オートメカニック――1989年3月号 パーツうんちく学【5】オイルの巻(入稿原稿)


伊藤幸司のパーツうんちく学【5】オイルの巻────1989.3


●オイルの進化

 今回は何冊かの本を読んで、エンジンとオイルの関係をすこし理解してみた。
 エンジンのチューンナップパーツとして、具体的にどのオイルをどのように使うのがいいか、ということは、結局わからなかった。
 コストパフォーマンスということでは、安いオイルをこまめに換えていくのと、高いものをその価格分だけ長期間使うのと、どちらが合理的なのかということも、やはりよくわからない。
 ただいえることは、温度変化に強く、酸化による劣化の少ない合成油を基油とするものが(価格が高いということを除けば)安心だということだ。計算どおりの働きをしてくれるはずなのだ。
 それに対して鉱油を基油とするオイルは産地によって品質が相当ちがう、品質のいいところだけを使っているかどうかということが問題になる。天然ものにつきものの、品質の幅が大きいということがいえる。
 しかし基油がそのままでモーターオイルたりえたのは遠い昔のことで、米国の API規格の「SA」グレードをいまの車に使ったら、ほとんど走らないはずだ。グレードはSB→SC→SD→SE→SF→と上がってきて1988年には「SG」が設けられた。
 このようなオイルのヘビーデューティ化があってはじめて、現在の高性能エンジンは安心して回るといっていい。
 それではオイルはどう改良されてきたのかというと、ひとつは基油の改良である。
 そしてもっと重要なのは、添加剤がエンジンからの要求をひとつひとつ満たしてきたといえそうだ。現在のモーターオイルは20%以上が添加剤といってもいい。いってみればおかずがどんどんぜいたくになってきて、栄養たっぷりになったということだ。

●摩擦の基本

 エンジンが潤滑油を必要とするのは構造上の問題である。たとえばオイルレスエンジンがあったとすると、シリンダー内壁とピストンの外壁とがかぎりなく接近して、かつ接触していない状態でなければならない。
 この場合、そのふたつの面の間には乾燥摩擦が生じてくる。世の中で摩擦といえば乾燥摩擦が基本である。そしてこの法則については天才レオナルド・ダビンチが基礎的な実験をおこなっているという。
 結論的にいえば、ふたつの面をすべらせると、その摩擦は、(1)接触面積の大小にかかわらず、(2)すべり速度にも関係せず、(3)荷重に比例する。つまり面と面の間に生じる圧力が2倍になると、摩擦力も2倍になるというわけだ。
 しかし、もっと大きな影響をおよぼすのは、(4)すべり面のなめらかさ(平滑)。表面の形状によって摩擦の大小が支配されるということである。
 工作精度が上がってシリンダーとピストンの間がかぎりなくピシッと合って、なおかつ理想的になめらかだったとすると、エンジンはオイルなしで回るかというと、ふたつの点でこまることが起きてくる。
 ひとつはそのような理想が実現したとすると、左甚五郎の名人芸同様に(原理はちがうが)2面はぴたりとはりついてしまう。素材の分子の間に働く凝集力や接着力(いわば引力)がはたらいてしまうからだ。
 工作機械でつくる現実の表面は、電子顕微鏡で見る程度(分子レベルよりずっと大きなところ)で、山あり谷ありといったデコボコになっている。
 そしてその山と山が接触すると、そこで分子間の接着がおこる。そうなると「(1)接触面積の大小にかかわらず」という法則によって、摩擦力は急激に大きなものになっていく。
 もうひとつは、エンジンが内燃機関であるかぎり、そこにある程度の熱が発生しているということだ。熱によってまったく膨張しない素材を使わないかぎり、ふたつの面が接しあう距離は一定に保てない。

●潤滑の5面相

 そこでエンジンは摩擦面をオイルで湿らせて「(1)流体潤滑」という状態をつくっている。
 この潤滑の原理はなかなか煩雑で要領よく説明するのはむずかしい。そこで「たとえば」という方法をさがしたが、これも見当たらない。しかたがないので、下ネタにごくふつうに使われる例をまじえてみるしかない。男と女の特殊な行為を想定するということなのだが、人によってはいっそう混乱するかもしれない。
 たとえばオイルレスでピストン運動を開始すると、接触する部分に大きな摩擦力が発生してくる。その部分にヒートスポットがでてくるはずだ。そのままつづけると部分的に溶着が起こる。
 そこに液体が入ってくるとどうだろう。ふたつの面の表面が潤ってくると、その液体の薄い膜によって2面は完全に分離される。
 しかもそれが油の場合には、面と面が接触しようとして圧力をましてくると、油は粘度をたかめて強力にそれをふせぐ。エンジンオイルの場合には油膜の厚さは4分の1ミクロン(ミクロンは1000分の1mm)以上というオーダーで流体潤滑が成立するといわれている。
 しかし現実に、金属表面には数ミクロンのヒダや突起や窪みができている。その上に数十ミクロンの厚さの酸化物層がかぶっている。
 そのままピストン運動をつづけているうちに、突起部が接触状態に近くなったりすることがあると、潤滑膜はしだいに薄くなり、その部分の圧力が高まってくる。
 そうすると潤滑油が不思議な挙動をしめすのだ。圧力に応じて高くなる粘度のために流体力学的な原則から大きくはずれて、なめらかさがうしなわれてしまうのだ。これは通常のオイルの場合、1ミクロンから 100分の1ミクロンのあたりでおこり、(2)弾性流体潤滑といわれている。この弾性流体潤滑は流体潤滑の領域でも起こりうるということでもある。
 潤滑膜が薄くなって 300分の1ミクロンあたりになると、 (3)境界潤滑という状態に入る。
 これはアブノーマルな状態で、すでにあちこちで2面が直接触れ合うようになっており、その接触部分では接着や溶着が起きている。こすれたり、はりついたりしているのだ。
 ここまでくると、油膜は限界を超えて薄いので、油膜自体にそなわっている界面化学的な性質が結果を左右する。たとえば疲労したオイルだと、ここでふんばりがきかない。
 シリンダーとピストンの工作精度がよくなかったり、潤滑がうまく機能しないと、(1)流体潤滑、(2)流体弾性潤滑、(3)境界潤滑の3つの状態があちこちで混在することもある。これを、(4)混合潤滑状態という。
 そのような悪条件のなかで、さらに激しくピストン運動をつづけると、最悪の、(5)極圧潤滑になる。2つの面が直接こすりあって、温度も急激に上がり、焼付が起こる。

●摩擦緩和を仕掛ける

 もともと、シリンダーとピストンはアッというまに焼き付いてしまうほど危ういのである。オイルがえらいと思うのは、そこのところを、先へ先へと読んで、手当てを準備していることだ。
 たとえば境界潤滑状態になったとき、吸着活性の大きいオイルだと踏ん張れる。あるいは極圧潤滑の状態になってもカバリングできるように[極圧剤](EP剤)を添加してあり、金属表面と活発に反応して、油に溶かされない表面膜をつくっていく。
 表面に吸着し、その部分に発生している熱によって金属と酸化反応を起こして多孔質のコーティング層をつくっていく。その孔にオイルを導いて、危険な状態から脱出しようとするのである。
 これは摩擦緩和作用のうち、表面処理の手法である。そのほか[油性剤]が、弾性流体潤滑や境界潤滑状態の軽荷重領域で金属表面に働きかける。
 金属表面に吸着しやすい極性基によって単分子の膜をつくり、金属表面の表面エネルギーを低下させて、オイルによって濡れやすい条件を整える。あるいはまた、すべりやすい粒子をコロイド状にしてオイルに混ぜて、摩擦面にすべり込ませる。それを[耐摩耗剤]という。

●サボらせないくふう

 これらの非常時には主役のオイル基油はほとんどギブアップの状態になっているのがふつうだ。そこで添加剤が金属表面に直接作用して一種の固体潤滑膜を形成して難局を乗り切ろうとする。
 しかしノーマルな状態での流体潤滑を保つためには、オイルの粘度を保ち、疲労しないようにしなくてはならない。
 ただ、やっかいなことに、ピストンリングのあたりは正常な運転でも 300℃にもなっているので、天ぷら油が 200℃程度でかんたんに酸化するように、酸化劣化の不安をかかえている。
 鉱油のオイル基油の主成分はパラフィンとナフテンと芳香族で、これらの炭化水素は空気中でも酸化が進むほどだから、高温状態ではきわめて酸化しやすい。天然鉱油の宿命ともいうべきものだ。
 そこで、酸化生成物がスラッジなどの不溶性物質に生長する反応を途中で断ち切る[酸化防止剤]が添加される。
 そのことよりもっと重要なのは、オイルが現場で働くときの粘度を最適な状態に保ってやることだ。温度が上がるとオイルはたちまちバテてしまって粘度が下がる。涼しいときには元気でも、いちばんだいじな高温状態でサボるくせがある。
 そんな鉱油も、水素化分解法などで高粘度指数のオイルをつくることは可能だそうだが、現在はそのへんを健康ドリンク1本でガンバレよ、と尻をはたくかっこうになっている。[粘度指数向上剤]というのがそれで、ポリマーをちょうど糸くずをまるめたように入れておき、高温になるとそれがほどけて、油との混合物をつくり、粘度の低下をおぎなうのである。
 逆に温度が低下してもオイルは腰が重くなって働かない。石ロウ分が結晶化してしまうのである。これも深冷結晶化分離という方法をとれば、かなり寒さに強いオイルに変身するというのだが、収量が減って高価になる。そこで[流動点降下剤]を加えて流動性を保つ最低温度を引き下げていくのである。

●補給基地の仕事

 シリンダーとピストン(ピストンリング)の間に入って流体潤滑の役目を果たしながら、オイルは燃焼室での爆発エネルギーを逃さない役目も果たしている。
 そのためオイルは液体シール(パッキング)として働くことにもなる。
 しかし流体である以上、そこには燃料のススやスラッジなど、固体の老廃物が入りこんではすり抜けてくる。
 金属面にできる酸化物やオイル自身が生み出す酸化物もピストンリングがかき取っていく。それを放置していくと、そのゴミがめぐりめぐって潤滑面にもどってくると研磨剤になってしまう。オイルの酸化をいっそう早めることにもなる。
 そこで[清浄剤]という油溶性の金属せっけんが加えられる。
 金属の表面をきれいにしたあと、その汚れやゴミをコロイド状に分散させるのが[分散剤]の仕事になる。オイルの清掃班という感じだが、とにかく老廃物を大きなかたまりにならないようにつぶしていく裏方である。
 掃除のついでに金属表面にいたみそうなところがあれば[さび止め剤]や[腐食防止剤]の出番になる。
 オイルのおもな仕事はすでに述べたようにシリンダーとピストンが接するところにあるのだが、まさに縁の下の力持ちというにふさわしい仕事もしている。ピストンの往復運動を回転運動のエネルギーとして取り出すためのコンロッドに伝わってくる衝撃を受け止める仕事もしている。
これはまさに力仕事で、油は圧力が高まると粘度を上げるという性質を生かして、その衝撃荷重を受け止めているのだ。その意味ではエンジンそものの軽量化部品といえる。
 しかしその仕事では激しい撹拌をうけるために、泡立ちが起きる。つまりオイル中に気泡ができてしまうことになる。そこで[消泡剤]が加えられる。
 オイルはまた、大きな仕事として冷却液としても循環している。最近のエンジンのなかには、オイルを直接ピストンヘッドの裏側に吹きつけて強冷効果を発揮しているものがある。
 クランクケースの油温は50〜70℃程度であり、 300℃の灼熱地獄から帰ってきたオイルの休憩場所にもなっている。

●めざすはスーパーオイル

 とにかくオイルは仕事をたくさんかかえこんでいて、あるものはフルタイムで、あるものはパートタイムで働いている。
 その働きをもう一度整理してみると、オイルの基油とよばれるものは、潤滑において必要な粘度を保つことと、多彩な仕事師たちの運搬役というかたちになっている。
 その仕事師たちのなかには、積極的な仕事をするものもあるが、基油の弱点を背後から支える役目のものもある。
 そこで極低温でも流動性を保ち、高熱にさらされても粘度を失わなわず、さらに酸化しにくいものになったら、添加剤の負担はもっとずっと軽くなるということが素人考えでも明らかだ。
 その理想へのひとつの表現が、オールシーズン使えて耐久力のあるもの……ということになる。
 それが化学合成オイルの進むべき道である。合成オイルは最初、石油資源なしにつくれる代用オイルとして軍事開発されたものだが、いまや理想追求のオイルになっている。
 しかしクルマのモーターオイルを、かならずしも理想化する必要もない。費用対効果という観点から、鉱油系オイルをうまく使うという立場も正しいものとしてある。
 へばっても使えるオイルと、オイルをへばらせない使い方は、ドライバーの選択にまかせられている。
 ただ、オイルをいい状態で使うと燃費にはっきりあらわれてくるようだ。約30%といわれる動力損失を軽減するためにオイルはもっともっと改良されていい。それは省エネということではなく、クルマそのものの洗練ということだ。
 そしてエンジン内部の状態をオイルを通して見ることができるということはメカニック派ドライバーの基礎能力といえそうだ。判断力がありさえすれば、とりあえず、好きなオイルをセレクトすることはできるだろう。


★トップページに戻ります