軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座005】登山靴を買う前に――2005.12.25


●山歩き用の靴とは何か

 いま、軽登山靴であれ、トレッキングブーツであれ、履いている人はほとんど全部、靴が足首をいためるのを防いでくれていると考えている。
 登山道は不整地だから、足さばきが悪ければ着地の瞬間に振られてグラリと足首をひねるかもしれないと、誰だって思う。
 だから、足首をビシッと絞めておかなくては危険なのだ、と考える。
 登山靴はいまや、そういう足首保護靴として売られている。
 もうひとつは、下り坂で足が靴の中で勝手に前滑りして爪があたって傷めるのではないかという不安がある。足首をガッチリ固めておいて、靴の中で足が前方に滑らないようにしておく必要がある、という考え方だ。
 ついでにいえば、雨の日でも足を濡らさない防水性がほしい。雨の日に車で出かけるように、オールウエザーの山靴で出かけたいという気分が最後まで残る。
 旅行会社が主催する登山ツアーのパンフレットなどを見ていると、軽登山靴やトレッキングブーツなど、「山歩き用」の靴をはくように指定していることが多い。登山のガイドブックでも「登山用の靴」をはくように指導している。
 登山用の靴の多くがいまや限りなく「登山靴」から離れてしまったことは、この講座の3回目で触れたけれど、それでは「山歩き用の靴」でないものは、一般にどうイメージされているのか。
 極端にいえば、ハイヒール。観光地とアウトドアの境界が、ハイヒールで歩けるかどうかで仕切られていることが多い。それからタウンシューズ。歩きやすくつくられているタウンシューズなら遊歩道から登山道へと入り込んでいけるのだが、ドロドロ、ヌルヌルの泥道を歩いて、靴のほうはだいじょうぶだろうか。汚れてもいい靴と、困る靴とに分かれるだろう。
 そうすると、次に出てくるのがスポーツシューズ。私は「運動靴」とひとくくりにしているが、歩く靴から走る、跳ぶなどいろいろある。野球のスパイクシューズにしてもいまは驚くほど軽いそうだが、試合用のシューズはとことん軽くして、トレーニングシューズは足にやさしく、ゆったりと、丈夫なうえに、安全機能を加えてあるというのが一般的な考え方になっているかと思う。
 最近はあまり注目されていないが、ワークブーツという領域がある。登山靴に近い作りのものもあれば、ゴム長靴のバリエーションもある。日本のオリジナルでは地下足袋も入るだろう。つま先をガードする工場労働用の安全靴には防水のきいたものもある。


●登山靴のバラエティ

 そして、山歩き用の靴。登山技術の領域で分けてみると、まずは最上位に厳冬期対応の高所登山靴がある。保温性と靴内の湿度調節能力が必要で、インナーとアウターの二重になっているものもある。アイゼンを装着することを前提にしているためと、岩場で小さな岩角にも立てるように、靴底を含めて、強固な外壁を構築している。
 ダブル構造であるか、シングル構造であるかによって重厚度はちがってくるが、「登山靴」というのは本来このクラスの靴をいう。重くて堅くて高価な靴だ。
 その下に軽登山靴とかトレッキングブーツがある。明確な区分があるとは思えないが、耐久性と防水性と、価格帯とで判断することになるのだろう。相対的選択ということになる。あるいはメーカーの姿勢によって判断するという考え方もある。が、その場合には本格的な登山用品店で、信じているメーカーの靴が自分の足に合うかどうかをまずチェックしたい。登山靴は使用する木型によって、顧客の足のかたちを選ぶ場合が多い。
 軽登山靴は本格的な「重登山靴」から何を削って「軽」にしているかというと、もちろん重さが軽い……とはいいにくい。重登山靴の重さが1kg前後に対して、800〜900gのものがいくらでもある。削ったのは耐久性。それも何年持つかということよりも、防水性や保温性が何日の連続使用に耐えるかということで数日間対応が軽登山靴なら、数週間対応が重登山靴と考えていい。かつて天然繊維100%の時代には、革の厚さと表皮の有無と、革質(野牛の革が珍重された)など、あきらかに軽重の違いがあったが、化学的な新素材で組み立てられる最先端の重登山靴はいわばレース用だから、意外に軽くできていたりする。
 重さに大きな違いがないとすると、どこがちがうか。わかりやすくいえば、10本爪〜12本爪の本格的なアイゼンを装着したときに完璧な一体感が得られるかどうかというところに向かって最大限の努力を注がれているのが重登山靴と考えていいのではないかと思う。スキー靴のように強固なアウターシェルを実現している。
 逆に軽登山靴も積極的に獲得しようとしたものがある。それは平地の歩きやすさ。本格的な重登山靴で走ってみるとよくわかるが、ブルドーザーが全速力で走っているような気分になる。ドタ靴と呼ばれるゆえんだ。軽登山靴はそのドタ靴から脱却して、平たい道をスマートに歩けるようにしている。軽くしたというのではない。やわらかくしたのだ。つまり堅い登山靴から柔らかな登山靴への変身が「軽登山靴」というジャンルを成立させたのだ。それはアウトドアでのプロ用ワーキングシューズとしての地下足袋、ゴム長靴(林業用、狩猟用など多彩)、スノーブーツ(スパイクシューズから厳冬用保温靴までいろいろ)、ワーキングブーツ(アメリカインディアンのモカシンなどに由来する革製の長靴)などとも共通するアウトドア対応靴の万能化と考えていい。


●トレッキングブーツ

 軽登山靴の領域に組み込まれた「トレッキングブーツ」には、たぶん「トレッキングシューズ」などとは呼ばないでという気持ちが込められているのではないだろうか。……というのは、ハイキングだったら、ハイキングブーツだろうか、ハイキングシューズだろうか。足首を覆うところまで深いからブーツで、くるぶしが出ているからシューズ、というような構造的分類というよりも、ジャンルの微妙な違いのように思われてならない。
 そこで軽登山靴〜トレッキングブーツというグループと、ハイキングシューズ〜トレッキングシューズというグループに分けてみる。具体的な値段などを確認せずにいってよければ、軽登山靴に限りなく近い高価なトレッキングブーツと、手軽なハイキングシューズの重厚版という感じの割安なトレッキングシューズとは、私の目からすると似て非なるものと感じる。
 新しい人を指導する場合には、その足元を見て、登山用品店で買ったトレッキングブーツなのか、町の靴屋で買ったトレッキングシューズなのかを見極める。問題は、靴の善し悪しではない。山歩きの装備を近くのスーパーやスポーツ用品店で購入するだろうという人と、登山用品店に出かけていって、安い靴を買った(買わされた)人かという見極めをしたいのだ。それで、当面のアドバイスの案配が変わってくる。
 軽登山靴〜トレッキングブーツと、ハイキング〜トレッキングシューズの混乱はゴアテックスが広く使われることによっていよいよ拡大されてきた。透湿防水フィルムを1枚はさむだけで性能ががらりと変わってしまうのだ。そのゴアテックスがいつまで水漏れを起こさないかというような作りに耐久性能評価のポイントがシフトしてきている。
 登山靴にはほかに、岩登りに特化したクライミングシューズや濡れた岩をフィールドとする渓流シューズ、重登山靴との履き替え用としての軽快なアプローチシューズなどがある。
 ここで注目したいのは登山用語でいう「アプローチシューズ」だ。岩登りの人たちはもともと岩場に着くまでは別の靴をはいて出かけることが多かった。一般的には(持つときに軽い)運動靴だが、それがアプローチシューズにあたる。ヒマラヤ遠征のアプローチシューズはまさにトレッキング用の靴でなければならないが、1956年の日本のマナスル登山隊が開発したアプローチシューズが有名な「キャランシューズ」だ。(第3回講座参照)
 私の古い友人などはヒマラヤ登山の帰り、登山靴を背負ってネパールを歩き回ったときにはビーチサンダルだったという。それは極端な話として、登山用語でいうアプローチシューズは、一般的な語感ではウォーキングシューズに限りなく近い。
 ……で、そのアプローチがどこまでかというと、家を出て、最寄り駅から登山口につき、登山道を登って、目的の岩場や、沢登りの取り付き点や、ベースキャンプまでと考えるのがいいかと思う。ただし、縦走登山の場合には重いザックを背負っているので、登山道の始まる登山口から本番が始まる。どこから本番が始まるかは登山の目的によって異なるのだが、本格的な登山技術は、じつは「登山道が終わったところ」から始まるともいえる。
 軽登山靴〜トレッキングブーツはその登山道領域を行動領域と考えている靴といえるし、ハイキングシューズ〜トレッキングシューズは平地の道から登山道までを対象領域と考えていると理解するの適切ではないかと思う。


●一般登山道とウォーキングシューズ

 私は早くから堅い靴を批判してきた。一番大きな理由は、堅い靴をはいていると下りでつま先を下げるのに力が必要になる。登山靴系の靴をはいている人の多くが、下りではかかとのエッジを立てて滑り止めをしているが、これほど間違った歩き方はない。転びやすく、ヒザをガタガタにしやすい最悪の歩き方だ(いずれ詳しく解説します)。
 初心者の肉体を壊す方向に機能しやすい「堅い靴」を避けてもらうために、まずは「はきなれた運動靴」できてもらうように指導してきた。
 その場合の、みなさんの最大の不安は「運動靴では滑らないか」ということだ。登山靴の象徴ともいうべき深いブロックパターンが滑る危険を止めていると誰だって思う。……がちがうのだ。重心の移動がきちんとしていれば、目で見て滑りやすい場所が驚くほど滑りにくくなる。靴底の形状が滑りやすさと直接関わる割合は驚くほど低いのだ。と説明しても、急斜面でヌルヌルしていたり、ザラザラしていたりすれば、山靴のほうが滑りにくいのは当然のはずではないかという人がいるだろう。そういう人に言いたい。登山道をあなたは滑り台のように単純なかたちでしか見ていないか……と。
 柔らかな靴をはくと、歩き方も慎重になるけれど、不整地の小さな凹凸を足裏できちんと探ることができる。足裏がセンサーになる。その、繊細に歩くという機会を、堅い靴は奪っていると、私は考える。
 それから岩や石がごつごつ表面に出ている道で、柔らかい靴と堅い靴とでは歩き方違ってくる。重登山靴の場合を例に取れば、突起ひとつを踏むときにはよほど注意しないと足が振られる。木のサンダルや下駄で石を踏んだ状態を想像していただきたい。突起を足のどの部分で踏んだかによって、カクンを振られる方向が決まるのだが、どっちに行くかは振られるまでわからないことが多い。足首をひねる危険が、そういう1歩ごとに潜んでいる。だから突起を踏むなら2つ(線状に踏むことになる)か3つ(面状に踏むことになる)を同時にねらう必要がある。(歩き方についても改めて)
 ところが柔らかな靴なら「できるだけ尖った突起を踏んでみて」と私は指導するのだが、足裏で突起をつかむようなかたちで安定して「絶対に滑らない」という確信を感じてもらえる。そういうと、「痛いでしょ」という人がいる。山靴でしか山道を歩いていない人だ。じつはそれが、ほんとうに気持ちがいいというところまで想像が働かない。
 つまり、突起の踏み方で足首を痛めやすい構造だから、足首をかためて保護しなければ危なくてはけないのが登山靴なのだ。軽登山靴はかなり柔らかにつくってあるので、足首まわりもルーズな雰囲気になっている。
 それに関連して、不整地では靴底の厚い靴がいいとされるが、昔は絶対にそうだった。砂利道を長時間歩くときには靴底のヤワな靴だと泣きが入る。その砂利道を登山道などの不整地とは全然違う。本当は登山道を地下足袋で歩いてみる体験を一度してもらえると、想像と現実がどれほどずれているかわかってもらえるのだが。
 ついでに爪の保護についてだが、堅い靴は靴ひもを思い切り締めても、なかなか甲が締まらない。足首をきちんと締めると歩きにくいと感じている人はさらに靴ひもがゆるい。足と靴との密着度をきちんと調整できるという意味では柔らかな靴の方が圧倒的に有利なのだ。靴の中で足がずれる、ずれないは堅い靴の固有の問題ともいえる。親切で知られた山道具店が何軒かあって、そこでくわしく調べてもらって購入した靴で、意外に爪を痛める事故は起きている。私はこの10年、夏冬700回を超える山歩きをすべて運動靴ですませているが、1,980円ぐらいの危険な安売り運動靴から10,000円超の高級運動靴まで、爪を痛めるかどうかについては(サイズとタイプがあう限りは)ほとんど違いを感じない。運動靴は子どものころからはいているので、サイズやタイプが自分に合うかどうか、自分で判断できるから、試行錯誤も無にならない。


●やっぱり雨問題

 運動靴推進派の私のところに来る人が「なんだみなさん登山靴をはいているじゃないか」とつぶやくことがある。そうです、過半のみなさんが軽登山靴をはいている。私はそういう人を日常的に見ているから、ザンバランが後退した後のローバ全盛の時代から、シリオの台頭あたりをわりと身近に見てきた。私が運動靴を10足はきつぶした間に、みなさんは3〜5足の山靴を履き替えている。なかには同じ靴の新しいモデルが足に合わずに、大修理してもだめで交換してもらったというやっかいな事件もあった。店を変えた人もいるし、注文靴に走った人もいる。
 運動靴についても、靴底を接着剤で貼りつけただけの格安品は1年(約100日。ザック重量20〜25kg)もたないだけではなく、いつはがれるかという不安が大きい。ナイキのACG(全天候型)のゴアテックスシューズが季節販売され始めたころに、靴底の土踏まずあたりに指をつっこめる状態まではいたことがあるが、まだペロッとはがれる気配はなかった。ナイキは私には2サイズアップでないと幅が足りない。そこで日本が誇るアシックスとミズノのワイドタイプのランニング・トレーニングシューズ(定価8,000円前後)をみなさんにすすめている。通常はワンサイズアップ、冬もはくという覚悟の人はツーサイズアップがいい。これで登山道(一般登山道)が平地の道の延長として考えられるようになる。
 しかし、問題はやはり泥道と雨と水たまりだ。30cm幅の手つきポリ袋を防水にはいてみたが、蒸れるのと滑るのとで実用的ではない。靴ごとはいて底を切り取り、アッパーを靴に接着するようにさまざまな実験を繰り返したが、カサからのしずくをはじく程度までの成功にとどまっている。
 夏なら濡れたままで行動し、真冬ならポリ袋をオーバーシューズとしてはいて軽アイゼンやスノーシューをつければいいが、寒い季節に足をぬらす危険を100%回避することはできなかった。
 ここ数年は防水靴下を使用している。ゴアテックスのものもあるが、米国シールスキンズ社のものが伸縮性もあっていい。登山用品の流通ルートは消えたというがオートバイ用品店で購入でき、登山用で6,000円台だったものが4,000円台で買えると思う。アメリカでは30ドルちょっと。いずれもインターネットで調べて買える。ゴアテックスの靴と違って不要なときには使わずにしまっておけるのと、夏などは行動中は濡れたままで、オフに防水靴下をはいて足をケアするという使い方もできる。最初の水漏れは案外早く発生するが、その後はず〜っと変わらないというのが私自身の数足はきつぶした使用感だ。冬は貼るカイロを入れておくことで、足が湿っても冷えを防げるし、スノーハイキングなどでは雪が溶けない限り濡れないので防水機能より透湿機能が効いてくる。
 しかし、やはり運動靴は雨に弱い。軽登山靴〜トレッキングブーツをはいているみなさんも、雨の中でしみてくるかどうかが買い換えの判断となっている。雪国の人のように、ゴム長で山を歩ければ、靴の問題はほとんど解決するなんじゃないかと思う。
 というわけで、雨の日にも足が濡れないですむかもということで、ハイキングシューズ〜トレッキングシューズの安いものを買う人が多くなっている。安物買いのなんとかという結果にならないといいのだが……と思ったりする。それならむしろ、性能ランクは低く感じるけれどメーカー品のウォーキングシューズでゴアテックス使用のものなどのほうが、軽くてしなやかで、防水機能もあってはるかに好ましい。
 私はアシックスやミズノが本気でオールウエザーのランニングシューズをつくってくれるのを心待ちにしている。雪国のスポーツ少年を支えた「スノトレ」(ビニールレザーで通気穴を省いた運動靴)はアシックスのブランドだったが、地域限定販売になったころ、札幌で手に入れた記憶がある。ぜひゴアテックスの「スノトレ」を登場させてもらいたい。
 ……が、ナイキのゴアテックス・ランニングシューズを売り出し時期に駆け回って買っていたころ、いろんなショップで聞いてみて、ランニングシューズとしては基本的に受け入れられにくいということがわかった。走るとなると通気性が不十分なのだ。だからランニング用のゴアテックス防水には無理があるともいえる。サロモンあたりがスキー用のアプローチシューズとしてゴアテックスのウォーキングシューズを出しているが、そういう流れが山歩き用の靴(一般登山道対応)にまで広がってくることを期待している。ユーザーの意識が変わればの話だが。


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