんです。画素を大きくし、画素数を増やし、そのCCDサイズを最適化するという3つのバランスを考えました」
 このC-1400Lによってメガピクセル戦争が勃発したのだが、木島さんはさらに走った。99年には250万画素のC-2500Lを発売。これもカスタムメイドCCD。そして2000年には400万画素のE-10を出すのだが、それもセミカスタムCCD。
「じつは140万画素のC-1400Lを出す前に400万画素CCDの開発に着手していたんです。
 で、なぜ250万画素をやって400万画素をやるのかっていうと、画素数を上げることにひとつの意味があるだろうという考えがありまして、プログレッシブでいける画素数が250万画素がいいとこだろうということで、インターレースの方式を使えば400万でもいけますよという話があって、違うメーカーさんと組んでやったのです。
 E-10は出そうと思えばこのころに出せたんです。社内では250万をやめて400万を出してしまえという意見もあったぐたらいなんです」
 ――高画素化はどこまでいくんでしょうかねえ。
「C-1400のころは400万画素かなと考えていたのですが、500万画素を作ると、やっぱりなにか進歩する。限界はまだ先かなあと。
 次は800万画素というあたりにひとつの区切りがくるような気がするんですが、1000万画素を超えるようなのものを作ったほうがいいのかという話もあります」

●原色フィルターを採用した
 C-1400Lは原色フィルターを採用している。
「RGBの3原色をそのままCCDで取るというやり方ですが。ビデオムービーでは補色フィルターというのを使っていまして、RGBというのはひと昔前のやり方という意識があったんです。
 色を忠実に出すという意味では原色フィルターのほうがはるかにすぐれています。補色フィルターというのはひとつの画素でとれる電子の量が多いというところから選ばれた方式で、色の再現を忠実にするというのはある程度犠牲にしているんです。
 読むときに足すというのはじつは補色フィルターのやり方なんです。ふたつ違う色のフィルターがあって、それを足して読んできて、外で引き算して色を作るというやりかたでして、実は輝度信号、モノクロの濃淡の信号をとるには補色フィルターは非常にすぐれているのですけども、色を出す場合はその引き算をしますので、元のデータより色に割り当てる電子の量が減ってしまう。RGBフィルターは色そのものを出しますから、出てきた電子はそのまま色の処理に使えるというところがありまして、色のS/N比についてはRGBのほうが絶対にすぐれていると考えたのです。
 社内でもいろいろありまして、補色にしておいたほうがいいと何度も責められたことがありましたが、色は忠実なほうがいいと、突っ張った」
 ――責任を任されていたのですね。
「ほかにCCDの分かるやつがいないのでお前やれということで、大人数ではありませんから、みんなでこだわりを持ってやっていました。これを作っているときは、出せば売れるという確証があったのです。開発者のセンスだけで決めたようなところがいろいろありましたね。
 外野席からはコンパクトタイプにすべきだという意見もあったんです。銀塩のLシリーズに似たスタイルでは、売れる数は知れてるだろうと。これも無視してしまいました」


■キヤノン株式会社
カメラ事業部カメラDS推進部・前野 浩さん(副部長)
DCP開発センター・鈴木 雅夫さん(設計室長)

●カメラメーカーとしての意地
「カメラのマーケットでは4分の1がカメラ・レンズで、4分の3がフィルムと現像・プリントという金額ベースなんです。
 社史などを見るとカメラだけでなしに消耗材を含めたビジネスをしたいという考えが古くからあって、複写機も電子写真としてスタートしています」
 のっけから前野さんが語り始めたのはビジネスのことだった。
「8ミリシネカメラがビデオになって残っているカメラメーカーはキヤノンだけなんです。サンキョー、ニコン、ミノルタ、フジ、ベル&ハウエル……。ホームムービーは写真機工業会から家電業界へと行ってしまった。静止画も取られたくない、というのがキヤノンの基本的な考え方です」
 キヤノンのビデオカメラはCVCという特殊なフォーマットからVHS、8ミリと移行してデジタルビデオとつながってきた。
「残念ながら国内のシェアはちょっと低いんですが、欧米では20数パーセントありまして、意地で続けているんじゃなくて、ちゃんと事業として成り立っています。とくに高級なXL-1はニュースギャザリングという領域においてトップモデルとしていろんなところで活躍しています」
 8ミリ起源ということでは、キヤノンは8ミリシネカメラ用のズームレンズの技術を大きく展開することで、世界の放送局用テレビカメラのレンズメーカーとして揺るぎない地位を確立している。
 カメラ技術を起点にして世界に飛躍する、という歴史を、デジタルカメラでも展開できるのだろうかというところに、前野さんたち技術者の意識もあるということらしい。
 発端はここでもソニーのMAVICAだ。
「スチルビデオカメラの商品化でソニーと競争しました。発表はソニーが先だが、製品はキヤノンが第1号だったとかね。ロサンゼルスのオリンピックではキヤノンが読売新聞、ソニーが朝日新聞で伝送合戦になったとか」
 しかし、スチルカメラの電子化は、思うようには進まなかった。
「で、カシオさんがQV-10を出してきた。そこでわれわれもスチルビデオが変わるだろうなというなかで、社内での紆余曲折がありまして、キヤノンの中で一番コンピューターに近い周辺機器事業部のスキャナーの部門にデジタルカメラが移管されたのです」
 ところがそれはうまくいかなかった。98年にカメラ事業部に戻ってきた。

●起死回生のS10
「で、S10ですね。外観はA5からの流れですが、大きな転機になったのはキヤノンのオリジナルの映像エンジン。それまでのレリーズタイムラグなどには不満がありました。映像エンジンと呼ぶ中核となるICを入れたことでワンランクというより、ツーランク上がった。
 それまでははっきりいって他社と比べて中間ぐらい。キヤノンブランドに求められているレベルから見れば、減点。やっとこれでS10で先端的な画質と操作性を獲得したんです」
 99年9月に発売になったPowerShot S10は211万画素というあまり目立たないスペックで登場した。
「ここ数年の技術進歩はすばらしいけれど、S10は名機です。これを小型化しようというのがIXYデジタル。そのあとIXY200で補色フィルターから原色フィルターに替えてキヤノンのデジタルカメラがトップレベルになるのです」
 しかし、キヤノンはまだもたついていた。
「私どもはCCDを使うに当たって、画素数はさりながら、プラスαのメリットも加えてカメラとして実現したいと考えてきました。
 具体的にいいますと、いまフジさんがやられているような加算によって感度を向上させるとか、読み出しを高速化する工夫だとか、そういったところを、とにかくCCDに盛り込んでCCDカメラとして実現したいということで、メーカーさんにお話を出して一緒にやらさせていただきました。
 で、そういった工夫を入れさせていただいたまではいいのですが、これは私どものパテントもあってCCDメーカーさんは他社さんへは出せない。そうしますと、他社さん用にはふつうの工夫のない、ベイヤー配列のフィルターでCCDを作ることになってしまうんですね。
 CCDメーカーさんとしてはそちらのほうがユーザーさんも多いし、その当時のキヤノンの個数もま、さほど大きくはないですね。どうしてもほかのセットメーカーさん用の通常のCCDをつくる。まず高画素のCCDをつくり、そのちょっと半年遅れぐらいでキヤノン用の高機能CCDを作る、という流れになってしまった。
 それが画素数競争周回遅れのキヤノンという要因になっていた。
 半年遅れで出すと他社の値段が下がってしまう。私どもが高付加価値の同じ画素数のもの出していっても、高いね、っていわれてしまう。カスタムCCDにこだわったのがよかったかどうか」
 2000年1月発売のS20で300万画素一番乗りを果たしたが、鼻の差のトップで、すぐに追いつかれてしまった。がんばってもがんばっても離される徒労感がキヤノン周辺にはひろがっていた。

●IXYデジタルの背後
 PowerShot S20が瞬間風速的に高画素競争の先頭に立って追い抜かれたあと、ヒットしたのは5月に発売された211万画素機だった。名前はIXYデジタル。APSカメラのIXYが突然大ヒットしたように、ヒットしたのだ。これを機にキヤノンの歯車が噛み合ってくる。
「IXYデジタルでおわかりいただけると思いますが、画素数競争だけじゃないんです。
 絵がきれいな130万画素はそこそこいけるし、200万画素あればサービスサイズのプリントやモニターで見るなら十分。われわれは200万画素で水平展開と考えていた。
 画素数競争にも対応するけれど、その間にデジカメが急激に普及するだろうと、そのときには200万画素だろう……という中期戦略をたてていたのです。
 画素数競争が落ち着いたとしても、新しいCCDが出てくると、それがやっぱり一番性能がいいんです。なんだかんだいって、トータルバランスに優れている。それを何とか早く市場に出すということはメーカーの力の見せどころなんですが、S10以降、映像エンジンの使いこなしで、センサーをいただけてからのカメラの商品化はかなり短くできたと考えてます。
 じつはIXYの200万画素というのも、画素数こそ200万のままなんですが、S10の1.8分の1インチに対して2.7分の1インチという最小のセンサーを使っている。できたてのホヤホヤをすぐさま採用して性能を出して、商品化できたというのが初代IXY DIGITALですね。
 そのためにはいろんなCCDに対応できるプラットフォーム、映像エンジンというのがあって、それがS10から入っているんです。そのS10に入った映像エンジンを基本として、以後ずっとキャノンのカメラが使っています。
 EOS D30、D60のCMOSもそうなんです。基本的には同じ映像エンジンです」
 かくして新しいCCDを入手していち早く絵を出し、ホワイトバランスの調整とかのチューニングを手早く仕上げて、早く商品化する、という流れが回り始めた。

●映像エンジンと呼ぶ秘密兵器
「デジタルカメラってレンズがあって、フィルムに相当するところはCCD、CMOSセンサー、これでやっぱり絵は違います。センサーの善し悪しで絵は変わります。それから現像所に相当するところが映像エンジン。
 デジカメの中には現像所まで積んでるんです。最終的に絵にしてしまいますから。
 特殊なCCDRAWという保存モードがありますね。これは現像所はパソコンです。一般的にJPEGで保存するときにはカメラの中に現像所が入っている。絵の善し悪しというのはレンズとセンサーと映像エンジンの3つの要素で決まるんです。レンズとCCDが同じでも全然違う絵になりますから。要するに現像液が違うんです。私たちは一番いい現像液を持っているんだと思っています」
 キヤノンには大きな壁があると、数歩下がって十分な助走をとって飛び越えようとする性癖がある。デジタルカメラの場合はそれがどうも「映像エンジン」と称するものであったようだ。いくつかの特許も取得したというから気合いが入っている。
「このエンジンを使った場合、まわりのパーツになにが来ても、ちょっとチューニングすることで動いてしまう。そういうプラットホームを作ろうと考えたわけです。作ってしまえばどんなCCDが来ても、短期開発ができるし、ベストチューニングして最高のパフォーマンスのカメラができ上がる……というような」
 ――キヤノンはAF一眼レフのときにも周回遅れのまま、EOSシステムという大がかりな全取っ替えをやってしまいましたね。
「映像エンジンという考え方をすると、長期的な視野に立って、いろいろ合理性が出てきます。
 たとえば一番安いPowerShot A100まで同じエンジンを使っている。A100があんなに高スペックだということは、PowerShot G2に積んでいるものと同じエンジンを積んでいるわけですから。
 開発手順としては同じですし、お客様としても共通、工場にしても、サービスにしても、調整法などいろんなものを含めて非常に大きなメリットがある。
 そのためにものすごい金額の投資が行われたのです。キヤノンの総力を挙げて……というと大げさですけれど、研究所と一緒になってやってきました。
 社長みずからシェアでトップ取らなきゃ事業をつぶす、と本にも書いていますが、トップクラスになるために必要な投資はするよ、と。ほんとにものすごい金額の投資をして、それがやっと回収できている。
 言い方を間違えるとおごりになってしまいますよね。そんな投資のできる会社はなかなかないと思うんですよ。でもそれぐらいかけないといいものはできない。
 あとからこうしておけばよかった、じゃなくて、今後どんなCCDが出てくるか、どんな色フィルター配列になるか、すべて予測していろんなパターンを想定しました。現状にないものもいろいろ想定しています。それもすべて信号処理できるエンジンにしよう。それもお金をかけずに……ということで準備期間をかなりとりました」
 映像エンジンと呼ぶだけあって、単なる画像処理だけではない。フラッシュ調光もオートフォーカスも、AEもホワイトバランスも、みんなCCDで受けて制御している。そのCCDを総合的にコントロールするのが映像エンジンなのだそうだ。
 絵作りだけでなくてカメラのすべての頭脳という考え方になっている。今後どのような頭脳が必要か。画素数はどうなる? 何世代か先の映像エンジンはどうあるべきかということを考えるのは研究所の役割だという。

●D30のCMOSまで……
 それにしても、コンパクトカメラ用の映像エンジンで一眼レフタイプのEOS D30/D60までカバーできるとはどういうことなのだろうか。
「キヤノンはもともとEOSのAFセンサー・BASISというのを内製してきました。これはわりとCMOSと似た構造なんです。それからスキャナーのラインセンサーでCMOSを使っています。これも内製してきました。そういう技術がもともとあって、CMOS特有のノイズ、アンプのバラツキによるノイズをキャンセルできるようになった。
 D30のCMOSのノイズが少ないのは――、じつはCMOSセンサーというのは画素一個ずつにアンプを持っているのです。そのアンプが300万画素なら300万個あって、その300万個のアンプの性能が微妙に異なってしまうわけですね。温度によっても。そのバラツキによるノイズが出てしまうんです。CMOSセンサーがノイズが多いというのはそれに起因するところなんです。
 キャノンのCMOSセンサーは独自の技術でそれを解決しまして、アンプ自体のバラツキに起因するノイズをデバイスそのもので消しています。ですからCMOSから出てくる信号そのものはすでにノイズが少ない。ですからノイズを消すというようなところでの使い方はしていない。CCDと同じように扱っていいのです」。

●「仮想敵国」たちについて
「一番最初にいいましたけれど、最終的には消耗材というところを取りたい。デジタルカメラも最後はキヤノンのプリンターでプリントしてもらう、というシナリオを描きたいのです。
 裏返せば、フジとコダックに対する攻撃ですよね。カメラメーカーとしてはデジタルカメラ市場を守る。ビデオと同じです。一方、プリンターで出力するということではコダックやフジさんの市場に対して攻撃している。
 逆にいえばフジさんやコダックさんは、われわれが映像エンジンにかけたよりもっとすごい規模で、センサーを本気でやられているんだろうな、と思うんです。
 フジ、コダックさんは自分の持っているフィルム市場を守るという意味でやっているでしょうし、ソニーさん、松下、シャープさんなどはビデオ起源のCCD市場を守ろうとするでしょう。
 そういうマーケットでの闘いを考えているんです。
 たとえば、400万画素CCDが出たんですが、画素がかなり小さくなって、極小画素に対してノイズが出るだろうとか、いわれていますが、キヤノンには極小画素に対しての低ノイズで絵を作るという技術も当初の構想からやってきました。
 他社さんの400メガではノイズがけっこう目立っているところで、ひとランク上のCCDを使ったのと同じような、ノイズの出ない現像液になっています」
 キヤノンは全方位に攻撃の態勢を整えた……ということかもしれない。

(以下9月発売予定の次号につづく)


■写真ネーム――ニコン
●1/2インチ211万画素CCDと並べたニコンD1用CCD――撮像画面23.7×15.6mmのニコンDシリーズ用CCDは1/2インチCCDの約12倍の面積で、35mmのハーフサイズとほぼ同等。ニコンFマウントのレンズを焦点距離1.5倍換算で使え、被写界深度を浅くするとボケ味を生かした表現も可能になっている。ひとつひとつの画素を大きくすることで、広ダイナミックレンジ、高S/Nを実現している。

●ニコンD1X(ボディのみ590,000円)――D1の270万画素CCDを530万画素に解像度アップした次世代機。200dpiでA3サイズのプリントを可能にしている。シャッタースピードは30秒から1/16,000秒という高性能を誇り、スピードライトのシンクロも1/500秒まで。ニコンFマウントレンズを駆使できるプロ用デジタルカメラとしている。

●ニコンD100(発売日・価格未定)――ニコンDシリーズの普及機として小型軽量が追求された。Dシリーズ統一サイズのCCDで610万画素という高解像度。加えて入門機としての扱いやすさを実現している。価格によっては従来のFシリーズユーザーを一気にデジタル化する可能性を秘めているが……。

■写真ネーム――オリンパス
●オリンパスCAMEDIA C-1400L(1997年9月発売、128,000円)――デジタルカメラのメガピクセル時代を開いたベストセラー機。140万画素は現在では普及機に搭載されてサービス写真サイズとされるが、デジタルカメラの写真画質はここから始まった。

●オリンパスCAMEDIA E-20(
220,000円)――オリンパスが高級機仕様として位置づける2/3インチCCDの500万画素機。CCDに最適化した専用ズームレンズを一体化構造とする一眼レフは銀塩時代のL時代からの伝統を引き継いでいる。世界初とうたうのは高画素対応のインターレススキャンと高速シャッター対応のプログレッシブスキャンのハイブリッドスキャンCCD。1/18,000秒という高速シャッターも可能にしている。

●オリンパスCAMEDIA C-2 Zoom(オープン価格)――エントリーモデル機の主流と位置づける200万画素に光学3倍ズームをつけて重さわずか173g(電池・メモリーカードを除く)というコンパクト設計。単3アルカリ乾電池で動く省エネ設計。

■写真ネーム――キヤノン
●キヤノンIXY DIGITAL 200a(63,000円)――200万画素の実用機として大ヒットしたIXY DIGITALの後継最新機種。200aは2倍ズーム機、300a(69,000円)は3倍ズーム機というコンビ展開。モニター上での2倍から10倍までの拡大再生や圧縮劣化の少ないスーパーファインモードなど周辺機能も高密度。

●キヤノンPowerShot A100(24,000円)――重さ175gで120万画素の単焦点お手軽カメラだが、画像処理系は上位機種と共通。1/3.2インチという超小型CCDを採用しているので焦点距離5mm F2.8のレンズが35mmフィルム換算で39mmになる。単3アルカリ乾電池2本で駆動。

●キヤノンEOS D60(ボディ価格330,000円)――キヤノンが独自に開発したCMOSセンサーをCCDの代わりに搭載。2000年3月発売のD30(325万画素)の後継機として630万画素に解像度アップした。EOS用EFレンズを焦点距離の約1.6倍の画角として互換使用できるほか、RAWデータ内にJPEGデータを同時期録しながら最大8コマまでの連続撮影が可能になった。


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