オートメカニック――1989年6月号 パーツうんちく学【8】点火装置の巻(入稿原稿)


伊藤幸司のパーツうんちく学【8】点火装置の巻────1989.6


●長寿だったポイント式

 石油は古くから燃える水として知られていたが、これを燃やして熱や光をとるのではなく、爆薬として使って、そのエネルギーを動力源として取り出すには技術が必要だった。初期の自動車がガソリンより蒸気を選んだのは、蒸気の圧力のほうがガソリンの爆発力よりも取り出しやすかったからである。
 これは車の知識というよりも、動力技術史の常識である。爆発エネルギーを破壊のためにではなく、コントロールされた動力エネルギーとして取り出してコンロッドを押してフライホイールをまわせるようになると、蒸気自動車のボイラー爆発(こちらは決定的に破壊的)の危険が車においては大きなデメリットになっていった。
 ガソリンを爆発させるためには密閉容器の中で瞬間的に燃やさなければならない。燃えやすくするためにガソリンと空気を混ぜて霧状にする。その霧に火をつけるには、さてどうしたらいいかということになった。
 点火装置はここに登場するのだが、いまでいえば低温核融合実験にも匹敵しようかというブラックボックス内のこの仕事に電気を使った。人工カミナリである。高い電圧をわずかに離れた両電極間に流してやる。その火花がガソリンと空気の混合気に火をつけるのだ。
 高い電圧をかけるにはどうしたらいいかということを含めて、天才的な発明がここに登場する。1910年に米国のチャールズ・ケタリングによってつくられた装置である。
 ケタリング式イグニッション装置というのは、別名をバッテリー点火方式といい、これはじつに巧みな構造になっている。
 イグニッション装置はバッテリー、イグニッション・コイル、コンタクト・ブレーカー(ディストリビューター内にある)、スパークプラグといったものから構成されていて、イグニッションコイルでは1次コイルと2次コイルの巻き線数の比をおよそ1対 100にして、電圧を 100倍に上げる。
 バッテリーから供給される12Vの電源はイグニッションコイルの1次コイルを通って、コンタクト・ブレーカーのブレーカー・ポイントに入る。このポイントはドライブシャフトの回転に合わせて開閉するようになっている。
 バッテリーからの12Vがコイルで 100倍になると1200Vだが、ブレーカー・ポイントが開かれて1次電流が遮断された瞬間に2〜3万Vもの高電圧が2次コイルから発生する。
 これがケタリングの手品であり、バッテリー点火方式のネタである。バッテリー〜コイル〜ブレーカー・ポイントの間に一種の発振回路ができ、バッテリーが巨大なコンデンサーの役目を果たして 300Vもの高電圧を発生する。イグニッションコイルはそれを 100倍にするのだ。
 それまで、高電圧の発電をしていたのが、ケタリングの手品によって、低電圧発電でよくなった。
 このケタリング式点火装置は、いまでは「ポイント式」といわれているが、そのほうが表面的には理解しやすい。このポイント式点火装置は、ほとんど最初のままの構造で、つい最近まで主流……というより、いまも一部の車ではかくしゃくとして現役である。
 しかし、ブレーカー・ポイントが1次電流を遮断する瞬間に、そこにもアーク放電、すなわち人工カミナリが発生することがあり、接点が焼けてくる。エンジンのもっとも重要な部品のひとつでありながら、消耗部品であり、消耗に応じて精度が落ちてくるという大きな欠点をかかえていた。
 当然、無接点という考えがでてくるわけだ。

●トランジスター点火

 国産乗用車ではセンチュリーとスカイラインGTRが、先陣を切ってフルトランジスターのイグニッション装置を搭載した、と永井龍男さんはいう。当時すでにトランジスター式のイグニッション装置でその名を知られていた永井電子機器の2代目である。
 永井さんがなぜそれを覚えているのかというと、職業上の知識というよりもむしろ、ポイント式からトランジスター式への過渡期として象徴的な出来事があったからである。
 センチュリーはご存じのように大衆車ではない。プレステッジカーというだろうか、わずかな台数の車が全国の“名士”のところで使われた。最新の点火装置を搭載したまではよかったのだが、それが裏目にでたのだ。
 いったん不調になると、地元で直せない。点火装置ひとつで、東京まで送らないといけないというようなことが起きた。いまでは信じられないことだが、象徴的な出来事だ。当時のスカイラインGTRのトランジスター式イグニッション装置は“弁当箱”ほどもあったという。そういう時代である。
 ポイント式は不安定ではあったが、だましだまし使うこともできたのだ。メンテナンスが必要だが、楽だということでもあった。
 しかしポイント式では1次電流を直接断続するために、接点が焼損しやすいのと同時に、接点を護るためにつけた火花消去用コンデンサーによって、強力な火花エネルギーを得られなくなるという性能上の問題が出てきた。
 とくに排ガス規制などによって、希薄な混合気を確実に燃やすため、ミスファイアのない点火装置が求められた。機械的な接点に起因するそのバラツキを防ぐために、トランジスターのスイッチ機能を使おうということになったのである。
 ブレーカー・ポイントに1次電流を流さず、トランジスターを制御するだけの微弱電流を流して、その指示によってトランジスター(イグナイター)が1次電流を開閉する。つまりトランジスターという新しいスイッチをもってきて、それを従来のコンタクト・ブレーカーによってリモートコントロールするという考えである。
 こうすることによって1次電流の開閉によるポイントの焼損や、接点アークによる電圧の変動などがなくなった。1次電流をイグニッションコイルに安定して供給することが可能になった。これをセミトランジスター式という。
 ではフルトランジスター式とは何か。コンタクト・ブレーカーのポイントに無接触の電磁スイッチを取りつけた。ブレーカー・ポイントを取り去ることによって完全な無接点を実現したというわけである。これによって、イグニッション装置に長年にわたってまとわりついてきた大きな不安定要因が取り除かれたのである。

●進化の流れ

 トランジスター式になるとミスファイアが追放されるので、走行性と始動性は抜群によくなった。ポイント式ではとくに始動時に、コンタクト・ポイントの開きが遅くて接点アークが発生しやかった。高回転域ではポイントの動きが激しくなって、ジャンプしたりする接触ミスが起きやすかった。それがなくなったのだ。ミスファイアのない走行フィーリングは一般ユーザーにもはっきりわかる革命的な変化となってあらわれた。
「セミトラとフルトラでは、理論的には大きなちがいがないでしょ。ところが実際にはトルクの出方がかなりちがう。このあたりがおもしろいところでね」
 永井さんによると、その原因は、セミトランジスター式に残されたコンタクト・ブレーカーにあった。ポイントの機械的な開閉に、やはり微妙なバラツキがでるというのだ。チャタリングとよぶ小さなジャンプなどが、点火タイミングの狂いとなってあらわれる。だからトルクがちがってくる。
 つまり、ポイント式からトランジスター式になったことによって、精度の追求がずっとシビアになってきたということなのだ。
 この会社、永井電子機器は1963年に日本で最初のトランジスター・イグニッションを発売したという老舗なのである。ちなみにその前には、1960年に日本初の電子式エンジン回転計を出している。ほとんど同時に同様のメーターを出した会社があったが、その会社は幸いなことに自動車部品の分野から早々と手を引いて、世界的な大企業になっていった。ソニーである。
 ライバルが消えて永井電子機器はつぎにトランジスター・イグニッションへと進んだわけだが、根っからの電子機器メーカーというわけではない。1954年の創業はニッサン・オースチンの部品販売であった。翌年にブレーキライニングの接着法を開発して、その道具を修理工場に卸すようになった。外車の車検修理などでこれが威力を発揮して、会社の基礎は固まった。
 いわゆるベンチャービジネスである。その精神はセミトラ→フルトラ→CDIとイグニッションシステムの電子化に向けられてきたというわけだ。
 セミトランジスター式の電子点火装置はレースの世界で脚光をあび、公害対策で一般車に一気に普及していく。そしていったん電子化が行われると、たちまちフルトランジスター方式に置き換えられていった。
 メーカーが本気になれば、コツコツと積み上げてきた技術を一気にかっさらってしまうのだ。永井さんのところでは、レース用にCDIを開発していく。

●電気と火花の謎の関係

 CDIというのはキャパシター・ディスチャージ・イグニッションの略で容量放電式と訳されている。
 従来のケタリング式は誘導放電式であって、イグニッション・コイルに蓄えられた電磁エネルギーを放電する。ところがCDIでは、コンデンサーに電気をためておいて、大電流をきわめて短い時間流して、その1次電流が昇圧トランスで高圧電流を発生するという仕組みになっている。
 その違いがどこにあるかというと、大きなバケツから少しずつ水を流すような電流の取り出し方ができるということなのだ。
 この方式はもともと米国で早くから開発されていたのだが、その理由は簡単である。4気筒エンジンが1万回転でまわるのと、V8エンジンが5000回転するのと点火回数は同じになる。つまり気筒数が多くなればなるほど、高回転域の火花の追従性と同じことを工夫しなければいけなくなる。
 全放電方式から小出し放電方式に変わると、放電する電気の質も変わってくる。放電時間がきわめて短くなるのだ。
「野球でいえば、バットを短く持ってシャープに振り抜けるという感じでしょうか。この方式にすると火花電圧も自由に設定できるという利点もあります。ところが、最近の希薄燃焼では火花時間が長いほうがいいとされているので分が悪かった」
 希薄燃焼では点火してから燃焼室内に火炎がひろがるまでに時間がかかるので、火花時間は長いほうがよく燃えるはずだった。ところが、排ガスレベルで調べてみると、こちらのほうがかえってよかったというのである。
「燃焼室の内部のようすは、理論的にはかなり分かってきたけれど、実際はどうかとなると、謎ばかりですよ」
 CDIにとっての不幸は、もうひとつあった。理論的にはいいはずなのに、プラグの焼けムラが出たり、点火しにくいことがあった。各社それぞれ足踏みしていたところ、とんでもないことがわかってきた。
「チャンピオンプラグの説明書を読んでいると、火花は外側電極から中心電極に跳ぶというんですね。逆に中心電極から外側電極へ火花を飛ばそうとすると5000V程度の負荷が加わるというのです」
 ポイント式では3万ボルトで火花が飛ぶ。それが発明者ケタリング以来のことであったが、CDIの設計値をそれに合わせると発火性がよくなかった。3万5000Vが必要だったのだ。
「ケタリングという人は電極のプラス・マイナスをちゃんと調べてああいう組み合わせにしたんでしょうかね。とにかくCDIではマイナス電圧をかけないといけないということがわかったんです」
 プラス電圧のCDIでは、放電電流はプラス電極からマイナス電極に流れ、反転してマイナスからプラスへといく。それが電圧低下の原因であった。あとになってみればナーンダというようなことが、日本の全メーカーを錯覚に落とし入れたのだ。
 パワーが出ないという不評を挽回するために、永井電子機器ではデュアルスパークというのを考える。これはCDIの、短いが安定した放電特性に放電時間の長いフルトラ式を重ねた「複合放電」である。
 これだと、最初にCDIの短くて安定した電圧の火花放電がパチンときて、そのあとに従来の長い放電がくる。あるいはその組み合わせを変化させて、高回転域では高い火花電圧で短い放電を重視し、低回転域では長い放電時間を重視するというデュアル効果である。
 CDIはオートバイには相性がよかった。高電圧で発電して直接コンデンサーにつなぐので、構造がシンプルになる。混合気が濃いので燃焼しやすく、高い回転数を使う。だからCDIによって性能を格段に飛躍させた。
 しかし車のほうは希薄燃焼というネックがあるうえ、低回転域から高回転域までの広い範囲での点火時期調整をICイグナイターで自動コントロールするといった方向に進化していった。

●DLIシステム

 1982年ごろから普及しはじめたイグナイターのIC化は83〜84年にはたちまち一般的なものになって、きた。
 ディストリビューター内で低圧断続部とよばれたコンタクト・ブレーカーが無接点になったわけだが、その点火時期を、エンジン回転数に応じて反応するガバナー・コントローラーや、エンジン負荷に応じるバキューム・コントローラーによって、最適なところにずらしていくようなしかけになっていた。
 ところがICイグナイターの登場によって、このディストリビューターが不要になる。点火時期の調整まで、電子的に制御できるようになったのである。
 DLIはディストリビューターレス・イグニッションシテムの略である。これには2つのセンサーがついている。ひとつは圧縮上死点の検出で、もうひとつはクランク角度の検出である。エンジンの回転を伝えるタイミングローターの回転から、ピックアップ・センサーが必要な情報をとらえる。
 精密なものではタイミングローターの円盤上に全周 360個の1度信号用のスリットをあけてある。そこを通過する光の断続によってクランク角度をこまかく読み取ることができるようになっている。
 こうして得た情報を、あらかじめ用意したプログラムにしたがって、点火時期信号として送り出すのだ。エンジンが要求する点火をいかに実現するかというのではなく、あらかじめ用意した点火メニューによって、エンジンを効率よく働かそうとするアクティブな制御である。
 その制御どおりに火花放電するために、イグニッションコイルも各気筒、あるいは対向する2気筒ごとに用意されるようになった。
 フルトランジスター式が完全な電子化にまで進んでしまったのである。永井さんご自慢のCDIも、火花特性の違いという程度にしかアッピールポイントをもたなくなってきた。
 新しい風が吹かなければ、しばらくはこのままいくのだろう。永井さんのところでも、しばらくはレースに力を入れるという。電子装置は装置全体としてブラックボックス化してしまったのだ。ROMの書き換えなどによるチューニングアップに見えるような、もうひとつ先のターニングポイントまで、しばらく様子をみようというのだ。


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