山旅図鑑…あ
天城山(2022.5.12)
フォトエッセイ・伊藤 幸司

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★糸の会 no.1228
2022.5.12
天城山



天城山、10時10分に伊東駅を出たバスは、11時04分に「天城縦走登山口」バス停に着きました。終点の「天城高原ゴルフ場」の門前ですが、こちらは登山者用の駐車場入口で、なかに立派な公衆トイレがありました。
【撮影】11時21分=伊藤 幸司=021
10時10分に伊東駅を出たバスは、11時04分に「天城縦走登山口」バス停に着きました。終点の「天城高原ゴルフ場」の門前ですが、こちらは登山者用の駐車場入口で、なかに立派な公衆トイレがありました。
この日の天気予報は「雨」。要は強い雨になるか小雨で収まるかという幅の「雨」で、すでに霧雨の中でした。出発準備がしにくい気分でしたから、トイレの中央に屋根付きのベンチがあるのには感謝でした。そこで腹ごしらえもし、雨具もつけて、まあ、矢でも鉄砲でももってこい! というような気分で出発することができました。糸の会ではたぶん「天気予報は実態天気とはちがう。それを体験しに行かなくっちゃ。」という私の信念がかなり浸透していると自慢したくなります。
とりあえず言っておくと、天気予報で計画を取りやめにするほどもったいないことはないのです。糸の会では一時期積極的に「台風を見に行く」という体験を重ねましたが、予報天気と実態天気が都市部から離れるとどのようにずれていくか、けっこう「見えて」くるんですね。天気予報というものが結局「商品」だということが。
ともかく、これからどういう1日になるか、「期待」や「不安」を交えながらの出発となりました。

天城山、これが登山口です。「天城縦走路入口」という標柱があり、「天城山縦走路案内板」というじつによくできたルート図がありました。
【撮影】11時24分=伊藤 幸司=023
これが登山口です。「天城縦走路入口」という標柱があり、「天城山縦走路案内板」というじつによくできたルート図がありました。それによると「縦走路というのはこの天城高原ゴルフ場から万二郎岳(ばんじろうだけ)、石楠立(はなだて)、万三郎岳(ばんざぶろうだけ)を経て、戸塚峠、白田峠、八丁池、向峠、天城峠の旧天城トンネルまで、それぞれの区間距離と所要時間が入っています。
でもこの日、一番重要だったのは矢印型の道標の下にぶら下げてあった注意書きでした。「シャクナゲコースはおおよそ6時間以上、縦走路はおよそ7時間以上かかるコースです。登山時間には十分に注意してください」
今回、私たちの計画では4時間半の行動で、帰路のバスの最終までに1時間半の余裕を持っていました。つまり最大枠6時間で出発したのです。
その4時間半という行動時間の算出方法は糸の会独自のもので、「水平な道を時速4kmで歩くパワーで、標準的な登山道を時速1km(標高差300m)で歩くことで、1日10時間の行動を可能にしよう」というものです。
水平距離500mと上昇高度50mをそれぞれ1パワーとして、私たちのスピードを毎時8パワーとすると「シャクナゲコース」は「登り9パワー+稜線11パワー+下り15パワーの合計35パワー」(約4時間半)と概算していたのです。たいてい、下りでは余りが出ますから、それが「予備時間」として休憩にまわったり「登りでの遅れをカバー」したりする予備的な「余り」として活用されるのです。
ともかく、今回はこの「時間」が全体を支配する主要な要素となったのです。(なお、この登山口の道標類の写真は「速報」には出してあります)

天城山、私たちは登山口からまず下りました。左手にゴルフ場が広がっていて、そちらから流れ下る(狩野川←大見川←地蔵堂川←菅引川上流の、たぶん)無名の沢の最上流部を渡りました。
【撮影】11時26分=伊藤 幸司=032
私たちは登山口からまず下りました。左手にゴルフ場が広がっていて、そちらから流れ下る(狩野川←大見川←地蔵堂川←菅引川上流の、たぶん)無名の沢の最上流部を渡りました。ちょうどここまで地形図の青線が引かれているので、常時水が流れているはずですが、この雨模様の空の下でも、涸れ沢になっていました。

天城山。遠くから見たら花のように見えました。これは天城山を代表する木のひとつで、このあと、次々に登場してきます。
【撮影】11時28分=伊藤 幸司=035
遠くから見たら花のように見えました。これは天城山を代表する木のひとつで、このあと、次々に登場してきます。

天城山
【撮影】11時30分=伊藤 幸司=037
この山旅図鑑では「速報」に並んだ写真のうち、撮影者が「キャプション」をつけた写真だけ残すという原則です。ですが、今回は藤原さんが、私が今使っているカメラの最新型を使っているので、同じものを二人で撮っている写真では、できれば写真技術に類することで私に書けることは積極的に書きたいと思います。したがって前の写真(藤原 由香里=6152)に藤原さんがキャプションをつけない場合でも、今回はこの図鑑に残していただくつもりです。(この時点ではまだ正式な了解を得ていませんが)
藤原さんのカメラはSX70(キヤノン PowerShot SX70 HS、2018年12月発売)で私のはSX60(2014年10月発売)です。そのカメラそのものの性能の違いも出てくるかもしれませんが、たぶん、むしろ、撮影者それぞれの使い方の違いのほうが大きいのだと想像しています。
さて写真ですが、巨木が折れて倒れています。おそらく2010年3月9-10日の大雪による圧殺型倒壊だと思います。
写真「藤原 由香里=6152」とこの「伊藤 幸司=037」の違いは、カメラの違いではありません。私のほうが変則的なんです。私はフィルム時代にはリバーサルフルム(スライド用フィルム)を使っていました。その当時一般的なカラーフィルムはネガフィルムで、DP店でプリントしてもらうと「明るく」仕上げてくれました。とくに人の顔が写っている場合には肌が白飛びに近いほど「明るく」仕上げるのがプロの仕事の常識でした。
ところが私が使っていたリバーサルフィルムでは、白飛びが最大の敵だったのです。一般に「スライド用」といわれていましたがじつは「印刷原稿用フィルム」でした。そのときにハイライトが「飛ぶ」ことが嫌われたのです。つまり白飛びはハイライトの情報がなくなるということですから、印刷段階で「白」を出すときに情報が残っているか、なくなっているかが「印刷原稿」としてはかなり大きな問題でした。最終的に「真っ白」にしたいなら、その最後段階でそうすればいいのですから。
もうすこし細かなことをいえば、リバーサルフィルムは戦中・戦後を通じてコダック社のコダクロームやエクタクロームがいわばプロ用でしたが、2003年にフジフイルムがエクタクロームの現像所で処理できるフジクロームベルビアを発売すると、それがプロ用のエクタクロームと競合するようになるのです。……そして、たとえばその選択において、コダックのフィルムは顔色が黄みに傾くのに対してフジフイルムのフィルムは青に傾くことが選択の基準のひとつにもなったのです。写された人の肌色がどちらに転ぶのが好ましいかで、欧米人の肌とアジア人の肌との違いがフィルムの違いにも出た、という一例でした。
つまり、写真の明るいところ、ハイライト部に主題がある場合には、そこがひとつの重要な表現領域となるのです。
そこで私はフィルムカメラのEOS-1からデジタルカメラのEOS-5Dに変わったときに、露出レベルを「-1絞り」にしたのです。以後すべてのデジタルカメラで「-1絞り」をいわば標準としてきて、最近、じつはこの日の写真も「-2絞り」で撮っているのです。藤原さんはそういう設定はしていないはずなので、私の写真と藤原さんの写真の明暗は(ほぼ)すべて「2絞り」違うと思っていただいてけっこうです。

天城山。この写真ではまず、登山道のおおまかな現状を知ることになります。元の地面は人の頭より上にあったとわかります。そこから雨水に浸食されておそらく今もその浸食作用は続いているということです。
【撮影】11時30分=伊藤 幸司=038
この写真ではまず、登山道のおおまかな現状を知ることになります。元の地面は人の頭より上にあったとわかります。そこから雨水に浸食されておそらく今もその浸食作用は続いているということです。

天城山。ここでは雨水の侵食が「谷をつくった」というよりは「溝をつくった」という規模だという感じです。縁にあって根を伸ばしている木が、溝の幅が広がるのを防いでいるというふうに見えますね。
【撮影】11時31分=伊藤 幸司=039
ここでは雨水の侵食が「谷をつくった」というよりは「溝をつくった」という規模だという感じです。縁にあって根を伸ばしている木が、溝の幅が広がるのを防いでいるというふうに見えますね。

天城山。天城山を代表する木の2番手・ヒメシャラが登場しました。
【撮影】11時31分=伊藤 幸司=040
天城山を代表する木の2番手・ヒメシャラが登場しました。

天城山。和名のヒメシャラは、誤って娑羅樹と伝えられたナツツバキ(別名:シャラノキ)よりも小さいことによる
【撮影】11時31分=伊藤 幸司=041
ヒメシャラについての解説はウィキペディアのヒメシャラがものすごくわかりやすいと思いました。
———和名のヒメシャラは、誤って娑羅樹と伝えられたナツツバキ(別名:シャラノキ)よりも小さいことによる———
———この木は山で見られる木の中でも特に樹皮がすべすべしているためにサルスベリと呼ばれることがある。標準和名をサルスベリとする植物は観賞用の樹木であるが、これはミソハギ科で分類学的に全く異なった植物であり、本当のサルスベリが日本の森林内に姿を見せることはない。また、同様の場所に見られる樹木ではリョウブも大きくなると樹皮がすべすべになり、サルスベリと呼ばれることがあるが、ヒメシャラの方がすべすべ感が強い。———

天城山。この登山道で最初に「花かも」と見えたのがこの木。花が落ちて、新しい葉が出てきたところなんですね。
【撮影】11時32分=伊藤 幸司=043
この登山道で最初に「花かも」と見えたのがこの木。花が落ちて、新しい葉が出てきたところなんですね。これについては「みんなの趣味の園芸」のアセビがわかりやすかったですね。———早春に穂になって咲く小さな白い花や、紅色の新芽、濃い緑色の葉が美しいアセビには、日本のアセビ(Pieris japonica)のほか、ヒマラヤ地域から中国雲南省などに分布するヒマラヤアセビ(P. formosa)などが庭木や鉢物として栽培され、園芸品種も数多くあります。———

天城山。アセビの「紅色の新芽」ですね、これが。
【撮影】11時32分=伊藤 幸司=045
アセビの「紅色の新芽」ですね、これが。これがどうなるかというと、Hatena Blogにアセビ(馬酔木)の新芽の色が変わった!というのがありました。
———赤い新芽が伸びてきていました。それから約1カ月。葉っぱが緑色に、そして大きくなりました。まだ一部赤色が残っているところもあり、それも混ざってとてもきれいです。———
これも、ひと月もすれば、つややかな緑色になって、知らんぷりした感じになるんでしょうね。

天城山。アセビ。この紅い新芽も、背後のつややかな緑の葉とのコントラストと、それから花の少ないこの時期の色彩として、かなり価値のある庭木とされている
【撮影】11時33分=伊藤 幸司=047
私はまったく知らなかったのですが、この紅い新芽も、背後のつややかな緑の葉とのコントラストと、それから花の少ないこの時期の色彩として、かなり価値のある庭木とされている、ということなんですね。

天城山。土留めの階段がこんな状態だと先が思いやられます。
【撮影】11時39分=伊藤 幸司=058
天城山はいわば全国レベルの名山で、深田久弥も『日本百名山』に加えています。でもその文章では、なぜ天城山に登らなかったかという言い訳が続き、
———後年になって、私は伊豆の海岸を通ったことはあるが、まだ山は知らなかった。そこへ登ったのは近年のことである。十二月下旬、私は天城山脈を東から西まで歩くつもりで出かけた。———
……として遠笠山から万二郎〜万三郎〜八丁池〜天城峠〜猿山〜十郎左ェ門山〜長九郎山を想定してでかけたところ、
———八丁池まで来て、私は静かな天城の山中で一夜をあかすつもりでいたが、そのロマンティックな計画は、あまりの寒さで挫折した。天城峠から湯ヶ野に下った。温泉に恵まれていることも天城の特典で、湯ヶ野の安宿で———
といった調子。『日本百名山』のなかでもっとも可愛そうな山ではないかと思いますね。
もちろん途中のこんな脇道から登るつもりもなかったでしょうが、この登山道もまだなかったでしょう。ただ、いま遠笠山(1,197m)に登ろうとすると天城高原ゴルフ場の向こう側から林道をたどるしかないようです。
それにしても、土留めの階段がこんな状態だと先が思いやられます。

天城山。ここで「ウクライナ」マークが出てきました。ロシアのウクライナ侵攻が始まって3か月目に入ったところですから全員ギョッとしましたが、
【撮影】11時46分=伊藤 幸司=064
ここで「ウクライナ」マークが出てきました。ロシアのウクライナ侵攻が始まって3か月目に入ったところですから全員ギョッとしましたが、これは最新版なので時事的意味があると感じてもいいとして、そのうちにかなり古いものも出てきたので「ウクライナ色」ではないということはわかりました。
おそらく林間学校の登山やら、トレールランニングの大会やら、まさかオリエンテーリングではないでしょうが、少なくとも10年ぐらいのスパンで同じ人かおなじ組織がとりつけてきたものらしいと感じました。帰って、天城山のこの「ウクライナ」色の標識について調べてみたのですが、わかりませんでした。今後でてくる「ウクライナ」色の標識写真は新旧の比較をするためのものとお考え下さい。このルートには相当数のものがありました。
一時期、この登りルートでは道普請のための石の運び上げ運動が行われていましたから、その運動との連携で協力者に対する一体感表明の印だったかもしれません。というのは特定の目的を持った人たちがつける道標にしてはあまりにも主張が強くて、これだけ細部にわたる道標が整備された状況では、その担当者からは、むしろ外されて当然と思われるからです。

天城山。この「四辻」はいつも気になる地名です。なにしろ十字路でないのに「四辻」なんですから。
【撮影】11時50分=伊藤 幸司=065
この「四辻」(パソコンでは「一点しんにょう」の「つじ」は書けません)はいつも気になる地名です。なにしろ十字路でないのに「四辻」なんですから。見るたびに気になって、気になって。でも今回、この写真をこの図鑑に残すべきだと考えてその「四辻」の意味を探ってみたのですが、ウェブ情報で古文書や郷土史にアクセススのはなかなか大変で、わかりません。
でも、地形図をきちんと見れば想像はつきますよね。ここは「万二郎岳登山口」ともされているのですが、登山道は万二郎岳北面の標高約1,180mから流れ下る沢筋をたどるのです。
その沢は地図上では無名です。が、四辻からさらに下ると菅引川となるのが、つなぎ目のないウェブ上の地理院地図だと簡単にたどれます。菅引川は「万二郎岳北面から流れ出た川」に間違いありません。そして25分ほど前に横切った無名沢はこの菅引川源流部の明らかな支流です。
しかもなんと、その沢筋には(遠笠山の南西麓にあたる)天城高原ゴルフコースから流れるもう1本の支流(地図上では無名)もあって、そちらの沢筋に菅引川本流へと下る徒歩ルートが描かれているではありませんか。万二郎岳から流れ下る菅引川に沿って、この四辻からさらに下る道があったとすれば、標高約870m地点でその道に合流して菅引集落へと出られるはずです(地形図上では)。
万二郎岳北麓の標高1,000m前後を東西に巻く道と、万二郎岳から北に下る菅引川に沿った道との「四辻」であったというのが地形図から読み取れる答えかと思います。
ちなみに、この写真では読み取れない右奥へと伸びる道は「万三郎岳3.3km、涸沢分岐点2.2km」と出ています。つまり私たちがそちらから帰ってくる道です。
ちなみに「涸沢分岐」というのは万三郎岳北面の地蔵堂川源流部の標高約1,150mにあって、そここから下るとすぐに林道(標高約780m)に出て、万城の滝を経て、地蔵堂集落の下で菅引川を合わせます。
長くなりますが、私のこの写真と前の写真(藤原 由香里=6176)とは単純に私のほうが「-2絞り」の写真だと見ていただいていいと思います。土の色の赤みが強いのには、私のカメラの癖として出てくる赤みがからんでいると思います。

天城山。再び「ウクライナマーク」です。これはだいぶ古いですね。
【撮影】11時55分=伊藤 幸司=071
再び「ウクライナマーク」です。これはだいぶ古いですね。でもさきほど見た新しい標識とまったく同じ規格に思えます。どこかにこれを設置した人か組織の名前がないかと気をつけてきましたが、わかりません。……というのは、登山ルートを利用するいろいろな大会がそのための標識をつける例は見てきましたが、この標識に関しては登山道管理者に怒られそうな付け方をしたものがあるのです。
しかし、もし、この登山ルートの安全を守ろうとして責任者がつけたとしたら、ちょっと悪趣味じゃないかとも思うのです。登山者の安全を守るためなら、要所・要所という設置場所や、見通し線を意識した付け方など、登山者を唸らせるものであってほしい(知的にね)と感じました。

天城山。
【撮影】11時58分=伊藤 幸司=076
前の写真「藤原 由香里=6188」とこの写真とはほぼ同じ場所をほぼ同じ時間に撮っています。私の写真が「-2絞り」で「プログラムオート」であるというのに対して、初夏の緑の色合いは藤原さんのほうが断然うまく写していますね。

天城山。ウクライナマークですね。上下反対のようにも思えますが。
【撮影】12時02分=伊藤 幸司=082
ウクライナマークですね。上下反対のようにも思えますが。

天城山。ミヤマシキミ、だとばかり思っていたのですが、今回、あやしくなりました。ツルシキミとの区別を確認していないのです。まあこの顔ならどちらでもいいのだと思うのですが、
【撮影】12時04分=伊藤 幸司=085
ミヤマシキミ、だとばかり思っていたのですが、今回、あやしくなりました。ツルシキミとの区別を確認していないのです。まあこの顔ならどちらでもいいのだと思うのですが、 BOTANICAにミヤマシキミとは?花や葉の特徴や香りを解説!ツルシキミとの違いは?というページがありました。
———
ミヤマシキミとツルシキミの見た目はよく似ており、葉や花の特徴はほとんど同じです。ツルシキミとは、ミヤマシキミが寒い環境でも育つよう適応した変種で、ミヤマシキミの分布していない、北海道や東北でも分布しています。それぞれの見分け方と、違いの比較をご紹介します。
ミヤマシキミとツルシキミは、茎の伸び方に違いがあり、ミヤマシキミは茎が地面から垂直に高く伸びるように育ちます。一方、ツルシキミは茎が地面と平行に這うように伸びて育ちます。これは、ツルシキミが雪の降る地域でも育つよう適応したためだと考えられています。
———

天城山。登山道がこのような川になると、もう修理ではおさまりません。
【撮影】12時05分=伊藤 幸司=087
登山道がこのような川になると、もう修理ではおさまりません。異質な感じの石がバラバラと見えますが、(私の想像では)以前、登山者に持ち上げていってもらいたいとしたものだと思われます。
通りすがりにあの石を1個〜2個運んだだけの一登山者の勝手な言い分になりますが、私は似たような登山道を丹沢で見てきました。20年前ぐらいに、私は何度も鍋割山荘に泊まりました。当時、山小屋オーナーのスーパーマーケットに勤めながら鍋割山荘をひとりでこつこつ増改築しつつあった草野延孝さんから、登山道保全の基本的な考え方を教わったように思います。
当時丹沢では大倉尾根(バカ尾根)での「丹沢ボッカ駅伝競走大会」というのがテレビで放映されるなどして注目されていました。何をボッカするかというと登山道整備のための石なんです。登山道整備活動の一環としてのイベントとして注目を集めていたのです。具体的に何があったのかは知りませんが、草野さんはその運動から身を引いて鍋割山の登山道をこつこつと整備し始めたのだそうです。
今、大倉尾根を歩いてみるとわかりますが、大規模な工事によって、道は新しくなり、流され、また大規模工事という繰り返しです。丹沢山地のいわば銀座通りですから予算がつくのでしょう。工事が終わるときれいな仕上がりになります。
一方、草野さんたちの鍋割山への登山道は、道際の植生保護のためのネットがささやかに張られていたりするだけで、特別なナニカ、という痕跡は見えないはずです。
つまり踏まれている道を削って直すというような外科手術はしないのです。草の手入れをして、水の流れをところどころで調節する、というような小さなキズの手当を、年中さりげなく続けているというだけ、なんだそうです。
その道をいま、土日にはたくさんの人たちが、登山者というよりハイカーとして、鍋割山荘の「名物・鍋焼きうどん」めざして登っていきます。小さなこどもたちもたくさんいます。もちろんカセットボンベのコンロを10台ぐらいでしょうか、ずらりと並べて10人ぐらいのスタッフ総動員でたくさんのお客さんを順番待ちにさせながら、おおにぎわいの、富士山と相模灘を眼前にする壮大な展望レストランとなっているのです。
いま天城山のこの道を見ると、雨水をパワフルな「鉄砲水」にしてしまったら、こうなる、というじつにわかりやすいお手本ですよね。

天城山。うれしいですね、登山道に花びらが「散り敷かれて」いました。一瞬、それが華々しい光景と見えました。ミツバツツジが咲いている、
【撮影】12時07分=伊藤 幸司=088
うれしいですね、登山道に花びらが「散り敷かれて」いました。一瞬、それが華々しい光景と見えました。ミツバツツジが咲いている、と思ったのですが、写真を見ると前の写真(伊藤 幸司=087)が荒れた道で、後の写真(伊藤 幸司=089)がウクライナ色の標識でしたから、ここで見上げたミツバツツジ本体の写真は撮っていませんね。

天城山。再びウクライナマーク。これはずいぶん傷んでいます。
【撮影】12時12分=伊藤 幸司=089
再びウクライナマーク。これはずいぶん傷んでいます。最初からここにあったのかどうか疑問ですが、これほどまで大事にされているとすると、この道に重要な標識なんだと感じます。

天城山。「足元注意」という黄色の標識もありますが、これこそ四辻からたどってきた菅引川の源流部。地形図では年中水流があることをしめす青線が標高約1,180mまであるとされていますが、ここでは完全な涸れ沢です。
【撮影】12時16分=伊藤 幸司=094
道標によると四辻から0.8km、万二郎岳まで0.8kmの地点で、地理院地図によると標高約1,140m地点です。「足元注意」という黄色の標識もありますが、これこそ四辻からたどってきた菅引川の源流部。地形図では年中水流があることをしめす青線が標高約1,180mまであるとされていますが、ここでは完全な涸れ沢です。ごく最近大きな崩落があったのでそうなったのかとも思いますが、とにかくここで菅引川の源流部を左岸から右岸(上流部から見ていいます)へと渡るのです。

天城山。私はここでアセビの花を撮りました。
【撮影】12時19分=伊藤 幸司=098
私はここでアセビの花を撮りました。いい絵かどうかはともかく、ここでちょっと12時04分の「藤原 由香里=6200」のアセビと見比べてみてください。白い花はとくに撮り方によって、印象が大きく変わります。写真を「ハイライト部で見る」という意味では、白い花を撮るときの「日差し」の状態が大きな影響を与えることになります。だから山歩きでは気持ちいい快晴よりは薄曇りのほうが嬉しかったり、小雨や霧雨のほうがいいと思う場面もあって、山歩きだけを楽しんでいるみなさんとは違う価値観で歩いていることも多いのです。
ちなみに、私が雨の日に傘をさしているのは、90%以上、撮影時にカメラのレンズに雨粒をつけないためです。カメラが濡れるのはあまり気にしていないのですが、レンズに雨粒をつけるとその後がやっかいなので、風雨の中でもなんとかレンズを濡らさずに写真を撮りたいと悪戦苦闘したりしています。レンズフードを常備しているのも本来の遮光ではなく、雨対策です。
ついでに付け加えると、私はバック型のカメラケースを胸元に置いて、雨の日には雨具の下に入れ、寒い季節ならレンズに近いケースの底に「貼るカイロ」を入れています。寒い日に温かい室内に入った瞬間にレンズが曇るのを避けたいからです。バック型のカメラケースを選ぶときにはそういう防寒機能も(防雨機能に加えて)必要だと考えています。ですからカメラレンズのための保温は冬には常時必要なのですが、たとえば梅雨寒の、外気温が10℃以上のときにも行動内容によっては必要になることがあります。
……そういう意味では、ポケットから出したスマホで写真を撮るというかたちは、いろいろな意味で完璧ですね。古いスマホを全天候型カメラとして本格的に使ってみることをおすすめします。

天城山。このツルンとした木肌はヒメシャラですね。このあたりには若い木が林立しています
【撮影】12時21分=伊藤 幸司=099
このツルンとした木肌はヒメシャラですね。このあたりには若い木が林立していますが、天城山では幕下格でしょうか。
私には正直よくわかりませんが、このヒメシャラに関する研究論文がありました。静岡大学の徳岡徹准教授を代表者とする「天城山系におけるヒメシャラ、ヒコサンヒメシャラの個体群動態に関する研究」で公益財団法人・市村清新技術財団の助成を受けて行われたものだそうです。
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 日本にはツバキ科ナツツバキ属は3種(ナツツバキ、ヒメシャラ、ヒコサンヒメシャラ)が知られている。3種ともに太平洋側の関東より西の山地帯に分布するが、南アルプスや富士山ではナツツバキが山地帯の上部、ヒメシャラが下部に分布し、その中間にヒコサンヒメシャラが分布している。一方、核型分析の結果からヒコサンヒメシャラはナツツバキとヒメシャラの雑種起源であることが示唆されており、葉緑体psbA-trnH領域の解析の結果からも交雑が起こっていることが予想されている。天城山には現在までの予備調査でナツツバキは見つかっていない。そこで、天城山系とナツツバキが分布する南アルプスや富士山のヒコサンヒメシャラのDNAタイプを比較すれば、交雑やその分類学的取り扱いを明らかにできる。
 一方、天城山系のブナ林の更新はうまくいっていない。現在はヒメシャラ(またはヒコサンヒメシャラ)の実生がブナ林のギャップに大量に生育しており、万三郎岳下部や皮子平、天城峠にはこれらの純林が形成されつつある。花のできない稚樹や実生でこの2種を区別することはできないが、DNAタイプによって区別しその分布が明らかになれば、天城山系のブナ林の今後を考える上で重要なデータとすることができる。
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天城山。温暖な伊豆半島ではまず間違いなくミヤマシキミでしょうね。
【撮影】12時21分=伊藤 幸司=100
12時04分の「伊藤 幸司=085」の写真コメントでは「ツルシキミとは、ミヤマシキミが寒い環境でも育つよう適応した変種で、ミヤマシキミの分布していない、北海道や東北でも分布」ということでした。「松江の花図鑑」でもツルシキミは———葉や花、果実などはミヤマシキミとほとんど同じ。———だそうですから、温暖な伊豆半島ではまず間違いなくミヤマシキミでしょうね。

天城山。ミヤマシキミの花です。「花は直径約8mm」「子房は球形、柱頭は4裂する」「雌花はまばらにつく」「雌しべと退化した雄しべがある」
【撮影】12時21分=伊藤 幸司=101
ミヤマシキミの花ですが、手前の花にピントが合っていませんね。「松江の花図鑑」のツルシキミには「花は直径約8mm」「子房は球形、柱頭は4裂する」「雌花はまばらにつく」「雌しべと退化した雄しべがある」という各パーツの写真が並べられています。ミヤマシキミも同様、と考えていいでしょう。

天城山。これが天城山の登山道の現実です。全国の山で部分的に見られる「破壊された登山道」の典型的な状況です。
【撮影】12時22分=伊藤 幸司=102
これが天城山の登山道の現実です。全国の山で部分的に見られる「破壊された登山道」の典型的な状況です。
1.登山道に雨水が流れ込んで登山道の表面が侵食されます。
2.そういう侵食が始まると、登山道は「川」に向かって変容する動きに巻き込まれます。東北の山では山の仕事師たちに合理的な「斜面を直登」する道が多かったからでしょうか「川になった登山道」が多く、登山者はその脇に自分たちで新たな踏み跡道をどんどんつくっていったという印象が強く残りました。
3.その「侵食の始まった登山道」をどのようにメンテンナンスするかという点ですが、私はかつて日本エアシステムが松本空港乗り入れを記念する機内誌に父と子の燕岳登山のススメを書いたことがあって、1994年6月6-7日の取材時に、燕山荘のスタッフのみなさんが、夏前の「学校登山」(長野県の小中学生はたぶん全員、地元の山に登らされます)の準備として登山道の補修をしている現場に出会いました。「気になるところの安全だけですかね、私たちができるのは」というようなことでしたが、その「安全対策」は無策ではなくある種の合理性を追求しているのだということを、その後、私は知るようになりました。
たとえば、2018年の6月19日に八ヶ岳のオーレン小屋のスタッフの皆さん(全員ネパール人でしたが)がスコップをもって出かけたのです。登山道のあちこちに流れてきた水流を斜面に落とす「水切り」の小さな溝をつけていました。その「水切り」は私の山旅図鑑no.200「八ヶ岳」の1日目「13時22分」の写真にあります。
山小屋が完璧なかたちで登山道を保守しているケースは扇沢から種池山荘へと登る柏原新道でした。鹿島槍ヶ岳への登山道として種池山荘のオーナー柏原正泰さんが1964年から始まった登山道開発の公共事業としての進捗に業を煮やして、自分で完成させてしまったというもの。私は1997年と2008年にその道を通っていますが、路肩が道路面より盛り上がっている部分がほとんどないという驚くべき新品状態を保っていました。念のために小屋の責任者の方にダブルストックにゴムキャップをつけないで登ってきたことを伝えると、まったく無関心。ストックが道を傷めるという「ニッポン登山界の常識中の常識」に関して驚くほど無関心でした。(春先のアイゼンの四角い突き穴と比べたら、腕の力以上の負荷のかからないストック=トレッキングポールの円形の歯の負荷など問題にならないのです)
あとでまた詳しく書くつもりですが、要するに、登山道の補修をするときに「歩きやすく」直してはいけないのです。無数の登山者が踏み固めた部分を保護するようにして「古道」としての保存をできるかぎり中心にしないと、結局、華やかな「補修」ほど大規模な「破壊」へと変貌してしまうのです。

天城山。これが、天下の天城山、『日本百名山』の天城山の表通りなんです。ほったらかしにされた登山道とはちがうのです。多大な金額と労力を投入してきたはずなのに、こんなふうになってしまったのは、管理責任者が自己流に「工事」を進めてきたからではないでしょうか。
【撮影】12時22分=伊藤 幸司=103
これが、天下の天城山、『日本百名山』の天城山の表通りなんです。ほったらかしにされた登山道とはちがうのです。多大な金額と労力を投入してきたはずなのに、こんなふうになってしまったのは、管理責任者が自己流に「工事」を進めてきたからではないでしょうか。仕上がったときの写真写りにこだわったからではないのでしょうか。一登山者の言いたい放題で申し訳ありませんが、せめて、丹沢・鍋割山荘の草野延孝さんに工事写真を見てもらうぐらいのことは必要なのではないでしょうか。

天城山。久しぶりに見ましたね、パッカンと剥がれた靴底です。以前は登山道のあちこちでこういう姿を見ましたが、
【撮影】12時31分=伊藤 幸司=107
久しぶりに見ましたね、パッカンと剥がれた靴底です。以前は登山道のあちこちでこういう姿を見ましたが、「一生モノ」みたいな顔つきの登山靴が減ったのでこの手の事故も減ったのかと思っていました。
原因は製造工程や使い方にあるのではなくて、安物の登山靴ふうのものを、昔の「一生モノ」の(靴底を何度も張り替えて履き続けられる)登山靴の後継者の如き顔つきで売ろうとする製品プランの間違いであったのです。靴のアッパー(本体)とソール(着地面を構成する靴底)との間にクッションとしてはさんだポリウレタン素材のミッドソールがほんの数年の耐久性しかない素材だったのです。しかも現実問題としてそのミッドソールを交換しつつ履き続けるという可能性はゼロだと思います。なぜなら、本来の靴底(アウトソール)自体も、いろいろな理由から経年劣化のはげしいポリウレタン素材が主力なのです。
そもかく、そのポリウレタン素材は湿気を嫌う(加水分解)という、化学製品としてのイメージからすると意外な弱点をそなえているのです。しかし一方、伸縮性のある服地(ストレッチ加工糸)や縫わずに作れる服(接着樹脂)、合成皮革といった多彩な能力を発揮しているのだそうで、スポーツシューズなどではアウトソール(本底)やミッドソールに使われているのだそうです。
靴底材料としては、昔のゴム素材と比べると耐摩耗性が高く、製品の硬さ・柔らかさをコントロールしやすく、複雑な形状のものを作れるのだそうですが、それが加水分解によって数年の寿命しかないという致命的な欠点をもっているのです。
わたし自身の体験として、ランニングシューズではアウトソールとアッパーの間にあるクッションとしてのミッドソールに指がズルズルと入っていくのを確かめたことがありますが、糸の会の皆さんの何度かの「靴底パッカン」事件でも、やはりミッドソールがグズグズになっていることを知りました。
一番劇的だったのは富士山で、2人の人の靴が続けてパッカンとなりました。富士登山という特別なイベントに、靴箱にしまってあった新品同様の軽登山靴を履いてきたというのが事故原因の全てでした。
こういうことが槍ヶ岳の東鎌尾根で起きたこともありました。もちろんロープやテープで剥がれたソールを靴に合体させればなんとか歩くことは可能です。その対処法については、例えばYAMA HACKの「これって寿命?登山靴のソール剥がれの4つの事前点検と緊急処置法」にありますが、まずは大事にしまっておいた新品同様の登山靴が、役立たずになっているということに、ご注意あれ。だいたい、私は「登山靴が足を守ってくれる」という考え方自体に大きな疑問をもっていて、「跳んだり跳ねたりできるしなやかな靴」をすすめています。さらに登山靴のソールのブロックパターンが安全を確保してくれるという非合理的な考え方も捨ててもらうことにしています。(いずれどこかで長々と書きますが)

天城山。こんな道は、なんとなく痛々しい感じがして、いやですね。
【撮影】12時34分=伊藤 幸司=111
こんな道は、なんとなく痛々しい感じがして、いやですね。私は登山道をダブルストックの鋭い歯で突っつくのに対しては軽く「ごめんなさい」程度で山の痛みをあまり感じませんが、こういう細い根を踏むのは痛々しくていやですね。できるだけ土がかぶさったところを歩くようにしてしまいます。
「森ノオト」というサイトに「根っこの話。…土の中はどうなっているの?」がありました。
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根っこは、大きく二つの役割を持っています。
まず一つ目は、水と栄養分(無機質)を吸い上げ地上部まで届ける役割です。木は生きていくのに必要な水を根から吸収していて、同時に水に溶けている栄養分を取り込んでいます。この役割は主に細い根っこが担っています。これを細根と呼びます。この細根の多くは数ヶ月で枯死し、枯死と同時に多くの細根が生まれています。かなりのコストを掛けていることから、細根の重要性が伺えます。
根っこの二つ目の役割は、木の幹を支えること(支持根)。幹の下に伸びる直根と横に伸びる側根に分けることができます。高く大きくなるためには、幹と相応に、根もしっかり張っていないと倒れてしまいます。これは細根が成長して幹のように茶色くなった(木化した)太い根が広がり絡み合い、樹体を支えています。
根っこの二つの役割は皆さんもご存知だと思います。
では根っこが地面の中でどの様な形をして樹体を支え、水を吸っているかご存知でしょうか。おそらく幹と枝が広がっているのをひっくり返した様な形だと想像している人も多いのではないでしょうか。でも実際はもっと地面に近く浅いところで根は広がっています。多くの木で根は通常、地下に1〜2mほど貫入しますが、根の量の80〜90%が地面の下30cmのところに分布しています(緑地でみられる植栽された木は直根を切られて栽培しているので、特に下への伸びが少ないと言えます)。
なぜ浅い部分に根っこが集中しているのかというと、水を吸うのには酸素が必要だからなのです。土の中は実は隙間がいっぱいあります。その隙間に空気があると、水に酸素が溶けます。木は水があるだけでは生きていけません。根っこが溜まり水の中に浸った状態だと、水の中に酸素がないので水を吸うことができず、根腐れが起こります。
また、根がある場所を人が多く歩くと、土が締め固められ、水も空気も通しにくくなり、木が弱ったり、枯れてしまったりします。
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天城山。このあたりでミツバツツジの花が開いているということは、アセビの時代が終わってしまったということです。でもシャクナゲの花はまだ見られるはずです。
【撮影】12時42分=伊藤 幸司=114
ミツバツツジが本格的に登場してきました。このあたりでミツバツツジの花が開いているということは、アセビの時代が終わってしまったということです。でもシャクナゲの花はまだ見られるはずです。

天城山。ミツバツツジはもちろん葉っぱが3枚のツツジです。
【撮影】12時42分=伊藤 幸司=116
ミツバツツジはもちろん葉っぱが3枚のツツジです。葉っぱが5枚のシロヤシオ(五葉躑躅)は群生する名所をねらっていろいろな山に出かけましたがミツバツツジはどちらかというと新緑の中にポツン、ポツンと出てくるのを楽しむという印象です。この紫色の花が咲いて、その後に3枚の葉が出てきます。だから葉っぱが3枚かどうか調べる前に、この色の、こんな花の群れがあれば、もう、ミツバツツジに間違いないのです。

天城山。白いきれいな花びらが登山道周辺に散っていました。一時期は出会うたびにうれしくなったオオカメノキ
【撮影】12時48分=伊藤 幸司=119
白いきれいな花びらが登山道周辺に散っていました。一時期は出会うたびにうれしくなったオオカメノキだとわかったのは皆さんに教えられてのことでした。その時々、山で見た花の一覧表をつくっていたころには馴染みの花がたくさんあったのに、最近は「あまりみないなあ」という感じで見過ごしているようです。オオカメノキの花も、この時期に出会うべくして出会っているのに、知らんぷりしてすれ違っていることが多かったのだと思いました。

天城山。オオカメノキは道に張り出した枝がほぼ水平に伸びていて、おおらかな葉の上に白い花をつけていました。
【撮影】12時50分=伊藤 幸司=123
振り返って見上げると道に張り出した枝がほぼ水平に伸びていて、おおらかな葉の上に白い花をつけていました。その、水平にどんどん伸びていく枝が、以前はパッと目に飛び込んできたんですけどね。歳のせいにしたいのですが、視野も関心もどんどん狭くなっていくみたいですね。77歳にならんとする今日、この頃は。

天城山。オオカメノキ。別名ムシカリ。
【撮影】12時50分=伊藤 幸司=124
オオカメノキの名の由来を確認しようとしたら、一時期ものすごくありがたいサイトだった「森と水の郷あきた・あきた森づくり活動サポートセンター総合情報サイト」が出てきました。樹木シリーズ74のオオカメノキ(ムシカリ)です。
———名前の由来・・・卵円形の大きな葉を亀の甲羅に見立てたのが和名の由来。また、ハムシの一種が葉の葉脈だけ残して葉脈標本のように食べてしまうことが多いことから、「虫食われ」が転訛し、別名ムシカリと呼ばれている。———
そうだ、そうだ、ムシカリだった。
さらにこの写真の解説にぴったりの文章で、もうひとつ、懐かしい名前が出てきました。
———見分け方・・・オオカメノキの装飾花は5裂し、裂片はほぼ同じ長さ。よく似たケナシヤブデマリの装飾花は、5裂するが、裂片の1個だけが極端に小さく、一見4裂しているように見えるので区別できる。また、オオカメノキの葉の基部はハート形に窪むが、ケナシヤブデマリは窪まない。———

天城山。この岩は、きれいに洗い出されて、ゴロゴロと押し流されてきたんでしょうね。
【撮影】12時52分=伊藤 幸司=128
この岩は、きれいに洗い出されて、ゴロゴロと押し流されてきたんでしょうね。そんな遠くからではないにしても、ここが川になった日には、この石がゴロゴロという音を立てていたんでしょうね。この道の顔つきはもはや「菅引川源流部の支流のひとつ」状態ではないでしょうか。

天城山。これはワラビ、ゼンマイ、コゴミという3人組のゼンマイみたいですね。
【撮影】12時54分=伊藤 幸司=129
これはワラビ、ゼンマイ、コゴミという3人組のゼンマイみたいですね。
旬の食材百科の「ゼンマイ(薇/ぜんまい):特徴と採れる旬の時期」によると、
———ゼンマイは土から顔を出し、幼葉を渦巻状に巻いた状態で伸びてきます。この幼葉がワタ状の繊維で覆われているのが大きな特徴です。
成長するにしたがいこの綿毛が落ち、青い葉が広がり始めます。
食用とするのは、この綿毛が残っている若い芽です。
また、ゼンマイには雄雌があり、「男ゼンマイ」と「女ゼンマイ」と呼ばれています。ちなみに写真に掲載しているものはどれも「男ゼンマイ」です。「女ゼンマイ」は茎がやや太めで巻いている葉の表面がつるっとしていて少なめです。一方「男」は巻いている葉の部分が膨らんでいて葉の表面がざらついています。これは胞子を飛ばすためだそうです。食べて美味しいのは「女」の方で、「男」は食べられない訳ではありませんが、やや固く女に比べ味が落ちるため採らない方も多いようです。———
写真のこの「ワタ状の繊維」にも価値があるとのこと。
———ゼンマイの綿毛を集め茹でて乾燥させたのち、真綿などと混ぜて紡いで織物にしたものもあります。かつて山里ではこうした織物も生活の知恵としてされていたようですが、現在ではほとんど作られる事は無くなり、極僅かに織物に拘りのある方が趣味で作られる程度となり、非常に高価な織物となっています。———

天城山。この木材がこの溝に差し込まれて、土留めとしつつ、上流側に土を盛って階段状にしたんですね、
【撮影】12時56分=伊藤 幸司=130
この木材がこの溝に差し込まれて、土留めとしつつ、上流側に土を盛って階段状にしたんですね、ある段階で。出来上がりは立派だったでしょう。歩きやすそうな階段だったでしょう。でも雨が水流となってここを流れた日に、この木材が押さえていた土は流されて、ついには土留めのこの木材までが押し流されてしまったと、説明するまでもないことですよね。
この山に来る人たちはものすごくマナーのいい人たちばかりのようで、自分たちの靴を汚さないような新しい道を作ろうとはしていないようです。たぶん、この登山道を整備しようとする人たちも、なんとかこれを放棄せずにリメイクしたいと考えているのでしょう。
よそ者の素人考えですが、ここは菅引川源流(の涸れ沢)が向かって左のすぐそばにあるのです。どうしてそこに邪悪な水流を流してやろうとしないのでしょうか。勝手ながら、この材木を用意して、ここに設置した人たちがどんな顔つきでその作業をしたのか、なかなか想像できません。ここに立派な仕上がりの登山道をつくって、仕上がり写真を撮ったのでしょうが。

天城山。アセビがだんだん存在感を増してきました。
【撮影】12時57分=伊藤 幸司=132
アセビがだんだん存在感を増してきました。「富士の森Garden 〜時の庭から〜」に「新芽エトセトラ」として、ほとんど紅色の新芽の写真がありました。———花のように赤い新芽…ちょっとチューリップみたいでしょ!? もう少し伸びるともっと真っ赤になるんですよ。春先に咲くホントの花は真っ白…。花の時期と新芽の時期では、印象がまったく違うアセビです。———

天城山。タチツボスミレでしょうね、これは。ハート型の葉をつけて最大20cmにもなる茎を立てて、いかにも「スミレ」という雰囲気の花を咲かせます。
【撮影】12時58分=伊藤 幸司=135
タチツボスミレでしょうね、これは。ハート型の葉をつけて最大20cmにもなる茎を立てて、いかにも「スミレ」という雰囲気の花を咲かせます。「まあ、タチツボスミレ」という程度ならいいのでしょうが、その先は大変です。私にはもうお手上げです。
みんなの趣味の園芸のタチツボスミレの基本情報によると、———花色に変化が多く、白(シロバナタチツボスミレ Viola grypoceras f. albiflora)、薄いピンク(サクラタチツボスミレ V. grypoceras f. rosipetala)、白い花で距(花の後ろにある出っ張り)だけ紫のもの(オトメタチツボスミレ V. grypoceras f. purpurellocalcarata)などがあります。葉に光沢があり、海岸近くに見られるツヤスミレ (V. grypoceras f. lucida)、葉の葉脈に沿って赤い色が入るアカフタチツボスミレ(V. grypoceras f. variegata)もよく見られます。———というともう手が出せなくなります。
さらに、「種類(原種、園芸品種)」の一覧も加えられていますが、すごいです。
○ニオイタチツボスミレ
花は色が濃く鮮やかで、香りがある。全体にごく短い毛が密生する。日本列島各地の、山地の草原や道端などのやや乾いたところに生える。
○ナガバノタチツボスミレ
葉が長いことが特徴。タチツボスミレより全体に少し色が濃く、紫色を帯びたものが多い。静岡県以西の本州と四国、九州の比較的低山に分布。
○セナミスミレ(イソスミレ)
花は径2.5cm前後と大きく、色も濃く、形も美しい。全体に大型で、最終的には大鉢で育てる。丹後半島以北の本州日本海側と北海道南西部の砂浜に分布。
○ナガハシスミレ(テングスミレ)
花はタチツボスミレよりやや色が濃く、距がとても長く突き出す。日本列島の主に日本海側と北米大陸東部に分布し、主に低山で見られる。
○ビオラ・リビニアナ・パープレア・グループ
タチツボスミレに似るが、全体が紫色なので区別できる。花はラベンダー色。ヨーロッパや地中海地域原産のビオラ・リビニアナの園芸品種。
○ヒチトウスミレ
全体にやや大型で、葉はふつう光沢がある。前年の茎が翌春まで生き残る傾向が強い。伊豆諸島と三浦半島の海岸近くや、やや内陸部に分布。
○コタチツボスミレ
九州に見られる変種で、全体に小型であまり茎が伸びない。
○ヤクシマタチツボスミレ
屋久島原産。コタチツボスミレに似るが、より小さく、葉の幅が1cmに満たない。分類ではコタチツボスミレに含めたり、その品種とすることもある。
○ケイリュウタチツボスミレ
あまり茎が伸びず、葉が小さい。関東地方以西の本州と四国に分布し、増水時に水没するような場所にある岩のすき間などに生える。

天城山。万二郎岳(ばんじろうだけ)山頂に着きました。
【撮影】12時59分=伊藤 幸司=136
万二郎岳(ばんじろうだけ)山頂に着きました。計画書では標高差200m+、距離1.5km+で「登り9パワー=1時間」と計算していましたが、それに1時間半かかりました。
今日の周回ルートでは万二郎岳への登りの後、万三郎岳への稜線があり、そこから下って涸沢分岐、残りは標高1,050m〜1,150mの山腹の巻き道という感じです。
その第一部で30分のオーバーとなったのですが、糸の会の計算法ではすべてを「時速1km」すなわち標準的な登山道を登る時間で概算しているので、下りや、稜線ではその赤字を補填できるのが普通です。完全に余りが出ると思えたら、その余剰をリーダー権限で休憩時間などで使うこともできるのです。

天城山。標識の「万二郎岳」にMt.Banjirodake と読みが加えられています。
【撮影】12時59分=伊藤 幸司=137
標識の「万二郎岳」にMt.Banjirodake と読みが加えられています。標高1,299mが万二郎で標高1,406mが万三郎ですから、万三郎のほうが兄ですかね。
その名の由来について、昔なら広尾の都立中央図書館に行って、静岡県の郷土史を探せば一発で分るところですが、いまは図書館に出かけるということは皆無です。ネットで調べればいろいろわかるのですが、郷土史はなかなか利用できませんね。県史、市史だってずいぶん縁遠くなりました。
ところが図書館ではなかなか調べられないものがネット上にはあるんですね。「天城連峰太鼓」というのがあるそうなんですが、YouTube に「伊豆市太鼓連盟10周年・天狗太鼓」というのがありました。その解説には———天城連峰にある八丁池をめぐるお話を題材にした曲。万二郎と万三郎兄弟が八丁姫を射止めようと山の高さを競う争いをした。それを悲しんだ八丁姫は池に身を投げたそうな。———とありました。(これだけでは意味がよくわかりませんけれど)
「天城の天狗」に関しては「美しき楽園〜年齢を重ねても輝く女性達」というサイトの天城山には怪物が棲んでいた!?「天城邪鬼」の話と天狗の兄弟の話に兄弟天狗の話が紹介されています。
———
昔、天城山には万治郎天狗と万三郎天狗という仲の良い兄弟の天狗が棲んでいました。
八丁池で水遊びをしたり、すもうをとったりしていつも仲良し。今でも兄弟がすもうをとっていた所が天狗平とか天狗の土俵場と呼ばれています。
ある日、すもうに疲れて前方に見える富士山を眺めていると、「あれをぶっかいてやるか」ということになり、夜になるのを待ち、大きな鍬とモッコをかついで富士山に向かいました。
兄弟の天狗は富士山の頭を欠いてはモッコに入れて、天城山まで運びました。
一晩中それを繰り返していた天狗たちは朝になり富士山を見て驚きました。
醜くしようと思ったのに、富士山は「何も変わっていなかった」のです。それどころか美しくなったような気がします。
「骨折り損のくたびれもうけだ」
兄弟の天狗はばかばかしくなってかついでいたモッコを放り出してしまいました。
この途中で放りだされたモッコの土でできたのが箱根の双子山だといいます。
(参考文献・伊東の民話と伝説)
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天城山。万二郎岳の山頂部にこのミツバツツジがありました。
【撮影】13時00分=伊藤 幸司=140
万二郎岳の山頂部にこのミツバツツジがありました。前の写真(藤原 由香里=6277)とはずいぶん違いますが、私の「−2絞り」がその基本的な原因です。
私は基本的には「カメラ任せ」での撮影を基本としていますから「オート」撮影ですが、フルオートではなくてプログラムオートです。フルオートにすると、暗くなるとフラッシュが自動的に発光してしまうので、それを防ぐのが第1の理由です。万一間違ってポップアップするフラッシュをテープで止めているほどです。以前ならフラッシュ撮影でなければ撮れなかった暗い光景も、驚くほどうまく撮ってくれます。(先日、大学時代の仲間が持っていたiPhione13の夜景撮影モードは驚愕でした。肉眼以上の暗視能力を備えていますから。)
そして第2の理由は、カメラの露出決定を強引に変えたいときに、プログラムオートだと言うことを聞いてくれるからです。この場合だとフレーミングを上向きにすると、明るい空が入ってきて適正露出が変化します。だから最初に露出中心のフレーミングでシャッターを半押しして確定させて、それから絵柄のフレーミングを調整してシャッターを切るのです。写真の主題が(ほぼ)適正露出にしたいことと、ハイライトが飛ばないようにすることを、適当な塩梅で実現するにはシャッター半押しで露出決定に割り込めるプログラムオートが便利なのです。したがってこれは「-2絞り」かどうか、わかりません。

天城山。私たちは万二郎岳山頂をパスして10分弱下ったところにある展望岩で10分休憩しましたが、その岩の裏側にこの一群のイワカガミはあるのです。
【撮影】13時09分=伊藤 幸司=144
これはイワカガミ。ウィキペディアのイワカガミに書かれているように———高山植物の一種ではあるが、実質的には低山帯から高山帯まで幅広く分布する。———のです。私たちは万二郎岳山頂をパスして10分弱下ったところにある展望岩で10分休憩しましたが、その岩の裏側にこの一群のイワカガミはあるのです。私としてはここにイワウチワがあると嬉しいのですが、とりあえず毎回、ちょっとがっかりしながらイワカガミを見てきました。

天城山。標高1,280m等高線あたりにこの岩があって、そこから標高1,250mまで下がって登り返します。前方に見えるピークが標高1,325mの、馬の背の、アセビのトンネルの入口です。
【撮影】13時09分=伊藤 幸司=147
万二郎岳山頂から一段下って、この岩はあるのです。地理院地図で万二郎岳を詳しく見ると、多分標高1,280m等高線あたりにこの岩があって、そこから標高1,250mまで下がって登り返します。前方に見えるピークが標高1,325mの、馬の背の、アセビのトンネルの入口です。その手前、下ってきたところに小さな盛り上がりがあるのですが、そこにも岩があって、そこに立つとこちらが見えますし、こちらからも人の姿が見えるという楽しい場所なのです。が、残念ながらこの日は登山者がほとんどいません。シャクナゲが終わってしまったからだろうかと、心配になりますよね。

天城山。木苺の白い花を一覧してみると、ニガイチゴのような気がします。
【撮影】13時16分=伊藤 幸司=150
はっきりとはわかりませんが、木苺の白い花を一覧してみると、ニガイチゴのような気がします。渡辺坦さんという人の力作写真集のようですが「植物の名前を探しやすいデジタル植物写真集」のニガイチゴの写真を見るとまず間違いないと思います。花については———春に短枝の葉腋からでる花柄に、5弁で直径2~2.5センチある白い花が数個上向きにつく。花弁は付け根が細くなった狭楕円形で、しわがよったような形をしている。———とのこと。
このサイトの「あとがき」によると———主な撮影場所は、関東南部の野山や公園、田畑、街かど、道端、 植物園(東京大学付属小石川植物園、都立薬用植物園、 国立博物館付属自然教育園(目黒)、昭和薬科大学薬用植物園、 神代植物公園、他)などです。———だそうです。

天城山。間違いなくニガイチゴですね。川内村観光協会というサイトに甘くておいしいニガイチゴという記事がありました。
【撮影】13時17分=伊藤 幸司=151
まず間違いなくニガイチゴですね。川内村観光協会というサイトに甘くておいしいニガイチゴという記事がありました。
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野に咲く小さな果実、野イチゴ、クマイチゴ、そしてニガイチゴ。ニガイチゴとはその名の通りで、苦苺と書きます。つまり苦いイチゴという意味なのですが、さて、なんでそんな名前になったんだろう。私はニガイチゴはとてもおいしいと思います。
物の本にもインターネットの検索で出てくるニガイチゴについての記述でも、実が苦いからニガイチゴだと書いてあります。みなさん、食べたことあるのかなぁ。食べたことがある人でも、ちゃんと熟してないのを食べちゃったのかもしれません。熟したニガイチゴは、とてもおいしいです。ニガイチゴなんて名前をつけられちゃって、ほんとうにかわいそうです。
山ではまず黄色いモミジイチゴが実をつけます(春に近いうちに実をつける植物なのにモミジとはこれまたいかに?)。その後に出てくるのが、このニガイチゴです。どちらのイチゴも、たいへんおいしいです。私たちが子どもの頃には、学校帰りの絶好のおやつになったものでした。
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ちなみに、川内村は福島県です。

天城山。馬の背に向かう稜線に登場したのはヒメシャラです。堂々たるヒメシャラ並木とはいえるでしょう。
【撮影】13時22分=伊藤 幸司=153
馬の背に向かう稜線に登場したのはヒメシャラです。以前の印象と比べると華やかさが失われているように思いましたが、堂々たるヒメシャラ並木とはいえるでしょう。

天城山。溢れ出てくるようなアセビです。
【撮影】13時24分=伊藤 幸司=156
溢れ出てくるようなアセビです。右端に見える木はヒメシャラだろうと思いますが、木肌の印象はリョウブのようにも見えます。天城山にはリョウブもあるので、なんとも言い難いのではありますけれど。

天城山。ヒメシャラと、下草はトリカブトだと思います。
【撮影】13時25分=伊藤 幸司=157
ヒメシャラと、下草はトリカブトだと思います。まずはヒメシャラについて。
「ぞう木りん」という『雑木の庭』の苗木と草花ガーデニングショップに「雑木ガーデンの樹種のひとつヒメシャラの特徴」というのがありました。
———
ヒメシャラの幹をアップで見たところです。
特徴的な赤みの入った赤褐色の幹肌で、さわってみるとツルっとした感触です。
幼木の間はまだ赤い色はあまり見えず茶色や灰色系ですが、成木に近付いてくると赤褐色が発色してきます。
幹肌の表面は成長が進むと赤い色の薄い表皮がめくれて自然と新しい木肌がでてきます。
薄い皮の部分は薄さとしては玉ねぎの薄皮のようにペラッと捲れます。
感触はまるで紙やすりで研いだようなサラサラした肌触りで、ザラザラ感はあまりありません(部分的にはありますが)
他の樹木で言いますとツルっとした肌触りで有名なサルスベリの肌触りのようです。
———
下草のトリカブトに関しては、シカの食害が広がっているそうですから、それによって鹿が食べないことによって繁茂しつつあるのかもしれないと思います。
『生態環境研究』のNo25(2018年)に「天城山山地帯夏緑広葉樹林のヒメシャラとヒコサンヒメシャラの植生単位における出現特性」という論文があります。筆者は東京農業大学の大淵香菜子、中村幸人(名誉教授)。
それによると———ヒメシャラとヒコサンヒメシャラはシカの嗜好性植物として判断されている文献が多い(橋本・藤木、2014など)。当調査地でも稚樹先端部の摂食痕は確認されたが、これが原因で枯死しているものは少なかった。また形成層にまで達する樹皮剥ぎもほとんど観察されなかった。———

天城山。稜線から天城高原ゴルフコースが見下ろせました。
【撮影】13時27分=伊藤 幸司=159
稜線から天城高原ゴルフコースが見下ろせました。霧がかかっていなければこのゴルフ場の向こうに遠笠山(1,197m)がそびえているはずです。

天城山。この岩とこの梯子。岩の上に立つと、15分前に休んでいた岩のところと交互に見通せます。
【撮影】13時30分=伊藤 幸司=161
この岩とこの梯子。岩の上に立つと、15分前に休んでいた岩のところと交互に見通せます。馬の背に登る尾根の途中です。

天城山。これが菅引川の始まりです。
【撮影】13時32分=伊藤 幸司=163
これが菅引川の始まりです。12時16分に渡った涸れ沢はここから100mほど下ですから、人が渡っていれば、この写真の中に写るはずです。

天城山。私たちは馬の背の標高1,325mに向かって登っていきます。
【撮影】13時33分=伊藤 幸司=164
私たちは馬の背の標高1,325mに向かって登っていきます。

天城山。馬の背はほぼイコールでアセビのトンネルです。
【撮影】13時41分=伊藤 幸司=170
馬の背はほぼイコールでアセビのトンネルです。ちょっと荒れた感じになっていますが、左右両側からアセビの枝が頭上を覆っています。この「アセビのトンネル」がなんとJTBの日本の絶景・感動の瞬間(とき)のなかに入っているんですね。
———
静岡県 中伊豆
天城山の登山道 原生林が繁るアセビのトンネル
■概要・エピソード
春になると小さく可憐な白い花々を咲かせるアセビの木。そんなアセビが山の稜線におよそ400mも連なり、曲がりくねった幹や枝を互いにからませながら群生している一帯があります。頭上を覆うようにアセビの枝がからみあう中を潜り抜けて歩く道は、まさに「アセビのトンネル」。まるで絵本の中に出てくる秘密の小道を歩いているかのような気分が楽しめます。天城山の登山口から約2時間ほど歩いてたどりつけるこの場所は、花の季節、山を訪れる人々に人気の絶景スポットにもなっています。アセビが咲く時期になると、山には他にも華やかなピンクの花が美しいアマギシャクナゲや季節を代表するツツジの花など、かわいらしい春の花々が咲き誇り、登山者達を出迎えてくれます。
■見所・お勧めポイント
絵本の挿絵の世界を歩いているかのような気分にさせてくれる、不思議な場所。それがこの「アセビのトンネル」です。がんばって山を登った人々の目の前に広がるファンタジーな風景。大人も子供もそこを歩けば、自分が絵本の登場人物になったかのような気分を味わいながら散策できます。
■背景
歌や小説などの題材としても多く取り上げられている「天城山」は、伊豆半島中央部に広がる複数の山々の総称です。最も標高が高いのは、伊豆半島の最高峰でもある標高1,406mの万三郎岳。アセビのトンネルがあるのは、この万三郎岳と万二郎岳を結ぶ稜線の途中。天城山は日本百名山の一つにも数えられており、花の名所としても広く知られています。
■ご案内とご注意
※本サイトに掲載した感動の瞬間(とき)は、天気や自然の条件によりご覧頂けない場合がございます。
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天城山。屋久島には三代杉というような屋久杉がありますが、これは「二代アセビ」になるのでしょうか。
【撮影】13時45分=伊藤 幸司=175
屋久島には三代杉というような屋久杉がありますが、これは「二代アセビ」になるのでしょうか。

天城山。馬の背からの下りです。標高差約50mの急斜面を一気に下ることになります。
【撮影】13時56分=伊藤 幸司=179
馬の背からの下りです。標高差約50mの急斜面を一気に下ることになります。こういう場所でストックを有効に使えない人がいると、外野から「ストックをしまいなさい」と忠告してくれる人がいます。だいたい「岩場でストックを使うのは危険」というのが常識になっていて、昔はもっとひどく「危険なことをさせるな」とリーダーの私が叱られたことが何回もありました。「四足で歩くようにはなりたくないね」といわれたこともしょっちゅうでした。
でも私にとっては、安全対策として、このような場所でこそダブルストックが重要な役目を果たしていると考えます。
というのは、こういう場所でストックが手の延長として役に立つ範囲は使う人の技量によって違うのです。あるいはその人の不安や恐怖心によっても、使わない状態のストックのさばき方が違ってきます。……だから、ひとりひとりの状態が、ストックのさばき方でよく分かる……と考えているのです。いざとなったらそこで止めて、直接指導しなければなりませんが、その前段階で、いろいろな声掛けが可能です。
その前に、皆さんには、自分の実力で不安を感じたら「登りの逆モーションで下りましょう」と徹底してもらっているつもりです。そういうシステムなら私が見る目も、動きをよりよく観察できると思っています。ストックも、手が伸びるぶんだけ安全確保の領域が広がるということに加えて、使わない状態のやっかいなストックをきちんとさばいている間は安全は脅かされていないというふうに見えるのです。
糸の会の女性は登りでは同年齢の女性登山者とほぼ同じ能力だと思いますが、下りの能力は断然勝れています。自身の安全管理の領域が広いので、スピードも早いのです。

天城山。雨に濡れたこういう岩場ではストックが使えるか使えないかで、安全度は格段にちがってきます。
【撮影】13時57分=伊藤 幸司=181
「岩場でストックを使うのは危険」というのが日本では常識だと思いますが、その道具は、本来ヨーロッパ・アルプスのトレッキングを想定してつくられたストックですから鋭利な刃先がついています。岩に思いっきり突き立ててみるとその能力がわかりますが、その歯が柔らかな土を突っつくと登山道を傷めるということでゴムキャップをはめるのが標準的というのが日本の登山道では常識となっていて、おかげで岩場では滑って危険きわまりない道具になってしまいました。雨に濡れたこういう岩場ではストックが使えるか使えないかで、安全度は格段にちがってきます。

天城山。馬の背から下ったところが石楠立(はなだて)でした。
【撮影】14時08分=伊藤 幸司=185
馬の背から下ったところが石楠立(はなだて)でした。標高約1,250m、ここから万三郎岳への登りが始まり、同時に石楠花(シャクナゲ)が登場してくるのです。いよいよ本番、という期待に気分が明るくなります。

天城山。登り始めるとたちまちシャクナゲが登場しました。
【撮影】14時12分=伊藤 幸司=186
登り始めるとたちまちシャクナゲが登場しました。モダンメディアの2006年5月号にアマギシャクナゲがありました。 ———アマギシャクナゲは伊豆半島の山地にのみ生育する地域限定種の植物です。常緑低木で、高さは4~6mほどになり、晩春から初夏の花期には美しい花をつけます。アズマシャクナゲに近縁ですが、花冠は5裂するもののほか、6裂や7裂のものが混じるのが特徴です。また、他のシャクナゲに比べて大木になるようで、中には6~7mもの高さのものもありました。———

天城山。天城山のシャクナゲはどうも、ひとまとまりの大きな木となって、そこにたくさんの花をつけるというのが特徴的な姿なのかなと思います。
【撮影】14時13分=伊藤 幸司=189
私がシャクナゲにこだわり始めたのは1995年にこの天城山で初めてシャクナゲを見て、さらに「10年来の大豊作」という2005年に「5/21天城山、5/24天城山、5/28-29甲武信ヶ岳、5/31-6/3屋久島、6/8-9黒檜岳、6/14-15甲武信ヶ岳、7/12-13秋田駒ヶ岳」と集中的にシャクナゲ中心の計画を立てた……という経緯は巻頭に書きました。天城山のシャクナゲはどうも、ひとまとまりの大きな木となって、そこにたくさんの花をつけるというのが特徴的な姿なのかなと思います。

天城山。アマギシャクナゲ。ちょうどいい感じに咲いている花を撮りました。
【撮影】14時13分=伊藤 幸司=190
ちょうどいい感じに咲いている花を撮りました。コトバンクに世界大百科事典内のアマギシャクナゲの言及という私のこの図鑑のような「引用頼り」がありました。———静岡県北部には,ホンシャクナゲに似るが花冠が5裂するものがあり,キョウマルシャクナゲという。これは葉の裏面が赤褐色であるが,天城山には灰白色のものがあり,アマギシャクナゲという。関東から東北地方南部には花冠が5裂し,葉の裏面に枝状毛が密にあるものがあり,アズマシャクナゲという。———だそうです。

天城山。アマギシャクナゲ
【撮影】14時13分=伊藤 幸司=191
アマギシャクナゲはアズマシャクナゲの変種だそうですが、その関係がわかりやすい解説はTam's素人植物図鑑のアズマシャクナゲにありました。
———まれに白花をつける品種があり、シロバナアズマシャクナゲという。キバナシャクナゲとの雑種はクロヒメシャクナゲとよばれる。
伊豆半島に生えるアマギシャクナゲは、葉裏が灰白色でときに花冠が6-7裂する。
屋久島固有種のヤクシマシャクナゲも花冠が5裂して雄しべが5個あるが、花冠が平開せずふっくらとした鐘形になる。
中部地方以西・四国に分布するホンシャクナゲは花冠が7裂するので見分けられる。———

天城山。これは明らかに2010年3月9-10日の大雪による樹林惨殺の痕跡です。
【撮影】14時15分=伊藤 幸司=194
これは明らかに2010年3月9-10日の大雪による樹林惨殺の痕跡です。 ……といっても写真の説明になりませんが、このあたりは人の背をはるかに超えるシャクナゲがアーケードをつくっていたところです。その元気な木が、大きく枝を張っていたがゆえに大量の雪を積もらせてバシン、バシンとへし折られていったのです。その2ヶ月後に花を期待して出かけた私たちは、足の踏み場もないような落枝の山に茫然としたものです。

天城山。150~189 年前には天城山で大規模な炭の生産が行われていたことが文書から明らかであり、天城山のブナ林がその影響を受けていることを示唆している。
【撮影】14時23分=伊藤 幸司=199
万三郎岳の山頂手前には巨木が立ち並ぶブナ林が広がっています。伊豆市の観光情報サイトに伊豆市には国指定の特別保護区『ブナの原生林』があります あまり知られていませんが…という文章がありました。
———
『ブナの原生林』というと、世界遺産である『白神山地』が有名ですが、実は伊豆市にも『ブナの原生林』があるんです。
伊豆市の天城山にあるブナの原生林は、国指定の『特別保護地区』に指定されています。
こちらは、特に優れた自然景観、原始状態が保たれている所で、いわゆる『極相林(きょくそうりん)』です。
『極相林』とは、裸地に手を加えず自然に任せた状態にしておくと、長い年月を経て植物が遷移して(うつりかわって)、最終的にその土地の気候に最も適した樹木・植物の状態にたどり着いた森林のこと。
天城山のブナの原生林は、おそらく1,000年以上の年月をかけて、現在のような形にたどり着いたのだと思われます。
伊豆市にある特別保護地区は、八丁池とその周辺、戸塚峠~小岳~万三郎岳~万二郎岳までの地域の2か所があります。
———
万二郎岳〜万三郎岳の登山道はもちろんその『特別保護地区』に指定されています。
しかし、それほどピュアな原生林ではないようです。国立研究開発法人科学技術振興機構 (JST) が運営する電子ジャーナルプラットフォームで公開されている学術論文の中に伊豆天城山ブナ林の林相と齢構造(Pa053 渡邉邦宏・指村奈穂子・齊藤陽子・井出雄二 東大院農)というのがありました。わずか1ページのレイサマリー(要約)というのでしょうか、核心部は私には理解できませんが、ただ、注目できる記述がいくつか見つかりました。断片的な引用になってしまいますけれど……
———ブナ林は日本の冷温帯の代表的な自然景観として重要である。日本のブナ林は太平洋側と日本海側で種組成・相観が異なること、太平洋側は日本海側に比べ限られた地域に小規模に隔離分布していること、日本海側は連続的に更新するが太平洋側は断続的に更新することなど、異なる特徴を有している。現在、各地の太平洋型ブナ林は衰退傾向にあり、天城山においても現地の観察から一部同様な傾向にあると考えられる。一方、これまでの調査により、天城山のブナ林の成立には伐採など人為の影響が示唆されている。実際、江戸時代後期にはこの地域で大量の炭が生産された記録がある。そのため、このブナ林の林相や齢階層が非常に興味深い構造をしていることが渡邉(2011)の調査で明らかとなった。———
———年輪コアから読み取られたブナの年齢は 32 年から 189 年であった。各林分内で一番太いブナの年齢は 24 本中 13 本が 150年以上であった。150~189 年前には天城山で大規模な炭の生産が行われていたことが文書から明らかであり、天城山のブナ林がその影響を受けていることを示唆している。逆に一番細いブナで 32~63 年のものが 24 本中 6 本もあり、比較的最近でもブナが更新していることを表している。太平洋側でのブナの更新は難しいとされるが、条件によっては更新が可能であることを示している。健全度には、地理的傾向が認められ、南部の長九郎山では健全な個体が多く、西部・東部で不健全、その他ではやや不健全とされた。———

天城山。この場所は、以前、ブナの巨木があるという小さな標識に導かれて、繰り返し訪れることになった場所です。
【撮影】14時29分=伊藤 幸司=201
この場所は、以前、ブナの巨木があるという小さな標識に導かれて、繰り返し訪れることになった場所です。(たとえばこの山旅図鑑の初期作品となっているno.107の「2016.5.14天城山」にある「追加写真1〜16」で見ていただくと、万三郎岳手前の「ブナの巨木広場」が繰り返し出てきます)
そしてこれが2010年3月9-10日の大雪で圧死したブナの王様の姿です。大雪による倒木は通常、枝振りのいい元気な木が、大量に積もった雪の重みで圧死するのですが、この木は(おそらく)一瞬にして圧殺されて、バラバラになったのだと思いました。その2か月後に見たときの印象ですが。
なお、次の写真(藤原 由香里=6384)とは雰囲気がずいぶん違います。「明るい写真に仕上げたい」という藤原さんの好みの絵になっているのだろうと思いますし、SX-60にしろ、SX-70にしろ、フツーのオートで撮れば、次の写真に近い雰囲気に仕上がるのだろうと思います。私の写真は「-2絞り」写真です。

天城山。それがいま、主役の座に躍り出ようとしています。シカが食べないアセビの木は、今後増えこそすれ、減ることはないのかもしれません。
【撮影】14時31分=伊藤 幸司=203
このあたりでは、この時期、シャクナゲの圧倒的な華やかさで、アセビの紅い新芽などは脇安に過ぎなかったと思います。それがいま、主役の座に躍り出ようとしています。シカが食べないアセビの木は、今後増えこそすれ、減ることはないのかもしれません。

天城山。万二郎岳から万三郎岳へと延びる稜線の登山道は北(進行右手)の伊豆市と南の東伊豆町との境界とも重なっているのです。
【撮影】14時34分=伊藤 幸司=206
国土地理院の地図には、遠笠山(1,197m)から天城高原ゴルフコースを横切って万二郎岳(1,299m)へと延びる伊豆市と東伊豆町の境界ぞいに「天城山脈」という大きな文字を書き込んでいます。ウィキペディアの天城山では、———天城山(あまぎさん)は、静岡県の伊豆半島中央部の東西に広がる山。天城山は連山の総称で、天城連山や天城山脈と称されることもある。———としていますが、修善寺温泉などのある伊豆市の観光情報サイトの「天城山(あまぎさん)・天城連山(あまぎれんざん)」によると天城山脈という名称は使わないと決めているように思われます。それによると———伊豆半島の中央部にある天城連山は、最高峰の万三郎岳(1,406m)や万二郎岳(1,300m) 箒山(1,024m)などの外輪山と遠笠山、大室山などの側火山からなるカルデラ火山。ちなみに「天城山」という名の山はない。———と解説しています。
万二郎岳から万三郎岳へと延びる稜線の登山道は北(進行右手)の伊豆市と南の東伊豆町との境界とも重なっているのです。ちなみに伊豆市の北隣は伊豆の国市なんですが、そこにはなんと(国土地理院の地図には採用されていませんが)「沼津アルプス」がありますからね。伊豆に「山脈」と「アルプス」はちょっと恥ずかしいのかも。

天城山。アマギシャクナゲの花。花は枝先の短い総状花序に5~12個つき、花冠は漏斗状鐘形、紅紫色で径4~6cm、普通5裂するが6~7裂のものも混じる。
【撮影】14時34分=伊藤 幸司=208
アマギシャクナゲの花については、野の花讃歌では———花は枝先の短い総状花序に5~12個つき、花冠は漏斗状鐘形、紅紫色で径4~6cm、普通5裂するが6~7裂のものも混じる。———
天城山 ブナの森から「アマギ自然ガイドクラブ」メンバーの伊豆だよりの2011年05月16日アマギシャクナゲの開花情報によると、
———今年のアマギシャクナゲは当たり年です。5段階評価で5と言っても過言ではないでしょう。ただ、花の時期が一週間ほど遅れています。———
———15日現在、標高1200m~1300m付近では蕾が膨らみ、一部で開花が始まっています。
万三郎岳の山頂付近はもう少し時間がかかりそうです。涸沢付近は1〜3分咲きでしょうか。———
———昨年倒れた大ブナ付近の縦走路ではこの一株が開花していました。———
———花は枝先に3〜12個付く、その内の一つが開いた。花冠はふつう5裂しますが、6〜7裂するものも混じます。これがアマギシャクナゲの特徴の一つです。———
———シャクナゲの見頃は20日頃からになるでしょう。今月中は十分楽しめそうです。今年の花を見逃すと、しばらく大当たりは望めません。是非、ご都合を付けてお出掛けください。———

天城山。白花アマギシャクナゲ。
【撮影】14時35分=伊藤 幸司=211
リアンジェンというオンライン百貨店みたいなところのgreenlivesという窓口に白花アマギシャクナゲ、花芽付き、草丈100cm前後、根巻というのがありました。一株8,000円が1割引になっていました。
またツツジ・シャクナゲ専門店の富士園芸という会社では父の日ギフトに「アマギシャクナゲ八重咲き『天城牡丹』F1386 樹高25cm 接ぎ木3年」を5,950円(送料無料)で販売とのこと。

天城山。これが天城山のシャクナゲの象徴的な見え方ではないかと思います。
【撮影】14時36分=伊藤 幸司=214
これが天城山のシャクナゲの象徴的な見え方ではないかと思います。
たとえば屋久島のシャクナゲで記憶に残る光景は、可愛らしいんですね。大きな風景の中で見ていると、まるで庭木のように配置された印象が残りました。
また奥秩父の甲武信ヶ岳では十文字小屋から登って戸渡尾根から徳ちゃん新道を下るというのをシャクナゲ目当てで何回かやりましたが、登山道の両側に、ひょろ長いシャクナゲが並び立っていた、という記憶が強いのです。
それに対して天城山のシャクナゲはひとつひとつが巨人です。以前は万三郎岳山頂からダイレクトに北斜面を下りましたから、天城山全体にシャクナゲの巨人が散在していて、私たちはそのいくつかに近寄らせてもらう……という印象が残ったのです。シャクナゲの一人一人に名前がついていてもいいんじゃないかと思わせるところが、この時期にこの山に抱く期待ではないかと思うのです。

天城山。紅色一色の絵の具で表わした表情として見ると、懐の深い花だというふうにも見えてきます。
【撮影】14時37分=伊藤 幸司=217
これを何分咲きというのかわかりませんが、紅色一色の絵の具で表わした表情として見ると、懐の深い花だというふうにも見えてきます。

天城山。シャクナゲが道を邪魔しているのか、道がシャクナゲを邪魔しているのかわかりませんが、
【撮影】14時37分=伊藤 幸司=218
シャクナゲが道を邪魔しているのか、道がシャクナゲを邪魔しているのかわかりませんが、私がなぜここに立ってカメラを構えていて、道がどんなふうに延びているのか、状況がさっぱりわかりません。思い出せません。でも、この写真を撮るために、わざわざここに立ったというはずはないのです。基本的に私は道を外しませんから、みなさんがあえて、シャクナゲの中をくぐり向ける「旧道」を通っているのではないかと思うのですが。

天城山。鈴なりというにはちょっと控えめですが、これもこのシャクナゲの個性といえば、こういう個性が、ブナの森のあちこちに点在して飽きさせない、
【撮影】14時38分=伊藤 幸司=219
鈴なりというにはちょっと控えめですが、これもこのシャクナゲの個性といえば、こういう個性が、ブナの森のあちこちに点在して飽きさせない、というものでした。いまはちょっと寂しい感じになりましたが。

天城山。万三郎岳(標高=1,406m)の山頂に着いたのは、私の時計では14時53分でした。予定では14時00分でしたから、まあ、ここで1時間遅れですね。
【撮影】14時55分=伊藤 幸司=225
万三郎岳(標高=1,406m)の山頂に着いたのは、私の時計では14時53分でした。予定では14時00分でしたから、まあ、ここで1時間遅れですね。万二郎岳で30分遅れでしたからここまでの稜線歩きで、また30分余分にかかったということになります。雨は本降りにはなっていませんが、いつ、どんなふうに降り出してもおかしくない、という天気です。気温は12℃。ここまではゆったり気分で歩きましたが、ここからの下りと、標高1,000m前後のトラバースでは歩くことに専念する感じになります。エネルギーを補給して、気分を切り替えることになりました。

天城山。コースタイム(よりちょっと早め)に下れれば、予定より1時間遅れで、最終バスに乗れる、という計算です。
【撮影】15時03分=伊藤 幸司=226
私は計画を立てる段階でルートの距離を測ります。これまでは2万5000分の1地形図で、長さ2cmの紙片をモノサシにして500mごとの印をつけていきます。地図上で登山道の長さを測るのにはいろいろな方法を確かめましたが、最終的にそういう大雑把な方法となりました(その理由は長くなるので書きません)。
問題はその精度ですが、ここでは道標にかなり細かい距離が書かれているので山頂のここにある道標でもわかります。天城高原ゴルフ場から万二郎岳までは2.3km、万二郎岳からは2.1kmだそうです。登りのときに見た道標で所要時間を調べてみると天城高原ゴルフ場→万二郎岳が70分、万二郎岳から万三郎岳までも70分となっていました。
私の計画書ではどうなっていたかというと、天城高原ゴルフ場→万二郎岳が1.5km+で1時間、万二郎岳から万三郎岳がほぼ2kmで1時間半としていました。結果として天城高原ゴルフ場→万二郎岳が約1時間半、万二郎岳から万三郎岳が約2時間かかったというわけです。その結果、ここまでで計画より1時間遅れ、となっていたのです。
計画では、これから、万三郎岳から下って山腹の道をたどって四辻から天城高原ゴルフ場へと戻るのを約3.5km、約2時間としていましたが、道標でも4km、2時間10分となっていました。そのコースタイム(よりちょっと早め)に下れれば、予定より1時間遅れで、最終バスに乗れる、という計算です。(最終バスに乗れない場合も対策を考えておく必要がありそうだとも思いました)

天城山。山頂での記念写真。
【撮影】15時05分=伊藤 幸司=228
山頂での記念写真。足元のプレートには「植生保護のため 立入りはご遠慮ください」と書かれています。あえて説明すればみなさんの足元に置かれた石の列の向こう側に踏み込まないように、ということのようですが、じつは以前はまさにそこに下山路があったのです。

天城山。アセビの花が、きれいな状態で咲き残っていました。紅い新芽もいいですけれど、やはり花ですよね。
【撮影】15時09分=伊藤 幸司=233
アセビの花が、きれいな状態で咲き残っていました。紅い新芽もいいですけれど、やはり花ですよね。
HORTI by Green Snapにアセビ(馬酔木)とは?どんな花を咲かせる?という記事がありました。———アセビの英名は「Japanese Andromeda(ジャパニーズ・アンドロメダ)」です。アンドロメダとは、ギリシャ神話に登場するエチオピアの王女。神々の怒りをかって岩にはりつけられていたところを英雄ペルセウスに救われた人物です。このペルセウスとアンドロメダのエピソードに由来して、「犠牲」「献身」という花言葉がつけられました。———
名前のエピソードが出たので麓次郎さんの大著『四季の花事典 花のすがた・花の心』(1985年・八坂書房)を見てみました。
———
元来、アセビの古名はアシビであり、牛馬がこの枝葉を食べると、酔ったごとく足がふらふらになるという、すなわち「足痺れ(あししびれ)」が縮音されて「アシビ」になり、これがさらに音転して「アセミ、アセボ、アセビ」などになったとのことである。
別に悪実(あしみ)を語源とする説もある。また、馬が酔う木という意から奈良朝以前に「馬酔木」なる和製の漢字をつけ、これをアシビ、アセビとも読ませて今日にいたっている。
かくのごとく名づけられただけあって、アセビは完全な有毒植物であり、この葉にはアンドロメドトキシン、グラヤノトキシン、アセボプルプリン、アセボチンなど多くの毒成分が含まれている。それで高知県や愛媛県ではこれをドクシバ。ウマヨイギ、三重・山口県でウシコロシなどと呼ぶ。
昔はアセビの煎汁は野菜につく害虫駆除に広く利用されたので、ハモリ(葉守り)といわれ、また、この煎汁は牛馬のダニやシラミ退治に多く用いられた。福井・和歌山県ではウシアライ、ウシノシラメトリ、広島でウシノシラミと呼んだという。さらに、白井幸太郎博士は「アセビをウジバラヒと呼び、雪隠に入れ、糞蛆を殺すに用ゆ」と記しておられるなど、我々の祖先はアセビの毒性を有効に応用していたようである。
もともとこの植物は日本の温暖地に多く自生し、古くから親しまれてきただけに方言名がきわめて多い。アセビ、アセブ、アセボ、アセミ、アセモ、アセンボ、アシビ、イセボ、エセビ、エセボなどのアセビ系の名のほかに開花期が春の彼岸頃になる鹿児島県下では、ヒガンギ、ヒガンキョ、ヒガンノキと称し、仏前にも供えたとのことである。
また、アセビの花容から、チョウチンバナ(秋田・宮城県)、スズラン(茨城・山口県)、スズコバナ(鈴コ花・山形県)などとも呼ばれていた。
さらに、この小花を麦粒や米粒、あるいはこの花群を麦飯、米飯に見立ててつけた名も少なくない。すなわち、中国地方ではムギメシバナ、ムギメシ、ムギバナ、ムギメシノキといい、宮崎県ではヨネシバ(米柴)、大分・熊本県下ではヨナシバ、ヨナバ、エナバ、和歌山県でコメシバ、山形県でもコメノキ、三重県でイネノキと呼ぶそうである。
また、鹿がこの枝葉を食うと角が落ちるといって、牛馬のみならず、これらの野生動物までもアセビを敬遠する。それでハクワズ(葉喰わず)、シカクワズ、ウマクワズ、シシクワズなどの名もつけられている。
スウェーデンの植物学者ツンベルグは安永4年(1775)来日して翌年まで滞在し、800余種の植物を採集し、1784年(天明4)に『日本植物誌』を母国で刊行した。その中にアセビの日本名を「シシクワズ」の方言で紹介している。これはアセビの採集地、長崎県西彼杵半島でシシクワズと呼んでいる方言をそのまま全世界に紹介したのである。この地方では鹿のことをシシと言う。
———

天城山。縦走路と、涸沢分岐へ下って四辻へと戻るシャクナゲコースが分かれます。その場所で、富士桜(マメザクラ)の木が1本、主役を張っていました。
【撮影】15時09分=伊藤 幸司=234
万三郎岳下分岐点で八丁池から天城峠へと延びる縦走路と、涸沢分岐へ下って四辻へと戻るシャクナゲコースが分かれます。その場所で、富士桜(マメザクラ)の木が1本、主役を張っていました。

天城山。このサクラは、小さいながら、この天城山縦走路では印象に残る存在です。だからとくに、フジザクラと呼びたいのです。
【撮影】15時09分=伊藤 幸司=235
このサクラは、小さいながら、この天城山縦走路では印象に残る存在です。だからとくに、フジザクラと呼びたいのです。わたしのそういう気分を、ウィキペディアの筆者の方も共有している感じがします。
ウィキペディアのマメザクラ———マメザクラ(豆桜、学名:Cerasus incisa (Thunb.) Loisel.)はバラ科、サクラ属の落葉低木のサクラ。日本の固有種で、日本に自生する10もしくは11種あるサクラ属の基本野生種の一つ。関東・中部・近畿に自生し、特に富士山近辺やその山麓、箱根近辺等に自生していることから、フジザクラやハコネザクラとも言う。マメ(豆)の名が表すように、この種は樹高が大きくならず、花も小さい。サクラの中でも個体ごとに変異が大きく種間雑種しやすく、多くの栽培品種の基になっている。また、この種は山梨県の県の花に指定されている。———

天城山。雨露のなかにある「フジザクラ」の雰囲気がよく出ていると思いました。
【撮影】15時10分=伊藤 幸司=237
15時09分から10分にかけて私と藤原さんは1本の木を撮りあっています。まあ、モデル撮影というような感じですね。
そこで私は「藤原 由香里=6436」のクローズアップ写真で「負けた!」と思ったのです。こういう場面で、私は出会い頭にすでにスイッチを入れています。カメラをケースから引き出しながらスイッチを入れ、構えるときには超広角の21mm相当(35フィルム換算)になっていますから基本的にそのままフレーミングだけを考えて1枚撮ります。ここでは花を撮っているので、基本的には魅力的な花を探して、それを見ながら超望遠(1,365mm相当)へとズーミングしながら花の絵を(最初の狙いを大きくずらすと収拾がつかなくなりますから、「5人グループだったらそのどれか1人」という程度の選択幅の中でシャッターを切ります。
じつはこの「伊藤 幸司=237」と次の「239」の間にその超望遠撮影の「238」があるのですが、ぼやけてサクラかどうかもわからない絵になっています。超望遠の手持ち接写ではブレがかなり大きいので画面がゆらゆらと動くなかで、ちょうど動く電車を撮るような気分でシャッターを切ります。そして同時に、カメラ自身がどこにピントを合わせようかと悩んでしまったりもするのです。そうなるとズームダウンしながら、再起してもらうしかなくなります。
もちろん、三脚に立てれば、なんの問題もありません。一脚でもこの程度の問題はクリアできます。さらに(雨傘でも可能ですが)ストックを使えば撮影の可能性は大幅に向上します。わかっているのです。でも私(の場合は)好みが「メイク・フォト」より「テイク・フォト」、それも「フォト・ハンティング」のスリルのほうが好きなのです。打ち損じても、次にはまた獲物が見つかると信じたいのです。それとカメラのギリギリの性能のところで「撮れない」のなら納得でもあるのです。カメラの頑張りは、その一瞬の作業の中で十分に感じ取れていますから、自分のカメラに任せてできないことは「しょうがない」のです。
そういうことで写真はこの「伊藤 幸司=237」になって、終わるのですが。最初にパラッと見たときには同時に撮影された藤原さんの写真に「負けた」と思いました。「藤原 由香里=6435」で足元の花びらを見て、続く「6436」で一気に望遠接写をしています。花の写真を撮る人たちは背景のボケ味が主役の花に対してマイナス要素にならないようにものすごい努力をするので、これでは「レンズがだめ」といわれそうです。でもこのレンズ、35判なら1,000mm級ですからとんでもない重さと値段になります。そして重い三脚も必携です。(むずかしい相手にこだわらず、時間をかけてもっと撮りやすい花を探すのが常道でしょうが)
藤原さんは超望遠撮影に成功してここに出せないほどぐちゃぐちゃな私の写真(236)の穴を補ってくれたので、決定打となりました。
もっとも、私も失敗の穴埋めに中間距離で撮れるものを探しました。狙いが「パッ」と決まらなかったことを覚えています。……でこの写真、やっぱり悩んで撮ったので、よくなかった、と思っていて、じつははずそうかと思っていたのですが、念のためにと、20インチのモニター画面いっぱいに大きくしてみたところ、雨露のなかにある「フジザクラ」の雰囲気がよく出ていると思いました。ウィキペディアのマメザクラ「特徴」の「花は下向きに咲き、葉に重鋸歯がある。」という雰囲気はうまく撮れたかなと思って残しました。

天城山。天城峠へと延びる「天城縦走路」と「しゃくなげコース」との分岐です。
【撮影】15時11分=伊藤 幸司=239
ここが「万三郎岳分岐点」。天城峠へと延びる「天城縦走路」と「しゃくなげコース」との分岐です。

天城山。ブナとヒメシャラ、シャクナゲとアセビ。天城の四天王という感じですね。
【撮影】15時12分=伊藤 幸司=241
ブナとヒメシャラ、シャクナゲとアセビ。天城の四天王という感じですね。下り口のここにシャクナゲがあったわけですが。万三郎岳山頂から一気下りの昔の道筋ではシャクナゲがずっと楽しめました。

天城山。その、人が踏んで残した登山道は、そこにシャベルを入れた瞬間に「破壊された」といえるのです
【撮影】15時14分=伊藤 幸司=245
ここで天城山の登山道の決定的な欠点が見えてきました。「歩きやすい道」をつくろうとしたんですね。丸太をていねいに組んで、女性の足にもやさしい階段状の「道路、歩道」を作り上げた、というのが製作者の側。斜面を流れる雨水がその道を発見して自分たちなりに気持ちよく下りながら、こんなふうにリメークしていったのです。
水の仕業ですから、意思はゼロ。地球の法則に従ってここを流れ下っていったら「こうなった」という状態です。
製作者がそれなりの予算を得て考えた「人の、歩きやすい道」が間違いだったということになります。登山道は動物も歩けば、水も流れるのです。そして水は多かれ少なかれ破壊的です。
見た目の歩きやすさを基準にすると、歩く人の技術を期待しない、できるだけ障害物を取り除いてだれにでも歩けるようにしたい、という方向になるのでしょう。ところが私自身が「月に1度の軽い山歩きが驚くほど健康に貢献する」という大発見をしたときの道は、いわゆる不整地としての登山道でした。走るにはきつすぎる勾配や、ときにロープやクサリも設置される危険な足場を含めて、足運びや重心移動、それから危険回避の技術など、バリアフリーとは真逆でありながら、整備度合いから「一般登山道」とされるものが、心肺機能や運動神経、バランスのとり方や行動しながらの体の休め方など、不整地歩行ならではの思わぬ恩恵に気づいたのです。それは人工的な健康ジムではとても用意できない複雑な環境です。そうやって、そこを歩いてきた無数の登山者たちがその場、その場に残した足跡や踏み跡が、じつは価値のある登山道を生み育ててきたのだと知ったのです。
その、人が踏んで残した登山道は、そこにシャベルを入れた瞬間に「破壊された」といえるのです(ストックでつついたなどと比べ物にならないロシア風爆撃です)。環境庁所管の「首都圏自然歩道=関東ふれあいの道」が平成元年(1989)に整備完了となったのに合わせて朝日新聞社から刊行した『朝日ハンディガイド・ふれあいの「首都圏自然歩道」』で私は埼玉・群馬・栃木・茨城の4県を担当しましたが、(多くは前年に)機械で整備した道は素人にはとても歩けない草茫々という状態でした。
人が踏んでできた道の価値を知らずにつくった道は、大自然の中では儚いというふうに、見ていただきたい写真です。首都圏の山で見かける、ごくありふれた写真ともいえますが。

天城山。ヒメシャラの若すぎる木々の林が登場しました。
【撮影】15時47分=伊藤 幸司=260
ヒメシャラの若すぎる木々の林が登場しました。戸塚峠から北に下ったところに広がる皮子平のヒメシャラ林の一郭がここにもあるという感じでした。

天城山。標高約1,400mの分岐からほぼ真っすぐ下ってきた道が、この標高1,150m等高線のところで巻道に変わります。
【撮影】15時49分=伊藤 幸司=262
トップの人がアセビのひと群れを外回りした感じでこの標識を見落としてしまった写真ですが、標高約1,400mの分岐からほぼ真っすぐ下ってきた道が、この標高1,150m等高線のところで巻道に変わります。ここから巻き道を(道標にあるのですが)「0.2km」行くと、以前万三郎岳山頂の1,406mから一気に下ってきた道がこの巻道とぶつかる「涸沢分岐点」となります。出発地点の「天城高原ゴルフ場」までは「3.1km」とありました。

天城山。巻道はこんなふうに始まりました。ここが標高約1,150m、下がって標高約1,050mという起伏の少ない(はずの)道になります。
【撮影】15時50分=伊藤 幸司=264
巻道はこんなふうに始まりました。ここが標高約1,150m、下がって標高約1,050mという起伏の少ない(はずの)道になります。

天城山。涸沢分岐点にはきちんとした道標と案内図があり、朽ちかけた古い標識には四辻まで「60分」とありました。
【撮影】15時58分=伊藤 幸司=267
涸沢分岐点にはきちんとした道標と案内図があり、朽ちかけた古い標識には四辻まで「60分」とありました。この道標によると四辻まで2.2kmで「55分」とのこと、天城高原ゴルフ場までは2.9kmで「75分」。その計算なら17時13分着で予定の16時10分のバスには間に合いませんが、17時40分の最終バスには問題なく乗れそうだと思いました。

天城山。北斜面のこの道筋でも、ときおりシャクナゲが出てきますが、ヒョロヒョロとした枝先にポツポツと花をつけて、いかにも風通しのいいシースルー感
【撮影】16時02分=伊藤 幸司=271
北斜面のこの道筋でも、ときおりシャクナゲが出てきますが、ヒョロヒョロとした枝先にポツポツと花をつけて、いかにも風通しのいいシースルー感は、天城山の稜線で見たものとは雰囲気がちがいます。でもこれがアズマシャクナゲ一般の雰囲気に近いのではないかと思いました。

天城山。北斜面の道筋にポツン、ポツンと登場したアマギシャクナゲは葉もなんとなく貧相な雰囲気で
【撮影】16時02分=伊藤 幸司=272
北斜面の道筋にポツン、ポツンと登場したアマギシャクナゲは葉もなんとなく貧相な雰囲気で写ってしまったようです。

天城山。こういう道はいいですね。あまり高低差がつかないようにしながら、岩を避けて踏んだ道筋をたどります。
【撮影】16時07分=伊藤 幸司=274
こういう道はいいですね。あまり高低差がつかないようにしながら、岩を避けて踏んだ道筋をたどります。道筋を踏み間違えそうなところにささやかな目印があれば、その心配りによって、この道の先行きの信頼性を(一応)担保されたと考えます。
写真中央に私たちの仲間がいますが、そのずっと先、この道筋先端になにか異物感のあるものが見えています。そういう異物感をできるだけ前方に発見しようという努力がリーダーには求められると考えます。

天城山。要するに自分たちがいまどこにいるか、よくわからないまま、大雑把な時間経過で現在位置を把握したいと思っていただけでした。
【撮影】16時28分=伊藤 幸司=277
万三郎岳山頂を出てからほぼ1時間半。16時20-25分に休憩をとりました。私の計画では万三郎岳→天城高原ゴルフ場を2時間としています。山頂の道標には分岐点まで10分とあり、そこから天城高原ゴルフ場まで120分、つまり2時間10分となっていました。……となると予定からすれば残り約30分、しかも四辻から天城高原ゴルフ場までは20分となっていましたから、四辻までの残りは10分、つまりほとんどないということです。
……となると、計算基準を切り替えて、最終バスの17時40分に間に合うギリギリの時刻は20分を引いて四辻に17時20分、ここから残り約50分で四辻に着けるかどうかを見ながら歩くことになります。
ただ、休憩した地点は私の高度計で1,082mでしたが、地図上の、どのあたりにいるのかもわかりません。後になって調べればこの道が計画書に使っていた古い地形図では1,100m等高線まで上がることはありませんでした。帰って最新のデジタルマップで見てみるとかなり長いこと1,100m等高線と絡み合って延びていました。
要するに自分たちがいまどこにいるか、よくわからないまま、大雑把な時間経過で現在位置を把握したいと思っていただけでした。

天城山。こういう道がどこまでも、どこまでも続いていく、という感じです。ピンクのテープが道筋を有効に示してくれています。いい道です。
【撮影】16時40分=伊藤 幸司=280
こういう道がどこまでも、どこまでも続いていく、という感じです。ピンクのテープが道筋を有効に示してくれています。いい道です。

天城山。ありがたいことに、突然、中間的な道標が現れました。困った頃の道しるべという感じで。それによると四辻までまだ1.7km、天城高原ゴルフ場までは2.4kmあります。
【撮影】16時42分=伊藤 幸司=282
ありがたいことに、突然、中間的な道標が現れました。困った頃の道しるべという感じで。それによると四辻までまだ1.7km、天城高原ゴルフ場までは2.4kmあります。万二郎岳から1.6km来ただけですから、相当残っていることは明白です。
最終バスは17時40分ですから、残り1時間弱、まあ、常識的に考えて、この登山道で「時速2km」以上のスピードを出そうと思ったら、走る気分でないとムリでしょう。
落ち着け、落ち着けと考えたのは、急ぐのか、安全第一に徹するのか、決めないといけない状況です。計画書には必ず日没時刻と入れてありますから、見ると「18時40分」あと2時間と、その後30分は無灯火で歩けるでしょうし、みなさんライトは常備していますし、わたしも予備のライトは持っています。
そこで「安全第一で下る」と決めました。
……ということは、事実上バスはあきらめるということです。そこでタクシー会社への連絡を試みると、かからないのです。天城山の南側は海岸線が近いので、ほとんど電話は通じます。しかし北側は山また山の世界ですから「つながりにくい」のです。山の仕事をしていると日本全国の村でドコモが通じる可能性があるとわかっています。ただそのアンテナが見通せるかどうか、山の上からだと電波のほとんどは下向きですから、見えていても通じない場合が多いのと、複数の電波が重なって通じないという場合もしばしばあるので、移動しながら電波を探る必要があります。
……ということでいろいろ試みた結果、諦めました。帰路の足を確保できないまま、とにかく前進しかありません。最悪は、バス停に着いてからタクシーを呼んで40分程度待てばいいのです。その前提で以後の行動を大雑把に考えれば、最悪のケースでも熱海駅から新幹線を利用すれば「今日中の遅めの帰宅」は確保できます。重要なのは、遅くなってもいいから事故らないこと、だけです。

天城山。ここでこの段差がでてきました。小なりといえども、ハシゴは初めてです。
【撮影】16時49分=伊藤 幸司=283
ここでこの段差がでてきました。小なりといえども、ハシゴは初めてです。使わなくても下れるところですが、ハシゴがかけられているということは、このルートを管理してくれている人の基準を知るのに重要です。
ともかく、このルートでは小さなアップダウンは岩によるものが多いので、濡れた岩がスピードをガクンと落とす主要な原因となっています。私たちは53歳を例外的な若年組として73歳、76歳×2、77歳ですから時間的な余裕とダブルストックを有効に使うことが安全に大きく寄与しています。

天城山。急に、道の雰囲気が変わりました。濃密な森林という感じが気分を変えてくれました。
【撮影】17時05分=伊藤 幸司=285
急に、道の雰囲気が変わりました。濃密な森林という感じが気分を変えてくれました。帰ってから写真を見ると、ここから先の写真は結構あるのですが、この手前、たとえば涸沢分岐からの写真は道筋は撮っていても周囲の風景にはほとんど目が向いていなかった、ということに気づきました。

天城山。
【撮影】17時06分=伊藤 幸司=287
地形図で見るとこのあたりで緩やかな斜面に入りました。スギ・ヒノキの濃密な人工林です。この道をはさんで下が人工林、上が天然林となっています。

天城山。シカに食われやすいスギの木の下に、シカが食べないアセビの低木が広がっています。
【撮影】17時07分=伊藤 幸司=288
さあて、これが植林地のほどよい下生えなんでしょうか。シカに食われやすいスギの木の下に、シカが食べないアセビの低木が広がっています。スギの木にシカよけをした気配がないので、シカという存在はあまり関係ないかもしれませんが。

天城山。こちらは登山道から見上げた斜面。ブナの木があり、奥にちらちらとヒメシャラのツルンとした木肌が見えています。
【撮影】17時10分=伊藤 幸司=290
こちらは登山道から見上げた斜面。ブナの木があり、奥にちらちらとヒメシャラのツルンとした木肌が見えています。この先にヒメシャラの森があり、それは見るべき価値があって、かつ四辻へのほんちょっと手前だということを思い出しました。

天城山。ヒメシャラの美しい姿が道端にありました。
【撮影】17時13分=伊藤 幸司=293
ヒメシャラの美しい姿が道端にありました。くねくねとしたポーズのヒメシャラも面白いですが、このような真っ直ぐに伸び上がっていたヒメシャラこそ美形ではないかと思いますね。

天城山。このあたりがヒメシャラの森の核心ではないでしょうか。林床部はアセビがびっしりと埋めています。
【撮影】17時13分=伊藤 幸司=294
このあたりがヒメシャラの森の核心ではないでしょうか。林床部はアセビがびっしりと埋めています。ヒメシャラにとってアセビはどういう存在なのでしょうか。

天城山。手前側に並んでいるのが青年期のヒメシャラで、奥に少年期のヒメシャラがいるとすると、若い森なんでしょうね。
【撮影】17時13分=伊藤 幸司=295
手前側に並んでいるのが青年期のヒメシャラで、奥に少年期のヒメシャラがいるとすると、若い森なんでしょうね。皮子平のような幼児期のヒメシャラ林なども見比べると、ひょっとするとヒメシャラ林は同世代が純林を形作ろうとする傾向を持っているのではないかと、シロウト的に考えてみるのです。
その直接の参考にはならないとしても、関係する論文を12時21分の写真に引用させていただいた公益財団法人・市村清新技術財団の植物研究助成の「天城山系におけるヒメシャラ、ヒコサンヒメシャラの個体群動態に関する研究」を部分的に再引用させていただくと——————一方、天城山系のブナ林の更新はうまくいっていない。現在はヒメシャラ(またはヒコサンヒメシャラ)の実生がブナ林のギャップに大量に生育しており、万三郎岳下部や皮子平、天城峠にはこれらの純林が形成されつつある。———とのことです。

天城山。こちらは再び、登山道左側、山麓側斜面の人工林です。ともかくアセビがびっしりと地面を覆い尽くしています。
【撮影】17時17分=伊藤 幸司=297
こちらは再び、登山道左側、山麓側斜面の人工林です。ともかくアセビがびっしりと地面を覆い尽くしています。どういうことかわかりませんが、どうみたって異常な感じがしますよね。
アセビの繁茂に関して岡山理科大学の旧植物生態研究室(波田研)のホームページには次のように書かれています。
———下の画像は岡山県哲西町の鯉ヶ窪湿原周辺の森林である。遠望するとコナラやアカマツの生育する普通の森林であるが、林内に入ると低木層にアセビが優占しており、林床にはほとんど植物が生育していない。常緑樹であるアセビが密生したためである。
鯉ヶ窪でアセビがこのように優勢であるのは、この地域で放牧がなされた事があるためである。牛がアセビを食べ残し、その後の放牧中止によって森林が回復したものの、低木層では当時生育していたアセビが繁茂したわけである。現在は大きく生長しているアセビであるが、草食獣の居ない世界では未来はない。———

天城山。後で調べてみると、登山道はこのあたりで無名の沢の水源と接しています。具体的なことは理解できていませんが、その谷筋の水が登山道を湿らせていたはずです。
【撮影】17時26分=伊藤 幸司=299
後で調べてみると、登山道はこのあたりで無名の沢の水源と接しています。具体的なことは理解できていませんが、その谷筋の水が登山道を湿らせていたはずです。この谷は私たちがいま目指している四辻のところを流れる菅引川の支流ではなく、涸沢分岐のあたりを源流とする地蔵堂川となる流れの支流です。

天城山。再び四辻へと戻ってきました。
【撮影】17時39分=伊藤 幸司=303
再び四辻へと戻ってきました。それは菅引川源流の流れの脇にあって、万二郎岳へ登る道はその谷底をたどる道でした。今回の周回コースでは一番ドラマチックな道でした。

天城山。四辻からバス停までは約20分。私はとりあえず電話をかけながら歩きました。
【撮影】17時59分=伊藤 幸司=304
四辻からバス停までは約20分。私はとりあえず電話をかけながら歩きました。
じつは四辻に近づいたあたりで、タクシー会社への連絡を再開しました。私のスマホは通じませんでしたが、ソフトバンクのスマホが通じるという人が出てきました。それは常識から外れる出来事で、私は山の仕事をするためにドコモ回線を捨てられないできたのです。
そうしているうちに、四辻のあたりからドコモでも通じるようになりました。それも極めてはっきりとした電波です。推測ではありますが、ゴルフ場で電話が通じないということはありえません。ソフトバンクだけのアンテナを立てているとも思えません。一帯はゴルフコースやホテル、温泉などをそなえた東急不動産の天城高原という名のリゾートです。その電波が一気に入ってきたという感じがしました。
早速歩きながらタクシー会社に電話を入れてみたら、つながりました。つながったけれど断られてしまったのです。たぶんトップ・ツーと思われる2社とも「今は車がありません」とのこと。そういえば帰宅ラッシュの時間帯ですよね。道も混んでいるでしょう。親切に「東急系の〇〇タクシーに電話してみてはどう?」というありがたい助言ももらいました。
そこで、方針を変えて上位ではないタクシー会社に電話してみると、社長らしき人物が出てきました。「1台ならなんとかなるけど」という反応。もちろん4人の皆さんに帰ってもらえれば私はピストンの2回目だってOK というと、とにかく来てくれるということになりました。

天城山。私たちの「シャクナゲコース」はここで終わりました。出発したのが11時25分ですから6時間40分(休憩時間を除外すると6時間15分)となりました。
【撮影】18時06分=伊藤 幸司=305
私たちの「シャクナゲコース」はここで終わりました。出発したのが11時25分ですから6時間40分(休憩時間を除外すると6時間15分)となりました。糸の会の方式で地形図から測った計画では4時間半でしたから、それからは2時間余分にかかったことになります。天城高原ゴルフ場→万二郎岳の登りでプラス30分、万二郎岳→万三郎岳の稜線でもプラス30分、万二郎岳→涸沢分岐→四辻→天城高原ゴルフ場でプラス1時間と全ルートに渡ってまんべんなく遅れが出たのです。
私はコースタイムを決めてそれより早いか、遅いかで評価するつもりはありませんが、今回は私たちに内在したスローペースという原因と、雨は小雨でも、岩の表面は濡れていて、登山道が荒れていたことが重なったように思います。このルートは何度も体験しています、こんなに遅れたことはありませんでした。
伊豆市観光協会・天城温泉郷観光ガイドのハイキングではトップページに———天城山シャクナゲコースの箇所箇所が大変荒れております。通行止めではありませんが、お気を付けください。———とありました。
また伊豆市の天城湯ヶ島ライオンズクラブのホームページには2011年12月11日付けの伊豆新聞掲載の記事を載せていますが、その天城の自然環境(下)荒れる登山道にこのような記述がありました。
———天城の登山道管理はルートごとに環境省や県などが行っているが、登山者や自然災害の増加などで傷むスピードが速まっている上に経費の問題もあり、整備がなかなか進んでいないのが実態だ。土砂崩れなどで壊れたまま通行止めになっている場所もある。
荒廃を見かねた伊東市のボーイスカウトは、荒れた場所に板の橋を設けたり、麻布を手縫いして麻袋を作り、土砂などを入れて掘れた場所に設置するなどの活動 もしているが、人手が足りず整備は追い付いていない。2000(平成12)年には伊豆新世紀創造祭の一環で山口さんらが呼び掛け、登山道を修復するために 入山者が石を運ぶ「天城山ひとり一石運動」をスタートさせた。一時の盛り上がりはないものの小規模ながら仲間うちでの活動は続いている。
山口さんや真辺さんは富士山ほどでないにしろ、天城山もシャクナゲの開花期はオーバーユース(山に入りすぎ)という。国や県などは財政事情が厳しく、手厚い管理、整備は難しくなっていることもあり、将来的な課題と前置きした上で「入山料を徴収することも必要」と提言する。———

天城山。私たちはとりあえず、出発前に身支度をした登山者用公衆トイレの屋根付きベンチにいきました。
【撮影】18時07分=伊藤 幸司=307
私たちはとりあえず、出発前に身支度をした登山者用公衆トイレの屋根付きベンチにいきました。タクシーはなんと2台が30分ほどでやってきて、私たちが乗ってからは小一時間で伊東駅まで送ってくれました。

天城山。伊東駅前にはコンビニがありませんでしたが、海鮮丼弁当の店が開いていて、私たちはそこで作りたての夕食を買うことができました。
【撮影】19時33分=伊藤 幸司=311
伊東駅前にはコンビニがありませんでしたが、海鮮丼弁当の店が開いていて、私たちはそこで作りたての夕食を買うことができました。

天城山。出来たての弁当を持って、19時43分伊東駅始発の熱海行き電車に乗ることができました。
【撮影】19時39分=伊藤 幸司=312
出来たての弁当を持って、19時43分伊東駅始発の熱海行き電車に乗ることができました。



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