オートメカニック――1989年11月号 パーツうんちく学【13】ペイントの巻(入稿原稿)


伊藤幸司のパーツうんちく学【13】ペイントの巻────1989.11


●塗料の第3機能とは

 塗料はおおざっぱに3つの分野で使われている。その第1は建築で、これが使用量で約半分。次が工業用で約4割、残りの約1割が自動車用というのが世界全体の平均ということになる。
 日本の場合には自動車用塗料が約2割に増えて、その分、建築用が減る。
「それは当然のことですね」
と、関西ペイントの石渡淳介さんはいう。
「乱暴にいえば車の生産は米国1000万台、欧州も1000万台、そして日本も1000万台。自動車用塗料というのはほとんどこの地域で集中的に消費されていますからね」
 建築は世界中どこでも行われて、それぞれに塗装が行われる。
 自動車用塗料ということで、もうすこしくわしく調べてみると、欧米では生産ラインで消費する塗料より、補修用のほうが分量、金額ともに多い。ところが日本では新車用塗料の生産量が圧倒的に多いのだそうである。
 それについても、石渡さんは明快だ。
「生産した車の半分を輸出してしまうのだから当然ですよ」
 もう一度、塗料全体のことに戻ると、これまで塗料の2大機能とよばれてきたものがある。
 第一が錆止め、第2が装飾性であるという。英語ではプロテクティブ&デコラティブというのだそうだ。
 塗料産業はあくまでも“鉄器時代”のものらしく、鉄鋼生産とパラレルに成長してきたという。鉄は錆びるから、塗料がなくてはならなかったということなのだ。
 錆止めは塗料の基本成分がその役目を担当している。塗膜をつくる乾性油、天然樹脂、合成樹脂、セルロース誘導体などで、それらの成分は結合材成分という意味でバインダーとも呼ばれる。
 第2の装飾性は色によって代表される。透明塗料以外には顔料を混入して、塗膜を有色不透明にする。
 顔料の入った不透明塗料のうち、無溶剤型塗料をペイント、溶剤型塗料をエナメルというのが本来の分類であるという。ちなみに顔料を含まない透明塗料はクリア塗料とかワニス(溶剤型塗料)とよばれる。
 溶剤という言葉が出たが、これが塗料の第3の成分で、塗膜をつくる成分に流動性を与え、揮発して消えてしまうものをいう。有機溶剤もあるが、水もまた溶剤のひとつとなる。
 ごく単純にいえば、塗料はこれらの3つの要素からなっている。クルマの塗料も同様である。
 しかし、クルマの塗料……というより、ここでは「塗装」といったほうがいいのかもしれない……はいまや、塗料の第3の機能としてメンテナンスフリーということを具体的な目標として掲げているというのである。
 わき道にそれるが、この連載でクルマの世界を外側からすこしずつ勉強させてもらったが、書いていて腹の立ったパーツが2つあった。2回目のワックスと3回目のバッテリーである。ユーザーをコケにしているという感じがした。
 ここでくわしくは振り返らないが、クルマ用の塗料がノーメンテナンスを実現するとき、それは当然ノーワックスを保証する。装飾性におけるワックシングはもちろん否定しないが、耐久性については洗車だけでOKという基準を明らかにするということである。
 磨き砂のようなワックスや、ワックス気分のコーテング剤(クリア塗装の一種と考えていい)などが成分表をつけずに都合のいい効能書きを並べていた。
 ワックスのカタログを集めてみたら、「粗悪品に注意」とお互いけなしあっている。それなのに、その被害者になりかねないクルマメーカーはダンマリを決め込んでいる。ユーザーは信じるがまま、クルマ磨きに精を出しているという図だった。
 石渡さんの口から“塗装のメンテナンスフリー”という言葉を聞いたとき、胸のつかえが消えた。クルマの塗装はユーザーをバカにしたままで、ほっかぶりを決め込もうとはしていなかったのだ。

●最初が防錆

 クルマの塗装におけるメンテナンスフリーにたどりつくまでには、20年ほどさかのぼったところから話をはじめておいたほうがいいようだ。
 昭和40年代に日本のクルマは国際商品になったのだが、トランジスターラジオにはじまる電化製品などよりはるかに高額の商品であり、同時に年間1000万ユニットという大量の生産を要求されることから、塗料メーカーにも“量産化”と“高級感”が求められた。
 ところが最初の大きなトラブルは北米の冬の道路で起こった。路面の凍結防止のためにまく岩塩が巻き上げられて、こまかな隙間にも入りこんで、錆を発生させたのだ。
 当時、塗装はエアスプレーによる吹きつけだったが、スプレーでは、いくらていねいにやっても塗料が入らないところができる。岩塩はそのようなところにまで入りこんで、しかもいったん入ったら出てこない。
 日本のクルマはこの時期に、電着塗りという方法を一気に導入するのである。それはメッキと似た方法で、陰極となる水溶性塗料のタンクにボディ鋼板や金属部品を漬けて陽極とし、50〜500 V程度の直流電流を流すのである。すると2分程度で均一の塗膜ができるというのである。
 電着は陰極と陽極の極間距離の近いところから始まって、一様には進行しない。ところが都合のいいことに、塗膜が厚くなると電気抵抗が大きくなるために電気は塗膜の薄いところに流れるようになる。その結果、全体に均一な厚さに塗装される。結局、塗り残しがないのである。スプレーで塗れた面積は電着塗りのわずか60%にすぎなかった。
 大型の装置が必要だったが、塗膜の厚さが均一で、しかもその厚さを電気的に管理できたため、塗装の自動化が進んだ。しかも水溶性塗料のために引火の危険がなく、ロスも少なく、塗膜の仕上がりもきれいだった。
 クルマにおける電着塗りは米国が先鞭をつけたのだが、日本のクルマが一気に導入を果たし、しかも下請けの部品メーカーまでが採用したために防錆力は大幅にアップしたのだ。

●アピアランスの改善

 防錆が大きな効果を上げたのが昭和50年代で、ここ5〜6年はアピアランスを上げることが主流になっていた、と石渡さんはいう。
 アピアランスとはこの場合、つやのことである。つやを良くするのには、塗装の平滑性を良くしてやればいい。
 手間ひまかけてやれば、それは当然できるのだが、オートメーションラインで、コストのことを考えながらそれを実現するとなると、塗料の性質から新しく考え直さなくてはならない。
 第一、クルマのボディに使われているのはダル鋼板といって、表面が梨地になっている。磨き鋼板なら簡単に得られる平滑性が、素肌の段階でかなえられていないのである。
 一般にプライマーと呼ばれる下塗りは防錆力中心に考えられていて、平滑性などに気がまわらない。
 中塗りはチッピング(石はね)などに対する保護皮膜としての機能もあるが、仕上げの上塗りのための下地づくりが本業である。土台づくりはここで行われるといっていい。化粧でいえば素肌を整えるファンデーションということになる。
 この中塗りでの問題は“下地拾い”だったというのだ。デコボコの素肌に塗りたくっても、そのデコボコを忠実にトレースしたのではつやはでない。鋼板のダル目をいかに埋めるかが課題だったというから、パテやサーフェーサーなどを塗って素地をつくるようなことを目標にしていたというわけだ。
 風は米国から吹いてきた。米国では公害規制がクルマ用の塗料にまで及んできたため、溶剤の少ないものを使わざるをえなくなってハイソリッド系の塗料が採用されはじめた。
 ハイソリッドラッカーは、ラッカーと油性塗料のハイブリッド塗料と理解しておくといいようだ。
 ラッカーはニトロセルロースを主成分とする塗料で、それに樹脂と可塑剤を加えてある。揮発性塗料であるため即乾性で、塗膜が硬く、丈夫で耐油・耐水性がある。
 早く乾いて塗膜が硬いという裏に、塗膜が薄く、付着力が弱いため、下地をつくったり、塗装回数を多くするなど、手間がかかるという傾向がある。
 通常、ラッカーには塗膜を厚くするために樹脂を混ぜるのだが、不乾性油変性フタル酸樹脂などを混ぜて、耐候性や付着力を良くし、厚い塗膜を得られるようにした。そのようなものがハイソリッドラッカーと考えていい。
 公害規制という枠を突破するために工夫されたハイソリッド系塗料は、外に放出する成分が少ないために塗膜がやせにくいという特長をそなえていた。
 やせにくいということは、下地の鋼板にデコボコがあったとしても、平らに塗った表面が沈下しにくいということを表している。下地のへこみをトレースすることが少ない、のだそうだ。
 こうして、日本では平滑性がよく、つやを出しやすいハイソリッドラッカーが中塗りに導入されてきた。

●クリアコートで勝負できるか

 ドイツでも公害規制が強くなって、それが欧州全体に広がる気配が濃厚になってきた。こちらは水性塗料を塗った上にクリアラッカーをかぶせる方法を開発して、フォルクスワーゲンやオペルなどでは、すでに採用がはじまっているという。
 米国でも、もともとメタリック塗装が多いのだが、メタリックというのはアルミの微粉などを散らした上にクリアコートをかけている。マイカ(雲母)調などというのもそのバリエーションである。
 水溶性の塗料は発色がいい。しかも80℃でわずか2〜3分で乾燥してしまうという。ヨーロッパでは公害規制と自由な色が結びついていくような気配である。
 このクリアコートは、10年前には紫外線でひび割れが出た。しかしここ4〜5年で耐紫外線は抜群によくなったという。当面の課題は酸性雨に対する耐久性である。これは耐化学薬品性といってもいいが、日本でも騷がれはじめた社会問題であるだけに、塗料側の対応もいやおうなく要求されてくる。
 それに加えて撥水性をよくすれば汚れが染み込みにくい。水洗いで新車同然になる。ワックスをつけなくても、さっぱりした気分になれるというわけだ。
 こうしてクリアコートの耐久性が急速に向上しているところなのだが、ところがひとつ、困ったことがある。それがなんと、トリの糞と昆虫の死骸(体液)なのだそうだ。それらの有機皮膜はクリアコートを溶かしてしまう。水で簡単に洗ったくらいでは落ちないのだから、始末に悪い。
 ともかく、一番上に透明の強靭な皮膜をつくるという方法が、塗装作業における公害防止にもつながり、クルマの色つやをよくするのにもいいという流れなのだ。
 そして、そのクリアコートの素材をもう一歩改良することによって、クルマのパーツとしての塗装の“メンテナンスフリー”が実現する。

●精密なクルマ用塗料

 塗料のなかでもっとも神経を使うのは、ビール缶やジュース缶の缶用塗料だという。あれには内側にまで塗装がしてあるのだそうだが、それで香りや味が変わってはいけないからだ。口に入るものであり、人間の感覚のもっとも鋭いところでチェックされるから、塗料屋としては気を使うという。
 それに次いでたんへんなのがクルマ用の塗料なのだそうだ。こちらは食べ物のような安全管理は必要ないが、……
「クルマ1台の塗装で直径1mm以上のピンホールが2つあったら塗り直しになります」
 というほどの厳しい品質管理が行われているという。
 直行率というのだそうだが、クルマの組み立てラインでまっすぐゴールまでいける率は、日本は異常ともいえるほどに高いのだそうである。NGが出ると、もう一度塗らなくてはならない。
 その理由の第一は塗装が安定していることだが、組み立て工程でキズをつけることが少ないからでもある。日本のクルマは、ここでも徹底的にムダを省いている。
 しかも、もし小さなキズが発見されたとして、ラインで使っているのと同じ塗料と乾燥温度で、チョコチョコと直してしまう。これは日本人の器用さの現れで、周囲に熱を流さないようなスポット乾燥など、独特の工夫がある。
 欧米のように、新車製造ラインから、補修キットによる塗装修理が行われるというのも、考え方のひとつではあるが、日本ではかれらには信じられないほどの直行率が達成されている。
「日本の塗料技術の実力は、世界ではどれくらいのところでしょうか」 石渡さんに率直に聞いてみた。それによると、自動車用塗料のメーカーとして、開発から生産までを一貫して行えるのは、米国でもわずか3社程度、ヨーロッパでも4〜5社といったところまで絞られるという。それに日本に約2社。もちろん関西ペイントは日本のトップ企業である。
 補修用として生産しているものまで含めるとメーカー数はもっと多くなるが、ともかく自動車用の塗料は品質管理がたいへんだという。
 品質管理とはなにか。それはたとえば、塗りやすくてムラが出にくく、乾燥しやすい……といった作業合理化のための品質改良や安定であった。薄く何回も塗るというのがウルシなどにも見られる伝統的な塗装技術だとすれば、1回で厚く塗るというのも“技術”である。しかもそれをオートマチックにやるとなると、塗料はまさに生産工程に供給される“パーツ”だという意識で作られなくてはならなかった。
 その技術力が、いよいよ新しい塗料の領域を開きつつあるというのである。クルマの透明バリアを塗装がになう……などというのは、まだずいぶんナマイキな話かもしれないが、まさにその方向に進もうというのである。
 塗装の膜厚というのは1mmの10分の1以下のところでの話である。クルマというあれだけ大きな物体を10分の1mmとか 100分の1mmの膜で包んで“持ち”をよくし、見た目も磨き上げてしまおうというのである。これは大胆な話といわざるをえない。
 しかし実際、塗膜は強度上での貢献も大きく、見た目の“輝き”についても、正反射(鏡面反射)と散乱反射とによって、まったく違った印象になる。
 鉄が主役で塗料がその引き立て役だった時代から、鉄が構造物として裏方にまわる時代になったといえる。塗料は雨をはねかえし、ほこりをふるい落とすバリアとなり、その下には情感豊かな色が塗られる。
 ヨーロッパ流の水性塗料は80℃程度の低温でわずか2〜3分で乾燥できるという。外部に強固なバリアが張られるほど、クルマのアピアランスは、さらにデリケートになるだろう。ごつくて頑丈という当たり前の印象がくずされて、しとやかなのに頑健というクルマが現れるのだ。
 しみがつきやすく、汚れが目立ちやすく、つやを感じにくいというダメな白が、“無難”という理由だけで乗用車の過半を占めてしまった“狂気”の時代が、ようやく終わろうとしている。
(取材協力・関西ペイント)


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