軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座010】下りの歩き方――2006.3.10



■御前山――2005.4.26
奥多摩三山のひとつ御前山(1,405m)でカタクリを見た。大ブナ尾根を下るとかなり急な傾斜が続いた。登山道は小さなジグザグを切ってあるが、湿った土はときどきひどく滑る。そこをいかにゆったり、優雅に下れるかだ。



■矢倉岳――1997.4.23
足柄の矢倉岳(870m)はまろやかな山頂部を見せているが、そのまろやかさが実際にはかなりの急坂となっている。東側も西側も急だが、これは西の足柄峠方面へと下る道。ずるずると滑る道で、運動靴のままつま先歩きを体験した。おおよそこの姿勢ができれば、あとは楽だ。



■伊予ヶ岳――2003.3.18
房総のアイガーと呼ばれているが、海側から見るとアイガー似の岩が山頂を構成してる。この道は背後の急斜面。滑りやすいこともあってロープがついているが、そのロープを安全装置として軽く触れて、あくまでも自力で下る。自分の実力の上限のところで、常に挑戦的な歩き方をすることで、行動範囲は大きく広がっていく。


●靴底の形状よりも前傾姿勢

 初めての人を急な滑りやすい斜面に立たせると、多かれ少なかれヘッピリ腰になる。スキーの場合、そのヘッピリ腰の程度で技量が分かるが、まったく同じことが山歩きでも起こってくる。
 スキーヤーはヘッピリ腰になったあとは、大方転ぶ。
 下りの傾斜やスピードについていけなくて重心が後にずれるのは(たぶん)「後傾」という。前傾姿勢がくずれての後傾姿勢だから、まだ立て直す可能性が残っている。
 ヘッピリ腰は違う。司令塔としての頭に「危険」というシグナルが出ていて、その状況をなんとか「安全」の側に引き留めようとして、重心を後ろにずらしている。前傾すべきところでたまたま後傾したのではなく、危険をさけるために安定姿勢としてのヘッピリ腰を選んだのだ。
 滑りやすい場所に立った登山者の場合、ヘッピリ腰になると重心は当然かかとにくる。かかとを立てて滑りを止めようという積極的な意志が加わる場合もある。しかしスキーヤーのようには滑らないから、かなりのところまで踏みとどまれる。靴底のブロックパターンを斜面に強く押し当てて、必要ならかかとを立てる。あるいは横向きになって片足をこわごわと伸ばしていく。
 そういう状態を、スキーの直滑降の前傾姿勢に矯正するのが下りでの私の大きな仕事だ。
(1)傾斜面でまっすぐに立つ
(2)腰を前方に移動してかかとが浮くのを確認する
(3)もう一度「まっすぐ」にもどして、重心がかかとに戻るのを確認する
(4)そして再度、かかとが浮く状態の「前傾姿勢」に
(5)極端に、つま先立ちで斜面を下る。気持ちはバレリーナか、綱渡りのサーカス芸人だ
 だいたい、これでヘッピリ腰や後傾姿勢は除去できる。問題は足裏が滑りそう、という不安な気分だ。
 ぬるぬるの泥の急坂、ざらざらの砂礫の斜面では靴底に対して滑らない保証がほしい。滑り台を立ったまま下れといわれたら滑らない靴が欲しい……という状況に似ている。そこでもうひとつ、私はダメを押す。
 登山道の下りは、滑り台とは違うのだ。よく見れば表面に小さな凹凸があり、岩や木の根が頭をのぞかせている。
 自分の足裏がそういう小さな変化をきちんと読みとって歩けるようになれば、「驚くほど滑らない」ということを、現場で実際に体験してもらうだけでいい。
 靴底のブロックパターンで滑りを止めるという考えよりも、重心をつま先側に置いて、そのまましなやかに、しとやかに下ればいいということを分かってもらう。
 靴の「滑らなさ」よりも歩き方の「滑らなさ」のほうがはるかに効果が大きいのだ。


●つま先がヒザを守る

 下りでひざがガクガクになる人がいる。急斜面で横から見てみると原因はあきらかだ。かかとで滑り止めを効かせながら下っている。
 かかとで滑りを止めようとするときには、その足のひざは(例外なく)のびている。ひざのクッション機能を殺して歩いているから、着地の衝撃は直接ひざにくる。
 「つま先歩き」と私はいうのだが、一歩一歩綱渡りするように、つま先で地面をさぐりながら歩いてみると、着地したときにひざをやわらかく使うことができる。
 かくして、前傾姿勢とつま先歩きによって、滑りにくく、ひざを痛めにくい下りを実現することができる。
 そしてその先もある。かかと着地の下りは平地の歩き方を下り傾斜でもやっているわけで、積極的に歩くとヘッピリ腰ではなくなる。
 真横から見てみると、振り出した足とともに重心が前に移動して、かかとが着地した瞬間に重心はそのかかとで止まる。平地でのウォーキングをそのまま傾けた歩き方になっている。
 これを私はどうしても禁じたい。着地の瞬間にかかとが滑ると、スッテンときれいに転ぶ。転ぶのは危険だから、かかとを強く蹴りこんだりして、滑らないようにしようとする。初心者のヘッピリ腰とはちがって、健脚組のひざいじめだ。もし本当の健脚が飛ぶように下山しているのであれば、要所要所で跳んでいるはずである。跳べば着地はつま先側でコントロールできるから、ひざのクッション機能も活用できる。下りで「走れ」というのは私も大学の探検部時代によくやらされたし、よくやった。新人部員を中心にねんざがけっこうあったけれど。
 健脚組の下りをよ〜く観察してみると、かかと着地の振りをしながら、着地の瞬間に重心をつま先側に置いていることが多い。堅い登山靴をはきながら、一瞬つま先をグイッと下げているのだ。そこのところが初心者にはむずかしいから、見た目の歩き方をまねるとまっとうにかかとで着地してひざをガタガタにしてしまう。
 ひざを守るにはどうしたらいいのか。
 ひざまわりの筋肉をゆっくり、じっくりと強化していく必要があるのと同時に、ひざ関節を痛めないように細心の注意を払わなければならない。そのために必要なのが、やはりつま先歩きなのだ。
 下り斜面をつま先で歩こうとすると、歩幅はあんまり広げられない。高速下山には向いていないと思うだろう。
 まずは高速下山向きではない……というところで、解説しておきたい。
(1)下りの段差を階段と見て、できるだけ前方に軸足を置く
(2)軸足で100%体重を支えながら、からだを垂直に沈めていく(軸足の筋力で重心=腰を下げていく)
(3)沈み込みながら着地する足を前に振り出して、つま先で着地点を探るようにして着地
 おわかりだろうか。からだ全体を軸足の筋力で沈み込ませていって、ソフトランディングしたいのだ。
 気分としては能役者。腰を下げて重心を自由自在に上下する。歌舞伎役者の女形は筋力であのやわらなか動きを表現するというが、まさに筋力でしなやかに下るというかたちになる。その前提として、片足で立つときには1本足できちんと立つというバランスの安定が脚力の目安となってくる。
 段差が大きくても小さくても、段差のない下り傾斜でも歩き方は同じだが、筋力で下ると当然筋肉痛が起きる。筋肉痛は破壊された筋肉組織に血液が流れ込んで以前より強化しようという過程で起きる。筋肉強化のための健全な痛みなのだ。関節痛が関節機能を阻害する方向で働くのとは決定的に違っている。
 つまり筋肉痛が起きるように筋力を使って重心を下げ、振り出した足のつま先で微細な凹凸をさぐりながら着地する……ということでひざを徹底的に守りたいのだ。
 ごく大まかな言い方をすれば、「登りはかかと歩き」で「下りはつま先歩き」だが、重心の上下の移動は、登りでは振り出した足(上側)の曲がったひざを伸ばすことによる伸び上がり。下りでは残った足(上側)のひざを曲げることによる沈み込みということになる。その伸び上がり、沈み込みはともに、できるだけ垂直であったほうがいい。前に進むという意識があるとうまくいかない。
 ちなみに標準的な登山道では前進に使われるエネルギーの3倍のエネルギーが体を垂直に持ち上げるために使われる。だから前に進もうとすると、その3倍のリフトアップのパワーが加算されてしまう。急斜面では「前進」という意識より、「段差のクリア」という目標を掲げたい。
 下りの歩き方についてはダブルストック(場合によってシングルストック)の使い方や軽アイゼン装着による補助など、さらにいろいろなケースを考えることができる。ここでは「つま先着地」と「脚力での降下」という技術テーマを提案しておきたい。


★目次に戻ります
★トップページに戻ります