軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座001】「単独行」のリスクとメリット――2005.11.1


●自己完結的だから単独行か

 入門編の最初になぜ「単独行」かというと、これなしに話はぜんぜん進まないと考えるからだ。ここがすなわち「オヤジ派登山」の肝といっていい。
 もしあなたが社交的な人物なら、これから山歩きを始めるとして、まずはだれか適当なリーダーか世話役を探しているに違いない。「人から入る」のが安心だと思っている。とりあえず「ついていく」ところから始めればいい。初対面同士がいっしょに登るツアーに参加するのも厭わない。宴会登山も大歓迎だ。
 若い頃にスポーツマンだった人なら、体育会系の展開があるだろう。レベルをチェックして、自分の実力を技術論的に確かめようとするところから、すなおに入っていける。登山地図の「コースタイム」と見比べて自分の実力を確認することもできる。深田久弥の「日本百名山」などもそういう意味でいいモノサシになる。
 私はこれまでかなりたくさんの中高年登山者(中高年になってから本格的に山歩きを始めようと考えた人たち)とつきあってきたけれど、ほとんど9割の人は山はもちろん、スキーとも縁がなかった(もちろん1度や2度やった体験はあるけれど、ハマらなかった)。さらにスポーツ競技と無縁だった人も半分近くいるかと思う。
 いろいろな選択肢のなかから、最終的に「登山」とか「山歩き」を選んだ人の多くが文化系で、運動能力にかならずしも自信がもてず、「孤独を愛する」とまではいえないにしても、自己完結的なかたちを求めているという傾向があるかと思う。
 そういう人たちの多くは「ひとりで行ければいいのだけれど」という気持ちをかなり強くもっている。しかし、「単独行は危険」なのだ。


●「失敗の権利」を守りたい

 いかがだろうか。そういう人たちにこそ、私は「単独行」をすすめたい。
 メリットの第1は、入門的な小さくて軽い山歩きにも自分と向き合えるさまざまな舞台が用意されているということ。単独行の「危険」を技術的に軽いものにしていくと単独行の「スリル」や「味わい」になっていく。「小さくて軽い単独行の危険」はすなわち「小さな失敗」の体験であり、「たくさんの反省」のみなもととなる。
 自分ひとりでやって、結果が自分に返ってくるという明快さのなかで、自分自身が見えてくる。小さくて軽い山歩きでも、なんとたくさんの自画像が描けることか。
 たかだか「ひとり」というだけで、なんであんなに緊張するのか、ドジを踏むのか。山道を歩くというささやかな試みがなんであんなにみごとに自分を裸にしてしまうのか。
 先頭を歩くということと、後ろに誰もいないということが、自分自身をまちがいなく主役にする。そんな単純なことを人生何十年のあいだなんで体験してこなかったのか。……そういう体験が「小さくて軽い単独行」で体験できるのはまちがいない。


●肉体の可能性を解放する

 じつは単独行は自分自身を「リーダー」と「メンバー」に二重化する。だからお互いによく見える。反省材料なんかいくらでも出てくる。
 たかが山歩きなのに人生がかかってしまったりするというのは大げさすぎると考える人もいるだろうと思うが、私のコーチングシステムでは「あなたの無能なアタマ」と「未開発の肉体の、当面限りない可能性」を実感させる自信がある。山では経験則が肉体の可能性をがんじがらめに縛っていることのなんと多いことか。だから小さな単独行で人生を深く反省したという人が出てきても、私はぜんぜん驚かない。
 簡単に言おう。小さな軽い単独行が、人生何十年も忘れていたチャレンジ精神をよみがえらせる可能性大なのだ。


●単独登山者たちの暗黙の相互扶助も

 「単独行は危険」なら、その危険の要素を取り去るなり小さくするなりしてやればいい。リーダーならすぐに結論をだすだろう。人の多い休日に、人の多い山に登って、大きなドジを踏んだときの最後の安全保障としておこう、と。
 そういう目でいくつかの山を恐る恐る歩いてみると、暗黙の相互扶助精神で結ばれた単独行登山者たちが集まる山が手近なところにいくつもあることを発見する。
 日本でもっとも単独行に適した山は、じつは富士山。槍ヶ岳もいまやそれに続くといえる。この講座では当然、そのあたりまで視野に入れるが、首都圏日帰り圏内では高尾山、丹沢の大山、北関東では筑波山がおすすめだ。


●単独行と単独偵察行

 「危険な単独行」と見えるのは、たとえばどういうものかというと、平日、玄人好みの山で出会う人たちだ。おそらく周囲の人を誘ってもあまり喜ばないような地味な山に、仕方がないからひとりで来ているという感じ。それに対して「危険の少ない単独行」とは、声をかければついてきたい人がいそうなポピュラーな山の休日登山がその代表。花や景色や温泉など、付加価値の大きいものならさらにいい。
 単独行を最終形と考えずに、「単独偵察行」と考えれば、誰かを連れてきたときの状況を想定しながらリーダー技術を高めていくことにも通じる。自己完結的ではあっても孤独である必要はない。そこに視野の広さが加わっていれば、単独行はハードな側面をもつけれど、単純に危険というものではない……といえる。危険な領域ということを敏感に意識しながら危機管理の能力を磨く最短の道といえる。
 小さな失敗をたくさん経験しておく権利――ということを考えて単独行も視野に入れておいていただきたい、ということだ。


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