至仏山――2007.10.9-10(火水)


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■糸の会山行[530]――10e
◆至仏山
しぶつさん……2,228m
1日目_下り8p→平坦16p……24ポイント
2日目_登り21p→稜線19p→下り51p……91ポイント
日の出0545、日の入り1717……10.9前橋で
◆上越新幹線・上毛高原駅から……2007.10.9-10(火水)実施


■2007.10.17_齊藤 紀久子――ワンポイントレポート「大快晴の至仏山」

 久しぶりの尾瀬でした。平日の故か参加者は意外と少なく6名。
 1日目は、草紅葉の拡がる尾瀬ヶ原を竜宮小屋まで散策。地塘に映る青空の下では山椒魚が平泳ぎの競泳を愉しんでいるようでした。
 2日目、早朝5時に至仏山荘を出発。満点の星明かりが足元を照らしてくれてライトの必要もなく、やがて燧ケ岳の彼方からこの日の新しい太陽が顔を覗かせ、あっという間に尾瀬ヶ原を隅々まで照らし始めました。
 当然私たちは、歓声を上げながら「夜明けのコーヒー」ならぬ「夜明けの真新しい空気」を胸いっぱいに吸い込んだのでした。
 山頂からは、文句の付けようの無い360度の大展望! 上州武尊山の彼方にくっきりと富士山が浮かび、振り返れば越後駒ヶ岳のはるか西方に北アルプスらしい山並みも・・。
 たっぷり山座同定を愉しんだ後、小至仏を経て笠ヶ岳から湯野小屋までの延々と続く山旅が再び始まりました。
山肌の彩りは、これからがいざ本番か?の感はありましたが、真紅のドウダンツツジやミネカエデの黄色、透明感のあるコシアブラなど充分楽しめる色合いでした。
 12時間もの長道中も、やっとの事でそろそろ終盤に近づいたかなと思われる頃、先頭を歩いていた「コーチだけ」が 見た! のです。「コロコロとした丸くて黒いお尻」を。
 私たちも、登山道にハッキリとその足跡を確認しました。私は思わず「へぇ〜?! どうして登山道を歩くのかしら?」と叫んでいました。 「だって、楽だもん!」とは、コーチ・・・・・。
 葉留日野山荘の熱〜いお湯に浸り、長い長い山旅の終着をほっとしながら思い返してみました。このワタクシがもう少し早く歩ければ、12時間が11時間位には短縮出来たかもしれないと。
 コーチ、ご一緒して下さった皆さん、お許しください。そして有難うございました。
 1年でも長く山歩きを愉しみたい! もはやスピードアップは無理としても少しでも体を柔らかく、バランスを保つのに役立つかもしれないと思い「ヨガ」を始めました(続くかしら?)。
★コーチから
●お疲れさまでした。帰りのバスで「これ[e]ですよね」と齊藤さんがつぶやいていましたが、こちらは無視。限りなく「b」の「e」だったかもしれません。(でもかつて、朝日カルチャーセンター千葉の公開講座で同じルートをやったとき、徳山 由美子さんが参加して、雨の中、苦しくて長い下りを体験しているのを見ていますから、齊藤さんの場合はそこはそれ、ベテランですから、頭とからだのギャップがちょっとあった、ぐらいにしかコーチとしては認識していません)
●ともかく、あの天気では、「やるっきゃない」という気分でした。それで1週間ほど遅いという紅葉がもう少し進んでいれば、まさに千載一遇の「冥土のみやげ」ではなかったかと思うのですが残念です。
●齊藤さんは高度に弱いことから、白根三山〜塩見岳など大物の山でいつもつらい思いをしてきました。木曽駒ヶ岳〜空木岳でもそうでしたね。
●たぶん今回、そういう不運と重ねてつらかったのではないかと思うのですが、コーチとしての見方はちょっと違います。
●もともとからだを動かすこととは無縁だったという文化系の齊藤さんが、なんの弾みか渋谷の東急セミナーBEに参加されて、糸の会の名付け親になるのです。
●最初の大きな山は夏の北八ヶ岳だったと思いますが、その日のために新調した「LOWA」をはいたら、道はほとんど川になっていて、しかもそれまでの運動靴の歩き方(岩の頭を踏んでいれば安全快適)では不安定で進めない。パニックに襲われていました。
●そういうドジなシーンしか思い出されないのですが、ともかく山にはまって、健康になって、人生をやり直す部分も出てきたのです。
●そのひとつがスキーだったはずです。テレマークスキーにはまって、冬はあちこちの山に自分たちで出かけるようになっていきます。その結果でしょうか、ひとりで楽しめる山として、東北の山にもはまります。
●じつは、山歩きから始まった世界を大きく広げたことによって、糸の会での位置がぐらついてきた……と私は見ています。
●スキーも東北の山歩きも、気持ちの上では大きな手応えを感じるものだと思うのですが、肉体的にはどうだろうか、という問題です。海外の秘境ツアーなども同様なのですが、感情の高ぶりほどには肉体的に負担がかかっていないことが多いのです。
●山歩きも自分が自分をコントロールできる立場になると、不得手な領域では無理をせずに、大きな意味での安全を優先的に確保する傾向があります。
●糸の会の常連からはずれる時期があって、それが現在も元に戻っていないというふうにコーチとしては見ているわけです。
●今期はそれなりに日帰りに復帰という感じがしないでもないのですが、やはり「月イチ」の山歩きは維持した方がいいと思います。何かをするために、「月イチ」の山歩きを維持するという程度でいいのです。それも最初は「何でもいいですれど」などといいますが、何でも自分でやれるようになった齊藤さんの場合には、「糸の会」が必要かと思います。ときに楽々、ときにバテバテという計算不能な行き当たりバッタリに価値があります。
●最後のところで信用しきれないコーチの計画に身をゆだねる……という山歩きを毎月欠かさないで、自分のレベルを維持するという「賢さ」がいま求められているのではないかと(強く)思うのです。
●ともかく、ある程度のトシになったら、山歩きの間隔をあけるのはいちばんもったいない損失かと思います。

■2007.10.22_齊藤 紀久子――ワンポイントレポート「コーチのアドバイス」
 伊藤コーチ殿 。
 いただいたメッセージを何度も読み返し、ここ数日アレコレ考えを巡らしてきました。  が、その前に、チョットしたエピソードを披露させていただいても良いでしょうか。
 それは、78歳で 「初めての山歩き」 を体験した男性のことです。  実は私の夫です。
 思い起こせば13年前、「なんかのハズミ」で伊藤コーチの「運動靴でも歩ける山歩き」と銘打った講習に参加したのをキッカケに、私は山歩きに夢中になっていきました。
 そんな私を夫は「何を突拍子もないことを・・・」「どうせ続くわけがない・・・」と実に冷ややかな目でみていました。ですから私は山行の度にコソコソと出掛け、コソコソと帰宅していたのです。(本当ですよ)
 所が最近様子が変わってきたのです。その辺の経緯は省きますが、結果この夏彼は、初めて山を歩いたのです(正確には幼い頃の高尾山以来)。
 山といっても「高峰温泉」のお庭のような高峰山ですが、大雨の中でしたからそれなりの厳しさがありました。
 もうコリゴリかと感想を求めると「今度は晴れた日にしてくれ」とのことでした。
 何故長々「ワタクシごと」を連ねたかと申しますと、ひょんなことから拡がった私の山や森の世界が、頑なだった夫の心にも少しづつ拡がりつつあることをお知らせしたかったからです。
 自然が与える癒しの大きさは、計り知れないものがあると改めて感じます。
 そこで、以前「古希からの山歩き」のレポートにも書きましたが、今後は、まさしく、コーチの言われる『不得手な領域では無理をせず、大きな意味での安全を優先させる方向』での山歩きを、あえて目指すつもりです。
 確かに少々逃げ腰の感はありますが、何といっても、何度も言いますがもう「古希」なんですし「命あっての物種」というじゃありませんか。
 ともあれ、「細く長く」山歩きが「愉しめる」(これが大事)ために、コーチの『山歩きの間隔をを開けるのは一番もったいない』とのアドバイスを肝に銘じ「しなやかに、されどしたたかに」自然とのお付き合いを続けていきたいと思っています。
★【コーチから】
●2007.10.17の齊藤 紀久子さんの「大快晴の至仏山」に加えた私の意見を読み返しました。
●文脈からみて、その反論であり、独立宣言のようですね。
●負け惜しみを含めてですが、了解させていただきます。
●……というときに、じつは齊藤さんのようなOB、OGをゆるやかに引き留める構造が糸の会にはうまくつくれていませんし、それがなかなかむずかしいのです。糸の会はあくまでも「現役(とくに初心者)を対象とする講習会」としておきたいという(いくぶんかたくなな)姿勢を私の方では堅持しています。(糸の会の危機管理に関する重要な問題がそこに絡んでくるとも考えているからです)
●「d」と「e」がそういう境界領域に設けられているわけですが、境界が明確ということではありません。というより、ブレが大きいという問題が残っています。
●齊藤さん以外にも、同様の問題がないわけではないのですが、私はそういうときには「あくまでも入門編」という方向に向き直ります。ときおり古巣を冷やかしに参加してくれる、ということだととりあえずうれしいのですが。


■2007.10.20_山川 和子――ワンポイントレポート「齋藤さんへのメールについて」
 伊藤 幸司様
 齋藤さんのメールで感じたことです。
 禁止令がでてそれが図星だっただけに受け止めるしか方法がないと本当のところかなりなショックを受けていました。
 図体だけは大きいのにかなり気の小さい私には少しオーバーに言えばこれでもう登山生命が絶たれたと思いつめるほどだったのです。
 体操やお茶で多少痛みが軽くなったり体型がスリムになったら又山歩きが出来るようになるかしら、そしてしばらくは遠のいていようと。山に対する熱も紅葉便りの聞こえてきた深まり行く秋とは裏腹に冷めつつあるように感じている自分もここにいるのが現実です。
 そして登山がだめなら何か他の気分転換の方法を探そうと思っていたのです。
 それなのに山歩きから始まった世界を大きく広げたことによって糸の会の位置が大きくぐらついたとか 肉体的に負担がかかっていないツアーとか 安全を優先的に確保する山歩きとか それこそが私がそっちに移行しようかなと思っていた方向だったのです。
 私のことを見透かされているような思いであのメールを見てしまいました。ガーンと一発脳天に突き刺さったままです。ますます落ち込みます。もう元には戻れなくなりそうな気がしてぞっとしました。最後に参加した山行からまだ1ヶ月も経ってないのに・・・・
 でも、しかし(この二句は自分自身を弁護する常套句であまり前向きな姿勢ではないかも)4〜5年前でしたが糸の会で初期の頃にいらした年配の方が高尾山で何人かのお仲間の先頭に立って「さあ、皆さんこっちですよー!」と遠くからも聞こえる大きなお声で歩いていらしたのを見かけました。生き生きとしてとてもお元気そうでした。
 コーチから以前、他の山歩きの会にもどんどん参加するのも良いという考えをお聞きしたこともありました。
これはテレビで見たのですが、奥多摩の廃校となった学校を拠点に大樹を描くのを目的に山に登り2000本の樹々の絵を書き上げた方もいます。
 体力、時間、目的、好みに合わせても山歩きは楽しめる。それではだめなのでしょうか? これもコーチの仰るところのゆるさなのでしょうか?
 先週、武蔵野の雰囲気が今でも残るといわれている、国立の矢川源流沿いの植物観察をし、楽しんできました。
★【コーチから】
●たぶん、私から何か書かないといけないような、突きつめた感じがします。
●もちろん、山川さんのような「常連」のメンバーを失うのは大きな痛手ですし、「古い」メンバーが去っていくのは、けっきょく会の厚みを失っていくということだということはわかっています。
●糸の会が励みになっている人がいるのは嬉しくて、かついくばくか社会的貢献もしていると自負できるところなのですが、糸の会はあくまでも「講習会」だと考えています。「年度会員制の講習会」という危うさをいろいろ感じていますが「しょせん山歩き」という軽さは失ってはいけないと思っています。
●たぶん、山川さんの気持ちの中には、「かつて去っていった人」と「私」というような部分があるかもしれません。
●リーダーだかコーチだがの「伊藤幸司」が極端に強い物言いをしたときにはそういう「事件」が起こったともいえます。
●はっきりしておきたいのですが、「技術的に足りない」(パワーが足りないということについては少し複雑ですが、同様です)ということは私は問題にしません。技術的な部分はフォローのしかたがあるので、「チャレンジ」の機会は奪いたくないという考えが基本にあります。問題は(たいへん一方的なのですが)その人の「行動が読めない」場合です。「行動」を「言動」と言い換えた方が意味が広がるかもしれません。
●私は「ワンマンシステム」を通してきました。通常の「リーダー+サブリーダー」というシステムを拒絶したワンマンシステムですから、私の予測値を超える人に目配りするのはつらいのです。危険なのです。そこのところを解決しようとすると「講習会」ではなくなって、一般の「山の会」のようにリーダーを補佐する目や腕を育てなくてはいけません。それを拒絶するところに「意味」もあれば「問題」もあるわけです。
●山川さんがこれから自由になる人生で山歩きをもう少しふくらませたいと考えているらしいことはよくわかります。それなら、このままでは絶対にダメなのです。原点を踏み直して、登山年齢をのばす方向でリスタートしなければいけないのです。
●もちろん登山をやり続けるかどうかは山川さんの決めることなのですが、私はいま70歳前後のみなさんのところに10年後の山川さんが来られるとは見ていません。痛みとつきあいながら歩くのは大いに賛成なのですが、痛みに慣れるとひざが壊れます。がんばって痛みが出るのはいいのですが、痛みが出るまでがんばるのはよくない……わかりますか?
●つまり、山川さんを監視する立場としては、痛みが出るまでがんばることで、窮地を脱しようとしているように見えてならないのです。
●「がんばらない」というのは「痛みが出ないように歩く」というだけではないのです。いろんな歩き方をして、痛みが出る範囲を確かめながら、自分の進むべき道をさがすということだと思うのです。
●ですから今回のメールに挙げているいくつかの(たぶん以前に聞いたことのあるものだと思いますが)体験も、もちろんそういうものの候補だと思いますが、もっといろいろ探ってみてもいいはずです。
●それと「さあ、皆さんこっちですよー!」の人にも触れていますが、山川さんは周囲の人との関係で山川さん足り得るという側面を考える必要があるかと思うのです。おそらく「仲間と山に行く」ということが重要なのかと思われます。山の仲間を見つけなければいけないのです……もし山歩きを続けるのであれば。
●糸の会の(すなわち伊藤幸司の)山川さんに対する役目は、山川さんの「山の歩き方」に限定される、と考えていただく方がわかりやすいかもしれません。糸の会はそういう技術的課題をかかえている人たちが「たまたま人生のこの時期」に集っている会と考えていただくとすれば、それはそれで他に例を見ないものかと思います。
●ですから、伊藤幸司の側からいえば、糸の会の外側にも山歩きの場を見つけていただきたいのです。ツアーに参加するというかたちでも、山の会に入るというのでも、リーダーになるというのでもいいのです。その一方で糸の会にも参加していただければこれほどうれしいことはありません。「糸の会もなにがしか役に立っている」と考えられます。
●腹を立てる人がいるのを承知で話したことがあるのですが、「私の仕事はいつも遊び半分」でした。「糸の会」も同じ流れにあります。つまり仕事と遊びがつねに半分半分で「糸の会」もず〜っと生業ではないのです。それでは食えないけれど、続けるためのハードルはそれほど高くない。
●中途半端ではありますが、私自身は自分自身の楽しさを失わないようにしています。私の身勝手さにつきあっていただく方がいらっしゃるということには、ほんとうに感謝ですが、距離を置いてつきあってくださる方がひょっとすると「大人の会員」なのかもしれません。
●思い切って荷物を5kg減らしてみてください。登りでのパワーを落としたくなければ、水を5リットルもって下さい。……というのは単純な、技術的提案です。
●周囲の人への「エサ配りの禁止」は余計なお世話かもしれません。でも、流れを断ち切るためには、価値観の変更がどうしても必要です。(自分自身のことは棚に上げている感じがしますが)
●「ジパング」目前の山川さんの、人生の転機のなかに山歩きも大きくあるということでしょう。どういう方向になるのであれ、見守っている人が糸の会のなかにもいるということはまちがいありません。

■2007.10.24_齊藤 紀久子さんから「安全宣言」(ワンポイントレポートではありませんが)
●「独立宣言」 なんて、とんでもありません! あえて言うなら「安全宣言」です。
●それにチョット待って下さい 私はまだ「現役」のつもりです。[OG」の届けを出した 覚えなどありませんけど・・・・?
●それどころか先日の「12時間」で、ゆっくりならばまだまだ歩ける! と、安心もしくは自信さえ感じている程です。
●ただ、以前のように「気力」だけが先行する山歩きには限界があることにも気付いてきたわけです。
●コーチの言われる「大人の会員」への第一歩を踏み出したいと願っているのです。  「古巣」だなんて!(まだ巣立っていないのに)
●これからも可能な限り糸の会に参加し、基本的な「歩き方やストックワーク」など指導 して頂きたいと思っています。宜しくお願いいたします。


◆集合
●10.9(火)7:50……東京駅・21番線ホーム・後方2号車乗車口

◆ポイント
★この時期の尾瀬では、どこかで紅葉のピークに遭遇します。尾瀬ヶ原を歩いて、至仏山に登って、天気と紅葉の状態が良ければ、大胆に湯ノ小屋温泉まで、深い森の道を下ろうかと思います。
●紅葉は、時期的にはいいように思います。
●深い森を歩く2日目は至仏山の登りで日の出を迎えるという時間設定になります。長丁場ですから昼食をたっぷりお持ち下さい。昼食時にはお湯を沸かしますので、カップラーメンやスープもOKです。
●この時期は秋と冬とのどちらに転ぶかわかりません。手袋と軽アイゼン必携です。それから念のためポケットライトも。軽い保温着も忘れずに。
●秋のど真ん中をゆっくり、たっぷり、歩きます。

◆往路
0804東京始発(上越新幹線_Maxたにがわ403号_越後湯沢行き)……0923上毛高原
0804東京→0810上野_0830大宮_0923上毛高原
*乗換
0932上毛高原始発(大清水行きバス)……1126鳩待峠バス連絡所(2,450円)
*乗換
1130戸倉……1205鳩待峠(900円)

◆現地行動
●第1日(10.9)
1230ごろ_鳩待峠を出発……下り8ポイントを1時間として
1330ごろ_山の鼻_至仏山荘泊まり(1泊2食8,500円)
*宿に荷物を置いて、尾瀬ヶ原を散策します
1400ごろ_山の鼻……木道8ポイントを1時間として
1500ごろ_竜宮小屋……木道8ポイントを1時間として
1600ごろ_山の鼻
0000ごろ_夕食
●第2日(10.10)
0400ごろ_起床
*朝食は弁当
0500ごろ_出発……登り21ポイントを2時間半として
0730ごろ_至仏山……稜線9ポイントを1時間として
0830ごろ_悪沢岳……稜線10ポイントを1時間半として
0930ごろ_笠ヶ岳……下り51ポイントを6時間半として
1600ごろ_湯ノ小屋温泉
*できれば葉留日野山荘で入浴
*バス(湯ノ小屋温泉→水上駅、1,400円)1635→1722、1740→1827、1835→1917
*水上駅→上毛高原駅はタクシー(1台約4,500円)

◆往路参考
●中央線快速
0633高尾→0652立川→0713三鷹→0735新宿→0747東京
●総武線快速
0616上総一ノ宮→0701千葉→0713津田沼→0735錦糸町→0744東京
●京葉線
0615君津→0655蘇我→0708京浜幕張→0738東京
●東海道本線
0622国府津→0659大船→0717横浜→0727川崎→0747東京
●武蔵載線+東北本線
0723府中本町→0729西国分寺→0741東所沢→0759南浦和
0747田端→0758赤羽→0808南浦和→0820大宮
●山手線
0712新宿→0717高田馬場→0721池袋→0730田端→0733日暮里→0737上野→0741秋葉原→0746東京
●地下鉄丸の内線
0725池袋→0737御茶ノ水→0742東京

◆帰路参考
●上越新幹線(上毛高原→大宮→東京)
1719→1814→1840、1822→1914→1940、1842→1934→2000、1922→2013→2040、1942→2034→2100、2042→2134→2200、2144→2237→2304

◆費用の目安
●1日目
JR_東京→上毛高原……2,520円
新幹線自由席_東京→上毛高原……2,720円
*大宮→上毛高原2,210円+自由席2,520円
bus_上毛高原駅→鳩待峠バス連絡所……2,450円
bus_戸倉→鳩待峠……900円
至仏山荘_1泊2食……8,500円
bus_湯ノ小屋温泉→水上駅……1,400円
taxi_水上駅→上毛高原駅……1台約4,500円
JR_上毛高原→東京……2,520円
新幹線自由席_上毛高原→東京……2,720円

◆電話
●宿泊
至仏山荘……0278-58-7311(尾瀬林業)
●タクシー(上毛高原駅)
関越交通上毛営業所……0278-62-1511……ジャンボあり
●タクシー(水上駅)
関越交通水上営業所……0278-72-3131……30台……ジャンボあり
●そば(上毛高原駅)
天丸……1100-1945……木曜定休……上毛高原駅前……代官1,600円
●入浴(湯ノ小屋温泉)
葉留日野山荘……0278-75-2210

◆持ち物
★食べ物・飲み物――水筒+行動食1食(2日目昼食)+おやつ
★2日目は朝食が弁当で、長時間行動しますから、量的には2食に近いでしょうか。1食+予備食という考え方でも結構です。途中、水場で湯を沸かします。インスタントラーメンなど可能ですが、腹持ちという点ではアルファ米やレトルトご飯(自宅で湯煎しておくとそのまま食べられます)
★冬の天気になることもあります。軽い保温着が必要になります。
秋季小屋泊まり標準セット
●足まわり……運動靴(軽登山靴など)+非常用として軽アイゼン
●行動着……ドライタイプの登山用Tシャツ+長ズボン+長袖シャツ
保温着……手袋+耳覆いのある帽子+フリースシャツ+スペアのソックス+貼るカイロ
●雨具……折りたたみ傘+ゴアテックスレインスーツ
●小物……地図+健康保険証コピー+時計+ポケットライト+ダブルストック

◆ルートシミュレーション
●地図は国土地理院1:25,000地形図、日光11号-3(ひうちがたけ)、日光11号-4(さんぺいとうげ)、日光15号-1(おぜがはら)、日光15号-2(しぶつさん)、日光15号-4(ふじわら)、を原寸で使用しています。
●シミュレーションマップ上の○印は予定したルートが太い等高線(50m)を横切る地点を中心にした半径50mの円。数字は100m単位の標高です。◇印は山頂から山裾に向かって地図上で計った距離。ごくラフな計り方で500mごとに印をつけてあります。この地図情報の一番簡単な見方は、○印と◇印をどちらも1個(1ポイント)7.5分(2個で15分、8個で1時間)と概算して、山歩きの時間目盛りとする方法です。
●なお、下りは道の状況によって登りの70%と見積もるのが現実的です(高速下山路では50%、難易度の高い場合は100%とすべき例もあります)が、計画段階では登り時間にしておいて、余るようならリーダー権限の予備時間として自由に使うという考え方をしています。


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