軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座009】「登山道」という名のオフロード――2006.2.25


●林道からスキー場へ

 山歩きのおもしろさを、車、オートバイ、自転車などでいう「オフロード」の延長で考えてみたい。
 オフロードとは文字通り「道を外れる」という意味だが、正確にいうとすこし違う。「舗装路をはずれる」というところから「道なき道を進む」というところまで、広い意味で「オフ」なのだ。
 車やオートバイでは林道を走るだけでも立派なオフロード・ドライビングになる。未舗装という意味でダートといってもいい。
 登山者はどうだろうか。私は夕闇の中を、暮れゆく登山道の暗さの変化を味わいながら下るという体験をあえておこなうことがあるが、そういうときには林道に出たら終わり。林道歩きは時間としては山歩きの一部だが、内容的にはアプローチルートにすぎない。タクシーを呼べれば呼んでしまいたい。
 林道は車のための道だから、まず第一に勾配がゆるい。暗くなってもまちがいなくたどれるはっきりした道となっている。「下界の延長」という感じがする。
 私のシュミレーションマップでは登山道と林道との境は明瞭だ。標高50mごとにつけていく赤い○印の間隔が、車の通れる道と、登山道ではまったく違う。
 道の性格がその緩急によって区別されるという立場になるわけだが、たとえば鉄道は線路の勾配を千分率(パーミリオン)、すなわち千分のいくつで表現しているのではないだろうか。車の道なら百分率(パーセント)になる。それに対して、私は標準的な登山道を「1km先で300m上がる勾配」としている。3割だ。
 鉄道と、自動車と、人間の足とでは、登坂力においてそれぞれ次元を異にする。車で上れない急斜面が人間の「山歩き」の領域だということになる。
 「1km先で300m上がる勾配」というのは角度でいうと約17度。20度が0.364だから私は「おおよそ20度」といっているのだが、これはスキーゲレンデでいえば初中級コースの傾斜に当たる。
 スキー場で上級者用ゲレンデというと約30度、そしてケーブルカーやロープウェイの平均勾配を見てみると、だいたい30度前後のグループにまとめられるのではないだろうか。スキーゲレンデの風景とつけ合わせてみるとオートバイのモトクロスレースやマウンテンバイクのダウンヒルレースなどもスキーの難易度と同様の傾斜を利用していることがわかる。
 最近、私はスノーシューハイキングを企画する。八甲田山や蔵王に夢中なのだが、ロープウェイで上って上級者用ゲレンデ周辺の急な樹林帯をスノーシューで下る楽しさは、技術をあまり要求されずに雪と格闘するおもしろさを存分に味わわせてくれる。そこでは30度超の斜面を果敢に下るという体験を組み込むように努力している。
 その30度というモノサシは数字上のわかりやすさだけではない。富士山の5合目以上の斜面が(西側で急で東側で緩やかというあたりを誤差の内に含めるとして)驚くほど「30度」なのだ。嘘だと思ったら富士山の写真に三角定規を当ててみていただきたい。
 流れやすい溶岩で形作られた富士山に30度という基本勾配が隠されているということ、各地のスキー場で30度クラスの上級斜面がもうけられていることなどを目安にしながら日本の山を見ていくと、スギの植林地の「よくやるな〜」と感心させられる急斜面もだいたい30度前後といったところだ。


●登山道という道路

 日本の山には30度前後の斜面はごくありふれてあるけれど、それを強引によじ登るとなると多かれ少なかれ「岩場」になっている。
 岩場でなければどうだろう。沢登りで最後の最後に現れる「草つき」と呼ばれる急斜面も30度超の世界で、傾斜が急なために地盤の安定が悪くて樹林が進出できない。
 岩場とザレ場というのはじつは山の急斜面の典型的なふたつの例で、国土地理院の地形図では約60度を超える斜面は「岩の崖」と「土の崖」の記号によってあらわされている。岩の崖の記号は段という字の左側のような、屏風岩というイメージになっている。土の崖の記号はビックリマークを逆さにしたようなものを連ねて土の崩落をイメージさせる。
 これは単純な表現ではなくて、山岳地形の骨格に関わっているのだが、等高線(1/25,000地形図では10m間隔、1/50,000地形図では20m間隔)が間隔をせばめて急斜面を表現していくときに、線と線とがくっついてべた塗りになってしまう境界が約60度。そこに崖の記号を置くと、はからずも現実と一致するということなのだ。
 その、崖の記号のあたりをねらって出かける登山者がいるわけで、ヒマラヤだのアルプスだのアンデスだのの岸壁や氷壁を登る人たちには、30度だの20度だのといった傾斜は単なるアプローチに過ぎなかったりする。
 ここで「登山」と「山歩き」の領域が分かれるのだが、私が企画する山歩きの講座では、30度クラスの斜面にジグザグの道が切られて平均斜度20度前後となっている登山道をたどるのが基本。稜線上に避けられない岩場があったとしても小さなジグザグ道がつけられていて、どうにもしかたのないところにはクサリやハシゴがかけられている。
 そういう「登山道」は現地の案内では「ハイキングルート」などと書かれていたりするが、「一般登山道」と呼ぶのが適切ではないかと思う。一般登山者が特別な技術を要せずに通れるように配慮された道、という意味だ。
 車なら、オフロード車で林道を走るというのに比較できるのでないだろうか。整備された登山道は道幅こそヒトサイズだが、昔なら堂々たる街道だったというようなものが多い。日本の山には「峠」が多いが、ほとんどは山のこちらと向こうとでヒトとモノが行き来した。
 私が企画する山歩きは、そういう一般登山道にほぼ100%依存している。岩場を体験するにしても、沢遊びをするにしても、スキーでいえば初中級のゲレンデからできるだけはずれないようにしながらバリエーションを考えていく。


●山の歩き方

 私は「登山」というより「山歩き」という言葉を使うのだが、先鋭的な登山者にとってはアプローチに過ぎない登山道にほぼ100%依存して「山歩き」を続けている。易きに流れているのではないかとも思うけれど。
 実際、山歩きをはじめて数年すると、山そのものにひかれていくひとが出てくる。岩登りや冬山を体験し、本格的な「登山」へ進んでいくひとも出てくる。
 山という舞台は大きいからぶつかりがいがある。山歩きをはじめて3年もすれば、基礎的な行動力や行動技術は新しい舞台への挑戦ができるようになっている。いまは日本でもいいプロガイドがたくさんいるので、個人的な夢をプロの力を借りて比較的簡単に実現することも可能になっている。
 登山者のそういう成長を、山は求めているにちがいないのだが、私はあえて「登山」には踏み込まず「山歩き」にとどまっている。山にこだわるというよりも、20度とか30度という勾配の登山道そのものにこだわっている。
 何度も繰り返す説明になるが、下界の道を時速4kmで歩くパワーで山歩きをした場合、日本の登山道の標準を「水平距離で1km進んだときに高度差で300m登るのが1時間」とすると、水平距離の1kmに要する時間は15分のはずだから、残りの45分は体を300m持ち上げるのに使われたと考えられる。水平に1km進むのと、垂直に100m体を持ち上げるのが同じエネルギー量となるのが約20度という傾斜なのだ……というシミュレーションが成立している。
 平地で前方に4kmで歩くエネルギーの1/4が水平方向に使われ、3/4が垂直方向に使われる……というのが山歩きのエネルギー配分ということになる。つまり歩くエネルギーの3/4を上へ使うという歩き方が山歩きの歩き方なのであって、しかもそれを平地ではだれもがあたりまえに歩いているエネルギー出力で歩く……ということの技術指導が、じつはなかなかおもしろいのだ。
 歩き方によって健康を維持したり、スタイルをよくしたりする指導はいろいろあるけれど、オフロードとしての登山道の歩き方もなかなか教えがいのあるものだというところに私はいまハマっている。しかも「弱い運動を長時間」というエクササイズとして山歩きは最適なのだ。
 日本の登山道は、開拓の歴史から見てさまざまだが、一般登山道というかたちで紹介される「都会のやわな登山者」向きの登山道は、20度という勾配を基準に整備されていることが多い。画一的な方向に整備されながら、背景も違えばその時々の天気なども千変万化。車で林道を走るようなオフロード感覚で存分に楽しめるものになっている。


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