オートメカニック――1989年7月号 パーツうんちく学【9】コンピューターの巻(入稿原稿)
伊藤幸司のパーツうんちく学【9】コンピューターの巻────1989.7
●コンピューターから真空管へ
くるまにコンピューターが積まれるようになったのは、そう遠い昔ではない。
コンピューターそのものが実用車に積まれた最初は1976年とされる。米国のGMがMISAR ( Micro- processed Sensing and Automatic Regulation )とよぶマイクロプロセッサー式点火時期制御装置をオールズモビル・トロナード77年型に搭載したのである。
これはロックウェル社の10ビットプロセッサーをCPU(中央演算処理装置)とするものである。このCPUにROM(読み出し専用メモリー)、RAM(随時書き込み読み出しメモリー)、I/Oインターフェース(入出力装置)が連結されると、名実ともに独立したコンピューター(マイコン)となるのだが、ともかく車がコンピューターを積んだのだ。
この年は昭和でいえば51年である。自動車の技術史においては忘れられない排気ガス規制値達成の技術競争のまっただなかのことだということが意味をもつ。
クライスラー社はすでにその前年の76年型車に、汎用IC(集積回路)を使用する電子式点火時期制御と希薄燃焼を組み合わせた方式を採用している。そしてフォードは78年型車に東芝の12ビットマイクロプロセッサーを用いたエンジン総合制御装置 EEC-1 を載せ、それはフィードバック制御つきのものに進化していく。
くるまのコンピューター化は、まず米国のビッグスリーが先頭を切ったということは覚えておいていいようだ。
コンピューターそのものの歴史では、1971年という年が重要である。日本の電卓(何の略だったっけ?)のために米国のインテル社が開発したマイクロプロセッサーが、たちまちマイクロコンピューター(マイコン)を生み出し、それがパソコンへと成長していく。コンピューター文化の基点といっていい年である。
マイクロプロセッサーというのは、1個から数個のLSI(大規模集積回路)によって計算機能を果たせるようにしたものだ。 Large Scale Integrated Circuitとよぶこの物体の「大規模」というのは、ダイオード、トランジスター、抵抗器、コンデンサーといった回路素子が一般に1000個以上組み合わされたものとされてきた。
1000個に満たないものは、Inte-grated Circuit すなわち集積回路でICとよばれるものだ。しかし今ではICとよばれても、LSI規模のものがふつうになっているという。
そのICの発明は1958年、米国のテキサス・インスツルメント社。くるまへの搭載は1966年で、GMがハイブリッドIC式の電圧レギュレーターを搭載している。
ハイブリッドというのは一時期の流行語でもあり、複合とか混合といった意味をもつ。役割の異なるパーツを組み合わせた過渡的なICと理解しておけばいいようだ。現在ICといえば、モノリシックICが基本になっている。ひとつの基盤に集積回路をのせたものという意味である。
さらにその前身をさぐれば、トランジスターということになる。自動車整備学校の教科書を見ていたらシリコンだとかゲルマニュウムの半導体について基礎の基礎が書かれていた。一番外側を4つの電子が回っているこれらの物質に、最外側軌道の電子数が3つの物質や5つの物質を少量混ぜると、結合状態で電子の不足が出たり、余りが出たりする。
その両側に電圧をかけたとき、席取りゲームのように電子がつぎつぎに足りないところを埋めていって、その結果としてマイナス側からプラス側への電子の移動が起きるものをP型(ポジティブ)、あまった電子が押し出されていくことで、電子が(やはりマイナス側からプラス側へと)動いていくものをN型(ネガティブ)というのだそうだ。電子が移動すると電流が流れるわけである。
P型とN型の半導体を接合して両側に電極をとりつけると、電子の動きの手品によってP型の電極がプラスのときには電流が流れるが、その逆では流れないということがおこる。これによって交流を直流に変える整流作用が生まれる。これが2極真空管に代わるダイオードなのだ。
つぎにPNPとNPNの組み合わせにしてみる。PでNをはさんだり、その逆にしてみたりするわけだ。これがトランジスターで(やはり電子の動きによって)小さな電気信号によって大きな電流・電圧をコントロールすることができる。
小さな電流で大きな電流をコントロールするということは、たとえば扉の開け閉めの加減によってそれに応じた大きな電流を取り出せる(増幅)ということだし、開けるか閉めるかという二者択一ではスイッチになる。
これはハンドルとタイヤの関係にも似ていて、右にいくか左にいくかということではスイッチイングだが、大きく切るか小さく切るかでは増幅作用になるわけだ。
トランジスターは最初、真空管ラジオに代わるトランジスターラジオとして生活の中に登場したのだが、それは電極を加熱して電子を飛ばさなくてもいいために、電池でラジオを聞けるようになった。小さくて壊れにくいというメリットももっていた。
トランジスターはすなわち3極真空管に代わるものとして登場したのだ。初期の電子計算機が膨大な数の真空管を並べたものからIC、LSIのチップに代わっていったのと同じである。
トランジスターの発明も米国で、1947年にベル研究所で行われた。実用車への最初の搭載もまた米国で、1962年にGMがトランジスター式点火装置を採用したときとされている。
しかしくるまの電子制御という意味では1957年にクライスラー社が真空管式の電子燃料噴射装置、いわゆるEFIを開発している。もちろん短命だったけれど。
●ブラックボックスの本性
……とまあ、正しいのか間違っているのか知らないけれど、こんなところまでは下ごしらえができていた。
そこで、つぎはROMの書き換えによるエンジンチューンナップ−−という方向には進まなかった。そのへんのところは、いまやくるま雑誌のメーンテーマのようだし、コンピューター雑誌でもくるまの記事が増えている。
うまくいえないのだが、くるまのなかにコンピューターが積まれて、くるまがいったいどんな方向に変化していくのかということを知りたかった。
都合よく現れたのが山崎千春さんだ。北海道大学の大学院でカンテンだとかゼラチン、はてはゆでタマゴのゲル状態がどのようにして起こるのかを研究していたというヘンな人で、本誌で活躍中の“山崎クン”のいとこにあたる。電子機器メーカーに就職して東京に出てきたばかりのところで、夜なら時間がすべて自由ということであった。
高分子固体物理という分野なのだそうだが、液体と固体の間で不思議なつながり方をするゲルという状態は、導体と絶縁帯の間で、電気を流したり止めたりする半導体と似た存在のようにも思えた。一列に手をつないでいく状態を考えるだけなら簡単なのだが、面で考え、立体で考えるとなると、コンピューターでの膨大なシミュレーションが必要になる。
そこで使うのがパーコレーション理論というのだそうだが、その理論はたとえば「オートメカニック」がどのように読者を獲得して部数を伸ばしていくかという浸透理論にもなるものらしい。
ともかく、山崎千春さんはコンピューターとはどういう道具かということに関して一家言をもっている。「コンピューターはもともとわけのわからないものですね」
そういわれるとこちらがとても楽になる。
「しかし、それを使うとなんでもやれてしまう」
やはり、コンピューター人間なのだ。コンピューター道具論者というべきかもしれない。
山崎さんの記憶の中にはパンチカードを入れると柄織りのセーターが出てくる編み物の機械があるようだ。豊田佐吉がつくった自動織機も、パンチカードによってさまざまな色柄の布を織り出すように進化していった。
わかりやすくいうと、そのパンチカードがROMにあたる。オルゴールや自動ピアノなどの自動演奏装置も似たようなROMをもっていた。
穴があいているか、いないか、ピンが出ているか、いないか。ONかOFFか、0か1かという単純な識別スイッチをたくさんつなげていくとコンピューターになるわけだ。
トランジスターはそのスイッチングをとてつもないスピードでやることができる。最近では1ギガヘルツ、すなわち10億分の1秒以下で作動するものまでできている。
「1日で3分くらい狂う時計をしていて平気だったのに、いまではそれでは耐えられませんよね。コンピューターは世の中の一番速いものの制御を目標にして進んでいるから、時間をどんどん細かく割っていって、1年で3分も狂わない時計を当たり前にしてしまった」
コンピューターでいうクロック信号は、まさにその処理時間の目盛りである。目盛りをどんどん小さくしていくと、スイッチの切り換え回数が増えていくということになる。
くるまでトランジスターが最初に使われたのは点火装置で、ごく単純なスイッチとしてであった。米国で早くからそれが開発されてきた理由は(前号の取材でわかったのだが)8気筒のエンジンを高速で回すためには4気筒の倍の点火をしてしてやらなければならないことであった。機械式の接点では追いつかないところを、トランジスターの高速スイッチングに期待したのである。
しかもトランジスターに開閉を指示する電気信号は微弱な信号電圧でいいので、その時期をとらえるのも、エンジン回転を伝えるタイミングローターの突起とピックアップコイルとの接近で生じる磁束変化による電圧差でいい。
ところがエンジン回転(クランク角)を1度ずつのこまかな動きに分解して読み取っておき、つぎに点火すべき気筒がどれかという判別機能と合わせた電気信号をつくり、高電圧に耐えるパワートランジスターに指令すると、各気筒の点火時期をクランク角の 360分の1回転ごとに指令することができるようになる。
点火の最適時期は、これまでは圧縮上死点の何度手前がいいかというあたりを経験的に確認して調整してきたが、ノッキングの発生直前で点火するという手法が可能になった。ノッキングはエンジンの暴走となって壊滅的な破壊を引き起こすので、これまでは近づけなかった。しかし、その発生を振動などで確実に検知できれば、エンジンの個体差にもかかわらず、最適の点火ポイントをさぐることができる。
人間がその熟練によってなんとかクリアしてきた仕事をコンピューターに置き換える例としては、山崎さんも、エンジン制御がまさに適切だったという判断である。
「ところで、昔の電卓は計算が遅かったということ知ってますか」
と突然聞かれた。
それを速くするには電気を食わせてやるという方法が使われたというのである。そうすると、いくらトランジスターでも、発熱してくる。だから外気温に対してどれくらい温度が上がるかが取扱上の問題だった。
ところがそのバイポーラトランジスターに対してFET(電界効果トランジスター)が登場する。半導体の表面を酸化して絶縁して、その上に電極をのせたMOS(金属酸化膜半導体)ICがその代表である。これによってトランジスターは小さくなり、しかも消費電力が少なくなった。電気を食わないから発熱も少ないのである。
自動車の車内環境はコンピューターには最悪といわれるが、山崎さんにいわせればワイワイ騒ぐほどむずかしい環境ではないだろうということだ。発熱の少ないFITトランジスターの登場で環境問題はかなり解決しただろうはいう。
トランジスターをスイッチと考えれば、やはりその断続頻度や回数に限界があるわけだ。そしてその断続を命令どおりにやれずにつまずくこともある。
そのひとつがノイズで、電気的な放電があれば、それが電波として、あるいは電線を伝わって、正常な電気信号を狂わせてしまう。
たとえば作動中のコンピューターの箱を開けて、ストロボで写真を撮ると、コンピューターはたちまち暴走するという。高圧電流の放電がそれをひきおこすのである。
そのようなことから、くるまのノイズ環境はよくないといえる。金属の箱でくるんでしまえば、カミナリに対して車内が安全というのと同じことになるのだが、出し入れする信号をすべて光にして光ファイバー化をすすめても、最後にはバッテリーと電線でつながなければいけない。
●ロボットへの道
コンピューターの中では、トランジスターを直列につないで、全会一致でONとするAND回路や、並列につないで一人が賛成ならONというOR回路が働いている。その結果を最後にひっくり返すのをNAND回路、NOR回路という。NOT回路との結合である。
これらの論理回路に適当なプログラミングを流してやると、さまざまな判断をして、その総合として人工頭脳の役目をはたすようになってくる。
そのときに現場の監視役として情報を送ってくるのがセンサーで、人間の五感にあたる。そしてセンサーの情報が好ましいものになるように何かの作業をする部分をアクチュエーターとよぶ。電磁弁やモーターが現場監督になって、流れを調節したり、油圧、空気圧を変えたりする。
ハンドルにしてもアクセルにしても、あるいはブレーキペダルまで、単なるスイッチになっていくというのがコンピーター帝国主義のこわいところなのだ。じっさいにはボタン型のスイッチでもいいのに、古い機械式の操作感覚をリアルに再現したインターフェースをわざわざ残しておくというような2次的なコンピューター化も必要になってくる。パワーステアリングの車速感応型というのもそのようなアナログ化のひとつといえる。
「コンピューターのハードは、世の中の主流を使うのがいちばん合理的なんです。だから16ビットが32ビットになれば、くるまもそれを使ったほうがいい。
おなじことは、適当な範囲で大きく作っておいて、その中身を殺すことで性能差をつけたほうがソフトの製作が合理的になるんです。
CDプレーヤーなどでは常識的なところですよね。車も同じで、スポーツカーのノウハウもファミリーカーのノウハウも全部プログラミングとして蓄積しておいて、設計段階で選択して使う。あるいは価格差に応じて取り出せる機能を絞るといったワープロみたいなことになっていく。
どのメーカーの車もみんな同じことができるようになってしまう。あらゆることが同じようにできるようになるから、わざとクセを出して個性を演出することになっていくんでしょうね」
車のコンピューター化は、たとえばカメラのように“バカチョン化”をどんどん進めて、頭脳を肥大させていくようだ。近未来技術とされるナビゲーションシステムにしても、どの道を通ると渋滞しないかというところまでいくと、乗る前に「オヤメナサイ、電車が速イデス」といわせるのも簡単だ。
「くるまもまた、どう使うのか、何を与えてくれる道具なのかという問題にもどってくるのでしょうね」
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