毎日新聞社――シリーズ日本の大自然(国立公園全28冊+1)
「日本の大自然・16・秩父多摩国立公園」
1994.6――入稿原稿


■国立公園物語…秩父多摩

●山の手から多摩川へ

 江戸〜東京という大都市の生活を支える上下水道の役目を果たしてきたのは荒川と多摩川でした。関東平野の西の縁からチョロチョロと流れこんでくるこの2つの川の源流域に広がるのが関東山地の核心部、秩父多摩国立公園の山々ということになります。
 この国立公園は奥多摩〜奥秩父と呼ばれる山なみとほとんど一致しますから、日帰りのハイキングから、原生林の稜線をたどる主脈縦走まで、緑濃い山歩きが楽しめます。そこでここでは登山のガイドブックを買い集めて、奥多摩と奥秩父の山を机上登山してみたいと考えました。
 しかしその前に、余分ながら触れておきたいことがあります。たとえば、荒川は下流にいたって隅田川と名を変えますから花のお江戸の「大川」として、なくてはならない存在だったということはよくわかります。
 ところが多摩川はほとんど最後まで丘陵の中に閉じ込められたまま流れ下って、江戸の町から見ればはるか南を迂回してしまうのでした。ですから、のちに玉川上水によって江戸に飲料水として引かれるまで、多摩川は江戸とは何の関係もなかったようにも見えます。
 しかし地図をじっくり見ると気づくのですが、多摩川の流れが山から出た地点、青梅を起点にして東に大きく広がる扇状地のような地形があります。関東ローム層と呼ばれる火山灰が厚く積もって地表を流れる川がなかったため、雑木林がひろがるだけで、集落さえほとんどなかった武蔵野の台地です。
 1979年10月号とありますからずいぶん昔のことですが、私たちは小さな雑誌で東京というテーマに挑戦してみたことがあります。近畿日本ツーリストの中にあった日本観光文化研究所が編集・発行していた『あるくみるきく』という雑誌の152号で「東京(I)」という特集を組みました。仲間のひとり、丸山純さんが「等高線にかくされていた地形」を解きほぐしていきました。
 ――「東京の地形といったら何を思い浮かべる?」と弟に質問したところ、すかさず「山の手」という答えが返ってきた。テーブルの上にペタリと手のひらをつけて、これが「山の手」だと真顔でいう。彼は小さい頃、どこかで東京の立体模型のようなものに出会い、台地(たぶん高さを強調してあったのだろう) が手のような格好で低地に張り出しているのを見て、ああこれが「山」の「手」なんだと信じてしまったというのである。
 ぼくは思わず吹き出してしまったが、弟の「山の手」が東京の地形、特に武蔵野台地をとてもよく表わしているのに気づいた。そして、武蔵野台地を3つの地形に分けて考えてみたらいいのではないか、と思いついた。
 まず腕をまっすぐに伸ばし、手の平をテーブルにつけて、軽く指を開いてみる。「指」に相当するのが、あの等高線の迷路がある都心の部分だ。――
「等高線の迷路」というのは、丸山さんが34枚の2万5000分1地形図を用意して等高線をたどりながら、高低の違いを色分けする「段彩」という作業をやったときのことでした。こんなことがあったのです。
 ――世田谷区や目黒区、港区などが含まれている『東京西南部』の地図では、30m等高線のうちの1本が、左辺中央から発して約30cm離れた上辺中央にたどり着くまでに、なんと3m半近くも地図上を走り回った。線が細くて見づらい上に、次にどちらの方向へ進むのか全く見当もつかないので、ペン先だけをじっと見つめていないとすぐに見失ってしまう。そのため、行き先もルートも知らずに乗り物に乗っているような気がして、次にどんな地名が登場してくるか、どこまでぼくを導いていってくれるのか、とても楽しみでもあった。――
 一般に「山の手」と呼ばれているのはまさにこのあたりのことで、大小の谷が東京湾岸の低地に向かって伸びているのです。
 ――1本1本の指は台地を表わす。台地の表面は平たんではなく、水の流れていない浅い支谷(「しわ」と思っていい) がデタラメな方向に無数に走っている。台地と台地の間(すなわち指と指の間) は川が流れていて、深くて大きい谷を刻んでいる。谷の断面はU字型に近く、谷は平らだ。川はだいたい東西に流れている。全体が坂道だらけで、起伏の変化が激しい。――
 すこし上の方に移動します。
 ――手の「甲」にあたるのは、環七・環八通りが走っているあたりである。指に力を入れると、手の甲に骨や筋が浮き出してくるが、この付近の起伏はそんな程度のものであって、「指」と比べるとかなり浅く、だいたい平坦な台地面が広がっている。――
「甲」の範囲はどこまでなのか。丸山さんは武蔵野台地に「手首」にあたるものを発見します。
 ――ぼくが「甲」と「腕」の境目、つまり「手首」の存在に気づいたのは、一番最初にサインペンで等高線を追いかけたときだった。武蔵野台地のほぼ真中、中央線吉祥寺*キチジョウジ駅を南北に通る等高線の近くには、「多摩川の子供たち」の水源である湧水池がいくつか散らばっているが、このうち井の頭池(神田川)、善福寺*ゼンプクジ池(善福寺川)、富士見池(石神井*シャクジイ川) のほとりを、標高50mの等高線がまるで申し合わせたようにぐるっととりかこんでしまったのだ。念のために他の湧水池を調べたら、今度は45mの補助等高線が、妙正寺*ミョウショウジ池(妙正寺川)、三宝寺*サンポウジ池と石神井池(石神井川)、それにいまは存在しない弁天池(白子*シラコ川) を囲んでしまった。
 これにはかなり驚いてしまい、その他の川の水源もあたってみると、標高50mより上から流れてくる川は台地の中央部にはほとんどなく、野川や黒目川などが周辺部を流れているだけだった。仙川の谷が台地中央まで達しているが、常時水の流れているのは、やはり50m線以下の部分である。50m等高線は川のある地域とない地域の境界線になっている。――
 こうして、武蔵野台地は標高50mを境にして景観をガラリと変えていたのです。丸山さんはその標高50m線にこだわります。
 ――ごく大雑把な言い方をすると、50m等高線が東京の区部(23区) と市部・郡部(三多摩地区) との境界線と一致するのである。そういえば、50mより上の「腕」の部分を調べる時は各市史を、50m以下の「甲」や「指」では各区史を使っていた。50m等高線が「手首」として非常に重要であることがすでにわかっていたときだから、これが偶然の一致とはとても思えなかった。――
 丸山さんはこうして「母なる多摩川」に行き着きます。
 ――ここまで推し進めてきて、なんだかぼくはほっとしてしまった。やっと、東京がひとつのものになった……そんな気がしたからである。もちろん、それは行政的にひとつになったという意味ではない。ここ数カ月の間やってきたいろいろな作業、地図を塗ったり断面図を作ったりしたことが、ここで1本の糸につながったように感じたのだ。
 その1本の糸とは、多摩川である。その最上流部のわずかな部分は山梨県に属しているが、多摩川水系と他の水系(相模川、荒川) との分水嶺の大部分は、そのまま周辺各県との境になっている。つまり、自然境界によって区切られた、多摩川を中心とするひとつの完結した世界として、東京は成立することになったのである。今日の東京の姿は、地形的に見て少しも無理がない。――

●奥多摩のガイドブック

 多摩川をさかのぼっていくと、標高100mのところで流れ込む大きな支流・秋川があります。この川に沿ってJRの五日市*イツカイチ線が伸びています。
 青梅はさらにちょっと上流。多摩川はその水面標高150mあたりで武蔵野台地へと飛び出してくるかっこうです。JR青梅線は青梅から多摩川の渓谷を上流にまだ20kmほどさかのぼっていくのですが、電車が青梅駅を出て2つめの日向和田駅のところから秩父多摩国立公園は始まります。
 JR中央線で東京→立川が40分ちょっと、立川→青梅が30〜40分、そして青梅→奥多摩も40分前後です。日曜早朝のホリデー快速は、週末の山歩きを欠かさないという感じの登山者たちの専用列車というおもむきです。奥多摩は首都圏のワンデーハイクや初心者向け登山の定番エリアといっていいのです。そこでとりあえず、シリーズガイドブックの中で「奥多摩」を書名に含むものを買い集めてみました。
 2冊は専業メーカーの登山専用ガイドというべきものです。
1――山と溪谷社…アルペンガイド6「奥多摩・奥秩父・大菩薩」
2――東京新聞出版局…岳人カラーガイド12「奥多摩」
 「登山・ハイキングの定番シリーズ」とうたうアルペンガイドは伝統的な文字主体の分厚な造りで、北から南へ日本の主な登山コースを20冊でカバーしています。この「奥多摩・奥秩父・大菩薩」は秩父多摩国立公園をカバーする1冊となっています。
 岳人カラーガイドブックスは山岳雑誌「岳人」の発行元である東京新聞出版局のシリーズで「山岳カメラマンによるカラー写真と克明な地図付きコースガイド」とうたっています。見開きごとにガイドと写真が繰り返されるというぜいたくなつくりで、山歩きの楽しさ、美しさ、感動などを視覚的に訴えようとしています。「奥多摩」と「奥秩父」の2冊で秩父多摩国立公園の範囲になります。
 登山ガイドには付録として地図がついていますが、地図メーカーでは逆に登山用ガイド地図にシンプルな解説パンフレットを加えた形のものをシリーズ化しています。
3――日地出版…登山・ハイキング21「奥多摩」
4――昭文社…山と高原地図24「奥多摩」
 日地出版の「奥多摩」には大菩薩嶺が含まれていて、シリーズ22に「奥秩父」もあります。それに対して昭文社は23=大菩薩連嶺、26=奥秩父1( 雲取山・両神山)、27=奥秩父2(金峰山・甲武信岳) とこまかく分け、いずれも「1994年版」と明記しています。
 どちらも一般登山者にはほとんど十分という精密な地図ですかから使われる頻度は非常に高く、いまや登山に国土地理院の地形図を持つ人は少数派という状況です。
 ガイド主体と地図主体の中間にあたるのが「大登山地図付」と銘打ったガイドブックです。
5――日地出版…地球の風3「奥多摩 大菩薩」
 これは全体で22冊になるという新しいシリーズで、まだ未刊行のものが多いようですが「奥秩父」も予定されています。
 いわゆる旅行ガイドの中で「奥多摩」をタイトルにかかげたものは2冊ありました。
6――日本交通公社…JTBのポケットガイド19「奥多摩・秩父」
7――弘済出版社…ニューガイド・トップ22「奥多摩・秩父」
 ニューガイド・トップの範囲は秋川渓谷〜奥多摩+川越〜奥武蔵〜秩父盆地周辺で、国立公園を背景に見ながら車で入っていける観光ポイントのガイドということになります。JTBのポケットガイドの「奥多摩・秩父」もほぼ同様ですが、こちらには高尾山と相模湖が加わって相模湖〜高尾山〜秋川渓谷〜奥多摩というブロックを形作っています。
 しかしいずれも山はあくまで背景で、わずかに触れられている山歩きも、背景の中のひとつのポイントという感じです。登山ガイドが基本的には山を越えて向こうの世界に下っていくクロスカントリーとなるのに対し、旅行ガイドではそのクロスカントリーの部分を列車や車にゆだねています。それゆえ登山ガイドと旅行ガイドでは距離感覚がまったく違っているように思えます。
 目についたものを、さらに2冊選んでみました。
8――日本交通公社…新日本ガイド8「武蔵野 秩父 多摩」
9――聖岳社…奥多摩絵図
 新日本ガイドは日本のすべての市町村を網羅するシリーズで、観光ガイドというより観光百科事典というべきものです。私は旧版をワンセットもっていますが、今回購入した改訂新版は1989年の初版となっています。
 小さなポイントごとのつまみ食いがいわば常識の観光ガイドにしては例外的に、網羅的な記述がこのシリーズのきわだった価値といえます。索引がよく整備されていることもあって、地名などの表記や読みに関してチェックするときの資料としても手放すことができません。
 ところが今回、その地名表記に関して奇妙な問題にはまり込んでしまったのです。山名によく現われる「ガ」と「ケ/ヶ」に関する混乱なのですが、それについては最終章で詳しく触れたいと思います。
 もう1冊は村松昭さんという人がコツコツと書いてきた東京周辺の絵地図のシリーズで、ほかに「秩父・奥武蔵絵図」もありました。
 注意書きに「この絵図は登山地図ではありません。登山には正式な地形図、登山地図をご持参下さい」とありますが、地図にあまりなじみのない人が地図上で山歩きを想像してみるのに最適なものとなっています。    この絵地図が見た目の印象よりずっと登山の実際に近い理由は、国土地理院の5万分の1地形図を重ねてみるとわかります。地形図の等高線を標高の高いものから1本ずつ順にトレースしながら、等高線の1本ごとに一定の距離だけトレーシングペーパーをずらしていくという方法で鳥瞰図の骨格を造っているに違いありません。
 筆のタッチはかなりラフに見えても、骨格は地形図を几帳面にコピーしているはずなのです。ご本人に確かめたわけではありませんからあくまでも推理の域を出ませんが、山道が実際の印象と近い感じで再現されているのは、地形を勝手にゆがめていないからです。

●奥多摩の概観

 さて、ガイドブックを読んでいきます。本格派のアルペンガイドでは奥多摩は八王子在住の登山家・寺田政晴さんが執筆しています。巻頭でこう書いています。
 ――観光地として人を集めている奥多摩ではあるが、山登りについても交通事情に恵まれているうえ、低山から2,000mクラスの亜高山まで変化に富んだ山々が連なり、ビギナーからベテランまでが、それぞれの経験に応じた登山を楽しむことができるため、年間を通じて多くの人たちに親しまれている。
 地理的には、秩父山塊の東端を形成している奥多摩の山々であるが、だいたい3つのブロック、に分けて考えることができる。日原*ニッパラ川を囲む山々を中心とした北部ブロック。三頭*ミトウ山、御前*ゴゼン山、大岳*オオタケ山の奥多摩三山を中心とした中央ブロック。そして、多摩川の支流、秋川の右岸に続く南部ブロックの3つである。――
 岳人カラーガイドブックスの著者・渡辺千昭さんは山なみを連なりとして解説します。
 ――奥多摩にはいくつかの山系が横たわっている。山域の北部を東から西に向かって走り雲取山(2,018m) に至る都県界尾根(長沢脊稜) の主な山には、棒ノ折山(969m)、川苔山(1,364m)、蕎麦粒山(1,473m)、天目山(1,576m)、白岩山(1,921m) などの峰々。雲取山から南に派生している石尾根には、七ッ石山(1,757m)、鷹ノ巣山(1,737m)、六ッ石山(1,479m) などの山やまがそびえている。
 奥多摩主脈と呼ばれる三頭山(1,528m) から東に向かって起伏をしている山なみには、月夜見山(1,147m)、御前山(1,405m)、大岳山(1,267m) などの山があり、三頭山から東に向かって甲武相の境界につらなる山には笹尾根がある。――
 地図なしに読んでいっても混乱するばかりかもしれませんが岳人カラーガイドブックスで書かれた山の並びを西端の雲取山から東に向けて整理してみると、山の高さはおおむね西高東低であることに気づきます。そこのところをもう1歩俯瞰して見るのは、登山ガイドではなくて地質ガイドの仕事なのかもしれません。国立公園協会と日本自然保護協会が編集した『日本の自然公園』(1989年、講談社) では秩父多摩国立公園はつぎのように解説されています。
 ――この公園は関東平野の西側に連なる関東山地の中央部に位置する。関東山地は周囲を断層で囲まれた地塁状の地塊といわれており、全体として起伏の大きい壮年期の山地からなる。ここの地形的な特徴を一言でいえば、比較的なだらかな山稜と急峻なV字谷のコントラストであろう。――
 ――関東山地の山頂は、瑞墻*ミズガキ山や金峰*キンプ山を除いて岩峰が少なく、一般にやや丸みを持った形態を示す。とくに花崗岩や閃緑岩地域でその形態が目立つ。飛竜*ヒリュウ山や雲取*クモトリ山のように稜線より突出する山頂は、チャート・石灰岩などのかたい岩石からなる場合が多い。
 また、となり合う山頂の標高がよくそろう定高性山稜が数段認められる。おもなものを高い方から挙げると、金峰山から甲武信*コブシケ岳【*ケは並字】にかけての2,600〜2,400mの山稜、笠取山から雲取山にかけての2,000m前後の山稜、七ツ石から鷹ノ巣山にかけての1,700m前後の山稜などで、そこから東は漸次高度を下げ、関東平野に接している。関東山地は第四紀に入っておよそ1,000mほど隆起したと推定されており、定高性山稜はその隆起以前の第三紀末ごろの小起伏面(準平原の小規模なもの) の残辺とみなされる。――
 そのような山域にどのようにアプローチしていったらいいのでしょうか。概括的なガイダンスがきちんとしているのは日地出版の解説パンフレットで、調査・執筆を担当しているのは日本山岳会会員の横山厚夫さん。
 ――コースは一部のやや草深いところをのぞいては、よく整備され、指導標も完備していて、歩きやすい。数多い奥多摩の山々のうち、比較的入門的なものとしては、高水三山、御岳山、日ノ出山、大岳山付近となろう。これらは青梅線の各駅からすぐに登り始めることができ、歩行時間も短い。まず、最初のうちは、それらの山に登って、奥多摩という山域の概念をしっかりつかんでおくことをおすすめしたい。
 秋川流域の戸倉三山はやや手応えのあるところ。そして、つぎの段階としては、御前山、三頭山、川苔山、鹿倉山などが中級にランクされる山々としてあげられよう。標高も1,500m前後となり、なかなか楽しい山行が約束される。
 雲取山の周辺は奥多摩では上級向きの所だ。多摩川と日原川の谷から多くのコースがあるが、いずれも半日以上はかかり、山頂付近の山小屋で1泊しなくてはならない。それだけに、いかにも山に登ったという強い感激が味わえるに違いない。早朝、山小屋をたって山頂に登れば、富士山、南アルプス、上越の山々などに向かっての展望は広く、また、飛竜山を目前にして奥秩父の主脈が西に高まり延びていくのが見られる。それらを目にした時、奥多摩を出発点として、さらにつぎの山々が今後の課題として数えられてくるのではなかろうか。――

●高水三山のコースタイム

 横山さんのこのガイダンスは妥当なものだと思います。そこでここでは奥多摩の一番手前にある入門向きの高水*タカミズ三山縦走をこまかく読んでみたいと思います。なお以下の引用の最後につけた番号はガイドブック紹介のところで頭につけた番号と一致します。
 まず高水三山についてのキャッチフレーズ、あるいは概説を見てみます。
 ――初めて奥多摩を訪れる人やファミリーでのハイキングに最適の縦走コース――1
 ――多摩川をはさんで御岳山の反対側にある標高700mあまりの高水*タカミズ山・岩茸石*イワタケイシ山・惣岳*ソウガク山の3つを高水三山と呼んでいる。三山縦走は標高が低いわりに展望がよく手軽な日帰り登山として親しまれている。高水山頂付近には浪切不動尊を祭る常福院があり、また、惣岳山には青渭*アオイ神社が祭られ、その近くに水場がある。――8
 山名などにつけた振り仮名がだんだんわずらわしくなってきますが、ここでは重複を恐れずに、振り仮名まで含めて引用していきます。つづいて山頂に関する部分を引用してみます。
 まずは高水山の山頂。
 ――電波中継施設のある山頂部から、少し岩茸石山方面に寄れば、若い植林越しに御岳山から御前山への眺めが得られる。――1
 ――電波中継施設のある山頂部から、少し岩茸石山*イワタケイシヤマ方面に寄れば、若い植林越しに御岳山から御前山への眺めが得られる。――5
 引用の1と5が同じ文章になっているのは盗作ではなく、同じ著者による流用です。ここでは5の引用で「いわたけいしやま」と「やま」まで振り仮名を振ってあることにご注目いただきたい。
 三山の最高峰・岩茸石山の山頂です。
 ――岩の出た急登が終われば明るい岩茸石山である。東から北東への眺めがよい。自然林の山頂は広くはないが、好ましい雰囲気である。ベンチもしつらえてあるので、ゆっくりと休んでいこう。――1
 3つめの惣岳山。
 ――林の中の展望は皆無の山頂だが、青渭*アオイ神社があって、静かな雰囲気にみたされている。――3
 この3つの山頂をめぐる4時間前後のコースということですが、ここでは登山用語で「コースタイム」というものをすこし詳しく見ていきたいと思うのです。
 登山のコースタイムは通常、登り/下りの双方行の区間所要時間の標準/目安を示しているのですが、ここではどのガイドも本文の記述が同じ方向であることから、煩雑にならないために片方向のコースタイムだけを見ていきます。
 ――軍畑駅→(30分)→平溝→(1時間)→高水山→(35分)→岩茸石山→(40分)→惣岳山→(10分)→真名井天神→(50分)→御嶽駅――1
 このアルペンガイドではファミリー向けコースで歩行時間=3時間45分、累積標高差580mというくくりをしています。
 ――軍畑駅→(30分)→平溝・高水山登山口→(1時間)→高水山→(35分)→岩茸石山→(40分)→惣岳山→(1時間)→御嶽駅――2
 こちらもコースタイムの合計は3時間45分です。そして3、4、5と登山ガイド/登山マップもすべて同じコースタイムとなっています。
 ところが旅行ガイドではすこし違ってきます。
 ――軍畑駅→(30分)→高源寺→(1時間20分)→高水山→(35分)→岩茸石山→(40分)→惣岳山→(1時間30分)→御嶽駅――7
 このニューガイドトップでは合計時間が4時間35分となって、登山口の高源寺から高水山への登りがプラス20分の33%増、惣岳山からの下りがプラス30分の50%増。このことに関してはあとで考えます。。
 ――軍畑駅→(30分)→高源寺→(1時間)→高水山→(40分)→岩茸石山→(40分)→惣岳山→(1時間)→御嶽駅――8
 新日本ガイドでは合計時間が3時間50分となっています。このタイムが登山ガイドと違うのは高水山から岩茸石山の35分が40分になったということで、これはコースタイムを10分単位で表記するため、35分を40分に切り上げたと見ていいでしょう。長い登り/下りが同じ時間であるということから、時間の測り方の基準が違うとは思えません。
 登山ガイドのコースタイムがどれをみても同じだと、一般の人はきっと、それが正しいと思うに違いありません。しかし私などは、そういうときこそ眉をしかめてしまうのです。これは、最初の1人をのぞいて、だれも本気で書いていない、と思ってしまうのです。
 というのは、登山のコースタイムを計算する方法というのが確立されていないうえに、コースタイムは歩き方によって、歩く人によって、その日の状況によって同じではありえません。だからあくまでも目安なのです。アルペンガイドの凡例にはつぎのように書いてあります。
 ――コースタイムは、該当コースに必要な装備一切を携行して歩いた際の、標準的な所要タイムで、休憩や食事に要する時間は一切含まれていません。――1
 ここで「標準的」という言葉が出てきますが、その説明はありません。そしてつぎのように続きます。
 ――コースタイムは体力、経験のほか、その時々の天候や体調に左右され、さらにコースの混雑度、パーティーの人数によっても差が生じます。とくに高齢の人は、本書コースタイムの5割増を目安として計画されるようお勧めします。――1
 ここに「目安」という言葉が出てきます。今度は岳人カラーガイドブックスを見てみます。
 ――コースタイムは一応の標準時間を記載した。この中には休憩時間は含まれていない。荷物の重量や天候、子供連れなどの条件により大幅に異なるので参考程度にしていただきたい。――2
 こちらは「一応の標準時間」であり「参考程度」とか。ついでにほかのものも見てみます。
 ――コースタイムは夏山晴天時2・3人のパーティー(休憩を含みません) の標準記録です。したがって休憩・個人差など考えて行動して下さい。――3
 ――コースタイムは、時期や天候によるコース状況、パーティ構成、体力または疲労度などによってかなりの差異が生じます。あくまで参考として、十分に余裕をもった山行計画をお立てください。――4
 登山のコースタイムは人によってほとんど同じではなさそうなのに、何の根拠もないコースタイムが、ほとんどのガイドで同じというのは、手抜き以外のなにものでもないのです。
 それに山のコースタイムのほとんどは「標準」などと自称しながら、登山者自身が計算(あるいは修正) できるという配慮をしていないのが片手落ちです。登山者が別の著者のガイドを手にすると、べつの「標準」を基準にしなければならないという不思議なことがおこってしまうのです。
 そこで、ここではひとつのモデルを提示します。それは「1km先で300m上がる」という登山道の一般的なモデル(あるいは「一般登山道」の基本的なモデル)です。この(平均) 勾配は1000分の300、すなわち30%、あるいは約17度ということになります。
 この登山道モデルを(とりあえず) 1時間で登るというふうに決めると、登山靴やハイキングシューズなどで未舗装の平坦路(林道など) を歩く速度は毎時4kmがいいところですから、水平距離で1km歩くのに必要な時間は15分。すると1時間からの残りは45分。それで高度差300mを登るとすると高度差100mが15分という計算になります。ゆえに一般登山道での「標準的な目安」として、水平距離1km=15分、垂直距離100m=15分という目盛を用意して登山のエネルギーを時間に換算していくことを可能にしたいのです。
 これは道の構造が変化するごとに、コースをどんどん細かく区切って計算していくことが可能ですから特定の部分だけの精密なコースタイムも得られます。しかし逆に、登山のように環境の変化などの外的な因子が圧倒的に大きいときには、おおづかみな概算のほうに価値があるということも事実です。そこでまず5万分の1地形図で概算してみます。
 紙片に縮尺スケールの1kmの目盛を写しとって、登山コースの距離を測ってみました。私の場合は全行程の水平距離が8.5kmと出ました。登山道の実測値というのはあまりないのですが、もし実際に測ればこの数字の1.5倍以上になるのではないかと思います。その程度のいい加減な測り方ですが、精密に測っても実用上あまり意味がないのです。
 つぎに等高線を見ながら登り下りの高度差を見ていきます。標高200mの軍畑駅から標高約800mの岩茸石山に登って標高300mの御嶽駅に至る8.5kmですから、登りの標高差が600m、下りが500mとなります。水平距離は8.5×15分で2時間08分。登りの垂直距離は6×15分で1時間30分となります。
 下りをどう計算するかですが、山歩きの合理的な考え方としては後半に時間の余裕を残すためにも登りと同じ計算をしておいたほうがいいのですが、ガイドブックのコースタイムとの差を見たいというような場合には登りに対して下りは70%のパワー(時間) でいいと考えることもできます。すると下りの垂直距離500mは5×15分×0.7で50分となります。全部を合計すると4時間28分となります。
 この方法でニューガイドトップの問題の区間を計算してみます。登山口から高水山への登りは距離が約2km、標高差が460mですから水平に30分、垂直に1時間10分で合計1時間40分と出ます。他のガイドがここを1時間としているのに対してニュートップが1時間20分としているのは、より現実的で親切だといえるでしょう。一般の人があそこを1時間で登ろうとすると大汗をかいてしまいます。
 また下りでは惣岳山から御嶽駅までが距離2.5km、標高差456mですから登りを計算すると1時間47分とでます。これと比べるとおおかたのガイドではその56%を下りのタイムとしているわけです。それに対してニュートップでは84%。70%なら1時間15分となります。
 最後の長い下りを早く歩こうとするとひざや腰に大きな負担をかけるだけに、初心者ほど下りに時間をかけるのが常識です。コースタイム破りにささやかな征服感を感じる自称ベテランたちにおもねず、初心者向きの現実的なコースタイムをただ1人出しているという点でニュートップの登山担当者に敬意を払います。
 空中写真測量という方法で作られる現在の地形図でもっとも信頼できる情報は等高線ですから高度差の計算はきわめて正確だと考えていいのです。それに対して山道の距離計算はいい加減です、道のカーブ自体が縮尺の関係であらかた省略されていますし、測り方でも長短20%ぐらいの誤差は出ます。しかし距離情報を時間(エネルギー量) に換算したとたんに、ウエートが低くなってしまうので大きな問題にはならないのです。
 そのことよりも地形図に1kmごとの目盛を入れてやることで、登山コースを一定の距離感でじっくりと見ることができるようになります。2万5000分の1と5万分の1との縮尺の違いによる図上の距離感の違いなどもまったく問題にならなくなります。
 登山道がもっと急になっていくと、極端な例が、たとえばヒマラヤ登山です。そこでは距離はほとんど関係なくなって高度差だけで登山活動を管理することができます。その逆はハイキング。車でかろうじて走れそうな勾配(たとえば10%=6度) の遊歩道では、高度差はあまり大きなファクターにならないので、距離だけで運動量を管理しても問題は起きません。田舎道をあるくマーチングなどではマラソンと同様に距離だけを目安にしています。
 登山コースにもアプローチ部分に林道など、勾配のゆるい部分がありますから、厳密にいえば区別して計算したいところですが、車の道は直線的でカーブも大きいので地形図ならかなり正確な距離が測れてしまいます。
 このあたりのこまかな問題については朝日カルチャーセンター横浜登山教室+伊藤幸司『トレーニング不要!おじさんの登山術』(1990年、朝日新聞社) にくわしく書いてあります。

●雲取山に登る

 東京都の西の端となる雲取山は奥多摩山系の主峰であると同時に奥秩父山系への入り口といわれています。東京方面からの日帰りはいささか無理なので、日程は山小屋泊まりの1泊2日となります。この雲取山について、まず概説を読んでみます。
 アルペンガイドには「東京都の最高峰、雲取山へのメインコース」があります。
 ――雲取*クモトリ山は奥秩父主脈の東端にあって、山頂は東京・山梨・埼玉の県境にあたる。東京都の最高点ということもあって、根強い人気があり、四季を通じて登山者が多い。登山コースはたくさんあり、それぞれよく歩かれているが、もっとも多くの人に親しまれているのは、三峰神社から白岩*シライワ山を越える縦走コースである。山頂からは、鴨沢に下山するのが最も早くバスを利用できて便利である。――1
 これは秩父側の三峰神社から登って奥多摩湖最上流部の鴨沢に下る北→南縦走ということになります。同じコース解説が日地出版の解説パンフレットにあります。
 ――秩父側から登り、奥多摩側に下る雲取山のコースの中でもごく一般的なものである。このコースの利点は約1,000mの高さまでロープウェイが使えるので、登りがわりに楽になることである。しかし、都心方面からだと、電車、バス、ロープウェイとアプローチに時間がかかる。乗り換えなどに時間を費やさないよう、事前に接続をよく調べておきたい。あるいは、この逆のコースを取り、奥多摩側から秩父にこす計画にしてもよいだろう。――3
 新日本ガイドも、雲取山くらいの重要項目になると登山ガイドの概説部分と十分に太刀打ちできます。
 ――東京都・山梨県・埼玉県の境をなす標高2,017mの山。東京都の最高峰として知られ、奥多摩と奥秩父を結ぶ位置にあり、比較的手軽に高山を味わえる山として人気がある。山頂付近は針葉樹の原生林と草原におおわれ、夏には多くの高山植物が咲き乱れる。また、山頂からの展望は広く、富士山・南アルプス・八ガ岳や丹沢・奥秩父の山々がパノラマとなって展開する。
 秩父側の三峰山と奥多摩側の石*イシ尾根、そして奥秩父主脈の飛竜*ヒリュウ山方面へと3つの尾根がのび、登山ルートも数が多く、それぞれに変化に富んでいる。また、通年営業の山小屋も多く、入山しやすい。冬季は12月末から4月ごろまで雪があり、冬装備が必要である。――8
 ここでふたたびコースタイムですが、アルペンガイドでは三峰神社→雲取山を歩行時間5時間10分としています。岳人カラーガイドブックでは5時間35分。日地出版の解説パンフでは4時間55分となっていますが、地図の方は日地出版も昭文社も同じ5時間20分です。
 そこでまた、地形図によって水平/垂直距離を調べてみます。三峰神社から雲取山までの距離は、1km目盛の紙片をあててみた計測では9.2km(約2時間15分)、高度差は標高1,100mの三峰神社から標高2,017mの雲取山まで900mですが、このコース中には霧藻*キリモヶ【*ヶはルビではなく小字】峰(標高1,523m) 山頂からの約70mの下り、白岩*シライワ山(1,921m) からの220mの下りがあります。合計すると下りが約300mになりますから、これを登り返した分だけ加えると、登りの合計は1,200mとなります。
 登りの垂直距離1,200mは100m=15分として3時間、下りは登りの70%とすると約30分ですからこれも加えます。すると水平/垂直距離の合計は5時間45分と出ます。
 三峰神社から雲取山のコースの大きな特徴は、水平/垂直距離に対する時間(エネルギー量) を求めると1対1.6にすぎないという点です。一般登山道のモデルとしたのは1対3で、垂直距離にかかわる時間量が3倍もあります。そこでこのコースで1kmごとに振った距離目盛の中に計測線(等高線のうち5本目ごとに引かれている太い線。5万分の1地形図では100m単位の等高線) が何本あるかをみていくと、1km中に高度差が約300mあるのはちょうど中間あたり、霧藻ヶ岳の先にある標高1,450mから1,750mまでの登りと、コースの終盤、雲取山ヒュッテ手前の標高1,700mの鞍部(大ダワ) から雲取山荘を経て雲取山に至る標高差約300mの部分だけです。登りの標高差合計1,200mのうちこの2カ所で半分をかせいでしまうのですから、残りの部分は登山道というよりハイキングコースに近いということがわかります。
 このようにコースの勾配を分析することで、つぎのように地形図上で推理することができます。
 三峰神社を出ると約1km(約15分) はだらだらした登りで、妙法*ミョウホウヶ【*ヶは小字】岳を左手にしてトラバース、霧藻ヶ岳までは2kmで300m(約1時間15分) で最後の15分ぐらいが登山道という雰囲気の勾配。細長い山頂稜線から標高1,450mまでいったん下って、ここまでが距離1km、下り100mで30分弱となります。
 そこから標高1,750mの無名峰まで距離1km、標高差300mですからモデル登山道そのままで1時間。白岩小屋までの1km弱をだらだらと登り(20分程度)、そこから白岩山までの高度差100m分がまともな登り(20分程度) となります。
 白岩山からは2km弱のあいだ下りで、標高1,700mまで220m下がります。50分程度と見ておきます。そしてこの鞍部(大ダワ) から1時間のモデル登山道で雲取山山頂ということになります。

●金峰山と山名の話

 奥秩父の金峰山については最初に新日本ガイドを読んでみます。見出しには「きんぷさん」という振り仮名が振ってあります。ここでは山を「さん」と呼ぶというところまでわかります。
 ――奥秩父主脈の西端に位置するが、奥秩父の主峰ともいうべき堂々たる山である。山頂には五丈岩*ゴジョウイワがどっかと腰をすえ、その姿は遠方からもよく眺められる。古くから修験道の盛んな山で、古文書類にも“金峰”の名がみえる。山頂部はハイマツと砂礫地、岩稜帯で、特徴的な山容の瑞牆山*ミズガキヤマや八ガ岳・南アルプスを一望にする展望が得られ、アルペンムードがただよう明るい山である。――
 瑞牆山にも「みずがきやま」と振り仮名があるのは親切です。そのあたりに注目しつつ、今度は山と溪谷社のアルペンガイドを読んでみます。
 ――山頂にそびえる五丈*ゴジョウ岩をシンボルとして奥秩父主脈の西域にひときわ雄大な山容を持つ金峰*キンプ山。古くは信仰の山として栄え、現在ではアルペンムードの漂う岩稜と、奥秩父特有の原生林の美しさが多くの登山者を魅了する。――
 これでは金峰山の「山」をどう読んでいいのかわかりませんが、さすがに登山ガイドのオーソリティだけあって巻頭の「山名・地名さくいん」に金峰山(きんぷさん) として、きちんとした読みを示しています。
 登山地図を見ると、昭文社の地図では山頂北側の山小屋に金峰山*キンポウサン小屋と読みまで入れて、山名には振り仮名がないものの「山梨県ではきんぷさん、長野県ではきんぽうさん」というメモを加えています。
 両社の登山地図を見比べると、どちらも難読地名には振り仮名をつけているようですが、おのずからその選択は異なります。
 瑞牆山は日地出版が瑞牆山*ミズガキヤマとしていますが、昭文社は瑞牆*ミズガキ山。しかし日地出版が「山」まで振り仮名を振るということでもないようで、鶏冠*トサカ山、木賊*トクサ山などが一般的な表記のようです。
 それに対して昭文社では鶏冠*トサカ山はありますが、木賊山には振り仮名を振っていません。しかし北には三宝*サンポウ山があって、これについては日地出版のほうが振り仮名をつけていません。要するに読みを必要とする/しないの判断基準はそれほどはっきりしたものではなさそうだという感じです。
 ところが極めて重大な問題がそのあたりにありました。木賊山のとなりにある日本百名山のひとつを日地出版では「甲武信ガ岳」としています。昭文社のほうは「甲武信*コブシ岳」です。
 問題はもう振り仮名の有無ではありません。日地出版では「ガ」を入れ、昭文社では入れてないというところです。そこで国土地理院の地形図を見ると「甲武信ヶ岳」となっています。念のために新日本ガイドに戻ると「甲武信*コブシガ岳*ダケ」【*ガは並字】となっており、アルペンガイドの山名・地名さくいんでは「甲武信ガ岳(こぶしがたけ)」となっています。……困ったことに今度は「だけ」と「たけ」の違いも出てしまいました。
 そこで虎の巻を開いてみます。建設省国土地理院の地図管理部の『標準地名集(自然地名)』で1981年に(財)日本地図センターから発行された増補改訂版です。これによると「甲武信ケ岳」は「こぶしがたけ」となっています。今度は地図上の「ヶ」が「ケ」になってしまいます。
 なんだか重箱の隅をつついているように見えますが、そうではないのです。新日本ガイドで奥秩父のもうひとつの有名峰を国師ケ岳*コクシガタケとしています。アルペンガイドでは国師ガ岳(こくしがたけ)、登山地図では日地出版が国師ガ岳、昭文社が国師岳となって、国土地理院の地形図では国師ヶ岳、『標準地名集』では国師ケ岳/こくしがたけ……とにぎやかです。
 じつは国土地理院の地形図で採用する地名はすべて、関係する市町村が地名調書という書類によって認めたものでなければならないという大原則があるのです。山や川のように複数の市町村にまたがっていて、しかも異なる名称が用いられている場合には多数決によって採否を決めるのだそうです。
 しかしそこには大きなおとし穴があります。古い本になりますが、地形図の概説書としては特異な存在であった五百沢*イオザワ智也さんの『新版・登山者のための地形図読本』(1972年、山と溪谷社) には、まさにその問題が書かれています。
 ――地名は実際に現地で使っているものを、使っている文字と発音で表わすのがたてまえです。そして同じところでいくとおりもの名前や呼びかたが使われているときは、役場で正式な名前として使っているものを表わすことになっています。しかし、もしそれ以上に実際に広く使われている名前があれば、それを示すこともできます。
 このことは、いいかえると、役場が使う公式の名前や広く通用する土地の名前が地形図に表わされるのであって、たとえ正しい名前がほかにあっても広く使われていなかったり、役場が認めなかったら地形図ではその地名を示さないのがたてまえだということができます。ですから、地形図上の地名は(版が) 修正されるたびに変わってもいいはずです。もちろん、それは役場がそれを認めた場合のことです。――
 もうひとつ、表記法の問題があります。
 ――「公文書作成の要領」という昭和27年4月4日内閣甲第16号依命通知によって、国の出す文書は、地名についても現代かなづかいと当用漢字を使うことが定められています。5万分の1地形図もその適用を受け、当用漢字と現代かなづかいを取り入れることになっています。その土地で使っている文字と発音によって地名を表わすという基本的な考え方とは矛盾するのですが、仕方がないと考えられています。――
 問題はここから発しているのです。
 ――八ケ岳や槍ケ岳のケの字や針ノ木峠のノの字は、地形図図式では助字*ジョジという言葉が使われていますが、この助字はとてもやっかいなものです。一箇月が一ケ月となり、一乃谷が一ノ谷になったのだからケやノは漢字の略字で、漢字として取り扱うべきだとする考えかたや、カナとして使っているのだから発音どおりに直すべきだという考えかたが出されました。そしてケはカや“が”に直されたことがありました。地理院は当時地理調査所でしたので、地理調査所の地形図がそうなったというので、山の雑誌や案内図はいっせいにそれを使いだしました。
 ところが横槍が入りました。中央アルプスのふもとの伊那谷にある赤穂という町が市になり、駒ケ根市という名前になりました。ここだけでなく、行政区画の村、町、市、郡の名前にケを使うところはたくさんありますが、この駒ケ根市の市名も5万分の1地形図では当然駒が根市にしなくてはならなくなります。そして木曽駒ケ岳(西駒ケ岳) の名も駒が岳にしなくてはなりません。しかし市の名前を変えるには市議会の議決を得ないといけないということが、地方自治法に定められているのです。それで地理調査所が勝手に変更してはいけないということになりました。しかし山の名前はどこにもそれを決めるところがありませんから、駒が岳でいいわけです。それでも駒が岳と駒ケ根市の名前が同じ地形図に並んでいるのはおかしいので、山も駒ケ岳と逆もどりしてしまいました。
 このような理由から地形図上ではケや“が”の使い分けは勝手に行なわず、すべて地名調書のとおりにしようということになっています。これは今後発行される新しい2万5000分の1地形図や編集される5万分の1地形図でも同じです。しばらくはケや“が”の入りまじった地形図ばかりになるでしょう。――
 もう20年前の文章ですから、「今後発行される新しい」地形図というのが現行のものです。
 ところが今、アルペンガイドでは基本的な表記法としてつぎの原則を徹底しています。巻頭の「凡例」にこうあります。
 ――地名は原則として地理院発行の地形図に記載された名称を用いましたが、地元で広く使われている呼称については、例外として一部用いています。ただし地理院の図にある「○ヶ岳」等の「ヶ」は「ガ」に、「○の沢」等の「の」は前後に片仮名のないかぎりすべて「ノ」に統一しました。――
 この表記法は山と溪谷社においてはかなり厳重に守られているようで、山岳雑誌の『山と溪谷』でも「槍ガ岳」や「八ガ岳」などを常用しています。アルペンガイドの編集部に問い合わせたところ、電話に出た人は「地形図の図名など引用に関してはケも使います」といっていましたが、北アルプスで調べてみると地形図の紹介欄で5万図も2万5000図も図名を「槍ガ岳」として臆することがありません。もちろん国土地理院の地形図の図名は5万分の1図も2万5000分の1図も「槍ヶ岳」です。
 助字は「漢文で、虚字の一種」と『広辞苑』にあります。したがって昭文社のように「甲武信*コブシ岳」としてしまうと抜け落ちてしまうところを、甲武信岳*コブシガタケとして、読みを完全に示すのであれば理解できます。
 では日地出版の地図にある甲武信ガ岳や国師ガ岳についてはどうかというと、三峰神社から雲取山のコースでは妙法ヶ岳や霧藻ヶ岳など国土地理院と同じ地名をのせています。基準があいまいという印象を残します。もちろん昭文社も同罪に近く、いまや世界レベルの民間地図会社であるだけに猛省をうながしたいところです。
 そのあいまいの発端となったのは新日本ガイドに、同じ見開きの中に見出しとしてあった「甲武信ガ岳」と「国師ケ岳」でした。編集部に電話をしてみたところ、現地調査によって表記を決めているとの回答。国土地理院と同じことをやって結果が違うということでしょうか。ちなみに「山と溪谷」と並ぶ総合登山誌「岳人」の編集部に電話をかけてみたところ、山名の表記は国土地理院の表記に従っているとのことでした。
 山と溪谷社独自の強引な表記基準がひょっとしたら各市町村役場の山に詳しい職員の常識となり、権威となって、日本交通公社の現地調査にはねかえっているのかもしれません。そうだとすれば、いずれ国土地理院の地形図上でも「槍ガ岳」や「八ガ岳」が採用され、一出版社の表記法から正式名称へと出世するかもしれません。
 こういうことを放置している国土地理院にも、もうすこしがんばってもらわないといけないことがあるように思います。なぜなら民間の地図のほとんどは国土地理院の測量データや地形図を利用しており、そこには「引用」という問題が存在するのですが、国土地理院は引用のさいの使用面積などには目を光らせても、地図上の山名などを書き換えられても知らぬ顔で通しています。
 そのこととは別に、今回電話で確かめたところ地名調書での助字の確認はケの字に丸囲みのあるものは「ヶ」とし、ないものは「ケ」として文字の大小を区別しているとのことでした。「ヶ」は助字で「ケ」は「け」なのでしょうか。地形図上で山名につくのはほとんど「ヶ」だと思いますが『標準地名集(自然地名)』ではほとんどが並字の「ケ」でときどき「ヶ」もまじってくるので混乱します。
 じつは私はまだ見ていませんが、最近国土地理院作成の『20万分1地勢図基準・自然地名集』が日本地図センターから発行されました。これはB5判716ページという大冊で定価3,000円ですが同じ内容の電子データも2万円で使えます。はたして助字の「ヶ」はどう解決されているでしょうか。
 五百沢さんはこう書いています。
 ――5万分の1地形図が基本図(現在は2万5000分の1地形図) として用いられ、地名についても国家の最も確かな資料となるのでしたら、すべての地名にふりがなをつけなければならないと私は考えます。集落名には行政区画総覧などという地名発音の資料がありますが、山や川の名前には資料がぜんぜんないのですから、5万分の1地形図あたりにそれが考えられてもいいのではないかと思います。――
 さて金峰山ですが、地図を見るだけでも山のおもむきがまったく違います。北麓の標高1,600m地点には金峰山荘と廻目平*マワリメダイラキャンプ場があって、周囲に林立する岩峰にはクライマーたちが取り付き、一種独特の登山基地風情をかもしだしています。
 ここからスタートすると、最初の3kmちょっとは沢沿いの林道で高度を300mほどかぜぐだけの1時間30分。沢の斜面を斜めに上がって尾根をジグザグ道で直登し始めると、あとは金峰山頂までグングンと登り一方。水平距離2kmに対して高度差700mですからモデルコースより急な登りを2本、2時間15分と出ます。
 その所要時間を単純に加算すると3時間45分となりますが、健脚の場合にはそれでいいとして、歩き慣れない人がいたり、高齢の人の場合は、急な登りでは思いきりスピードを落として1歩ごとに蓄積される負担をできるだけ少なくすることが必要です。エンジンの小さな車で急坂を登るのといっしょで、ギヤを思い切って落として、エンジンに負荷をかけないことだけを考えるべきです。
 そのときには休憩をできるだけたっぷり、じょうずにとることが必要ですが、勾配に対する難易度を上げて、100m=15分を50%増しの100m=22〜23分とすると心身ともに余裕が生まれます。
 負荷ということについては、歩く時間がその人の限界を超えて長くなると急に大きくなってきます。それから荷物がある重さ以上だったり、歩く速度が一定以上だと急に負荷が大きくなってどうにもついていけないという人が出ます。そして一定以上の急な道でもたちまちバテてしまう人がいます。それは体重と荷物を垂直に引き上げる力が限界以上になるからです。
 したがって1km先で300m登るというモデルが確実に2つ、3つ連続して登れる人でも、金峰山では登りがそれより急だということで、慎重にならなくてはいけません。どこに無理がかかってくるかわからないからです。ですからコースタイムをたっぷりとって慎重に歩き始めることが大切です。
 加えて急な下りでは、登りのコースタイムをそのまま当てはめておくことです。ひざや腰をかばう気持ちで体をひねって下るのは最悪ですから、スキーの直滑降の姿勢で、爪先で地面をさぐりながら体を垂直に下げて行くような歩き方をすると、からだに負担をかけません。
 1歩1歩ゆっくり下っていると、ベテラン登山者の多くが靴底のフリクションを利かせ、かかとを蹴込みながら音を立てて追い抜いていくでしょう。でも運動靴でも同じように歩ける歩き方でなかったら、それを真似てはいけません。音を発するほどのパワーがひざや腰など関節に衝撃を与えているからです。

伊藤幸司(ジャーナリスト)


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