乾徳山での「伊藤幸司滑落」事故レポート ………2010.10.9〜


■2011.2.24――経過のご報告(141日目)
■2011.1.17――経過のご報告(103日目)
■2011.1.12――ふじもと喜弘さんから「うつぶせ状態」で落下?
■2011.1.10――こばやし美子さんから「明けまして おめでとう ございます」
■2011.1.8――ふじもと喜弘さんから「晩秋(?)の三つ峠」
■2011.1.8――経過のご報告(94日目)
■2011.1.6――いしかわ和美さんから「1a三ツ峠山」参加
■2011.1.6――はせがわ哲さんから「1a三ツ峠山」参加
■2011.1.5――つちや千鶴子さんから「1a三ツ峠山」参加
■2011.1.4――こうの卓さんから「三ツ峠山参加」
■2011.1.4――すずき明美さんから「変更願い」
■2011.1.4――ながた幸子さんから「1a三ッ峠山」参加
■2011.1.3――コーチからご挨拶(「1a三ッ峠山」計画書から)
■2011.1.1――やまもと良彦さんから「新年あいさつ&三つ峠山申し込み」
■2010.12.20――やまさき野乃香さんから「地平線会議」参加
■2010.12.20――はせがわ哲さんから「復帰を待ってました」
■2010.12.20――経過のご報告と「復帰計画」発表(75日目)
■2010.12.18――しもじま梨沙さんから「お見舞い申し上げます」
■2010.12.17――てらだ紀子さんから問い合わせとお見舞い
■2010.12.6――経過のご報告(61日目)
■2010.11.26――みわ主彦さんから「11c北高尾山稜」の報告
■2010.11.22――★経過のご報告(47日目)
■2010.11.17――★経過のご報告(40日目)
■2010.11.16――おかだ恭子さんからお見舞い
■2010.11.16――ふじもと喜弘さんから乾徳山事故に関する「GPSでの捜査」+伊藤からの付記
■2010.11.14――はた芳夫さんからレポート「乾徳山 滑落事故」
■2010.11.9――はやし智子さんから「コーチ。お元気ですか?」
■2010.11.5――むらかみ素子さんからお見舞いのハガキ
■2010.11.3――あんどう昌子さんからお見舞いのハガキ
■2010.10.30――いとう義子さんから「お見舞い申し上げます」(手紙)
■2010.10.30――さとう時子さんからの事故レポート(ファクス)
■2010.10.27――みやもと幸江さんから「お見舞い申し上げます」
■2010.10.25――みやもと千晴さんから「加圧トレーニング」の提案
■2010.10.25――さかいみちこさんから「三頭山」の件
■2010.10.25――やまさき野乃香さんから「お見舞い、御礼、欠席のお願い」
■2010.10.25――とくやま由美子さんから「三頭山」参加
■2010.10.25――★経過のご報告(16日目)
■2010.10.23――かとうのり子さんからのハガキ
■2010.10.23――みかみ洋子さんから「お大事に」(ファクス)
■2010.10.23――やまもと良彦さんから「三頭山参加します」
■2010.10.23――こまつ恒彦さんから「お見舞い」
■2010.10.23――たい睦子さんから「本3冊届きました」
■2010.10.23――みうら陽子さんから「10C出席」
■2010.10.22――にしのや澄江さんから「お見舞い申し上げます」
■2010.10.22――つちや千鶴子さんから「お見舞い申し上げます」(手紙)
■2010.10.22――くろかわ恵美さんから「ツェルトを受け取りました」
■2010.10.22――いちむらやい子さんから「10c三頭山について」
■2010.10.22――ながつか勇三さんから「お見舞い申し上げます」
■2010.10.22――こばやし美子さんから「お見舞い 申し上げます」
■2010.10.22――さわむら 榮男さんから「事故のこと」
■2010.10.22――さくらゆ佐知子さんから「どうぞ お大事に」
■2010.10.21――こうの卓さんから「お見舞い」
■2010.10.21――たい睦子さんから「Re: お花ありがとうございます」
■2010.10.21――はやし智子さんから「コーチ。お大事に!」
■2010.10.21――なかむら泰子さんから「お見舞い」
■2010.10.21――はた芳夫さんからレポート「とりあえず安心」
■2010.10.20――さいとうふき枝さんから「本当にびっくりしました」(ハガキ)
■2010.10.20――さとう慎吾さんから「レポート読みました」
■2010.10.20――おか有子さんから「お見舞い申し上げます」
■2010.10.20――いしかわ和美さんから「お大事に!」
■2010.10.20――かわた恭子さんから「お見舞い申し上げます。続き」
■2010.10.20――かわしま登美枝さんからあの日の状況報告
■2010.10.20――そね一郎さんから「遅ればせながらのお見舞い」
■2010.10.19――★「a」と「c」は継続します
■2010.10.19――ながた幸子さんから現場の状況
■2010.10.19――いなば和平さんから「完治するまで・・お待ちしています」
■2010.10.19――ふじもと喜弘さんから「お見舞い申し上げます」
■2010.10.19――やの博子さんから「お大事に」
■2010.10.19――さとう清子さんから「お見舞い申し上げます」
■2010.10.18――はざま光代さんから「おだいじに」
■2010.10.18――いなだ郁子さんから「お大事に」
■2010.10.18――やまもと良彦さんから「お大事に」
■2010.10.18――さくらだ英治さんから「お見舞い申し上げます」
■2010.10.18――すずき明美さんから事故の現場報告
■2010.10.18――はせがわ哲さんから事故を知って
■2010.10.18――くにきだ之彦さんから「骨折事故お見舞い」
■2010.10.18――★治癒への見通し
■2010.10.17――ながつか進吉さんから「お大事に」(ハガキ)
■2010.10.17――たい睦子さんから「退院おめでとうございます」
■2010.10.15――みやもと千晴さんから「大事なくよかった」
■2010.10.15――さいとう俊朗さんから「お怪我の お見舞い!!!」
■2010.10.11――まるやま純さんから「お怪我の具合はいかがでしょうか」
■2010.10.11――みわ主彦さんから「お見舞い」
■2010.10.9-17――★乾徳山での「伊藤幸司滑落」事故に関するレポート


■2011.2.24――経過のご報告(141日目)
 本日、1か月ちょっとぶりにX線とCT(X線断層撮影)をしました。すでに骨折から4か月半ですから、そろそろ完治に近づき、リハビリもOKかと思ったら、そうはいきませんでした。断層写真で細かく見ると、骨折部分に飛び散っている小さな骨片を新しい骨がじんわりと包み込んでいく様子が前回のCT画像との比較でよくわかりました。……が、しかし、まだ各所に隙間が残っていて、担当医は「平地を歩く範囲でならもうすこし負荷をかけてもいいでしょうと」いうところまで。走るのもまだ、山歩きは暖かい季節になってからと慎重です。
 すでに1.8の三ツ峠山から、1.15鐘ヶ嶽、1.18筑波山、1.25大山、2.8-9八甲田山、2.12守屋山、2.19矢倉岳、2.22蕨山とテスト復帰しています。「一般登山道をダブルストックで平地のように歩く」という軽登山の技術を駆使しているわけですが、弱点も見えてきました。
 容量20リットル程度の小さなザックだとギュウギュウに詰め込んでも重さは6kg前後なのですが、八甲田山では食料や装備を加えて15kgほどになりました。かさが大きかったので例の120リットルザックでしたが、行動距離が短かったのでほとんど問題を感じませんでした。そこで守屋山では30リットル級のザックに雪用の非常装備を少々持って10kgちょっとになりました。おまけに気持ちのいい雪の急斜面をガンガン気味に下りました。そうすると負担があきらかに腰回りに蓄積しました。じつはそれが骨折部分に悪影響を与えたのではないかとちょっと不安になったほどです。
 今回、CT画像をかなりこまかく見せてもらいましたが、骨にはほとんど影響が見えなかったようです。骨は、いったん完治してしまえば100%以上の回復になります。それを阻害するのはどう考えてももったいないので無理はしたくないのですが、筋肉の方がどんどん心配になってきています。
 最初は、左足が数センチ短くなったような感じでした。いまではそういう感じはなくなって、右足と比べると左足には柔軟性が足りないという印象です。平地を歩くだけでも、30分もすると腰回りにストレスを感じるのですが、それは筋肉のこわばりが次第に表面に浮かび上がってくるように思われます。大臀筋のあたりにあきらかになにか、こわばりの原因があるという感じ。おそらく骨折時の衝撃を筋肉も受けていたに違いありません。そうでなければ右足と左足とでそんなに大きな差が出るとは思えません。
 つまりリハビリが開始できないということは、筋肉を元に戻す手間と時間がだんだん長くなるということです。実用に問題が生じるようなダメージは受けていないと思いますが、夏の薬師岳や赤石岳までにそうとうの筋力強化が必要です。そして筋肉は骨のように単純ではないので、がんばればすむというものではありません。
 これまで、私はリハビリやトレーニングに類する特別なことは何もしてきませんでした。平地を歩くといっても、気持ちよく歩いてみる以上のことはしていません。完治したらそこからすこし「年寄り向けトレーニング」というものを考えてみたいと思っていたのですが、それもおあずけです。夏までは「トレーニング禁止」のまま、登山の中で少しずつ「10kg背負って10時間行動」という能力を獲得していきたいと考えます。ただし、リハビリの専門家に筋肉の状態をチェックしもらいたいとは考えています。私がリハビリというのはその部分です。
 「もうそろそろいいでしょう」といわれたら、紙を切ってさっぱりしたいと思っていたのですが、がっかりです。髪の方は切った直後に怪我をしたので、4か月半です。だいたい3か月たつとてっぺんの髪(後ろの方の髪ではありません)が立ち上がっていらいらするので切りに行くのですが、最長6か月という記録もありますから、それまでには切れるかと思います。まだしばらくもじゃもじゃ気分を我慢します。切ったからといって見苦しくなくなるというわけでもないので。


■2011.1.17――経過のご報告(103日目)
 本日、約1か月ぶりに病院に行ってCTとX線の写真を撮りました。
 じつはほんのちょっと心配なことが、いくつかありました。
 12.24に地平線会議で話をしたとき、持参した資料をザックに入れると19kgになりました。都内の便利なところですから歩く距離はたいしてなかったのですが、それでも腰に負担がきました。
 それから1.8の「1a三ッ峠山」。道は全域で林道のような路面でしたから衝撃のくるような歩き方はしませんでしたが、約6時間という行動の影響は未知数でした。2か月目以降、平地なら歩いていいといわれていましたが、じつは30分以上歩いたことはなかったからです。
 三ッ峠山では足回りに問題はありませんでした。帰ってからの筋肉痛もありませんでした。しかし下りの長い尾根で、目に、これまで経験したことのない違和感を感じました。目が回ると思ったのですが、回るのではなくて、ガラスを1枚はめたような違和感。見ればみな見えるのですが、全体として見え方に現実感がないのです。視野が狭くなったという感じもしました。歩くのにも不安を感じる場面がありました。
 それから1.15に朝日カルチャーセンター千葉で鐘ヶ嶽に行きました。広沢寺温泉の脇から登って周回ルートで広沢寺温泉に戻る手前で林道に入り、日向山を経て日向薬師に下るというもの。林道歩きも含めて5時間ちょっとという軽い山なのでまったく問題ありませんでした。
 しかし、折れた腸骨の周囲には歩くといつも違和感があり、軽い鈍痛もあります。筋肉に由来する違和感だろうとは思うものの、骨に負担をかけていたかもしれないという不安はありました。
 結果は出ました。CT画像で左右の腸骨を比べてみると、折れた方の骨の厚みが増してきているというのがよくわかります。医師によれば「7割の回復」とか。「4〜5か月でほぼ完治と予想」の3か月経過ということのようです。骨の部分に異常はないようで「平地ならどんどん歩いていいです」とのこと。そして私を登山インストラクターと認識しているので「山へ行くのは暖かくなってから」とのことでした。
 私の技術的なキーポイントは「一般登山道を」「平地を時速4kmで歩くエネルギーで」「時速1kmで歩く」ことですから、ダブルストックを加えることで、じつは平地を歩くように歩いているのです。いまはまだ、歩いていると左足がすこし短くなる感じがしますから、これを伸ばしたいと思っています。
 1か月後に再びCTで骨の状態を見る予定ですが、骨に大きな負荷をかけないようにして、筋肉をもうすこしほぐしていきたいと考えています。


■2011.1.12――ふじもと喜弘さんから「うつぶせ状態」で落下?
コーチ殿
くろかわさんのお話の内容で(ちょっと)気になっています。
コーチの文面は下欄に引用しましたが、「うつぶせ状態」で落下したのではなく、「仰向け」ではないかと思います。
聞き違いでしたらお詫びしますが、コーチが滑落された状態は、ザックを下にして、狭い岩と岩の間に挟まっていたように聞きました。
通常足を滑らすとお尻から落ちますし、短い空中の時間でザック毎体が回転することもないかなぁと思いますが・・・。
   いつものお節介で済みません。
────空中では体はほとんど水平になって、うつぶせ状態。切れ落ちた斜面のすこし手前に岩と岩の間に狭い土の空間があって、そこにすぽんと落ちたということです。────

【コーチから】
●信じがたいことに、やはり「うつぶせ」でした。おそらく右手で軽く握っていたクサリに引っ張られて、落ちる方向と、そのときのからだの向きが不自然な結果を生んだのではないかと思います。そこのところをもうすこしはっきり解明したいのですが、その瞬間を見ていた人はくろかわさん以外にいないようです。はたさんは叫びを聞いて振り返ったといいます。
●もうひとつ、11.16のふじもとさんのご指摘に関してですが、携帯電話の件です。私は非常用の通信機器という観点から、携帯電話は防水です。もし非常用の通信が必要なときには高い確率で悪天候だと思うからです。それに予備のリチウム電池と、単三電池使用の充電器をもっていました。けっきょく、予備電池はだいじなときに手元にありませんでしたが。
●念のために加えれば、防水でない携帯電話を使っている場合は、ドライブ中に通話できるマイク付きイヤホンをもっていると安心かと思います。


■2011.1.10――こばやし美子さんから「明けまして おめでとう ございます」
第一戦、成功おめでとう・・ですが
驚き・・です。でもやっぱり・・とも思いました。
さすがコーチ。 今年も一年ついていきますので宜しくお願いします
1C,大山 楽しみにしています


■2011.1.8――ふじもと喜弘さんから「晩秋(?)の三つ峠」
三輪リーダ殿
暖かい一日を 楽しく過ぎさせて頂きまして、有り難うございました。

伊藤コーチ殿
帰りの河口湖の駅頭での仁王立ちとふくれっ面を拝見して、これで まず 完全復活かなぁ・・・と思いました。おめでとうございます。
老婆心ながら(まだリハビリ中ですから)余り無理をされないようにお願いします。

わたし事になりますが、両神・木曽駒と続けて膝の疲労でご迷惑をお掛けした後 山も街道歩きも控えておりましたので、今日は内心不安なスタートでした。
結果としては無事にクリアーできましたが、常に違和感を感じながらの一日でした。
水泳は膝の鍛錬にはならないという話を聞いて、昨秋は自転車を入手して利用してはいますが、どれほどの効果があるものやら・・・。基本的には(実際に)山に繰り返しチャレンジするしかないのかなぁ・・・というのが今日の感想でした。
追々 お世話になる機会を増やしたいと思いますので、どうかよろしくお願い致します。


■2011.1.8――経過のご報告(94日目)
「1a三ッ峠山」に参加させていただきました。
テスト参加ということでしたが、おかげさまで全行程歩くことができましたので、これが復帰第一戦ということになりました。
1.4にすずき明美さんから次のような指摘をいただきました。
────私の知る限りにおいて 受傷からこんなに早く「リハビリ登山」と称して実行されるケースは初めてだと思います。主治医が良く許可を出されましたね。もしかして「自己判断」ということでしょうか。────
医師からは「平地を歩くのは問題ありません」といわれたので、登山道でも平地の歩き方ならだいじょうぶという「自己判断」でした。
じつは12.4に地平線会議で話をするにあたって、資料をザックに詰めたら19kgになりました。歩いたのは短距離でしたが、腰に負担がきて、骨にも異常があったかと不安になりました。今回は全く問題ありませんでした。
それよりも、丸3か月ほとんど歩いていませんから筋肉のほうに問題があると考えていました。ケガをした左足が最初はずいぶん短くなったようでしたが、それがかなり正常に戻ったというところ。筋力の衰えは、じつはまったく想定できずにぶっつけ本番でしたから。
ともかく、おかげさまで約6時間の行動をすることができました。
その結果をふまえて、1.3にお知らせした今後の復帰計画をそのとおり実施することを決定しました。
以後、3月末までの日帰りプランは全部実施します。それから泊まりのプランは「2e八甲田山」「3e蔵王」「3a+軽登山講座最終回の北八ヶ岳」「3b西穂山荘」の4回です。
もちろん復帰といっても、リスク管理までの余裕はまだありませんから、「1c大山」と泊まりのプランには三輪さんにリーダーをお願いしています。もちろん伊藤も同行します。(「3b西穂山荘」は伊藤ひとりになるかもしれません)
よろしくお願いいたします。

なお、事故のようすを直接目撃したくろかわ清裕さんから直接話を聞きました。それによると滑ったのは見上げる高さ、約5mだったとのこと。クサリの末端にあたるくろかわさんのところへ落ちてくるかと思ったら、切れ落ちている斜面のほうへ落ちていったということです。
空中では体はほとんど水平になって、うつぶせ状態。切れ落ちた斜面のすこし手前に岩と岩の間に狭い土の空間があって、そこにすぽんと落ちたということです。
私はそのとき、右手を軽くクサリに添えて、前向きに下っていましたから、足を滑らせたときクサリに軽く引っ張られて、からだが水平になったのかと思います。
記憶があるのは落ちてからで、右手と右足が動くのを確認したとき、元看護婦のすずきさんが「動かないで!」と叫びながら近づいてきました。左側は岩にはまった感じに加え、ザックの重さで身動きできない状態でした。
帰宅後ザックを調べてみましたが岩にこすった部分がありませんでした。今回、地平線会議で話すために資料を入れて運ぼうとしたところ、ウエストベルトの左側の付け根にあたるプラスチックの部品がなくなっていることがわかりました。
120リットルのザックですから腰をガードするパッドはかなり大きく、分厚いのですが、その外面にベルトを固定するためのプラスチック部品がなくなったということは、そこが岩にあたって骨折部分をかなりしっかり保護してくれたということになります。
みなさんの話を総合すると、ほんとうに運が良かったという感じがします。運動機能に直接関連する骨でなく、かつ腰骨で一番危険な内臓損傷にも至らなかったという状態で、腰幅ジャストサイズの岩の隙間の土間にほぼ水平に軟着陸したということのようです。


■2011.1.6――いしかわ和美さんから「1a三ツ峠山」参加
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
1月8日の三つ峠を 参加 にお願いします。
順調な回復で嬉しく思い、お会いできるのを楽しみにしています。


■2011.1.6――はせがわ哲さんから「1a三ツ峠山」参加
コーチの復帰第一弾に参加させていただきます。
往路は八王子より乗車予定です、よろしくお願いします。


■2011.1.5――つちや千鶴子さんから「1a三ツ峠山」参加
伊藤コーチさま
明けましておめでとうございます
順調すぎる回復のご様子はさすがですね
今日1aの計画書が届きました △→○でお願い致します
土曜日楽しみにしております。


■2011.1.4――こうの卓さんから「三ツ峠山参加」
伊藤 様
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
怪我の回復が早く、新年とともに復帰できるできるとのことうれしく思います。
まさに超人的回復力ですね。
ところでこの正月休み体がなまってしまいましたので、1月8日の三ッ峠山に
参加させてください。今年の初登りにしたいと思います。
計画内容はホームページを見てわかっています。どうぞよろしくお願いします。


■2011.1.4――すずき明美さんから「変更願い」
伊藤コーチ様
明けましておめでとうございます。更に順調な回復の様子お喜びもうしあげます。
私の知る限りにおいて 受傷からこんなに早く「リハビリ登山」と称して実行されるケースは初めてだと思います。主治医が良く許可を出されましたね。
もしかして「自己判断」ということでしょうか。
それならそれで伊藤コーチらしいですが。期待されるような結果が出ることをお祈りします。
また直前での変更をお願いします。三つ峠と守屋山 キャンセルで。


■2011.1.4――ながた幸子さんから「1a三ッ峠山」参加
あけましておめでとうございます。
先日の加波山の時には秋葉原までお見送りにいらっしゃったとか。
お元気なお姿拝見できず残念でした。
三つ峠山に参加させていただきたいと思いますので、
お目にかかれるのを楽しみにしています。
よろしくお願いします。


■2011.1.3――コーチからご挨拶(「1a三ッ峠山」計画書から)
明けましておめでとうございます。
昨年10月9日の滑落事故以降、皆様には大変ご迷惑をおかけしました。
三輪主彦さんのご厚意によって、かろうじて「月イチ」登山の維持について可能性を残すことができました。感謝です。

新年とともに順次復帰し、3月末までにはスケジュールを完全に復旧するという目標を立てました。
今回の「三ッ峠山」は「テスト参加」させていただきます。調子によっては途中で離脱させていただく可能性を含めて、参加させていただきたいのです。
その後「1d筑波山」は私がリーダーとして実施しますが、私自身の「リハビリ登山」というかたちで実施させていただきます。
「1c大山」では三輪リーダーのもと、サブリーダーを務めさせていただくつもりです。
もし、復帰プランが順調に進行すれば、2月以降の日帰りは完全復帰とさせていただくつもりです。
そして泊まりがけの計画「2e」「3a」「3e」「3b」については三輪さんにサポートしていただいて、私がリーダーとして実施したいものだと考えています。

以上が実現可能なプランかどうかは今回の三ッ峠山の「テスト参加」がどのような結果となるかにかかっています。よろしくお願いいたします。


■2011.1.1――やまもと良彦さんから「新年あいさつ&三つ峠山申し込み」
伊藤コーチさま
明けましておめでとうございます。
コーチも順調なご回復のようで、糸の会も今年は気分一新で新しいスタートをきれると信じています。
またいろいろとよろしくお願いします。
早速ですが三つ峠山に参加します。
本年の初登山、コーチの再起第一戦に同行させてください。
三つ峠山は今回で3度目ですが過去2回とも素晴らしい富士山(そして寒さ)に恵まれたので、2度あることは3度あるを期待しています。


■2010.12.20――やまさき野乃香さんから「地平線会議」参加
こんばんは! 
見事な復帰計画おめでとうございます。
計画通りになることを祈願しております。 
さて、イブは寂しくないのですが、誰かに似た花咲ジジイ風の 
イラストにグッときました!地平線会議のぞかせてください。
糸の会歴5年、コーチのつぶやき、大声、山上の垂訓、どれも
細大もらさず? 聞いて参りました。一言一句がコーチの「流儀」を
感じさせるものでした。その哲学のバックボーンや如何に? 
いやいや、バックボーンどころではない、腰には新しい骨まで出現し 
真におめでたくイブにふさわしい会、間違いなしです。
楽しみにしています。よろしくお願い致します。


■2010.12.20――はせがわ哲さんから「復帰を待ってました」
75日間お疲れ様でした、やっと復帰の計画発表、うれしく思います。
私も8月の穂高以来、怠惰な生活でしたがコーチの復帰に合わせて歩き始めます。
1月8日(a)三つ峠は?ですが、2月12日(a)守屋山、3月26、27日(b)西穂に参加予定です、よろしくお願いします。


■2010.12.20――経過のご報告と「復帰計画」発表(75日目)
本日、3回目のCT画像をとりました。まだ100%の回復でありませんが、骨折部の空間を新しい骨がかなり埋めつつあります。平地のウォーキングなど大きな力がかからないものなら積極的にやっていいという許可が出ました。

それに先だって、先日三輪主彦さんとお会いして、1月〜3月の復帰計画を検討させていただきました。
1月から復帰を開始しますが、まだ山に登る筋力のチェックができていないので、次のような弾力的な計画として発表させていただきます。
(1)1月〜3月の「d」は伊藤自身のリハビリ登山を兼ねるということで復活します。リーダー自身がふがいない結果になるかもしれませんが、それでもという方はおつきあい下さい。
(2)「a」と「c」には伊藤が(迷惑をお掛けしない範囲で)参加しますが、リーダーは三輪さん。2月中にリーダーを奪回したいと狙っています。
(3)泊まりがけの「e」と「b」については「2e八甲田山スノーシュー」「3e蔵王スノーハイク」「3b西穂山荘から上高地スノーシュー」を三輪さんと伊藤のコンビで実施します。
(4)もちろん4月以降は伊藤が完全復帰の予定です。
よろしくお願いいたします。

また、クリスマスイブを寂しくお過ごしになる予定の方がいらっしゃったら、地平線会議へどうぞ。参加自由、予約不要です。370回目ぐらいかと思いますが、三輪さんが子分を動員して裏から支えてきた集会です。


■2010.12.18――しもじま梨沙さんから「お見舞い申し上げます」
伊藤幸司様 大変ご無沙汰しております。 HPを拝見しまして驚きました! お怪我をされたとの事で、日々リハビリと大変かと思います。 お見舞い申し上げます。 かなり大きなお怪我で心配しております。 一日も早い復帰をお祈り申し上げます。

■2010.12.17――てらだ紀子さんから問い合わせとお見舞い
伊藤幸司先生
20数年前に登山教室企画でお世話になったてらだです。
ご無沙汰しております。

実は今、ブラジル・アマゾン地帯の「取材」について調べております。
そしてふと、伊藤先生はアマゾンに行かれたことがあるのでは、と思い、さきほど、インターネットで「糸の会」のHPを拝見しておりました。
そこで、お怪我をされたことを拝見し、驚いた次第です。
何も知らずに失礼しておりましたが、大変なことでした。
骨折は治療のあとも、リハビリが重要で大変です。
順調に回復されていらっしゃるようで、何よりですが、
どうぞくれぐれもご自愛ください。

事故にあわれたご様子や、その後の経過のレポートが、
具体的で詳細にわたり、伊藤先生らしく、まるで教材のようです…
とりあえず、遅ればせながら、お見舞い申しあげます。


■2010.12.6――経過のご報告(61日目)
●ケガから2か月になります。
●この2週間は「歩く程度」の動きで「からだをほぐす」というリハビリ以前の調整をしてきました。
●骨は内部からかなり盛り上がってきたようですが、医者はまだ、筋肉を強く引っ張ることで折れた部分がずれることを心配しています。
●この2週間に松葉杖からシングルストックに変えて、すこしずつ長い時間を歩けるようにしてきましたが、ふつうの歩きがなかなかできませんでした。
●簡単にいうとケガをした左足が1cmほど短くなった感じです。重心を傾かせてバッタン、バッタン、足を曲げずに歩けば楽なのですが、右足と同じように動かして歩こうとすると左足のいろいろな部分にストレスがたまります。
●ようやく、5mm短いという感じになったので昨日からストックを完全に手放して、さらにできるだけスムーズに歩く努力をしています。

●骨の問題の次に来るのは筋力の回復です。それがどうなるかわかりませんが「年明けから復帰」という目標を掲げたいと思います。正式にいえば「部分復帰」でしょうが、三輪リーダーと相談しながら、小屋泊まりも含めて、順次再開するということを考えています。
●御迷惑をお掛けしていますが、よろしくお願いいたします。


■2010.11.26――みわ主彦さんから「11c北高尾山稜」の報告
伊藤様
連絡が遅くなりました。北高尾山稜は予定よりも早めに
富士見台につき、暗くなる前に八王子城跡に降りることができました。
懐中電灯をつかうこともなく、残念でした。
お風呂にはいかず、駅まえのソバ屋でビール、てんぷらそばでした。

さくらゆさんは、欠席?でした。総勢は私を入れて15名です。
関場峠から結構急なくだりがあります。みなさんストックワークも
なかなか良く、転ぶ人もいませんでした。私が「皆さん素晴らしい」と
誉めると、「伊藤コーチには誉められたことがない、ぜひコーチに
言ってください」と言われました。一応言っておきます。

ほぼ1ケ月、糸の会に参加させていただき、みなさんと親しく山登りを
させてもらいました。畑君とも50年間の隔たりを埋めることもできました。

先ほど伊藤さんから電話があったとのこと。回復が早いそうなので、
うれしく思っています。伊藤さんが回復されても、しばらくは参加者として
参加しようと思っています。

それにしても、糸の会の方々の伊藤さんへの崇拝はすごいものです。
もうしばらく、その要因をさぐるべく、みんさんと一緒に山登りに参加させて
いただきます。


■2010.11.22――経過のご報告(47日目)
●今日、担当医から、行動の一部解禁を告げられました。
●日常的な歩きなどの範囲で、体を慣らす段階に入っていいということです。
●自宅謹慎をゆるめた生活になります。


■2010.11.17――経過のご報告(40日目)
●10月25日に「16日目」の報告をさせていただいて以来のご報告になります。
●10月9日にケガをして約1週間山梨厚生病院に入院していたのですが、いつでも帰れるように松葉杖を使った歩行訓練を受け、1週間ほどの入院で、電車(特急かいじ)で帰宅しました。
●帰宅後はホームドクターに勧められた近くの病院に通院することにして、まずはX線とCTを撮り、それから1週間毎に4回X線を撮って骨折部に異常が起きていないか監視、4回目の11月15日(38日目)にはCTも撮りました。そのCTによって破砕された骨折断面に新しい骨組織ができ始めているという確認ができました。
●帰宅後二階の仕事場への上り下りには松葉杖を2本使い、念のためロープで確保するという「謹慎生活」にふさわしいタガをはめてきましたが、現在まで骨折部に異常が起きていないということから、今後は歩行も松葉杖1本を補助的に使う程度でいいというお墨付きをもらいました。片手があくことでものを持つのが楽になって「仕事」の領域が広がりました。
●しかし慎重な立場を崩さない担当医は「骨の完全修復には3カ月」という前提で、まだリハビリは許可してくれません。周囲からは、この時期に無理をすると悪い結果が残るという経験例がたくさん知らされるため、妻の監視の目もゆるみません。これから通院間隔は2週間になりますから「自宅謹慎」は続けていこうと思います。

●みなさんには御迷惑をおかけしていますが、年明けのどのあたりからか、すこしずつ復帰できるように心がけたいと思っています。よろしくお願いいたします。

●……で、もうひとつの報告ですが、帰宅後パソコンの前に座れる生活ができているので、これまでなかなかできなかった作業をいくつかすることができました。
(1)1972年のアムカス探検学校(カメルーン〜ザイール〜ルワンダ〜ウガンダ〜ケニア)のリーダーノートをひととおりテキスト化してホームページにアップしました。ブログのほうで半年ほど前に始めたのですが頓挫していました。最後のところであれも新聞ネタになっています。
(2)「キヤノン通信」1988〜2001年というのもアップしました。キヤノンがマスコミを通じて流したレポートのいくつかを再録してあります。女性にはあまり興味がないかもしれませんが。
(3)「オートメカニック」というクルマいじり雑誌で連載した「パーツうんちく学」というのも13回分すべてをアップしました。
●こういう古い仕事をホームページにアップするのは懐古趣味ではないつもりです。学生時代から始まる私の「記録」をホームページに置くことが、いま自分にできること、という意識で続けたいと思っています。
●じつは話はややこしくなるのですが、今回のケガによって古い仲間とのつながりをある程度戻さなければいけないと思い始めたのです。助っ人リーダーに手を挙げてくれた三輪さんがたぶん語っていると思いますが、私の40年前の仲間たちとはここ20年、かなり疎遠になっていました。
●三輪さんがず〜っと裏方として支えてきた「地平線会議」の12月の報告会に出ることになると思います。山の話ではなく、自分たちのちっぽけな記録を宇宙ゴミのように情報空間に投げ込もうというような話になるかと思います。12月24日に文京区方面で開かれるミニ講演会という感じ。正式に決まったらお知らせしますが、そういう「宇宙ゴミ」をつくる作業に没頭しています。
●古い写真も仕事のかたわら順次デジタル化していますが、膨大です。

●それから、ネット上で連載してきた「毎日が山歩き」は小学館の制作からビッグローブ独自の制作に変わって1年になりますが、来年には「ふつうのブログ」になるという方向で話が動いています。そうしたらかなりヘビーな写真ブログにしたいと考えているのですが、まだ、未定の部分が残っています。これもはっきりしたらお知らせします。

●それから、ほんとうはこのために報告を遅らせてきたのですが、昨日新書の打ち合わせがありました。ここでは社名は書けませんが、編集長と担当編集者と、夏に一気に書き上げた原稿の検討を行いました。方針のずれがあって書き直す部分もありますが、大筋で進行可という感じです。出版時期やらはまだ見えませんが、この時期にまた集中した作業をすることになります。

●……というわけで、生活はかなり充実したものになっています。ありがとうございます。


■2010.11.16――おかだ恭子さんからお見舞い
伊藤コーチさま
12月の陣馬山、△にしてください。

お見舞いは、皆様と全くご一緒の心だったので、あえて申し上げませんでしたが、こころから、確実に治され、お早い復帰をお祈り申し上げています。

1)8月の穂高の磯貝カメラマン氏の事故や、数々のベテランであるはずの山小屋の主人の事故など、ベテランのうっかり事故は、実に多いですね。私たちも、気を抜かないようにと思います。
2)でも、さすがコーチは、ラッキーマンですね。
まず、連れて行ったメンバーの事故ではなかった、ということ。これは、最大にほっとなさっているのではないでしょうか。
3)ちょうど、まとめたい本(ドラマチックハイキングの続き)が、大手をふってできる機会ができましたね。
4)全治6ヶ月とありますが、コーチのことですから、奇跡的なリハビリの成功を実現なさるでしょう。

では、さらなる好運をお祈りしています。


■2010.11.16――ふじもと喜弘さんから乾徳山事故に関する「GPSでの捜査」+伊藤からの付記
コーチ殿
その後のお加減は如何でしょうか、お見舞い申し上げます。

このたび、はた芳夫さんの「乾徳山 滑落事故」を拝見しました。 詳しい内容でよく理解できました。レポート有り難うございました。
補足になるかどうかわかりませんが、「事故現場を確定する」箇所でのわたしの経験をお伝えします。

東北の小さな山でしたが、グループの女性二人が雪の道で迷いました。一人は多少経験がある方でしたから無理をせず、尾根筋に上がってから携帯電話から警察にSOSを送り、探して頂く手順になりました。
遭難の場所は小さな湖の周辺でしたが、その尾根筋を具体的に説明するような目標はなく、大体この辺り・・・といった言い方だったようです。
警察(消防?)からは「GPSで位置を確認するから携帯の電源を切らない様に」と指示されましたが、捜査隊に見つけてもらうまで電源が持つかどうか、たいへん心配だったと言っていました。
以後、そのグループのメンバーは、出かける際には必ず充電に心掛けています。
わたしは携帯電話とGPSとが、捜索の段階でどうつながっているのか、具体的にはわかってはいませんが、彼女たちは発見されるまで電源がもつかどうか ずいぶん 気を揉んでいた様子を繰り返し聞かされました。
【コーチから】
●GPSの件は私のレポートにもはたさんのレポートにも触れられていませんが、警察は携帯電話からのGPS情報を取っていました。
●ところが当初、警察側には「大菩薩峠周辺」と出たようです。少なくともあちらの地図には「乾徳山」がなかったようです。
●110番通報時に、受信側の山岳部の地図精度が低かったように思うのですが、その後のやりとりはあの地域を広域に管轄する日下部警察署の地域課に連絡拠点がおかれたようです。救助隊が待つ間、しばしば携帯電話で状況説明を求められたのは「調書」のたぐいを作成するためとされ、それが情報として公開されて地元の新聞記事になるのですが、その担当者の方も乾徳山に関する具体的なイメージはつかめていなかったようです。
 携帯電話のGPS機能は生きていたわけですから、その後救助隊が正確な情報を確認していたのかわかりません。ただ、現場の状況にはまた別の問題あったように思われます。
 登山口にある大平牧場の望月さんがルート指示をしてくれたそうですが、救助隊には乾徳山の登山体験のある人がいたかどうか、疑わしいのです。救助隊は地元消防署のポンプ車の隊員チームだったそうで、それに警察から連絡要員が4人(山に上がったのは2人?)出ていましたが、みなさん「月見岩」も「扇平」も周知の状態ではなかったようです。
●私が流した「5分か10分」というのはもちろん短めの見積もりではありましたが、あれほど大きく違っていたとは思いませんでした。救助隊の皆さんにはその「5分か10分」に2時間の悪戦苦闘をさせてしまって、申し訳なく思っています。
●つけ加えますと、帰宅後のお礼の電話では消防も警察も、引っ張り出された大平山荘の望月さんも、快復を気持ちよく喜んでくださったように聞こえました。そして公務の出動ということで、救助活動にかかわる費用はいっさい請求されませんでした。


■2010.11.14――はた芳夫さんからレポート「乾徳山 滑落事故」
その後、いかがお過ごしでしょうか? そろそろリハビリが始まる頃でしょうか?
昨日は、金時山に行ってきました。土曜日とあってか、金時山山頂は鈴なりの人でした。
旧知の三輪主彦が、地理学教師ぶりを見せながらリードしてくれ、火山・箱根をじっくり眺めることがてきました。
日暮れてからの下りも無事歩けました。まあ、前回の雨の中の下りと比べると、今回は楽でした。
黒川ご夫妻と佐藤さんの姿がなかったのが残念でしたが……。

遅くなりましたが、乾徳山の事故で感じたことを書いてみましたので、添付します。


糸の会山行 乾徳山 滑落事故 2010年11月14日 畑 芳夫

■事故は、あっけなく起きた
 全員が頂上を踏んで、下りの短い鎖場にかかった。確保してもらって順番に下り終えた。ロープを片付けて岩場を降りて来たコーチが、岩場下部のあと数歩でスリップし転落したようだ。ようだというのは、私を含め早めに降りた多くが現場から10数メートル下の登山道で待機していたので滑落現場は見ていない。「ワーッ」という悲鳴があがり、何か事故が起きたらしい、コーチが落ちたようだ、と伝わってきた。
「男の人来て下さい」という声で前に行くと、道にザックが平らに落ちており、それを数人が取り囲んでいた。下からはザックしか見えない。近づくとコーチがザックの下に横たわっていた。とにかくザックを外す。
 しばらく横たわっていたコーチが起き上がり、「いい加減に下ってはいけないということですね」といった。声はしっかりしていたが、左の腰を打ったらしいという。顔は少々青ざめ、相当に痛そうである。荷物を背負えるような状態ではない。
 とにかく下山することを考えなければと思い、荷物を分けることにする。ザックを開けると、まずロープがあり、その下にいくつかのポリタンに水が入っていた。ロープは、永田さんが「私が持ちます」ということで渡す。水は、コーチの了解を得て全部捨てる。その他にもビニール袋に分類された荷物の幾つかを長田さんのザックに入れ、コーチのザックは黒川さんが背負って降りることになる。
 女性6名が別れて先に下るようコーチの指示があった。自らタクシー会社に連絡し、5時に大平牧場にタクシー2台を手配。
 残った黒川、佐藤、長田、畑が、コーチに付き添いながらゆっくり下ることにする。
 一歩歩くごとに悲鳴に近い声をあげながらも、木のはしごがあるところを過ぎ、急な下りをいく。「自分でどういうケガの状況なのかまだつかめていない」と、コーチがつぶやく。足首や大腿部の骨折や捻挫ではないらしい。左足を動かすと左の腰に激痛が走るという。一歩歩いて休み、また一歩という状況。
 途中でコーチがストックとテープで松葉杖を作る。

■救助要請の経過
 松葉杖を作ったが、だんだん痛みが増してくるようで、左足を出すごとに悲鳴が上がる。急な下りの途中で、ちょっとした踊り場のような所に出た。「肩を貸せば歩けますか」とやってみたが、無理。黒川さんから「救助を頼みましょうか」という言葉が出る。コーチも了承したようで、「私が連絡します」と携帯で連絡。コーチの記録では先に119番したようになっているが、私の記憶では最初に110番し「消防にも連絡が必要ですか」と聞いて119番連絡をしたように思う。
 電話のやりとりは、コーチの記録の通りである。同行者の携帯番号も知らせろということで、黒川さんの番号を知らせる。何度か携帯でやりとりがあり、救助隊を派遣してくれることになる。この時、「3時50分」という声があったのを覚えている。
 この間、私は全く時間を確認していなかったし、記録もとっていなかった。事故発生時刻、救助要請時刻、現在位置など、記録として残しておくことが必要であろう。特に時間経過はすぐに忘れてしまう。救助隊の出動要請には調書も必要になるようで、警察から何度も確認をしてきた。
 気がつくと雨が結構強く降っていて寒い。「座りましょうか」と誰かが言い、手を貸して横になってもらう。黒川さんがツェルトを出しくるむ。コーチから、ザックを下に敷いて欲しいという要請があり、ザックを空にして体の下に敷く。寒い。
「救助が来るまでに腹ごしらえをしておいたら」というコーチのすすめで、残っていたおにぎりを食べる。「甘いものでもどうですか」と問うと「だいじょうぶ」という言葉が帰ってきたけど、一口羊羹とだれかのチョコレートを食べてもらう。今日は、水もほとんど飲んでいないのに喉は乾かない。

■救助要請のポイント
 今回の経験から救助要請の要領をまとめてみる。
◆まず警察へ通報してはっきり救助を要請する(110番あるいは管轄署)。
◆消防にも連絡する。
◆伝える内容
・事故発生日時 
・発生場所と現在位置 
・ケガの状況 
・遭難者の住所、氏名、年齢、連絡先 
・同行者の携帯番号 
・現場の状況(天候、状況等) 
・同行者の人数
◆通報が終わっても連絡した携帯は開けておく。警察から確認や問い合わせが度々入る(バッテリーの消耗に気をつける)。 

■現在位置を誤認
 我々は、救助を要請した現在位置を間違えていたようだ。救助要請の電話で「現在位置は月見岩から5分か10分登ったところ」としらせた。少なくとも現場からは30分以上下ったはずだから、登りにかかった時間から下りにかかった時間を引くと確かにそうなる。しかし、痛みに耐えながら一歩一歩進んだ距離は思ったより少なかったようだ。1,800メートルくらいまで下ったつもりだったが、実際は事故現場からそれほど離れていない1,900メートルくらいのところで救助要請をしていたようだ。
 あとで救助隊から「事故現場はどこか」と聞かれたとき、「ここから15分か20分くらい上だ」と答えたが、実際はそれほどかからなかっただろう。
 救助隊に事故現場の正確な情報を伝えるためには、現在位置を正確に確認する必要がある。冷静になって地図を見る必要があると思うが、目印になるものがない場合は現在位置の確認は難しい。携帯GPSを持っていくか、携帯電話のGPS機能を活用する等、何らかの工夫が必要であろう。

■寒さに対する対策
 10月半ばでも2,000メートル近い場所では日没以後は相当に気温が下がる。雨が降るといっそうである。秋山装備のフリースだけでは夜の冷え込みには対処できそうもない。動かないでいると寒い。こんな時ツェルトがあると心強い。黒川さんのツェルトが早速役立った。レスキューシートも各自で持つ必要がありそう。
 私は、今回は天候も良くなさそうだし、岩場もあるので荷物を軽くしようとした。糸の会の山行だからという甘えもあり、当然のようにツェルトはおいてきた。結果として、五人でツェルト一張りしかなかった。いざという時、ツェルトは役に立ちそうだ。パーティーに必要な数をはっきりさせて共同装備として位置づける必要があるように思う。できれば、暖を取るためのローソクも欲しい。
 また、手袋が雨に濡れ手が冷えてしまった。この時期でも、防水手袋か毛糸の手袋を持って来るべきであった。

■4人で幻視を体験
 人は、困難な状態に陥ると、現状を自分の都合の良いように捉えてしまうらしい。
 救助隊を待っている間に、4人で幻視を体験してしまった。救助要請を終えてしばらくたった頃救急車らしいサイレンの音を聞いた。それから1時間半以上たち、そろそろ救助隊がやってきてもいいと思えた頃(女性隊が丁度駅についた頃で、黒川さんが奥さんと電話していた時刻)、我々4人は下から登ってくるヘッドライトの明かりを見た。登山道右手の樹林帯の向こうから明かりが近づいてくる。数も数えられるほどはっきりしていた。月見岩の近くの草原状の斜面を救助隊が登ってきているのだと確信した。ホイッスルを吹いたり大声を出し、コーチにも救助隊が近づいたことを告げる。
 ところが、だんだん近づいてきて手前の樹林にかかるところで見えなくなった。月見岩から樹林帯の登りにかかったのだろうと期待しながら到着を待つが、いっこうに現れない。おかしいな、と思いながらも待つ。
 しばらくたって、救助隊から携帯で「いま登山口を出発する」という連絡が入った。
ちょうど日没後で、手前の樹林は黒々とし、樹林の向こうは薄明るくて、草原のように見えた。実際の登山道はすぐに左へ曲がって急降下していた。我々の右手に月見岩があるはずがないのだが、方向まで間違えてしまっていた。誰も地図で確認もしなかった。
 月見岩のすぐ上にいると思い込んでいたので、何らかの反射光を救助隊のランプの明かりと思い込んでしまったようだ。
 リーダーが動けなくなるというのは、想定外であった。今回は、受傷したとはいえコーチが最後まで指揮をとり、自身で救助要請もした。もしそれができないような状態だったら、もっと混乱したと思う。

■救助隊に自分の位置を知らせる方法
 救助隊から携帯で近づいたことを伝えてきた。「ホイッスルが聞こえるか?」と聞いてきたが、何も聞こえなかった。我々も大声を出し、ホイッスルを力いっぱい吹いた。しかし、ホイッスルはあまり役に立たなかったようだ。こちらも懸命にホイッスルを吹いたが、向こうに聞こえた様子はない。むしろ人声の方が聞こえた。地形によるものかどうか分からないが、ホイッスルは、過大評価しない方がいいかもしれない。

■救助隊が到着
 とにかく下からヘッドランプの明かりが見え、「大丈夫ですか?」と最初の隊員が到着した。次々と隊員が現れる。思っていたより大勢の救助隊を編成してくれたようだ。その後の隊員とのやりとりはコーチの記録通りである。
「骨盤骨折の疑いがある。内臓損傷の疑いもあり、受傷から4時間が経過しているのでドクターカーを出して欲しい。下山には相当時間がかかるので到着時がわかり次第知らせる」等々を連絡。
 救助隊員が、伊藤コーチの奥さんの携帯に連絡し、事故のことを伝え、今から下山するので病院については後から知らせる旨話す。

■搬出用の担架
 隊員が担架を2分割して河童の甲羅のように背負って登ってきた。浅い船型の担架でソリのように滑らせて下ろすこともできる。レスキューシートを広げた上に毛布を敷き、顔だけだして全身をくるんでベルトで固定。
 6名で両側からかかえ、後ろ2名がロープを引いてブレーキ役になっておろしてゆく。「確保」の声でブレーキ役の隊員がロープを引き、ゆっくりゆっくりおろしてゆく。現場から月見岩までは、岩のゴツゴツとした急坂である。登りの時はほとんど意識していなかったが、「こんな場所があったかな?」と疑問に思うほどの急坂が延々と続く。月見岩までは全く休憩も取らず黙々と進む。
 我々4人は、黒川、佐藤、長田、畑の順で救助隊の後ろについて下っていった。
 月見岩の先の分岐で小休止。月見岩からは、右に曲がり避難小屋跡へコースを取る。道が平坦になりスピードが上がる。
 避難小屋跡には、軽トラックが2台待機していた。すぐに軽トラックに乗せ、林道を下っていった。
 
■ヘッドランプ考−−もっと光を
 私のランプは、National製(BF-264)LEDであった。Panasonicでないことからわかるように年代物だが、今まで山小屋やテントサイトで使うには十分な明るさであった。超小型でペンライトよりもかさ張らず、いつも持ち歩くことができ、街灯のない田舎の夜道でも強い味方であった。ライトはこれで十分だと思っていた。しかし今回の経験でもっと明るいライトがどうしても欲しくなった。
 雨が降っていて月明かりのない夜、岩がゴツゴツした急な下り、尾根筋の比較的平坦な山道、草が伸びている林道を歩いた。岩場の下りは、ゆっくりだったのでそれほど不自由はなかった。平坦な山道になってスピードが上がるととたんに不自由になった。この明るさのランプではすぐ近くしか見えない。何度も浮石を踏んでしまった。林道にかかるともっともっと不自由になった。救助隊員と一緒に下り始めたのだが、皆相当なスピードで歩く。歩く速度が上がると足下だけでなく数メートル先も見ていないとついて行けない。
 昔の人は、提灯だけで闇夜を歩いたのだから慣れればできるはず、だとは思う。しかし、寄る年波には勝てない。目の老化は、こんなところに出てくる。老眼で近くが見えなくなるだけでなく、暗さへの適応力も無くなっている。「もっと光を」である。
 照度の切り替えと共にワイドとスポット光の切り替えができること、赤色もつかえること、どこでも手に入る単3か単4電池使用を条件にできるだけ小型で明るいランプを探してみた。結果は、PETZLのTikka xp2を大枚はたいて買ってきた。
さっそく11aの金時山で使ってみた。満足のいく結果であった。
 加齢による肉体的なハンディは、道具で補ってみることも必要である。


■2010.11.9――はやし智子さんから「コーチ。お元気ですか?」
伊藤コーチ殿
その後 リハビリは いかがですか?
退屈は していませんか?  なーんちゃって。
コーチのことだから 怪我のリハビリの経過を 興味深く リポートと云うか 研究と云うか お仕事
なさっておられるだろうと 思っています。

先日 東松山発 スリーデイマーチと云うものを 体験してきました。
糸の会の 先輩方に魅惑され 糸の会では若手<ほんとか???・ほんと?>の われら 美女3人も参加。
秋の 一日 20キロ歩きました。
先輩がたは 平気の平左のようでしたが 私は 次の日 プールのジャグジーで いてててて・・と 美女らしからぬ
うめき声で リハビリに励みましたのよ。腰の。
先生 糸の会の 先輩方って 恐るべし ですよネ! あんなに歩いても ケロリですもん。

私の一番 上の姉は 72歳です。 53歳で教師を リタイアしてから 社交ダンスで 燃えに燃えていたのに
最近 いきなり 元気がない。  小さくなってしまって 悲しいです。
糸の会の 先輩方も 死んでも死なないで頑張ってほしい。
こんなことを思うのは 64歳という なんか 年齢みたいなことを 感じるからでしょうね。

スーパーマンみたいなコーチが 怪我して なんか がっくり。
面白い所に コーチにくっついて あちこちといってこれたし コーチが山を辞めたら 私も もういいかな!
なんて 思ってました。 それが 私だけじゃなくって 結構 いっぱい いるのでした。

50歳で コーチに出会ったときには コーチも50歳で 今から思うと 凄く 若かった。
私も 50歳って仕事するか 仕事はやめて 好きなことするかって 迷い それでも迷いが吹っ切れて
山歩きとバレエを始めました。 絶対 人生を 後悔しないために。

人間は やっぱり 年をとるんですね。
それだけは 避けられない。 日夜 踏ん張って 健康とか 心の安心とか そういうことを 頑張ってますけど
うちの ごんちゃん<夫>も 年取った。  白髪が増えたし 背中が丸くなったもん。
ごんちゃん 頑張れよ ありがとよ・・・と 応援してるけど いつかは おわかれよね。

寒くなってきて 年末が 近づいてくるから 気も弱くなるんでしょうか。
でも 朝カル水曜クラスは 今年も 元気よく 忘年会やりますよ。 有志で。2次会は 踊る狂うと云うことに
なるかもしれませんが。 コーチ 来年は みんなで 忘年会やりましょうね。

今日は 秋の風も吹き なんだか さみしい! 
コーチ 元気で 復活して下さい。
待っています。


■2010.11.5――むらかみ素子さんからお見舞いのハガキ
前略
先程「糸の会」を開いてみまして先生のことを知り、驚いている所です。
遅ればせながら、お見舞申し上げます。
もう大分よくなられていることだと思いますが、一日も早く完治なさいますよう。
どうぞ、お大事に。
完治をお祈り申し上げます。


■2010.11.3――あんどう昌子さんからお見舞いのハガキ
おくればせながら
お見舞い申し上げます。
びっくりしましたが、経過は順調のご様子。安心しました。
何人かの人がご指摘しているように、今後は状況に応じ、リュックの荷重を考慮なされますよう……
まだ時おり強い痛みがあるとのこと、無理なさらぬよう、ご自愛下さい。
お会いできるのを楽しみに、月1の山登りを続けます。


■2010.10.30――いとう義子さんから「お見舞い申し上げます」(手紙)
前略
御無沙汰致しました。
長期間留守をし、帰宅してホームページでコーチが怪我をなさったことを知りました。今は自宅でリハビリ中とのこと、おそくなりましたが、御見舞申し上げます。
長い間お休みもなく山行を続けてきましたので、このへんでお休みをしたらと、神がくれた休養日と思います。すっかり良くなるまでお休みして下さい。


■2010.10.30――さとう時子さんからの事故レポート(ファクス)
沢山のレポートありがとうございました。 順調に快復なさっているご様子に安心しております。一時はどうなることかと呆然としました。当日の夜は、一睡も出来ないほどのショックでした。ようやく先が見えて来たお知らせに、気持ちも落ちつきました。 それにしても、未だに思うことは、あれだけ慎重に的確な指示を出すコーチが、何故と云う事です。 まず、思いつくままに、 (1)連続する岩の上り下りに要した時間でコーチの体は冷え切っていたと思います。 (2)あの岩の中間の位置に下り立つはずが、なぜ、思いもよらない右の端っこにうずくまっていたのか。どの岩か、右側にもう一本真新しい大き目の鎖があって、それを持って下りたかと……これは私の勘違いでしょうか? (3)しばらく身動きも、声もないあの瞬間は、心身共に固まりました。 (4)又、その直後の行動、激痛をこらえて、梯子を上がったこと、鎖の岩をさけて急な下りに耐えたこと。 (5)そして、一息つくも、後の指示はケイタイを出して、タクシーを2台、女性を先に下山させたこと。その気遣いは心にひびきました。 (6)下り始めて、間もなく救急車、パトカーのサイレンが聞こえて、大変なことが起きたと実感しました。 (7)女性だけの下り、永田さんがいてどんなによかったかと。私は後についていましたが、永田さんから、二人で確かめながらと前に呼び出されましたが、例のごとく私には登った道がもうわかりませんでした(大きな反省です)。彼女は道に夢中で歩きが早くなるため、後の4人が焦って危ないと思い、永田さんの後についてよかったと思います。 (8)あと1/3ぐらいの頃からか、登った道とは違うとはわかりましたが、しっかりした道で、なぜか下の林道を感じましたので永田さんを信じて歩きました。 その間、雨もひどくなり、後の4人には不安を与えたと思います。 又、誰かが出した地図は濡れていましたし、地図をゆっくり見る余裕がありませんでした(反省) 暗くなる前におりた林道は少しずれていましたが、そこに小型のトラックが通りかかり、乗るようにすすめられて助かりました。 そしてパトカー、救急車など、その物々しさに驚き、運転手の若者に丁寧なお礼も言わずにタクシーに乗り込みました。 今回のことでは沢山のことを考えましたが、女性だけの不安な下山の時も、永田さんの経験、またこの時事故を起こしてはならないと云うそれぞれの自覚、後尾にいる川島さんとみんなの安全を確認し、振り向く毎にうなずき合ったことも忘れられません。 知り合って間もない者同士がこういう時に心が一つになった行動が経験できたことは、伊藤コーチにいただいた賜物です。又、これからもすぐに継続して下さったことに大変感謝いたします。 とにかくコーチの一日も早い回復を待っています。あせらず治して下さい。 私としては月2回を目標にして三輪コーチを先頭に後の方でおとなしくついて歩きます。「a」と「c」を「○印」でお願いいたします。

■2010.10.27――みやもと幸江さんから「お見舞い申し上げます」
伊藤コーチ殿
痛みは楽になられましたでしょうか?
遅くなって申し訳ありません、心よりお見舞い申しあげます。
事故のレポートを読み、雨の夜の山の寒さ、レスキューされる
様子が伝わり、無事病院に行けて本当に良かった!と思いました。
安静にされて、日にち薬でゆっくりと回復されるのを
願っております。
どうぞお大事になさってください。


■2010.10.25――みやもと千晴さんから「加圧トレーニング」の提案
伊藤幸司 様
腸骨は本来の形のまま固まろうとしている訳ですね ?
よかった。それなら問題はなにも残らないのでしょう。

わたしの場合は右の肩甲骨が割れて、2日ほど腕を体幹にしばりつけて固定していたため、二枚が20〜30度開いたまま半分が重なって固まったため、右肩が下がるだけでなく、背骨が大きく湾曲した状態で安定してしまいました。胸部のレントゲンを撮るたびに驚きます。まあ、今風にいえば医療ミスですね、自覚する障害はあまりないにしても。

右だっけ ? どんな風に固定しているわけ ?
できれば「加圧トレーニング」を使ったリハビリを試してみるといいんだけど。筋肉中に乳酸を量蓄積させて脳をだまし成長ホルモンを大量に分泌させる、という方法だからね。治りが早いだけでなく、筋肉を衰えさせなくてすむみたい。伊藤君の病院がリハビリに取り入れてくれていればベスト。リハビリの資格を持っている加圧のスタジオは少なくて、靖国通りと明治通りの交差点近くに健康大陸03-6380-6981というのがひとつあるが、病院ではないから高い。

わたしは2008年の1月に所定の講習を受け(でないと売ってくれないので)筋力アップ君EXというベルトを購入して以後ほぼ継続的に使っています。セットする部位と、静脈流だけを制限して動脈流は制限しないというしめつけの強さが重要なポイントなんですが、これを誤ると有害で効果はない、というのがやっかいで、そのために講習を要求するわけです。腕の方は自分でも適当な部位と締めの強さはすぐ分かります。しかし脚の方は、とくに伊藤君のように鍛えた脚は、自分ではなかなか掴めません。結果として最初以外に指導を受けなかったわたしの場合、期待するほどの効果ではない反面、足先に軽いしびれ感がつづいています。つまり効果はあるが少し有害、という状態です。最近になってやっと締める部位が脚の付け根に近すぎて神経を圧迫しているためらしい、と分かってきました。締めの強さと時間の方もやりすぎると肺や脳の血栓の可能性が出てきます。

しかし、入門用、自宅使用用に作られたKAATSというTシャツ・短パンに組み込まれた(外せる)ベルトなら、脚を危険なほど締めることはできないようなので、試してみるならこれがよさそうですね(といってもこれも購入時に講習を要求しているのですが)。以前はフェニックスが製造販売していましたが、高価で売れ行きが伸びなかったのか、最近はゼノアにゆずったようです。伊藤君の場合はこれをヤフ・オクあたりでごく安く入手すればいいのではないかと。

なお、成長ホルモンの分泌がいま一番欲しいものだから、脚に使えなくても腕に使ってやればいいのです。もちろん脚に使えれば、脚の衰えを防げるだけでなく、乳酸を生む筋肉量が腕とは違うから成長ホルモンの分泌量も多くなるのだとは思いますが。

まあ、余計な押し売りの類だね。でも、この機会に調べて見てください。東大の付属病院に寄付講座も持っているから。


■2010.10.25――さかいみちこさんから「三頭山」の件
伊藤コーチ様
三頭山のご連絡ありがとうございました。
中止だとばかり思っていました。
計画書も今日届きました。

怪我の回復は順調でしょうか?
ゆっくりと養生されて完全復帰してから
又、私達を山に連れて行って下さい。
お待ちしています。


■2010.10.25――やまさき野乃香さんから「お見舞い、御礼、欠席のお願い」
その後、いかがお過ごしですか? お大事になさってますか。
この度は、寝耳に水、目はテン、晴天の霹靂でございました。
もう耳タコとは思いますが、異口同音で言わせていただくと
荷量を半減なさり、この先もどうぞ私共のために細く長く
糸の会コーチをお続け下さいますようお願い致します。
この世の出来事に偶然はひとつもないそうですが、コーチのことです、
転ばれてもただでは起きず、どのような内的発展の境地を開かれるか
ご報告が楽しみです。

おかげ様で私も今秋で糸の会5周年となりました。
穂高3回シリーズも無事参加でき素晴らしい記念となりました。
ありがとうございます。
穂高では行き違う登山者に「ダブルストック」を心配されること再三再四。
これは予想以上の回数と熱心さ。糸の会入会以来ストックの恩恵ぬきには
始まらない私ですが、穂高ももちろん、三点支持に両手両足、ストックは
両手首の長いアクセサリーと化す場面も多々あったものの、やはりダブルストック
なしには考えられない登山でした。ご注意下さった方々には「ストック教」の
熱心な信者と思われたかも!

コーチのご指導のもと、気持ちのいい仲間に囲まれ、5年という浅い経験ながらも
自分の歩き方にもそれなりの主張とスタイルができてきたかなと思います。
それは単なる技術だけでなく、自らの身体感覚に対する意識と自然と一体になって
歩むという内的なものを含みます。大仰な事を考えているわけではないのですが。

明日、三輪(大明神?)におめもじかなわず残念ですが、所用のため三頭山欠席致します。
どうぞ、この際あちこちを緩めて、ご養生くださいませ。


■2010.10.25――とくやま由美子さんから「三頭山」参加
伊藤幸司様
お怪我をなさったことを、少しも知らずにおりました。先程、パソコンを見て、驚きました。
どうぞお大事になさって下さい。
明日の三頭山には、参加するつもりでいます。
よろしくお願いします。
明日の詳細は、三浦陽子さんにお聞きしましたので。


■2010.10.25――★経過のご報告(16日目)
経過のご報告
本日(10.25)病院で3回目のX線写真を撮りました。
緊急搬送された10.9深夜と自宅に帰って再検査した10.18(このときにはCTも撮りました)に次いで3回目です。事故から16日目に当たります。
幸い、腸骨の折れた部分に変化はありませんでした。接続部にゆがみが出てはいないということで、内部からの修復を待つだけです。
痛みも変化しました。事故直後から立つことはできたのですが、現在も体重をかけるだけならほとんど問題はありません。ただ、左足を動かすと、動かされた筋肉によっては骨折部を引っ張るかたちになるため、突然強い痛みが襲いました。くしゃみをするとその痛みが出ていました。
そういう強い痛みが出なくなりつつあります。くしゃみでも、ベッドでの乗り降りでも痛みの心配が小さくなっています。
これからは飲んでいた痛み止めも止めてみます。問題がなければいいそうですから。
あとはCTで折れた部分の小さな骨片などいわば破砕帯が固まってきたのを確認できれば次のステップに移れるようです。
ともかく、あと1週間ないし2週間は自宅謹慎を続けます。
あすは強力助っ人の三輪さんにお願いした「10c三頭山」です。
三輪さんはこの週末、会津で「伊南川2010ウルトラ遠足」というのを主催していました。ブログにはこう出ていました。

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朝5時に339名のランナーが伊南小学校の大イチョウの前をスタートして、桧枝岐へ向かった。桧枝岐からさらに尾瀬の沼山峠に上り、そこで一息ついて御池にくだり桧枝岐に戻り、さらに林道を木賊(とくさ)温泉まで山越えをする。速いランナーは大丈夫だろうが、たいていのランナーはこの山越えで日が暮れる。
 ふつうの100kmウルトラマラソンでは、トップは7時間台で帰ってくる。しかし沼山峠への山道は距離5.6kmで高度差700mある。こんなマラソンは他にはない。本物の山道で、とても走ることなどできない。どんなランナーでも1時間はかかるだろう。木賊温泉への山越へも高度差は400mほどある。トップでも10時間を切るのはむずかしいだろう。
 制限時間は16時間、午後9時が最終時間だ。たぶん完走率は50%ぐらいじゃないかと予想していた。私は沼山峠を担当していたが、35キロでみなさん6時間ぐらいかかっている。これじゃもっと率は低いかもしれないと思っていた。しかし最終走者を見届けて戻ると、ランナーは後半でも結構走っている。そして真っ暗になった8時過ぎ、なんと300人近くが戻ってきた。完走率は80%近くになりそうだ。
 とてつもなくひどいコースだと言いながら、みなさん感激のゴール。コースづくりをした本人としては、怒られたり喜ばれたり、これでよかったのだろうかと、複雑な感じだが、でもよかったのだろう。
────
 
*三輪さんのブログはこちら


■2010.10.23――かとうのり子さんからのハガキ
前略
先生、お加減いかがでしょうか。夏山では大変お世話になりました。
私も月一回の山歩きを始めて丸三年になりました。ここまで続けられるとは思っておりませんでしたが、だんだん欲が出てきて、思いがけず北アルプスまで連れて行ってもらうことが出来ました。今は、10年ぐらいは続けてみたいと思う様になりました。
お身体快復したら、またどうぞ宜しくお願い致します、
一日も早くと言いたいところですが、どうぞご無理はなさらないでしっかり治して下さい。
早々

次にお会いするのを楽しみに致しております。


■2010.10.23――みかみ洋子さんから「お大事に」(ファクス)
伊藤幸司様
下半期の申し込みをと思い、ネットを開いてみて大変ビックリいたしました。
信じられないことですが現実だったのですね。
退院されてリハビリ中のようですが呉々もお大事になさって下さいませ。
とりあえずお見舞い申し上げます。
山行予定はもう一度検討の上、改めて申し込みをいたします。


■2010.10.23――やまもと良彦さんから「三頭山参加します」
伊藤コーチさま
その後如何ですか。暫くは安静にして骨が固まるのを待つとのこと、
とにかく焦らずゆっくりと治してください。
さて三頭山に参加します。中止になったとばかり思っていたのに
お手配いただき有難うございます。
三輪先生に会えるのも楽しみです。
なお、11cの北高尾山稜は日程の都合がつかなくなったので×にしてください。


■2010.10.23――こまつ恒彦さんから「お見舞い」
伊藤コーチ様
事故のお見舞い申し上げます。 
稲葉様より、コーチが怪我をされたので尾瀬は中止との連絡をいただいた時は、何が起こったのか、まさかコーチがとびっくりしました。幸い大事に至らずお元気な様子なので安心しました。
コーチでも事故るという事は、初心者の私はいつ事故ってもおかしくないのだなと改めて感じました。緊張感を失うことなく、コーチからいつも厳しく指導していただいている事を忘れずに、というより頭で考えることなく身体そのものが反応し動くようにならなければという思いです。
ごゆっくり養生していただき、元気なお姿でまたご指導お願い致しします。
まずはお見舞いまで。


■2010.10.23――たい睦子さんから「本3冊届きました」
伊藤幸司コーチへ
本日、本3冊届きました。早速のお手配ありがとうございます。
ちょうど、我家で末娘の誕生日パーティーを開きますので、今日渡せます。
郵便局が近いので、来週、ゆうちょ口座へ振り込みます。
ありがとうございました。

先日、「初めての山歩き」(主婦と生活社)を読み返しました。
23年も前のコーチの著作です。充実した盛沢山な内容で、読み応えがありました。良い文章で読み易く、素晴らしい本と思いました。
およそ20年後の「ゼロからの山歩き」がどれくらい進化しているのか、読み比べたいと思います。
「がんばらない山歩き」は目を開かれる思いで感動ものでした・・・。
(人に貸してそのまま戻ってきておりませんのが残念。)
「ドラマチック ハイキング」はナウくてオシャレ!!コーチの写真がとにかくどれもこれも素晴らしいです。若い世代にはこのような編集が受けるのでしょう。津田沼・丸善の棚にあって嬉しかったです。


■2010.10.23――みうら陽子さんから「10C出席」
伊藤コーチへ
遅ればせながら、お見舞い申し上げます。
退院なさって一週間、私たちも事故を聞いた時より落ち着きましたが、コーチも少しは楽になられたでしょうか。
今月のCは中止だろうと思っていましたが、あるとのこと。
出席しますのでよろししくお願いします。
治療は長くかかるかもしれませんが、
どうぞお大事になさってください。


■2010.10.22――にしのや澄江さんから「お見舞い申し上げます」
伊藤コーチへ
糸の会のHPでコーチのお怪我を知り、大変びっくり致しました。
心よりお見舞い申し上げます。
ともかく大事に至らなくて何よりと思いますが、心配しました。
その後、いかがでしょうか。
ゆっくりと休養され、お元気になられたら、また私たちを山に連れて行ってください。
お待ちしています。


■2010.10.22――つちや千鶴子さんから「お見舞い申し上げます」(手紙)
伊藤コーチさま
この度の事故をお見舞い申し上げます。
当日は千葉も雨は朝からシトシト降って午後から本降りになりました。乾徳山の山行はどうしているかしらと気になりました…。
月曜日(11日)千葉市内のデパ地下ではやし智子さんとバッタリお行きあいして、コーチのお怪我を知りました。
17日のH.P.の更新で事故の詳細を知り、大変驚いております。お連れしたみなさんを下ろされ、安堵された隙間に魔の手が入ったのですね。
私がリハビリで通院している作業療法士氏に聞きましたら、腸骨で止められたのは幸いとの事、脊髄がすぐお隣だそうですね。
私は11月の朝日カルチャーセンターの体験講座を手始めにボチボチ始めようかと思っております。左手の握力はまだ元に戻っていませんが、軽い山行なら大丈夫でしょう。ドクターもすすめておりますし。
富士山でお借りしたロープです。それとお好きなコーヒーをお見舞いにお送りします。
「転んでもただでは起きない」……ちょっと不謹慎ですが、これからの治癒、追跡レポートをH.P.上で楽しく拝読させて頂きます。
復帰にはお時間がかかるようですね。私は今しばらくご指導頂きたい思っておりますので、会員の皆様同様首を長くしてお待ち申し上げます。
一日も早い回復をお祈り申し上げます。


■2010.10.22――くろかわ恵美さんから「ツェルトを受け取りました」
伊藤先生、
本日、ツェルトが届きました。
まだ安静中だと言うのに、早速、送って頂き恐縮しております。
ありがとうございます。m(_ _)m

先生からメールも頂きながら、返信もせず、また宅配便の送料は、梱包袋込みでも、2000ぐらいでしたのに、過分なご配慮があり、戸惑っていました。
改めてお礼申上げます。
先生の奥様からも、早速お礼のお手紙を頂き、私達のしたことは、当然のことをしただけなのに、少しはお役にたったのだと思いました。

同封の事故レポートを読ませて頂きました。
私も、やっと学校の中間試験の準備が出来たので、1番の目撃者の主人と共に事故レポートを書きたいと思いました。
それにしても、先生の回復力は、すごいですね。
さすがです。
主人と二人で感服しております。
どうかしっかり安静して、リハビリに移行してからも、焦らず治療に専念してください。
私達1年生は、先生の復帰を待ち続けています。

奥様にもくれぐれもよろしくお伝えください。


■2010.10.22――いちむらやい子さんから「10c三頭山について」
連絡有り難うございました。
前後してしまいましたが、お見舞い申し上げます。
実は、娘の第二子出産予定が11月半ばだったのですが、10月9日に早産で出産しました。
仕事をしながら娘の家の手伝いをしていますので、時間に追われ走りまわっている状態です。
山登りが嫌いだった私が、コーチと出会って月一登山でも心身共にリフレッシュして帰れる事を知っている娘が、山には行って来て!と言いますので、参加できるのを嬉しく思います。
コーチ、ゆっくり静養されてお元気に復帰される事をお待ちしております。


■2010.10.22――ながつか勇三さんから「お見舞い申し上げます」
びっくりしました。 知らずに連絡してしまい、失礼しました。 お見舞い申し上げます。
ゆっくり養生なさって、又ご指導ください。 再開を楽しみにお待ちします。


■2010.10.22――こばやし美子さんから「お見舞い 申し上げます」
大勢の方から見舞いやら励ましやら
人生一度はこんな休みをしなくてはならない時があるものですね

私も以前痛みがあって病院へ行ったら、そのまま入院ということがありました。
そんな 突然お店休めない・・・すぐお客さまはどうしよう と思い頭の中は真っ白で
どうしたらいいのか わからなくなりました。 予約のお客さまには家の者が連絡をとってくれたり、
いろいろ手続きをしてくれたりして・・
なんとかなるものですね。
まわりの者が助けてくれるものですね。 なんとか落ち着いた時には こんな時を過ごすのもいいかぁ〜
なんて思い心が落ち着きました。
いくら自分の体に自信があっても やはり日がたたないとダメですね
コーチも
いままで休む事もなくきたので 休みなさいという事なのでしよう
もう多分心も落ち着いてきているとおもいますが よ〜く治して
又 私達にご指導お願いします。
     もしかして ふっくら しちゃうかも・・・


■2010.10.22――さわむら 榮男さんから「事故のこと」
伊藤様
事故の状況を拝見しました。
事故はちょっと気を抜いたときに起こるものですね。
いつも単独行動をしているので、この点にはいつも気をつけているつもりですが、改めてなんでもないところでの事故には気をつけるようにします。
1日も早く回復されることをお祈りしています。

私の方の状況ですが、最悪の場合野宿も頭に入れてトムラウシ日帰りの計画をたて、もし成功した場合南アルプスの荒川岳から光岳までの縦走を計画していたのですが、トムラウシに行く前日あわや正面衝突という事故を起こしてしまいました。
幸い体には何も異常がなかったのですが、車が大破してしまったので断念して帰ってきました。
その後車のない状態が続いたので、日程的な問題もあり、南アルプスの方も、荒川岳と赤石岳に登っただけで帰ってきましたので、ちょっと不完全燃焼の感じです。
来年はまた最初から計画を立て直したいと思っています。


■2010.10.22――さくらゆ佐知子さんから「どうぞ お大事に」
伊藤コーチ 殿
遅くなってしまいましたがお見舞い申し上げます。
実家より戻りましたら稲葉さんからコーチ怪我のもようで尾瀬行きは中止になります、との連絡が入っておりびっくり。
詳細は不明でしたので、もしや乾徳山のあの山頂近くの大きな岩場から転落、と思い大怪我をされたのではと思いました。
年中無休でこれまでやってこられたのですから、骨折がしっかり治るまでどうぞゆっくり休養を。


■2010.10.21――こうの卓さんから「お見舞い」
伊藤 様
10月17日から出張に出ていましたので、お見舞いが遅れてしまいました。
申し訳ありません。
千葉カルチャーから「伊藤先生が滑落事故で怪我をされ16日の小楢山は休講」との連絡が入った時はびっくりしました。まさか先生が・・・。
事故のレポートによりますと、1週間で退院できたとのこと。大事にならなくて何よりでした。
復帰までは6ヶ月ぐらいかかるようですが、神がくれた休養だと思い治療に専念してください。
絶対に無理はしないでください。
そして春暖かくなる頃、元の姿(荷物だけは軽めにして)で再び私たちを山に連れて行ってください。
待っています。


■2010.10.21――たい睦子さんから「Re: お花ありがとうございます」
ご丁寧なメール、ありがとうございます。
お花は、土曜クラスのみなを代表して、鈴木さん、加藤さんと3人で 選びました。元気が出るようにと、オレンジ、赤でまとめたのですが、
まとまりのない花束になってしまいました。秋色ですので、山の紅葉を連想してください。

31日(日)には土曜クラスの有志・7,8人で荒船山へ行きます。
コーチがいらっしゃらないのですから十分気をつけます。
みな自分や周りの状況を考え、行ける時にと思っているようです。

コーチさま、年々歳々、ご多忙に拍車がかかっていたご様子。
きっと、ここらでちょっとゆっくりするようにとの、天の采配なのかもしれませんね。
早く痛みがとれ、骨がくっつくといいですね。

「ゼロからの山歩き」まだありますでしょうか?3冊お願いしたいのですが。娘たちも山を歩きはじめたので、読ませたいと思います。
急ぎませんので、動けるようになられてから、お手配ください。


■2010.10.21――はやし智子さんから「コーチ。お大事に!」
伊藤コーチ殿。
その後は いかがですか? 
このさいだからと デスクワークを こなしておられるコーチの 姿が目に浮かびそうです。
怪我による もろもろの体験談は こう言っては何ですが 大変 面白かったです。
コーチの いつもの明るい笑い声が 一緒に聞こえてくるようでした。

私たちは いつの場合も コーチにべったりと くっついて ただ 後をついて楽しい 山歩きを つづけてくることができました。
この楽しかった 15年ほどの 山歩きの 日々は 私たちの 宝であります。
私たちが 老いて 歩けなくなる ちょっと 手前まで もう少し コーチに くっついて 山歩きが 続けられたら ほんと 幸せです。だから コーチ ゆっくりと ご回復なさいますように。
凄い 山じゃなく 近場の 山歩きでも いつも 楽しかったですもの。
今後の コーチの ご活躍に 超・期待して・・・・ フレーフレー・コーチ!

*ほんとは コーチ怪我の一報には ぞっとして 固まってしまいました。
コーチの 元気な声を聞くまでは 倒れてるんじゃなかろうか・・と 気が気ではありませんでした。
軽くすんで<?> 良かったです。 ほんとに。ほんとに。


■2010.10.21――なかむら泰子さんから「お見舞い」
伊藤様  
本日、HPを見てお怪我をされたことを知り、びっくりいたしました。
早く完治されることを願っております、が、くれぐれも無理をなさいませんように。
10Cのかわりに「ドラマチックハイキング」を参考に、筑波山にでも行ってみようかなと、思っております。
とりあえずお見舞い申し上げます。


■2010.10.21――はた芳夫さんからレポート「とりあえず安心」
伊藤 幸司様

救助隊が到着して診断後すぐ「骨盤骨折の疑い。事故から4時間たち内臓損傷の恐れもあるのでドクターカーを要請」と報告をしているときにはぞっとしました。でも、その恐れは杞憂であったようで、まずは「良かった」という思いです。

今回の事故から学んだことは多々あります。それについては、後日レポートを提出します。ただ、明日から来月初旬まで所用で日本にいないので、レポート提出は来月になってしまいます。お許しください。

コーチの報告を読んでいて、ちょっと違うかなと思ったのは、救助要請の順序です。最初に110番に連絡し、その最後で「消防にも連絡したほうがいいですか」と聞いて119番したように私は記憶しています。別にどうでもいいようなことですが、救助隊は警察と消防の合同チームでした。最初にやってきて症状の診断・連絡したのは消防。搬出のコース等は警察が指示していたように思いました。たぶん最初の一報は所轄署ではなく県警の救急センターに繋がったので、乾徳山についての知識はなかったのだろうと思います。山岳救助はどちらに連絡しても警察が管轄すると聞いております。

救助隊員たちは、長野や富山県警とは違い、山慣れしている様子はなく、長靴の隊員もおり、時には滑って転んだりして相当に苦労していました。でも黙々と行動する隊員たちには、警察嫌いの私も(バリケードに突入してくる機動隊の怖さを経験しているもので)感動しました。

コーチの荷物の多くは、黒川さんと長田さんに背負ってもらいました。ツェルトは黒川さんのものです。いつもは私も持っているのですが、今回はなるべく荷物を軽くしようと思いカメラともども置いていってしまいました。ツェルトを持つか持たないかで天国と地獄になることを少し実感しました。黒川夫妻にはコーチの荷物の後処理も全部おまかせしてしまいました。誕生祝いの小布施旅行もフイにされたようで恐縮です。

また、はからずも三輪主彦の名前が出てきたことに少々驚いています。彼は、50年前からの知り合いです。つまり、高校の同級生です。地平線会議や『あるく・みる・きく』誌で一緒の活動をしていることは知っていました。確かに彼なら、いまだに山を走って登るようなバカなことをしているようですから、伊藤コーチの代役を勤められるでしょう。私にとっては、彼は超人です。彼も大腿骨折から不死鳥のように復帰しました。

糸の会の皆様、「走る地理学教師・三輪主彦」は絶対おすすめの代役です。私が保証します。

最後に、事故当日すぐ奥様から私宅に連絡を頂きました。また、後日経過報告の手紙もいただきました。事故と聞いて相当動転されていたはずなのに的確な連絡をいただき恐縮しております。この夫にしてこの妻あり、なのか、この夫に似合わぬ良妻なのか……?!


■2010.10.20――さいとうふき枝さんから「本当にびっくりしました」(ハガキ)
前略
この度の事故の件では本当にびっくりしました。
あの日、佐倉は秋祭りの中日で生憎の大雨。「この雨の中でも糸の会のメンバーは一生懸命登っているんだなあ」と心を馳せておりました。翌日事務局(朝日カルチャーセンター千葉)から電話をいただいたときには「えっ?」という感じでした。
小楢山はたいさん、こうのさん始め、皆さんのおかげで楽しく行って来ました。(わかまつさんも旧資料を用意して下さいました)
カラマツはみな茶色になって無残な姿をさらしていました。タクシーの運転手さんによると「今年はおかしい」とのことです。
どうぞ無理をなさらずゆっくり休んで下さい。又、新生朝カル&糸の会お待ちしております。
伊藤コーチ様
*パソコンダウンのため、久し振りに葉書などしたためました。


■2010.10.20――さとう慎吾さんから「レポート読みました」
順調な回復のご様子、安心しました
私も、希望していた、雨と夜という経験を
図らずも一度に得ることとなり、
ことの成行きの不思議さを感じています
以降もよろしくお願いします


■2010.10.20――おか有子さんから「お見舞い申し上げます」
伊藤 幸司様
ご無沙汰しております。
ホームページでお怪我のことを知って、びっくりいたしました。
山から離れていましても、現役の方がたと同じように コーチのご回復をお祈りしています。
どうぞくれぐれもお大事にしてください。


■2010.10.20――いしかわ和美さんから「お大事に!」
久しぶりにホームページを見てびっくりしました。
コーチがお怪我! 
・・・お伝えしたいことは既に寄せられた皆様のお見舞いと同じですので繰り返しませんが、どうぞお大事に。
私事ですが、今冬肩を痛めたとき、軽くみて(みたかった)初期のケアをおろそかにした事が、結局治癒を長引かせているようです。
また元気に山で指導していただける日をお待ちしています。
以下は参加予定の連絡です
11a 金時山ー○ ,  11c 北高尾山稜ー△ , 12a 陣馬山ー○
1a 三つ峠山ー△, 1c 大山ー  ○  , 2c 蕨山ー ○
以上宜しくお願いします。


■2010.10.20――かわた恭子さんから「お見舞い申し上げます。続き」
伊藤コーチさま
先ほどに送付しましたメール届きましたでしょうか。
あれよあれよといってる間に下書きに入りそれを送ったつもりですが届いてない可能性、大です。
後でよく探し、送りなおしします。
相変わらず機械もの全て苦手です。お許しください。
どうぞご養生、御静養に努められなるべくの早いご回復を願っております。
お待ち申し上げてます。


■2010.10.20――かわしま登美枝さんからあの日の状況報告
伊藤コーチ殿
事故の翌日大変な状況の時にもかかわらず、参加者全員に電話連絡をいただきありがとうございました。
お声を聞いて少しは安心しました。
でもあの時の痛がりようは尋常ではなかったので、やはり全治6カ月という大変な骨折だったようですね。
あの時女性は岩場を先に降りていたので、落下の状況は見ていません。
あの大きな重いリュックがドッサと落ちる音を聞いて、コーチのところに集まりました。
私などはただ呆然としていましたが、唯一元看護士の鈴木さんがいろいろ指示してくれました。
このような状況になっているにもかかわらず、コーチはタクシー会社に連絡して女性を下山させました。
ベテランの永田さん、佐藤さんがいてくれたので雨の中なんとか林道まで降りました。
でも大平牧場は見当たりません。
登りの時とは違う道を来てしまったようです。
林道を通りかかった軽トラの荷台に女性6人乗せてもらって大平牧場でタクシーに乗りました。
17時20分だったので予定より20分遅れたようです。
下山途中パトカーや救急車のサイレンが聞こえたので、救急を呼んだのはわかりました。
大平牧場のところで救急車1台、パトカー2台、救急隊のトラック1台が待機していました。
救急隊のトラックには救急隊員4、5人が乗っていたと思います。
このくらいの山はかけあっがって、あっという間に救出してくれるだろうと思っていました
でも救急隊員の方々はみなさん小柄で、大きなコーチをどうやって運ぶのだろう・・・
結局救急車に乗り込んだのが23時ということですからかなりの時間を要したとういことですよね。
伊藤コーチ、どうぞ十分養生され、また私たちを山に連れて行ってください。


■2010.10.20――そね一郎さんから「遅ればせながらのお見舞い」
伊藤 コーチ どの
いつもお世話になっております。
このたびは大変な事故にお会いになり驚きました。
しかし、もう退院なされてご自宅でリハビリされているとのこと、骨折とはいえ比較的軽かったご様子には安心いたしました。
私事ですが、中学2年のとき、ハンドボールの練習で右の鎖骨を折りました。2ヶ月間右手を吊ったまま自宅で療養しましたが、完全に元のように腕をつかうことができるようになったのは3ヶ月後でした。いまでは左の鎖骨より太くなっております。
コーチの骨折の程度がわかりませんが、ご年配でもありますので元のように足が動かせるには3ヶ月以上かかるとおもいます。どうか焦らずゆっくりとリハビリなさってください。
そして元の元気なお姿でわたしたちの前に立っていただきたいと願っております。
遅ればせながらお見舞いもうしあげます。


■2010.10.19――★「a」と「c」は継続します
●荻窪の病院での精密検査によって、10月いっぱいは安静期とし、それからリハビリを開始します。復帰時期はまだ未定ですので、とりあえず三輪主彦さんという旧友を中心にピンチヒッターをお願いしました。
●まずは「月イチ登山」を保障できるよう、11月から3月までの「a」と「c」を実施します。それ以外については、現時点では「中止に近い保留」とさせていただきます。
●まだ事故から10日ですので、先は分かりませんが、最悪の場合本格復帰は4月からとなります。したがって今年度の☆印クーポンは来年度まで有効とさせていただきます。
●できるだけ早い機会に復帰のチャンスを段階的に狙いたいと考えています。よろしくお願いいたします。
●三輪主彦さんについてはいずれ興味のある方はホームページやブログをご覧いただきたいのですが、都立大学山岳部OBで、私より1歳年長。高校で地学を教えながら多くの前途有望な生徒の人生を狂わせてきました。はやし智子さんの息子さんはたぶんご存じのはず。私の息子は三輪先生が転出した後だったので被害を被りませんでした。まじめに話すとすごい人です。


■2010.10.19――ながた幸子さんから現場の状況
伊藤コーチ殿

ご退院おめでとうございます。
事故のレポート読ませていただきました。
腸骨(?)、わからなかったのでインターネットで調べてしまいました。
骨盤と一口に言っても部位によって分かれていたのですね。

これからは無理せず、しっかり治療してください。
そして、復帰の際は軽いリュックでお願いしたいと思います。

さて、事故の際ですが、全然見ていなかったのです。
先に下りていたので、コーチの「わあ〜!」という悲鳴とともに、
どっさっという音がして振り返るとコーチが岩の割れ目にはまっていました。
何時ものようにすっと立ち上がるとばかり思っていたので、
しばらく動かれなかった時は本当に驚きました。
その後も、足を動かすたびに痛そうで、先に下山しても、
心配で、心配で、タクシーで走り始めて、前方から救急車が来たときには
嬉しくて、そして、ほっとしてやっと人心地がつきました。
そんなわけで、お役には立てません。
ごめんなさい。

一日も早い復帰をお待ちしております。
どうぞお大事になさってください。


■2010.10.19――いなば和平さんから「完治するまで・・お待ちしています」
伊藤幸司さま
10日にコーチから突然「乾徳山でドジりました・・・レスキューと救急搬送を体験・・・・とりあえず尾瀬は中止・・・・腰骨にひびが入っているよう・・・・山咲さん、桜湯さん、小松さんに中止を伝えて・・・」と携帯にメールが入り、最初はなんのことか分からないほどに驚きました。コーチが腰骨を骨折?まさか。でも日曜は雨だった!二三度読み返してから、三人に中止の連絡をしました。

腰骨の骨折だったら回復に時間がかかりそう。でもコーチのことだから案外早く、人間の身体というのは大したものですねえ、と復帰してくるのではないだろうか。歳なのだから無理は禁物・・・。

金曜になって、土曜日に松葉づえで退院の予定と知り、ホームページでの報告を待っていました。

やはり重症のようですね。糸の会の皆さんからのお見舞いメールにもあるように、私たちはコーチの怪我が完全に治癒するまで、いつまでも待っていますので安心してゆっくり静養してください。コーチが休んでいる間は何とか工夫して最低でも月イチ登山は継続していくつもりです。(毎月aとcは継続の予定ということですので、問題なく月イチはクリアできそうです)。糸の会の下期計画を参考に心身のリズムを維持したいと思っています。

事故の報告を読ませていただいて、悪天候の中、パーティーを率いながら、自身の事故の後も実に冷静に全体を見渡しているのは驚きです。この、コーチの普段からの冷静な観察力が周囲に信頼感を与えているのだと納得しました。

ひとつだけ報告の中で意外だったのは、滑落の瞬間のことは全く記憶がないと書かれていることです。普通滑って転倒した場合など、自分の体がどうなったか、視界には何が入っていたか、身体をどうしようとしたか、などがスローモーションのように脳裏に刻まれるような気がするのですが、どうなのでしょう。情報処理の許容範囲を越えてしまうほど想定外の出来事だったのでしょうか。

今回の事故はこれからのコーチのコーチングシステムの内容に一層の深み・厚みを増すことは間違いないでしょう。ゆっくり静養して、また戻ってきてください。お待ちしています。


■2010.10.19――ふじもと喜弘さんから「お見舞い申し上げます」
コーチ殿
ただ今、コーチの顛末記を拝見しました。
詳しいレポートで、読み始めはどきどきしていたのですが、大変早い回復の様子に至り、ホッと致しました。
どうか ゆっくりご養生されます様に・・・。取り敢えずのお見舞いまで。


■2010.10.19――やの博子さんから「お大事に」
伊藤コーチ様
久しぶりに糸の会のHPを開けたら     ”えっ! 何!” と 眼が テンになりました。
大事に至らなくて良かったです。
その後 回復はいかがでしょうか?

”猿も木から落ちる”という所でしょうか?
そして 事故というものは 誰にでも そして何時でも 起こり得るんだと 改めて身が引き締まる思いがしました。

ご自身が 大変な状況にありながら 自身のその時の気持ちやら 何がどう動いているかという コーチの冷静な観察には驚きました。
そして 例によって細部に渡るレポートに 感服。

”急がば 回れ”です。
DRの指示に従って 十分な回復期間を お取り下さいますよう。

いつかまた 活動を再開される事を願っておりますが いつまででも待っております。   

実は 丁度同じ頃 私は ひどい風邪を引いてました。 今までだったら 二〜三日で回復するのに 一週間もかかり トシを感じました。
新しい職場での 緊張とストレスも 免疫力低下の要因だったかもしれません。 確実にトシは重ねています。

くれぐれも お大事になさいますよう 祈っております。


■2010.10.19――さとう清子さんから「お見舞い申し上げます」
伊藤コーチ
ご無沙汰しております。
事故のレポートを見てびっくりしました。お大事になさってください。

私は仕事がなかなか決まらずと言うより、面接も難しい、倍率280倍!
年齢不問でも50代は厳しいとかなんとか・・・へこみました。
友人の勧めもあり9月末から3ヶ月間の基金訓練「介護ホームヘルパー2級科」を受講しています。
その後は福祉関係の仕事が出来る様に、そして糸の会にまた月イチ参加出来る様に頑張っております。
その時はまた宜しくお願い致します。(毎月高尾山や週4ウォーキング2時間体調管理してます。)


■2010.10.18――はざま光代さんから「おだいじに」
伊藤さま
HP見て大変驚いています。どうか一日も早く快復されますよう願っております。
小林さん情報ですが、10c 11c 12c 決行されるようでしたら、計画書お願いいたします。
くれぐれもおだいじに。
私事ですが、怪我は完全快復まで長かったです。


■2010.10.18――いなだ郁子さんから「お大事に」
伊藤コーチへ
ホームページで、お怪我をされたことを知り、驚きました。
まさか!という感じです。
こちら百名山の呪縛がとけて、そろそろ顔を出そうと思っていたので、なおさらです。
完治まで、くれぐれも無理をなさらぬように。
またコーチして下さい。


■2010.10.18――やまもと良彦さんから「お大事に」
伊藤コーチさま
今回の事故については本当にびっくりしました。
最初永田さんからメールで一報をもらい(日曜日に)、まさかまさかの思いで心配していました。その後土曜日には退院できそうだとの情報も入り、少しほっとしていました。
今日コーチの詳しいレポートを読み、やっぱり大変な事故だったのだと改めて感じました。スーパーマンのコーチもやはり人の子だったということでしょうか?
魔がさしたということでしょうか?
それにしても、その中で事態を冷静に判断し、一つの貴重な経験、事例としてまとめておこうというコーチの姿勢には感服します。
長い目でみれば今回の件は、コーチにも、我々会員にも、得がたい貴重な経験となるものと信じます。
どうかコーチ早期回復に向けてリハビリに励まれるのは大変結構ですし、きっとコーチの体力、気力なら驚異的回復をされると思いますが、くれぐれも現場復帰を焦らないでください。神の与えてくれた休憩と考えて、100パーセント回復を心掛けてください。
とりあえずお見舞いを申し上げます。


■2010.10.18――さくらだ英治さんから「お見舞い申し上げます」
朝日カルチャー千葉のさくらだです。その後如何でしょうか。
10日の昼頃、10月16日の「小楢山」は休止になります、と朝日カルチャーから連絡を受けたときは、耳を疑いました。
まさか伊藤先生が事故を起こすとは何が起こったのだろう。
骨にひびが入ったとはただ事ではない。これからもう山へ連れて行ってもらうことは出来なくなるのだろうか、と一時は本気で考えました。

月一回の山歩きが生活の一部になっていることに、改めて気付きました。
自分の都合で行けなくなることは仕方が無いと覚悟していますが、伊藤先生の事情から行けなくなるとは完全な想定外でした。
それだけに少なからず慌てて次の対策を考えている自分の姿は、今から思うと少々滑稽でした。
その後、若松さんからの情報で回復が予想外に早そうだと知り、取敢えず落ち着きを取り戻しました。

早い復帰は嬉しいのですが、責任感から無理して後々悪影響が残っては、誰も喜ばないでしょう。
時間はかかっても完全な回復まで皆さん快く待つでしょう。それまでただ漫然と待つことはありません。

16日の小楢山は希望者の自己責任で、当初の予定通り行って来ました。
鴻野さんと田井さんの発案で連絡の付く人に声をかけ、10人集まりました。
安藤、加藤、川島、鴻野、斉藤、坂井田、櫻田、鈴木、田井、増田です。
鴻野さんが事前に車の手配など準備してくれたので、焼山峠からスタートできました。安全第一で母恋し道を下りました。全て順調でした。

小楢山経験のある安藤さんが先頭で、最後尾が鴻野さんです。安藤さんは足が速く後ろから、もっとゆっくり願いますと何度か声をかけました。
頂上からは天気もまずまずで、富士山はもちろん眺望を楽しむことが出来ました。途中問題の乾徳山も確認しました。

オーチャードビレッジからタクシーで鼓川温泉に着いたのは3時ごろでした。
ゆっくり温泉に浸かり、タクシー運転手さんに紹介された塩山駅前の食堂で、伊藤先生を肴にゆっくり食事をしました。
そしてこれまたゆっくりと大月から千葉行き特急で帰りました。

ただ今18日午後0時35分に糸の会ホームページで事故レポートを読みました。そして何となく安心しました。
本当に元気になられた伊藤先生と再会する日を慌てず待っております。
それまでじっくり静養してください。


■2010.10.18――すずき明美さんから事故の現場報告
いとうコーチ様
経過良好の様子に大喜びです。
あの瞬間に私が見たことを書きます。
コーチが倒れていた状態は左側臥位(体の左側を下にした状態)で背中側に
横に長めの石、ちょうどお腹の辺りに位置する場所に三角形の石があり
その間に倒れられていました。コーチからの発語はなかった。
男性のどなたかが「コーチ 頭は打っていませんか?」
という 問いかけに「打っていない」という返答が即ありました。
「何処が痛いですか?」 ――――――「左の腰の辺り」
「右足は?」 ―――――「大丈夫」
「動けますか?」――――――「動けると思うが今は動きたくない」
しばらく其のままにして 参加者がコーチのザックの中身を分配した。
その時コーチは横になったままで荷物の中身の説明をされていた。
それが一段らくしたところで 起き上がってみた。
ちょうどコーチの足があった場所の下が50cmくらい高さがあったので
右足をたらせば自然に立てる地面だったのでスムーズに右足はつけた。
左足を揃える時にかなりの苦痛表情と声が聴かれた。
「怪我の程度知る為に少し歩いてみたい」と言われ 歩き出す。
「真っ直ぐに動かすのは良いが 少しでも角度を広げるとかなり痛い。」
それを証明するかのように梯子は右足で上り左を寄せるというスタイルで
比較的スムースでした。
元看護師でありながら 救助されるまで側に居ないでさっさと下山した事は
よかったのでしょうか。
今回の事でコーチの肩には多くの人の人生が掛かっているんだという事を感じ
ました。静かに復帰をお待ちします。


■2010.10.18――はせがわ哲さんから事故を知って
伊藤様
今朝ホームページを拝見しびっくりしました。
「弘法も筆の誤り」ですか?大変でしたね、私も今年から参加させていただいて、時々思ったのですが登山中の怪我はヤバイと感じてました。天城山でスリップして腕を擦りむいたり、穂高では踏んだ石が跳ね返ってスネに当たるなど、小さなものばかりでしたが、そんな経験の中で大きな怪我さえなければ歩ける、何とかな る。と思っていました。
まさか、コーチが大怪我をされるとは思いもしませんでした。事故の状況やその対応、ツェルト持っていたなど・・・事故後の処置もすごいなと感心しました。
早く全快され、また我々をすばらしい世界へ連れて行ってください。


■2010.10.18――くにきだ之彦さんから「骨折事故お見舞い」
伊藤 コーチ
骨折事故お見舞い申し上げます。

小さな骨折事故ですみ、「不幸中の幸い」と申せますか、何よりでした。
HPが10月8日から更新されないので、なにかあったのか、気になっていたのです。

ザックの25キロは重すぎますよ。
いつまでも若くないのだから15キロにすべきです。
いつも同じ装備を持ち歩かず、山によって中身をかえないと。
これからはテント泊や避難小屋泊は、会員の年齢からいっても無理ですから。

山道でころぶと、ザックが後ろから押すような感じでなにもできず、顔面制動となります。
おでこに傷をつくり、幼児のようだと笑われたことがあります。

木をつかんでいても、すべると、手はつるりと離れ、役にたちません。
ザラ場ですべり落ちた時がそうでした。
クサリもよほどしっかりつかんでいないと、離れてしまうでしょう。

一日も早い復帰をお待ちしております。


■2010.10.18────治癒への見通し

●今日、ホームドクターに紹介されて近くの城西病院というところに行きました。
●改めてX線とCTの撮影をし、今回のケガの回復への道筋が示されました。
●じつはリハビリのための通院ということを考えていたのですが、ケガから3週間(すなわち今月いっぱい)は「安静」期だと伝えられました。
●骨折は腰骨の左側の広がりにあたる腸骨に生じたのですが、例えていえば煎餅をふたつに割ったときの割れ目がちょっとグズグズになった状態に似ていて、ボルトで固定しようとして開けばバラバラになる……というようなものだといわれました。現在の状態をできるだけ崩さないようにして、骨が固定するのを待つ必要があるとのことです。
●足を使うと筋肉の付け根に痛みが走るのですが、骨折部が引っ張られている状態だということです。まず骨が回復する初期状態をいいかたちで保つために最初の3週間は安静状態を守ってくださいといわれました。
●回復への最大期間は6か月とされているそうですが、骨の回復が進むに従って痛みがなくなるので、リハビリはそれからということになりました。これから1週間ごとにX線写真で回復状況を確認していくということです。
●「いよいよリハビリ」という期待は甘かったという結果ですが、私の「糸の会」と「朝日カルチャーセンター千葉」の今後に関する基本的な方針を決める段階になりました。
●基本的に「月1回の山歩き」を維持できるよう仲間に助っ人を頼みたいと考えます。糸の会では「a」と「c」をなんとか継続したいと思います。朝日カルチャーセンターも11月以降実施したいと思います。
●11月に入ってリハビリ段階になればさらにいろいろな見通しが立ってくると思いますが、「d」と小屋泊まりの「e」「b」はとりあえずキャンセルさせていただいて、復活の時期を探るということにさせていただきたく思います。
●実施計画の大幅な変更になりますので、小屋泊まりへのご参加を予定していた皆さんには参加日数がかなり少なくなります。スケジュール上の変更が大きいので、今年度の☆印クーポンは来期まで持ち越せるということにさせてください。
●10月の安静期にはできるだけ安静を維持したいと思います。ただ、幸いなことにパソコンに向かう仕事はほぼ従来どおりできますので、このところやりたかった仕事に集中したいと思います。
●よろしくお願いいたします。


■2010.10.17――ながつか進吉さんから「お大事に」(ハガキ)
糸の会のホームページを見て、びっくりしました。
まあ、いくら気をつけても事故は起るもので、今まであれだけ歩いて大したケガもしなかった方が不思議です。
焦らずに本復まで完全に治してしまうことを願います。お大事に


■2010.10.17――たい睦子さんから「退院おめでとうございます」
伊藤コーチへ
わかまつさんから、土曜日退院のこと、お聞きしました。
1週間での退院、まずは一安心いたしました。

コーチについて山を歩き始めて相当な年月になります。
はじめの頃は、講座担当者で、訳も分からずただただ、付いて歩いていた訳でした。
山ブームの頂点のころの担当でしたから、ずいぶん大勢の受講者の方々と出会いました。
幸いなことに楽しい思い出ばかりです。出会った山の自然が私たち人間の全てを、
やさしく包みこみ、清浄な心情にしてくれる気がします。
山で出会う人たちは、多くは語らず、やさしい眼差しを持つ人が多いと感じています。
山へ出かけられ、雄大な自然の中に身を置けることは至福です。
コーチが怪我されたことを聞いて、そんな事を、しみじみ思う昨今です。

16日は、小楢山へ10人で行ってきました。安藤さん先頭、鴻野さん最後尾。
好天。タクシーで焼山峠から登り、コーチ不在なので、幕岩は避け、2時過ぎにはオーチャード・
ビレッジフフへ下山。温泉へ入り、塩山駅前で「ほうとう」を食し、あずさ30号で帰りました。
紅葉は少し早く、ウルシ、コシアブラ、ダケカンバなどが色づいていました。カラマツは茶色っぽく、
今年はまっ黄色にはならない様子でした。

指標がコーチで、私たちはただただ何も考えず、全幅の信頼で後をついて歩いておりました。
100パ−セントの依存とも言えます。
早く山へ復帰されることをひたすら願っておりますが、是非是非、完全に治癒されてください。
無理されませんように。
今回の事故は、休養の良いチャンスと、ゆっくり睡眠をとり、奥様の美味しい手料理をじっくり
味わい楽しんでください。
ファンであり、従順な生徒である私たちは、辛抱強く、いつまでも待っております。


■2010.10.15――みやもと千晴さんから「大事なくよかった」
伊藤幸司 さま
サウジに行っていましたが、まるやま君から聞きました。
骨折ではあるが、大事ない見通しとのこと。ほんとに良かった。猿も木から、というやつですね。

とっさに雨だったんだろうなと思いました。やはり滑りやすくなるし、着込んでいたりして身動きと視界、したがってバランス、が悪くなる。やはり歳によるバランス感覚の鈍化もあるしね。

それでも大事なく済んだのは、とっさにいつも事故のことを考えて準備している伊藤君ならでの反射的身のこなしがあったからに違いないと思っていますが。

たぶん、ちょうどよかったんじゃないかな、という気がします。今後の展開のために。
早い回復を祈ります。加圧がけっこういいですよ。あまり動けないときにはとくに。


■2010.10.15――さいとう俊朗さんから「お怪我の お見舞い!!!」
糸の会 伊藤 幸司 様
おはようございます。
乾徳山から下山途中におけるお怪我、心からお見舞い申し上げます。

去る10日、朝日カルチャーから16日小楢山山行中止の一報で事態を知り・・・まさか伊藤コーチが???
その後、永田さんから詳細を伺いましたが、現場で辛抱強い伊藤コーチが相当に痛がっていたので、かなり重症ではないでしょうか?と、案じておりました。
昨日、若月さんから今週末にはご退院なさり、ご自宅でご静養とリハリビに励まれると伺い、予想していたよりは軽いお怪我だったのかなと・・・・一安心いたしております。

しかし、伊藤コーチもお若くはありません、どうかくれぐれもご無理をなさる事のなきよう、ゆっくりと完治に向けご自愛下さいますよう祈念申し上げます。

そのうえで、いつまでも楽しい山歩きを続けたいと思っております我々を、引き続きご指導下さいます様、心からお願い申し上げます。

先ずは、取り急ぎお見舞いまで。


■2010.10.11──まるやま純さんから「お怪我の具合はいかがでしょうか」
伊藤さん ご著書をお送りいただき、またコメントをいただきましたのに、だんまりになってしまって申し訳ありません。ご指摘の件についてちゃんと書きたいという気持ちが強くて、毎週末、「伊藤さんに礼状」とスケジュール表のアラームに出てくるようにしてあるのですが、締め切りにずっと追われていて、先延ばしにしてきてしまいました。 さて、今朝、山梨県のなかやま嘉太郎さん(例の「子どもたちよ」の共著者)から「伊藤さんが乾徳山で怪我をされたというニュースが山梨で流れている」という電話が入ったと、みわさんがえもとさんと私にメールで知らせてくれました。「腰骨を折る重傷とのこと。詳しくはわかりません。何か手伝うことがあったら、私も出掛けますが・・・・」とあるので、みわさんが出かけるつもりになっているのならもしかしたらけっこうおおごとなのかもしれないと心配になって、こうしてメールを差し上げた次第です。えもとさんからも「慎重な伊藤さんにして、そんなことあるんだな。時間かかっても快復する怪我であることを念じています」というメールが入りました。 じつは先日いただいたお手紙を読んで、伊藤さんに一度、報告会に出ていただこうと江本さんと相談していたところです。今回のご経験なども織り交ぜて、伊藤さんの登山論を若い人たちに聞いてもらいたいと思っています。 落ち着かれた頃をみはからって、またご連絡いたします。これから寒い日も出てくると思います。どうか無理せず、お過ごしください。早く回復されることを、心からお祈りしております。

■2010.10.11──みわ主彦さんから「お見舞い」
伊藤幸司さま
山梨のなかやま嘉太郎さんから、伊藤さんが怪我をされたと連絡がありました。
乾徳山の近くに中山さんの知り合いの医院があるとのことです。でももうどこかの病院でしょうか。なかやまさんは薬剤師で石和で薬局努めです。

なかやまさんは伊藤さんの大ファンです。私も糸の会のホームページを時々見ており、9日に乾徳山に行かれていることは知っていました。
雨が強かったのでしょうか。重傷とありましたが、幸司さんのことですから、すぐに回復するでしょう。

でも11月12月の山行は行けないでしょうね。なかやま、みわは陣馬山はホームコース。いつでも代理を引き受けますよ! と考えています。
そんなお手伝いしかできませんが、他に何かできることがあったら、ヒマ人ですからいつでも言ってください。

ゆっくり休養をして、復活して下さい。


■2010.10.9-17──乾徳山での「伊藤幸司滑落」事故に関するレポート

●このたびはみなさまには大変ご迷惑をおかけしました。
●まずは糸の会の軽登山講座第7回「乾徳山」(併設「9a乾徳山」)にご参加の10名の皆さんと、レスキュー隊として行動していただいた山梨市の消防署・警察署の皆さん、それに加わっていただいた元大平牧場の大平莊・望月さん、さらに1週間の入院でお世話になった山梨厚生病院のみなさん、さらに計画中止となった10月の山に参加ご希望のみなさんと計画中止に対応していただいた朝日カルチャーセンターのスタッフのみなさん、それから山梨日々新聞に記事が載ったためにご心配いただいた古い仲間のみなさん(現在はおもに地平線会議のネットワーク)といった大勢のみなさんにご迷惑をおかけしました。
●あとで詳しくレポートしますが、10月9日(土)午後15時頃、雨の乾徳山で「クサリ場体験」を実施したのです。登りは山頂直下の長いクサリ場まで体験して下りにかかり、下の2段のクサリ場の上段の下りまでロープでサポートして無地終了し、下段の下り場はもうみなさん自由に下っていただきました。私は上段で使用したロープをしまい、下段のクサリ場を下っていくところで、足を滑らせ、滑落。歩けたのでその下の2か所の岩場を下ったところで、計画の立て直しを計ったのです。
●15時30分ごろだったかと思いますが、女性参加者6人に先行下山してもらうことにし、男性参加者4人に付き添っていただいて、夜になっても、なんとか林道まで下ろうとしたのです。
●しかし、いったん立ち止まったら動けなくなり、立ったままレスキューを要請、その後横になって19時までレスキュー隊の到着を待ちました。レスキュー作業は3時間かかって林道に出、救急車で山梨厚生病院へ到着したのは夜中の24時でした。
●そして事故から7日後の10月16日(土)夕方に松葉杖で帰宅。二階の仕事場に上がれたのでパソコンでの仕事を開始しました。左腸骨(腰骨の上部)骨折ということですが、左足に体重を乗せることに問題がない場所だったので、歩行障害が残るとはいえ、生活行動では限定的なものとなっています。
●そのような概要を以下くわしくたどってみたいと思いますが、同時に参加者のみなさんが見た光景、体験したことを加えていただくことでひとつの事故をどれくらい浮き彫りにできるか試みてみたいと思います。(いただいたレポートはワンポイントレポートして扱わせていただきますが、同時にホームページの公開部分におかせていただきます。お名前なども出させていただきたいので、公開に関してご都合の悪い部分はその旨注記してください)

■10月9日(土曜日)
●計画書には
 この登山の正式名称は「糸の会山行[705]──軽登山講座no.7+10a──乾徳山」で計画書にはポイントとして「いよいよ本格的なクサリ場体験です。岩山(9月実施)での体験もありますから、楽しい岩場歩きができるのではないかと思います。最後には大物体験も用意されています。」……と書きました。
●予定の行動
 当日の天気はほぼ雨、と分かっていたので、塩山駅で集合したところで雨具のズボンをはきました。タクシーで大平牧場・登山口へ。その登山口には屋根がないからです。
 9時55分大平牧場登山口(標高約1,350m)を出発。途中2回(合計約10分)休憩して11時30分に「扇平」の標識(標高約1,850m)を通過。山頂に続く樹林の中に入って10分休憩+伊藤が用意した6mmロープ(約2m)を各自簡易安全ベルトとして装着、15分。
 12時に出発し、岩場に入り、2段構えのクサリ場を体験して13時35分に山頂直下に。雨でもあるためその大きなクサリ場は空身で体験し、順次山頂から迂回路でクサリ場下へ。これに約50分かかりました。
●事故のあらまし
 14時20分に山頂直下を出発。登ってきた道をそのまま下りました。すぐに2段のクサリ場に到着、上段のクサリの下りをロープで安全を確保して行い、下段はみなさん自由に下ってもらいました。
 私はロープをしまって、最後に下段のクサリ場を下ったのですが、今日のクサリ場体験は終了という気分があったことは事実です。
 基本としては私が口を酸っぱくして言っている「裏返って登りの逆モーション」であるべきだったのに、私は下り姿勢で片手に鎖を持っていました。
 この下段のクサリ場はクサリをまったく頼りにせずに登り・下りすることは可能です。下りも、なからずしも登りの逆モーションにする必要はありません。でもそれは岩が乾いているときの話。
 この日、私は黒川恵美さんをターゲットにして濡れた木を不用意に踏まないように厳しく注意してきました。岩や木に対して自分で滑り具合を確認する必要も強調してきました。
 ところがこのとき、私は岩とのフリクション(摩擦力)を確認していません。おまけにこの日はいてきた靴は、いつものランニングシューズではなく、家まわりではいているウォーキングシューズ。家を出るとき雨だったので、無意識にはいて出てしまったのでした。
 靴が違っても、山ではいたこともあるので基本的に大きな問題があるわけではないのですが、この場面に限って、普段と違う靴にもかかわらずフリクション・チェックをしていません。
 緊張の場面が終わって、気が抜けたとしかいいようがありません。
 そして滑落。滑った瞬間も、飛んだ瞬間も、握っていたクサリがどうなったかも、落ちていく様子も、落下の瞬間も、まったく記憶にありません。
 「落ちた!」という現実と、右手・右足にまったく異常がないという確認はすぐでした。ほとんど同時に鈴木明美さんが「動かないで!」と言ったはずです。いつもなら私が言うことばです。
 左半身はどうだろうと考えたのですが、動きません。たぶんザック(約25kg)が乗っていたからのようですが、何人かの人がいろいろ手を出してはがしてくれたような印象です。
 鈴木さんが看護士さんだということは知らなかったのですが、ここでは私の動きを厳しく観察してくれていました。
 しかし、私は立てたのです。そして歩けました。左足の動かし方によっては左側の腰に痛みが走って顔がゆがむようなかたちになりましたし、軽い痛みはけっこうたくさんありましたが、「ダブルストックで左足を完全にかばってみたい」という課題を掲げて、積極的に下る気分でした。
 私の荷物はすべて皆さんが分担して持ってくれたので、私は空身で、ダブルストックで下り始めました。ともかく残っている岩場をクリアしておきたいと考えていました。
 鈴木さんが「15時と覚えておいて!」と大きな声で教えてくれたので事故の時刻は15時です。
●レスキューの要請
 15時30分ごろ、30分まるまる歩いたかどうかというところで、私は止まりました。下山に2時間かかるとして、予約してあるタクシーとの関係を調整しなければなりません。3台頼んであったのを2台にして、女性6人に先行下山してもらうことにしたのです。
 計画書には必ず日の入り時刻を入れているのですが、この日の甲府での日の入りは17時19分。18時までは無灯火で下れるので道迷いの危険も少ないはずです。15年のつきあいになる朝日カルチャーセンター千葉で1期生の永田幸子さんと佐藤時子さんがいたので、永田さんに下山のリーダーを頼みました。まずまちがいなく、大平牧場登山口へと着けるでしょう。
 男性4人が残ってくれました。私としては当然、下山が遅くなるので、今回は夜間の遭難状態の下りをヘビーに体験してもらえる……と楽天的に考えていました。みなさん、なりゆきに身を任せてくださるという雰囲気でした。3連休の1日目というのがラッキーだったようです。
 ところが事態はがらりと変わります。立っていた私が、動けなくなってしまったのです。立っているのはなんの問題もないのですが、左足が動きません。どう動かしても腰部に激しい痛みがくるのです。
 下山が遅れるというのであれば「最終電車で帰宅」までかなりの時間がとれるので体験の価値ありと考えていたのですが、どうも現実は遭難状態だと認識したのです。私は時間をかけたからといって動けるようになるとは思えなくなりました。
 骨折であれば、時間が経つごとに痛みが大きくなってきます。そういう痛みが広がってきたという想定が現実に思えてきました。

●レスキュー隊を待つ
 そこでまず携帯電話で119番に通報しました。そして指示にしたがって110番も。電話は地元の消防署や警察署につながったのですが、電話に出た人たちはみなさん乾徳山といってもピンとこないようで、それからかなり頻繁に電話のやりとりが続きました。
 携帯電話の場合電池切れのおそれがあるので、先方では別のメンバーの予備電話の番号をほしがりました。
 そういうやりとりを(たぶん)元気な声でやっていたので「ところで動けない人は?」などと聞き返されましたが、私は立ったままなら何の異常もないという不思議な状態でした。
 雨が本降りになり、夕闇が迫ってくる中で、私たちは「レスキューを待つ」という立場になったのです。
 往路扇平まで1時間半ほどで登ってきました。そこから樹林帯に入って、傾斜を増した岩っぽい道を30分も登れば2段のクサリ場のはずです。
 その登り30分のところを30分近く下ってきたのであとちょっとで樹林からでて、扇平の草の広がりに出ると想像したのです。そしてほんの数分下ると道満尾根と国師ヶ原へ下る道との分岐のところに月見岩があります。ちょっと軽めの表現ではありましたが「月見岩から普通に登って5分から10分のところにいると思います」と繰り返しました。
 私はみなさんのすすめもあって横になる場所をさがしました。レスキュー隊を待ちながら少しでも進むという考えは完全に無理になりました。いったん横になったら、もう起きあがることができないと思いながら、足元の地面に横になりました。16時過ぎのことだと思います。
 どなたかが持っていたツェルト(テント型布袋)がかけられ、すこしたってから私の空のザックを敷いてもらいました。私自身は雨具を着けていましたから最悪の状態ではありませんでしたが、それでも横たわっているうちにカラダにふるえがきました。
 4人の皆さんは雨の中、立ちつくしているだけですから、それも大変でしたが、レスキュー隊の到着にそなえて、何か少し腹に入れておかなくてはということになりました。その流れで私にも甘いものが回ってきて、二口三口食べると、カラダのふるえはとまりました。
 あるいはその後、気温が少しずつ下がる中、ふるえが来そうになるのを止めてくれたのはツェルトでした。頭までかぶっていると息がこもっていくぶん温かくなるのです。昨年夏のトムラウシでも、早くにテントを張れば、何人もの人が低体温症に陥らずに済んだのはまちがいありません。
 気温は10度Cを割っていたかもしれませんが、それほどのものではありません。紅葉にはまだちょっと早い時期でラッキーでした。それでも雨具を透してカラダは完全に濡れていましたから、蒸れを維持して温度低下を防ぐという状況でした。そういう意味ではツェルトをかぶっていた私の方が周囲に立っているみなさんより格段に暖かかったかしれません。
 レスキューの通報を受けた16時過ぎ(私には時間が確認できなかったので16時半ぐらいかと思います)には旧牧丘町(山梨市)の救急車が大平牧場に到着したようで、レスキュー隊の編成を待っているというような雰囲気でした。
 消防と警察から電話が頻繁に入るのです。そのとき電話器を持っていただいていたのが黒川清裕さんでしたが、とくに警察からの調書作成らしい問い合わせが何度も続いてそのたびに私が直接答えることになりました。警察からもレスキュー隊の編成状況が伝えられましたが、もうすぐ出発なのか、もうすぐ到着なのか、よくわからない間接的なものでした。
 時が刻々と過ぎ、18時ぐらいからは今か今かと待ちかまえる状況になりました。濃いガスの向こうにときおり灯りが見えるのだそうで、レスキュー隊がすぐ近くまで来ているかもしれないということでみなさん声を出したり、笛を吹いたりするのです。携帯電話のやりとりでレスキュー隊が登ってきているのは間違いないのですが、具体的な位置はまったくわかりません。
 期待したり、失望したりを繰り返しているうちに、すぐ近くに登ってくるライトを確認したのは19時ごろでした。

●担架での搬送
 私は簡単な問診を受けました。救急隊員の見立てでは腰骨に骨折の疑いが濃厚だが意識はクリアで、バイタル(生存の客観的兆候のことで、呼吸数、脈拍数、血圧、体温などをはじめとしていくつものチェック項目が考えられているようです)もOKというような連絡を本部までしています。できればドクターカーの出動もお願いしたいが、というようなところまで連絡が行き交って、現場は緊張してきました。
 私は横になっていたまま担架に移され、私が「5分から10分」と言っていた月見岩への下りにかかりました。
 私は雨の中、仰向けに寝かされただけでしたが、雨でメガネが曇り、しかも顔の上にはヘッドライトがいくつもあるので、目を開けても何も見えない状態です。帽子の鍔で目にかかる雨を避けつつ、ただひたすら耳と動きで状況を推測していました。
 道は下りとはいえ岩があってかなりの段差があるらしく、担架は岩の頭をひとつ乗り越えるごとに持ち上げられ、前後でロープを持った人に安全を確保されて、たぶん驚くほどノロノロと進んでいたと思います。何人で担がれていたのかまったくわかりませんが、片側に位置した人が身長差のためか、かなり苦しんでいました。わたしもそちら側に傾いて、ときどき痛む部分を刺激するものですから、反対側のフレームを握って担架の傾きを緩めるように努力していました。
 あるいはまた前進方向にあった足が担架からはみ出していて、それがときどき乗り越える岩の頭に触れて、ビクッとすることがありましたが、大きな問題はありませんでした。
 時計がないのでもうすぐ搬送も終わるのでは……と思い続けてかなり経つのに「月見岩までまだつかない」という警察の連絡などを聞いているとどうにも腑に落ちない気がしました。そしてとうとう「やむなく休憩」というところで2時間下ってなお月見岩に届いていないという現実を確認したのです。
 そのときに私はついてきている4人の皆さんに声をかけて「なにか口に入れるモノがあったら皆さんに差し上げて」といったのですが、驚いたことにレスキュー隊は水も食べ物も用意していないようでした。休憩も規則的に取るというようなルールがあるわけではないようで、チーム全員で決着がつくまで頑張りきってしまおうというパワーを存分に感じました。みなさんがかならずしも山には慣れていないという感じがしましたから、そのことで普段とはちがう負荷が大きく加わったに違いないと思います。
 休憩が入った後、すぐに月見岩に出たらしく、そこから国師ヶ原への下りにかかると担架は登山道をガンガン引っ張られてたぶん普通に歩いて下るスピードになっていたと思います。振動は小さくなりましたが、脳しんとうを心配するぐらいの元気な振動になって、それがけっこううれしく感じられました。
 感覚的なところでいえば19時過ぎにレスキュー隊が到着して、ほぼ2時間で月見岩、そこから国師ヶ原下の林道終点まで1時間、すなわち22時に担架での搬送終了という感じでしたが、4人の皆さんのレポートを待ちたいところです。
 林道終点には4WDの軽トラックが来ているということで、担架はそのまま荷台に乗せられました。「アタマを前方にするとちょっと下がるけど……」というのを了承しました。荷台には救急隊の人が2人乗り込んで、下り始めました。元大平牧場の民宿大平莊が出してくれた車だそうで、タイヤが1本パンクしているといわれながらコトコトと走って約30分。大平牧場登山口につきました。4WDでないと走れない林道で、しかも悪路なので車はほとんど歩くスピードであったといいます。
 じつはこの30分が私には最大の苦痛でした。足の方から痺れてきてそれが次第に上半身に広がって、全身をギリギリ巻きに縛られたらこんな感じになるのかなというどうにもならない辛い気分が広がって来ました。
 ほぼ限界というところで軽トラックの旅は終わったのですが、アタマが下がっていたことによる異常感だったということが救急車に収容されてわかりました。

●救急病院
 救急車は16時過ぎにここに着いたようです。地元の牧丘からの出動で、3人のうちの2人が現場に向かうなど、ここにずっと止まっていたといいます。
 救急車が大平牧場を出た時刻はわかりませんが、23時に近かったのかもしれません。長い林道をゆっくりと下って、秩父から雁坂トンネルをくぐって塩山に出る国道140号線に出たのですが、それでもサイレンなど鳴らさずにゆっくりと走りました。携帯電話が通じるところまで来て、ニュースでよく伝えられる病院探しを始め、結局山梨市民病院に搬送するということで目的地が決定されました。
 病院に着いたのは24時過ぎ、10月10日(日)の午前0時を過ぎていました。
 じつは私は参加者の皆さんの留守宅への連絡などまったくできませんでした。自宅への連絡もしていなかったのですが、警察か消防の担当者から、レスキュー隊が現地へ出発しているという連絡が自宅に入り、妻は置いてあった計画書と名簿に従って皆さんに連絡したようです。そして息子が塩山方面へと向かう電車に乗っていました。
 救急車の中から息子と連絡がとれたので病院名を伝えておいたところ、私が到着するのとほぼ同時に病院に来てくれました。
 病院ではとりあえずX線撮影ということで、雨具や靴は救急車に乗ってから脱がされましたが、病院ではパンツ1枚になって腰部のX線写真を何枚も撮られました。そして呼び出された整形外科の守屋先生がその場で簡単に診察。腰骨の上部に当たる腸骨の左上端部に骨折があるということで、血液採取と点滴をして病室へ。
 考えてみれば昼から12時間ほどまともな食事をしていないし、まともな水分補給もしていないので息子になにか買ってきてもらおうと思ったところ、食事は禁止とか。それから小用は朝10時前に塩山駅でトイレに行ってから一度も行っていないので看護士さんに溲瓶で取ってもらいました。
 息子がベッドわきに簡易ベッドを借りて寝てくれたけれど、やはり「不安な一夜」でした。
 当然私は深く反省し、とりあえず病院では何も望まず、ただ与えられた環境に甘んじようと思いました。

●10月10日(日)入院1日目
 朝の診察で骨折に関連する内臓の破損や出血がないとわかりました。遡って朝食から食事が解禁され、車椅子での移動が可能になり、自分でトイレに行けるようになりました。
 午前中に黒川夫妻が来室。昨日のその後が明らかになりました。
 先に下山した女性6人は暗くなるまでに大平牧場登山口に帰着。塩山駅18時29分の大月行きに乗れば大月から千葉行きの特急あずさ30号に乗れるということで、直帰を選択したといいます。主力メンバーが千葉組でした。
 黒川夫人は塩山に菜園を持っているということで車で来ていました。そのことから女性陣が分担して持ってくれた私の荷物を回収して後からくるご主人を駅で待つという役割でした。しかし駅では寒いということで、塩山タクシーの営業所で待たせてもらったとのこと。塩山駅前は夕方を過ぎると本当に不便になります。
 男性陣4人は下山中に呼んだタクシーで塩山へ。黒川さんが奥さんと合流し、他の3人は石和の健康ランドでゆったりと夜を明かすことになったということです。
 黒川さんは私のザックに私の荷物を回収して病院まで届けてくれたのですが、あえてお願いして宅配便で自宅へ送っていただくことにしました。(こういう場合、コンビニなど適当な受付場所で着払いで預けると、包装などの必要があれば運送業者が適当に処置して送ってくれるので便利です……ということをお伝えすることを忘れました。私の経験ではひどいときには自宅住所のメモ書きをつけただけで預けたこともありました。田舎の小さな雑貨店などではそういう場面も十分に起こりえますが、そこはそれ、日本の宅配システムはかなり安心かと思います)
 黒川さんご夫婦は車中泊だったと聞いて驚きましたが、寝られる態勢の車で移動しているということなので安心しました。
 朝、病院地下の売店が開くと息子が入院道具をひととおり買いそろえてくれました。そして午前中に妻と交代。搬送時に着ていた濡れた服を洗濯してくれました。
 この日担当医の守屋先生によって、骨折部は運動機能に直接関係ない場所で、左足が動きによって痛むのは、骨折部周辺につながる筋肉が痛みを感じるとのこと。
 夕方から夜にかけて参加されたみなさんに、電話で入院の報告をしました。

●10月11日(祭日)入院2日目
 午前中、レスキュー関係の皆さんに電話で報告。
 10時30分に旧友の野地耕治さんから電話。山梨方面でニュースが流れたとのこと。岡村隆さんが問い合わせてきているという。情報が早いのに驚きます。
 ニュースというのは山梨日日新聞に出た小さな記事のことで、旧一宮町(笛吹市)在住の中山嘉太郎さん(私はお会いしたことがない)が見つけたのこと。
 その記事は以下のようになっていました。

「乾徳山で男性滑落し重傷」(山梨日日新聞、10.11朝刊)
 9日午後3時ごろ、山梨市三富地区の乾徳山(標高2031m)山頂付近の岩場で、東京都杉並区、登山講師伊藤幸司さん(65)が約4m下の岩場に滑落した。伊藤さんは腰の骨を折るなど重傷。
 日下部署や東山梨消防本部によると、伊藤さんは9日午前、自身がガイドを務めるパーティとともに入山。午後3時ごろ、「鎖場」と呼ばれる場所で、鎖を使って下山していたところ、体勢を崩した。通報を受けた同署員らが徒歩で救助に向かい、午後7時10分ごろ、伊藤さんを発見。山梨市内の病院に搬送した。

 この記事はレスキュー隊の到着を待つ間に何度も何度も問い合わせがあった警察の情報がほぼそのまま使用されたものでした。警察の「広報のための確認です」という意味がわかりました。
 その中山情報が三輪主彦さん、江本嘉伸さん、丸山純さんなどの古い友人に伝わり、たちまち自宅にメールが届いたと連絡が入りました。
 担当医の守屋先生からはタクシーでなら東京への転院も可といわれたのですが、総じて状態が悪くないので、できれば通院可能、かつ2階の仕事場に上がり下りできる状態まで、ここですこし時間をかけてみる方法を選択することにしました。日頃私はケガの場合、3日目、5日目、7日目の変化を注意深く見るように語ってきましたから、ここはまず3日目ないし5日目の判断を待ちたいという気持ちでした。
 テレビを見ない、間食しない、環境に身をゆだねるという生活姿勢で3日目までは過ごしてみようと思いました。

●10月12日(火)入院3日目
 松葉杖で歩けるようになりたいということで、リハビリをお願いしました。16時から30分のリハビリでは、まず平行棒のようなところで歩行。けっこううまく左足が出るので、松葉杖の初使用も気持ちよくいきました。
 帰って病室周辺でも松葉杖を使ってみると、腰部に痛みが蓄積する感じがあるので中止。筋肉痛に近いその痛みは夜まで残りました。
 この日、毎日新聞夕刊の特集ワイドで「燃えるような紅葉を見たい 見頃間近の長野・群馬県境の山を歩いた」という記事が出ました。10月5日(火)に記者の小松やしほさんと取材したものです。
 高尾山に登ったことがあるくらいの小松さんにはその日、碓氷峠〜霧積温泉の3時間を足慣らしにして金湯館で取材。それから鼻曲山に登り長日向に下るという、初心者にはちょっと過酷なスケジュール。しかしプロ意識で乗り切れるだろうと最後はほぼ暗闇の無灯火歩行まで盛り沢山でした。
 紅葉のかけらを山頂付近で見たほか、カエデ類はまだみごとな緑色でしたが、想像以上にたくさんの木があることに気づきました。できれば「10c三頭山」をこちらの紅葉ツアー+金湯館での紅葉入浴に切り替えようかと思いました。
 ……がしかし、新聞記事は自宅に戻るまで見ることができず、紅葉ツアーも無理なようです。
 丸3日が過ぎ、松葉杖の可能性が出たので、生活態度をガラリと変えることにしました。午後に間食して、夜はテレビで日韓サッカーを完全観戦。夜更かしモードへもすぐに移行しました。

●10月13日(水)入院4日目
 売店で見つけた「日経トレンディ」を購入。スマートフォンや電子出版の記事を読みました。
 読書系で行こうかと思っていた矢先、チリの鉱山作業員の救出大作戦が本格スタート。断続的にテレビを見続けることになりました。
 午後に1食追加して、リハビリでは左足の可動域のチェック。日々回復しているのを確認しました。松葉杖での階段の上り下りを体験しましたが、下りに不安が残りました。

●10月14日(木)入院5日目
 晴れの予報なので、洗ってあった靴を屋上で干しました。それから朝イチで洗濯。入院時に持ってきてもらった服をひととおり洗いました。
 担当医の守屋先生に相談して、土曜日に退院と決めました。自宅の2階に上がることができれば通常通りのデスクワークができます。しかもリハビリは自宅からの通院で可能というのが見えてきました。ここでのリハビリはあと、木金土の3回と決まりました。
 リハビリの中島先生にもご協力いただき、木製の松葉杖を4,300円で購入。自宅への帰りについては妹が車を出してもいいと言ってくれていたのを断って、電車で帰ることにしました。松葉杖で旅できるという期待が生まれてきました。
 「日経トレンディ」と次に買った「週刊文春」の両方でカップ麺の記事を読んだので、売店で「日清ラ王」を購入、食べてみました。じつは最近はインスタントの塩ラーメンを圧倒的なボリュームの野菜スープに入れて、酢を加え、豆板醤風味で食べるというのに凝っているので、味もチマチマした感じでほとんど満足できませんでした。
 19時30分ごろ、突然訪ねてきたのは事故のニュースを古い仲間たちに知らせた中山嘉太郎さんでした。今年7月に出た『子どもたちよ、冒険しよう』(ラピュータ。共著)という本では「10倍トライアスロン」、すなわち水泳38km+自転車1,800km+ランニング422kmという究極のレースのことや、シルクロード走り旅など世界の長距離ランニングの話を書いています。そんなすごい人と消灯の21時まで楽しく話させてもらったのです。

●10月15日(金)入院6日目
 午前中はほとんどダラダラと過ごしました。
 15時30分からリハビリ。左足の可動域はほぼ正常に戻ったところが多いのですが、左足を伸ばしたまま持ち上げるのがほんの10cm程度。その筋力低下は正常の2/5とか。筋肉の付け根と思われるあたりに痛みがくるので無理ができないのですが、左足を引き上げる筋力を元に戻すのが今後の課題ということです。
 17時ごろにシャワー浴。これで外界に出られるという気分になりました。
 夜はやはりほとんどダラダラと過ごしました。

●10月16日(土)入院7日目
 朝、最後のリハビリ。午前中に妻がきて、退院手続など。昼食を食べて退院。病院前からタクシーで山梨市駅へ。13時39分発の特急かいじに乗車。
 家に帰ってもっとも重要な課題は2階の仕事場に上れるかどうかでしたが、松葉杖で問題なく上がれました。そして下り。3尺幅の階段は思ったより安全で、手すりの設置などまったく必要を感じません。両手を広げることで相当の安全を確保できるので心配は杞憂に終わったのですが、家族の不安も考えて、2階からロープを1本下ろして、ユマール(ロープ登高器)を設置して「滑落防止」を演出しました。下りではこれを落下防止に利用するという日が何日か続くと思います。
 2階に上がれたのでパソコンに向かうことができました。椅子に座っているだけなら何の問題もないので、従来どおりの仕事はできそうです。早速遅れていた原稿を1本書いて、それからこの原稿にかかりました。(この原稿は翌日いっぱいかかることになりますが)

●最後に。10月17日(日)23時30分
 このたびは、多くの方々にご迷惑をおかけすることになりました。以上が事故から9日間のレポートです。明日から通院でのリハビリが始まりますので、仕事の再開に向けてのスケジュールが次第にはっきりしてくるかと思います。お待ちいただきたく、お願いいたします。
 それから、再度のお願いですが、あの日事故とレスキュー活動を目撃されたみなさんに、レポートをお願いします。手書きでもけっこうです。
 小さな事故ではありましたが、どのような光景が展開されたのか、複数の目に見えたものを重ねることで明らかになる意味はあるかと思います。
 なお全文をホームページの表に出したいので、個人情報として差し障りのある部分はどのようにでも表記を変えることができますので、お知らせ下さい。


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