1975アムカス探検学校・東アフリカ────はじめに
「あるくみるきく」107号(1976.1)「特集=宮本常一・東アフリカをあるく」誌面



1975宮本常一・東アフリカをあるく――――写真(1)ケニア1975.7.20-7.26
1975宮本常一・東アフリカをあるく――――写真(2)タンザニア1975.7.26-8.10
1975宮本常一・東アフリカをあるく――――写真(3)ケニア1975.8.10-8.27


●1975年に実施した「アムカス探検学校・東アフリカ」は民俗学者・宮本常一先生をまだ見ぬ外国にお連れしようという「弟子たち」のプレゼント企画から始まりました。
●先生の希望が人類発生の地と考えられていた東アフリカであったことから、1971年以来7回実施してきた「アムカス探検学校」をもう一度計画して宮本先生に参加していただこうということで、私(伊藤幸司)にその役がまわってきました。
●本来なら直系の弟子である須藤護さん(現・龍谷大学教授)が先生とご一緒するほうが意味があったのでしょうが、彼には参加者のみなさんをケアするリーダーを担当していただき、私が先生と44日間、ほぼべったり旅をすることになりました。
●アムカス探検学校の旅の基本は宮本流の貧乏旅(現地予算1日10ドル)でしたからレンタカーを利用するというような手段は最初から考えませんでした。私の古い体験から、オートバイをバスの屋根に積んで移動するという方法を考えたのですが、バスの屋根でオートバイが燃えた事故があったらしく、それが不可能になりました。その結果、行動範囲がうんと狭くなったのですが、ケニアとタンザニアの田舎を巡る旅はそれなりに実現できました。
●私は宮本民俗学の直系の弟子ではありませんから、本当はご一緒したい多くの弟子たちの皆さんに対して、旅の内容がどのようなものであったのかレポートする義務があると考えて、通常では考えられないくらいメモをとり、先生がカメラを向けた光景をできる限り記録しておきたいと考えました。
●帰国後、私たちがつくっていた近畿日本ツーリストのPR誌「あるくみるきく」107号(1976年1月号)を「特集■宮本常一・東アフリカをあるく────近畿日本ツーリスト日本観光文化研究所・創立10周年企画」とし、旅の最後ナイロビで足止めをくらった4日間で宮本先生が書き上げた本文原稿「なぜアフリカへ来たのか」と、私のメモを整理した「宮本先生とあるいた44日間」を33ページの紙面に押し込めました。写真スペースがなくなったので、先生の原稿の背景を写真にするという乱暴な方法をとりました。
●ここでその誌面をご覧いただきますが、じつは先生の本文と私のメモは2001年に岩波書店から刊行された岩波現代文庫の『宮本常一、アフリカとアジアを歩く』に再録されました。
●このたび、私の押入で眠っていた古い写真をデジタル化する流れの中でこの探検学校の写真を全点スキャニングしました。残念なことにナイロビ到着までの写真が見あたらないことと、スキャナーのトラブルによって暗部に縞模様が出ていますが、恐れずに公開することにしました。
●写真は重複カットのたぐいと明らかなミスショット以外は残してあります。先生が目にした光景をできるだけ再現したいと考えたからです。それから先生の写った写真は、ミスショット以外は全部残してあります。没後30年になりますから1月30日の「宮本先生を偲ぶ会」に参加される方の多くが、先生と直接顔を合わせた体験がないと聞きます。先生の表情を、1枚でも多く見ていただきたいと考えて、宮本千晴さんにも了解していただきました。
●ほかに探検学校参加者が写っている記念写真やスナップ写真が何枚かありますが、当時私の意識が宮本先生にベッタリだったということもあって、あるものを全部出して、この程度という状態です。たまたま顔がはっきり写っている方もありますが、ご理解いただきたいと思います。
――――記2010.7.3


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