キヤノン通信――41号 キヤノンのTV放送機器────ズーム機能が支えるカウチポテトの愉しみ──1993.5(入稿原稿)
【キヤノン通信 41号 1993.5】
【特集】キヤノンのTV放送機器────ズーム機能が支えるカウチポテトの愉しみ
●テレビが求めたスーパーアイ
ゴルフの中継はもっともテレビ的なもののひとつではないだろうか。18のホールを同時に見通すことはできないはずなのだが、テレビ中継はその不可能をいとも簡単に可能にしてしまう。
何台ものカメラがゴルファーの動きを“受け”たり“送る”。それぞれのカメラがゴルファーひとりひとりの時間軸を切り取って視聴者に提供してくれるのである。
カメラ群は各コースで同時に展開されるドラマも見逃さない。ぜいたくな方法だが、リアルタイムの何本もの映像を束ねておいて、自在に切り出していくことが可能なのだ。それゆえテレビでは、ゴルフは激しいデッドヒートのゲームとなる。
カメラは各所に固定されるが、クレーン車に載せられたり、カメラマンの肩にかつがれたり、ヘリコプターに積まれたりと多彩である。もし許されればレールを敷いて移動撮影もするかもしれない。
それぞれのカメラにはズームレンズが1本ついている。昔はターレット(砲台)方式といって、数本のレンズを台座に並べ、必要に応じて使い分けていたが、いまやズームでないレンズのほうが特殊なものになってしまった。
世界中のテレビカメラがズームレンズを装着しているのだが、その90%以上は日本製である。フランスにアンジェニーというレンズメーカーが1社細々と残るだけで、ほとんどが、キヤノンとそれを追うフジノン、ごく一部にニコンのレンズがあるだけという特殊な状況になっている。
大げさにいえば、世界のテレビ放送用レンズの歴史は圧倒的なシェアを獲得したキヤノンレンズの開発史といっていい。
テレビ放送がレンズメーカーに求めたものは、高性能ズームであった。高倍率のズームレンズをつくること、高倍率で小型化すること、小型化してかつ明るいレンズであること、といった要求がつぎつぎに追いかけてきた。焦点距離の長いレンズの解像度をどこまで上げられるかという素朴でてごわい課題もクリアしなければならなかった。そして1987年、キヤノンは創立50周年を記念して50倍という超弩弓のズームレンズを完成するに至った。
テレビカメラが求めたのは望遠(狭角)側への高倍率であったが、これは人間の“凝視”の視野の獲得であったといっていい。ヒトの目では網膜の中心でとらえるシャープな視野は1度に満たないのだが、高倍率ズームは一気にこの“凝視”を可能にした。
ちなみに広いほうの視野についてはヒトの目では180度を超えるが、テレビカメラはパン、ティルト、各種移動撮影、空撮など、カメラを動かすことでドラマチックな視野を獲得してきた。
●デビューから世界のトップ
日本のテレビ放送は1953年(昭28)にNHK(NHK東京テレビジョン)とNTV(日本テレビ放送網)が開局して始まった。今年はそれからちょうど40年目に当たる。テレビも不惑の年を迎えるわけである。
テレビカメラが国産化されるにあたって、キヤノンがレンズを供給し始めたのは1957年(昭32)であった。
当時キヤノンでは名機ライカに迫るキヤノン4sbというスチルカメラを出しており、その交換レンズがシリーズ化したところだった。それをテレビカメラ向けにマイナーチェンジして35mm F2、50mm F1.8、85mm F1.9、135mm F3.5を供給したのであった。
当時最新式の3インチイメージオルシコン撮像管は受光部の面積がライカ判カメラ(35mm判)とほぼ同じであったところからこの流用が成立した。
次いで200mm、600mm、800mm、1000mmなど、望遠レンズもラインアップされていく。
当時ようやく実用化されつつあったズームレンズでは、光学補正方式が主流とされていた。考えられるもう一つの手法はレンズの移動を精密に行なう機械的補正方式であったが、キヤノンの技術陣はこちらのほうが合理性が高いという結論に達した。
1958年(昭33)に完成したのがフィールドズームIF-I型である。これは焦点距離が60-400mmという6.7倍のズーム比だけでも欧米の水準を越えていたが、F4という明るさも画期的であった。機械的補正の優位性を決定的にするものだった。
これを「フィールドズーム」と名付けたのは、野外中継用として考えられたからである。スポーツ中継などで発揮されるクローズアップ効果は撮影対象を望遠側の高倍率によって引き寄せることによって実現される。
そこでこのフィールドズームではズーム部の後ろに、ズーム部で形成された画像をカメラ本体側の撮像面に再結像させるためのリレーレンズ部をもうけ、交換することによって135-900mm F9の望遠系ズームレンズとしても活用できるようにしたのである。
1962年(昭37)のIV型では最初から4種類のリレーレンズを用意してあり、交換することによって「55mmから2000mmまで37倍の焦点距離範囲をカバー」する万能レンズとして一時代を築くのである。
フィールドズームが望遠側への高倍率を求めたのに対して、スタジオズームでは最初、小型化が開発のポイントとなった。
第1号のスタジオズームIS-I型は1959年(昭34)に登場する。焦点距離は45-200mmでF2.8、ズーム倍率は4.1と数字的にはひかえめであった。スタジオではカメラは撮影対象に十分に近づけるが、引きは限定される。クローズアップは必要だが極端な望遠は必要ないからである。
スタジオズームは、だから4本ターレットのテレビカメラが標準的に装備していた50mm、85mm、135mm、200mmの焦点距離をカバーすることにとどめた。そのかわり、既存の4本ターレットに取り付けても強度的にむりのこない小型・軽量を実現したのである。
スタジオズームは1960年のII型でF4ながら2900gへと、軽量化はいっそう進んだ。そしてIII型でキヤノン独自の「一軸二操作方式」が採用され、1本の棒でズーミングとフォーカシングを行えるようになった。以後この方式がテレビカメラ用レンズの標準となる。
●コンピューターがレンズを作った
キヤノンがズームレンズの開発にとりかかったとき、レンズ設計はまだ手作業でおこなわれていた。さすがにソロバンと6桁の対数表による純粋な手計算は戦後すぐに終わったが、ソロバンが手回しの計算機に変わっただけであったという。優秀な女子計算員が2人1組で同じ計算をおこなって、答が一致すれば先に進み、一致しなければ誤算としてやりなおすという方法をとっていたという。計算が複雑になるにしたがって、誤算の発生が確実に増えていった。
レンズの設計では光線追跡という方法が王道であった。仮にレンズを組んだとして、撮影対象の1点から出た光がレンズでどのように屈折して焦点面に届くかを計算で明かにしていくのである。これを面に広げるために複数の点についてくりかえしていく。
計算によって明らかにされるのは、この段階では光線の軌跡のズレである。そのズレを収差というのだが、個々のレンズの曲率半径、あるいは肉厚、ガラス素材の性質の微妙な違い、個々のレンズやレンズ群の位置関係など、レンズの構成要素を変化させて収差を少しずつ抑えていく。そのたびにまた、計算が必要になる。
レンズはその組み合せ枚数が増えれば増えるほど収差の発生も多くなる。収差の発生源を増やしながら、収差を補正していくという矛盾さえ抱え込むのである。
ソロバンから手回し式の計算機になり、電動式へと変化した。そして1958年、最初のテレビ放送用ズームレンズが発売になった後に電子計算機のハシリが導入された。富士通信機製造(現・富士通)のリレー式電子計算機FACOM-128Bであった。計算速度は人間の25倍程度に過ぎなかったが、これによって誤算が追放された。
キヤノンのズームレンズ開発は、結局、計算機の進歩と歩みをひとつにしてきた。そのシミュレーションシステムはのちにあらゆる工業分野で立ち上がってくる自動設計の先駆となったほどである。
●ズームレンズにおけるキヤノン理論
このように計算の量的増大を支えてくれたのは計算機の進化であったが、それとともに両輪をなす“質の向上”に大きく貢献したのが収差論であった。
このときズームレンズ開発の中心にいたのは後にキヤノン(株)の社長となる山路敬三氏で、1960年前後にズームレンズにおける山路理論として知られる「固有係数と特性行列」による理論を体系化している。
『キヤノン史』によると、これはズームレンズの構成単位をレンズ1枚からレンズ群に広げて考え、レンズ群それぞれに固有の収差係数と、レンズ群が組み合せたときに生じるレンズの実際の収差係数との関係を明らかにしたのである。
こうして、ズームレンズの収差補正という複雑な問題が極めて見通しのよい形に変換され、単一焦点距離のレンズと大差のない手間で処理できることになった。
ズームレンズの収差補正の問題に関しては、現在に至るまで、この“固有係数と特性行列による方法”がほとんど唯一の理論上のより所となっているのである」
●カラー化と小型化
1960年(昭35)から日本もカラーテレビの時代に入った。白黒テレビカメラをカラーにするには、撮像管を3本にする。レンズで取り込んだ映像を、波長を選択的に反射するダイクロイックミラーを使って赤、緑、青に3色分解し、それぞれを白黒用撮像管で受けるのである。レンズは1本でも内部はカメラ3台分の構造になっている。キヤノンではさっそく、3インチイメージオルシコン管用の分解光学系を開発した。これは35ミリフルサイズとほぼ同じ画面サイズを3面同時に要求するシステムなので巨大であった。
イメージオルシコン管は2インチのものも開発されたので3インチ管用のレンズには頭にBの記号をつけ、2インチ管用にはKの記号がつけられた。
ちなみにこのKタイプはテレビ用としては短命であったが、35ミリ映画の画面サイズと近似であるところから、のちに同じKの記号でハリウッドの要望に応じた映画用のレンズが開発され、1972年度と1977年度のアカデミー映画賞科学技術部門を授賞する。
1945年以来主役の座にあったイメージオルシコン管はいわば白黒テレビ用撮像管の代表。カラーテレビ時代のものとしては1966年にオランダのフィリップス社が開発したプランビコン管が主流となって立ち上がってきた。
プランビコン管は小型・高性能となり、径の大きさによって1+1/4インチ管、1インチ管、2/3インチ管の3種類が使い分けられるようになる。
画面サイズは1+1/4インチ管で17.1×12.1mm(対角線21.4mm)。これは35mmシネ判よりはいくぶん小さい画面である。1インチ管では12.8×9.6mm(対角線16mm)となって対角線12.7mmの16mmシネに近づいた。さらに2/3インチでは画面サイズは8.8×6.6mm(対角線11.0mm)で16mmシネのサイズより小さくなった。
1インチ管としてはすでにビデコン管があって工業用テレビカメラ(ITV)用として普及していた。画面サイズが16mmシネに近いことからCマウントの交換レンズとして映画・テレビ兼用のレンズとして積極的に開発されていた。
ビデコン撮像管用のレンズ(1インチ)にキヤノンはVの記号をつけていたが、プランビコン1インチ管用のレンズにはPVの記号が与えられた。Pひと文字なら1+1/4インチプランビコン管用レンズである。また2/3インチ径の撮像管に対応するレンズはプランビコン管、ビデコン管、あるいは後のサチコン管、現在主流になりつつあるCCD(固体撮像素子)といった区別なくJの記号を与えている。
こうして撮像管の種類とサイズが一気に増えたが、それぞれに対応するレンズをつくったキヤノンのあわただしさがレンズ記号からも想像できる。
放送局用のカラーテレビカメラは現在に至るまで3管式、3板式が主流であるが、画面サイズは2/3インチに主流が移り、1/2インチ(キヤノンレンズにはHの記号がつく)も普及しはじめている。
●現場に飛び出すテレビカメラ
1970年(昭45)に発売された「PV6×18.5B」というレンズは1インチブランビコン管を使用するハンディカメラ用として開発された。PVがプランビコンの1インチ管であることを示し、6は6倍ズーム、18.5は広角側の焦点距離が18.5mmであることをあらわしている。最後のBはカラー用と理解しておいていい。
これが米国の3大ネットワークのCBSによって採用されてENG(エレクトロニック・ニュースギャザリング)という構想のきっかけとなった。
ENGという言葉は現在でも肩のせタイプのポータブルカメラシステムに使われているが、それまで16mmシネカメラが中心だったテレビニュースの取材現場にビデオカメラが進出する新しい動きを意味した。
1979年には「J13×9B」が高倍率とワイド化に小型軽量化を加えてENG用の新しい標準ズームレンズとなった。これは2倍エクステンダーによって18-234mmのテレズームとしても使える設計になっていた。
この13倍レンズは現在も「ENG超軽量標準」(J13a×9B)としての地位を保っている。
テレビカメラと周辺装置の小型化はテレビ番組の野外ロケも簡単にした。これをEFP(エレクトロニック・フィールドプロダクション)と称する。かつてキヤノンが最初のテレビ用ズームレンズをつくったとき、フィールド用とスタジオ用の2本立てにしたのと同様に、新しいポータブル機材にもENG用とEFP用の要求を盛るふたつの流れがかたちづくられたことになる。
●高倍率ズームへの壁
テレビ放送はテレビカメラをどこにでも持ち込んでいくというエネルギッシュな機動力と、高倍率ズームレンズによる“凝視”の魅力によって「見る」という行為の物理的な壁をひとつひとつ破ってきた。
1969年(昭44)にはP17×30Bが完成した。これは1+1/4インチプランビコン管用の17倍ズームで、焦点距離は30-510mmと高倍率、かつF2.8という明るさを獲得していた。そのバリエーションとして72年(昭47)に登場するのがPV17×24B。札幌オリンピックで大活躍してフィールド中継用ズームレンズのスタンダードとなった。
この17倍ズームは大口径であったところから色収差の問題が大きく立ちはだかってきた。たとえば軸上色収差では青を代表するg線(436ナノメーター)と赤を代表するc線(656ナノメーター)とを従来の貼り合わせレンズによって色消ししたとき、緑を代表するe線(546ナノメーター)の離れ量をどうしたら小さく補正することができるかという問題に直面した。
ズームレンズの場合にはさらに倍率色収差も補正しなければならないが、これはレンズ主点の色消しをおこなったうえで、ズーミングしてもそれが崩れないようにしなければならない。
長焦点側の色収差を改善するには大きな前玉部に異常分散ガラスや蛍石を使いたいところだったが、17倍ズームの開発時点では、まだそれができなかった。そこで若干の分散性をもつランタンフリント系のガラスを前玉部の凹レンズに使用することで、当時の輸入ズームと比べて収差を半分に抑えることに成功した。キヤノンでは以後、新しいレンズ用ガラスの開発に力をそそいでいくことになる。
じつはこのフィールド中継用17倍ズーム(P17×30B)がキヤノン式(山路式)とよばれる長焦点高倍率ズームの出発点となったのである。
ズーム比が大きくなっても望遠側の性能を高くできるところから、25倍、30倍とズーム比を上げていけた。1981年に発売になった30倍のPV30×15Bが大きさにおいても重さにおいても最大となり、これがテレビ放送用としては限界と考えられた。
ところが米国の3大ネットワークのひとつABCから、1984年(昭59)のロサンゼルス・オリンピック用としてさらに高倍率の中継用ズームレンズの開発を依頼してきた。
このときキヤノンの開発陣は、立ちはだかる大きな壁を正面から突破することを考えた。望遠側の性能を上げられるキヤノン方式(山路方式)に対してワイド側で優れた性能を出しやすい「乗り移り方式」という従来型をもう一度見直してみたのである。30倍レンズのワイド端が15mmであったのをさらにワイド側に広げ、ズーム倍率を上げてテレ側にも拡大するという方針をとった。
『キヤノン史』では次のように書いている。
「40倍を成功させることは乗り移り方式の1つの弱点を克服することであった。これはレンズの一部の群に非常に大きな負担のかかることで、収差補正上大きな難点となった。設計の労力の大半はここに注がれた。中継用レンズとして、仕様上のバランスから40倍として開発されたが、この開発で得られたノウハウは、さらに高倍率化をも可能にし、また次に出てくる高精細度テレビジョン(ハイビジョン)用の高性能ズームレンズの設計にも役立つこととなった」
40倍の中継用ズームレンズ(PV40×13.5B)の完成は1982年(昭57)であった。そして1987年(昭62)にはキヤノンの創立50周年を記念する50倍(J50×9.5B F1.4)の高倍率、大口径かつ小型・軽量の“夢のズームレンズ”が完成した。
●ハイビジョンの世界
キヤノンが作ったハイビジョン用レンズの第1号は14倍ズーム(PV14×12.5B HD)だった。1984年(昭和59)にこれは完成し、NHKによってつくば博で公開された。
現行のテレビ放送規格であるNTSCとハイビジョン(日本が提唱するHDTVシステム)との出力を比較すると、NTSCの画面走査線が525本であるのに対してハイビジョンでは1125本。走査線数の単純比較で約2倍の分解能が要求される。
さらにハイビジョンでは画面のアスペクト比が16:9と横長であるため、4:3のNTSCより走査線密度を高くする必要がある。
▼1インチイメージフォーマット
HDTV…………………NTSC
画面サイズ…13.94×7.84mm …12.8×9.6mm
評価周波数…800TV本……………400TV本
空間周波数…51本/mm……………21本/mm
▼2/3インチイメージフォーマット
HDTV………………NTSC
画面サイズ…9.49×5.39mm……8.8×6.6mm
評価周波数…800TV本…………400TV本
空間周波数…74本/mm…………30本/mm
つまり線分においての分解能は2倍強となり、面積当りの情報量では約5倍となる。このことは逆に許容錯乱円径(ピントが合っているとされる範囲内のボケ量の最大値)がNTSCシステムの約半分となることからピントずれに対して格段に厳しい設計になるという。レンズの結像の忠実度を客観評価できるMTF測定によると、NTSC用レンズで10%のMTF値低下をもたらすピント外れは、ハイビジョン用レンズでは50%もの低下を招くという。
このピントのズレは、撮影対象に対するフォーカシングに限らない。レンズ周辺部での像面湾曲や各種色収差など、レンズの構造的な性能低下がハイビジョンでは大きく影響してくるということなのだ。
色収差を補正するためには前玉群に異常分散ガラスや蛍石を使用するのがいまや常識的にさえなってきたが、レンズ素材の適切な組み合せによって個々のレンズの曲率に無理を加えないですむようにして、球面収差やコマ収差などの発生を抑える効果も発揮する。
かくしてハイビジョン用レンズは1992年(平4)のバルセロナオリンピックで本格的なデビューを果たした。
●各地に出現するキヤノン製“ユーフォー”
出勤時間帯の朝のテレビ番組に、最近目立って出番が増えてきたのが“屋上カメラ”の類。放送局の屋上カメラから始まって、山のてっぺんカメラやら、有名観光地の展望台カメラなどが、全国各地の朝の風景を次つぎに映し出してくれる。
全国各地を結ぶ“ご当地中継”番組では中継車が出て映像電波を飛ばすのが一般的だ。局のアンテナが見通せる地域内なら、障害物が間にはさまらないように送信用アンテナを設置する。ダイレクトに届かないようなら衛星回線を確保しておく。
神出鬼没のテレビ中継は、かくして、おおさわぎで仕込んだ手間に見合うだけの放送時間を確保して行なわれているにちがいないのだが、“屋上カメラ”の映像はそっけない。ほんのワンポイントリリーフという感じで使われている。
ときどきズームアップしたりパーンしたりするのでシロウトはだまされてしまうのだが“屋上カメラ”は無人で動いているのである。とくに、その圧倒的主流を占める“ユーフォー”では、映像や音声の出力系とは別に電話線を1本つないであって、カメラコントロールはそれで行なうようになっている。パソコン通信の要領で、そうとう複雑なコントロールができるように工夫されているのである。
まず、フレーミングの基本である水平方向のパンと垂直方向のチルトができ、14方向のパンポジションを指示することができる。レンズ操作ではズーミングとフォーカシング、焦点距離変更用の内蔵エクステンダーのイン/アウトも指示できる。
カメラに対してはオートホワイト/オートブラックにアイリス(絞り調節)の自動/手動制御、ゲインとよばれる感度設定も可能である。いつ、どのような条件で撮影するかを最大8ショットまで事前にメモリーすることも可能になっている。
全体的な保守機能としては、ハウジング内のヒーターやデフロスター、ファンの作動状態を把握でき、温度の異常や動作不良、あるいは回線故障などがあれば表示されるようになっている。
大型の三脚や固定支柱にヘッドユニットが固定され、それに放送用カメラが入った全天候型カメラハウジングがつけられている。気温が5度以下になるとヒーターが入り、26度以上になるとファンが回りはじめる。ガラス窓にはデフロスターとワイパーがつけられており、必要ならウォッシャーユニットも追加できる。
こうして、カメラマンが肩でかついだハンディカメラと同様の操作を、電話線1本で引き出せる。映像信号を受け取れるようにしてさえあれば、カメラ操作の命令はどこからでもOKである。スタジオからできるのは当然のことながら、カメラの近くから携帯電話で操作することも可能だし、電話線がつながっていればA放送局のカメラをB放送局から動かすこともできないわけではない。国外のC放送局からでも、理論的には可能である。
かくして一時は雲仙普賢岳を見張る“ユーフォー”が何台も並び立った。台風の接近を風雨にさらされながら映しつづけるといった仕事も“ユーフォー”ならの得意技である。
放送局用キヤノンレンズの性能を存分に発揮できる本格的な無人ロボットカメラとして、キヤノンU-4システムはいま、テレビネットワークになくてはならない存在になっている。
●テレビ映像の光キャッチボール
キヤノビームという名の光空間通信システムが注目を集めている。たとえば今年になって、住友電気工業と共同で開発したのは、毎秒125メガビットという高速で最大1kmまで離れた別個のLANとを接続できるという「光空間通信装置」。
ワークステーションやパソコンで構築したネットワークも、隣のビルとの間を公衆回線で接続したりすると、とたんにスピードダウンとなる。住友電気工業の光LAN技術と、キヤノンの光空間通信システムのドッキングによって、LANとLANとの接続が画期的に自由になるというもの。
ところがこのキヤノビームは、もともとテレビのイベント中継やスポーツ中継、あるいは電波を飛ばせない空港や防災設備での中継用に開発された映像伝送用であった。
発光/受光窓をもったビームユニットを2つ、1キロ以内の見通せる地点に置いて、テレビの映像と音声を双方向(2チャンネル)で伝送できるという可搬型のシステムなのである。最大4チャンネルまでの拡張が可能で、将来はテレビ映像のデジタル伝送やHDにまで対応できる余裕の設計が、125メガビット/秒の双方向データ通信を実現してしまったというわけ。テレビ局用機材を扱ってきた光機事業部の仕事が、いよいよシステムインテグレートの領域に踏み込んできたという好例である。
●HDTV画像を損なうことなく
衛星放送によって提供されるハイビジョン番組は放送衛星の1チャンネル分で送れるように、映像信号を圧縮し、受け取ったハイビジョン受像機ではではそれを圧縮前の状態に戻して見るという方法をとっている。NHKが開発したその信号圧縮方式がMUSEだが、MUSE方式では映像信号は一部間引かれるため100%再現することはできない。
キヤノンではこれからさまざまな分野で実用化が進むHDTV(日本のハイビジョンを含む)のフルスペックの映像を60メガビット/秒の伝送速度で送れるよう、15分の1という高圧縮を実現した。
これによって、現在世界をカバーする60〜140メガビット/秒の4種類の国際伝送ルートを使ってHDTV映像をやりとりできる。
140メガビット/秒は米国とヨーロッパの高速デジタル公衆回線モードで、120メガビット/秒がインテルサット衛星伝送モード、100メガビット/秒が日本国内の高速デジタル公衆回線、そして60メガビット/秒が通信衛星の36MHzのトランスポーダー(電波中継器)に対応するモード。
高圧縮率の伝送によって、HDTVの活動領域は飛躍的に高まるはずです。
★トップページに戻ります