軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。
【伊藤幸司の軽登山講座012】目のつけどころ、使い方――2006.4.10
■黒部峡谷の水平歩道――2004.8.22
切り立った黒部の岸壁に刻まれた作業用道路。気を抜いてつまづいたりすると千尋の谷へまっさかさま……かも。
■八ヶ岳横岳の稜線の道――2005.6.25
八ヶ岳横岳の道。ストックの谷側使用から、場所によっては両手を自由にした「三点確保」に切り替える。
●見すぎてもいけない
あるとき、ベテランの女性ふたりがなんでもない下りでスピードが上がらないのに気づいた。
登りならパワー不足だし、足元の危険な場所でなら慎重ということで原因は分かりやすい。
ところが、危険でもないし、歩きにくくもない場所で、なぜだかわからないがスピードが上がらない。
歩きながらいろいろ観察してみると、推理がだんだん絞られてきた。
見すぎるのだ。自分の足さばきのすべてをきちんと見るのはいいが、見ないことも重要なのだ。
最初に自転車に乗れるようになるまで、一番重要なのは目線を上げることだ。前輪を見ていたらハンドルさばきは右往左往するだけでほとんど前に進まない。目線を上げてできるだけ遠くを見られるようになると、自転車がまっすぐ進むようになる。
車の運転でも同じだが、遠くを見るということは、凝視をしないということを意味する。
かんたんにいえば人間の目はシンプルな単玉レンズと超高性能のイメージセンサー、すなわちデジタルカメラやビデオカメラのCCDセンサーやCMOSセンサーのような網膜とでできていて、映像を電気的にとらえている。
写真や映画の世界では高画素のイメージセンサーがいよいよフィルムを駆逐してしまうところまできたけれど、人間の網膜はそれよりはるか先にいっている。
単純な高画素ではないのだ。中心部が超高画素で「凝視視野」を実現している。新聞の文字を1字1字見るほどの狭い視野を高速に動かしてスキャン画像を得ることができる。向き合った恋人同士がお互いの目を見つめ合うと、その実用視野がどの程度のものか、よく分かる。両目を同時に見つめるほどの視野はない。小さなテレビをかなり遠くから見ていても感動できるのもその驚くほど狭い視野による。
それに対して「鑑賞視野」と認識される範囲には色再現のいい視細胞が埋め込まれている。美術系の学生などはその色の識別能力が驚くほど高いが、舌や鼻の能力と重なって人間のいわば「文化的能力」を形作っているともいえる。
そしてその周囲、私は「周辺視野」と呼んでいるのだが、左右180度以上の広い範囲を白黒系の高感度領域がカバーしていて、モノを分析的に見るには不十分だが、動くモノには鋭く反応する。監視モニターのような超広角視野をそなえている。サッカーの試合などを見ているとスポーツ視野でもあるかと思う。
車を運転しているときには、リラックスしてできるだけ広い視野を保とうとしている。身を引いて、全体を眺めながら、交通標識や、前後の車や、突然の飛び出しなどに凝視の視野が鋭く反応して緊張する。
そういう運転時の視野切り替えを歩くときにもしているはずなのに、そのベテラン女性ふたりには、できていないのではないかと考えたのだ。
観察していると、やっぱりそうだ。雨上がりでぬかるみや、濡れた石があったから、その1歩、1歩をていねいに見すぎているのだ。
車の運転なら、パッと見て、危険な要素があるかないかを判断して視野を前方に移していく。何かあれば、いつでも凝視の視野を使えるようにしておけばいい。
登山道を歩いている場合には、3歩分をひとまとめにして見てほしいのだ。パッと見て安全に大きな問題がなかったら、もう足さばきを見る必要はない。目には風景を見回したり、足元の花を探したりする余裕を与えてやりたい。止まってじっくり見るのもいいが、歩きながら凝視の視野を使って抜き打ち的にこまかく見ていくのだって十分におもしろい。
●歩くことをもっと足にまかせたい
別の言い方をすると、ベテランならではの落とし穴だったかもしれないが、自分の足の仕事ぶりを完璧にコントロールしようとしていた。上司が部下の働きぶりをこまかく観察して失敗の気配でもあれば瞬時に発見しようとしている状態、というふうにも見えてきた。上司たる頭が部下たる足を監視しているのだ。
だから足には足の仕事をさせて、頭があんまりこまごまとした命令を出さないですむようにしてやりたい。足を頭のガチガチの管理から解き放ってやりたいと考えるようになった。
そこで日帰りの山歩きの最後に日没が来るように仕掛けたりするようになった。日没後1時間がどのように暗くなっていくか体験してもらうのだ。
暗くなって道が見えなくなる。最初にパニックになるのは頭だ。暗さに恐怖を感じている。
目は、じつはまだ十分に見えているはずなのだ。頭のパニックを押さえてやる(そのために私は全員にライトをつけることを断念させる)と、なんだ、けっこう道が見えるじゃないか。人間の目は瞳孔が大きく開いた状態(双眼鏡の設計基準では直径7ミリとしている)では頭が考えている以上のものが見えている。
そして周辺視野をうまく使えるようになると、暗さへの対応は飛躍する。ここでも視線を上げて、凝視の視野を封印すると、道が白黒映像となって動いてくる。進むにしたがって白や黒のパターンが向こうからこちらへと動いてくる。
頭が賢ければ、この段階で、白黒画像で見えているパターンの、どれが岩の頭で、どれが草で、どれが安全な土なのかというような識別作業をサポートしてくれることになる。
と同時に、足はつま先さぐりの状態で歩いている。目からの情報をあてにしないで、つま先の感触で前進する。自分ながら勇気ある前進だと感じるが、誇らしい前進というふうにも思われる。
目隠しして歩くのと、山の夜道を歩くのとでは、まったくちがう。日没後の空の明るさはすばらしい間接照明になっているし、月でも出ればライトが点灯したというほどの安堵感がある。
もちろん夜になったら、登山道はたちまち危険なものになり、進行速度はがくんと落ちて、いつになったら下山できるのかまったく読めなくなる。しかし足そのものを接触センサーにして歩く、目をできるだけ使わずに足で歩くという体験ができる。
片足できちんと立ちながら進んでいるということと、重心の移動がスムーズにできているという場合には歩きの安定性がいいので、暗い道での安全性は飛躍する。その歩き方ができるようになれば、「見すぎない歩き方」のコツがつかめるはずなのだ。
●ダブルストック
ストックの使い方についてはいずれ技術論的にきちんと解説しないといけないのだが、あるとき、丹沢の桧洞丸の下りで、スピードの上がらない女性が数人いたことからはじまる。1996年の秋のことだ。
あそこでは西丹沢自然教室というバス停からの最終バスに乗るために最後に時間に追われるということが多かったのだが、大きな段差によってスピードダウンしている人たちの尻をはたいたら、転倒事故にもなりかねないという危うさで、女性たちは下っていた。
チーム登山の場合には、それぞれのケースで一番弱い人にレベルを合わせることになるので、足がそろうようにするには弱点の補強という考え方が重要だった。ダブルストックの導入にはそのようなチーム全体の下りでの能力アップが最初に考えられた。
女性の場合は腕力に期待できないので、ストックを2本、肩幅にそろえて前方(下方)に出し、体重を預けながら降下していくという方法論を導入した。
下りでのダブルストックは「3歩先に突いて」ということにしているが、(急斜面でのスキーの滑り出しのように)思い切った前傾姿勢をとることによって、ヘッピリ腰を封印し、気持ちにも積極性を導入するという考え方だった。
下りで難易度が上がるごとにスピードが大きく落ちる人がいる場合に、ダブルストックの効用はきわめて大きい。非常用装備として導入することによってチーム全体の能力をアップするのに貢献したが、同時にまた、急斜面での下りでヒザへの衝撃をかなり効果的に軽減できるので、ヒザ関節を守るという以上に、足を痛めた場合の自力脱出用装備として貴重なものだと思うようになった。
ところが雨の日に、ダブルストックを片手使いにして傘を差して歩こうという実験を何度かしてみると、恐ろしい結果がでた。両手で使っているダブルストックを1本にして、ダブルストックの「たまたま右手」「たまたま左手」という使い方をしてみると、ほとんど利き腕でしか使っていなかったことがみなさんバレてしまったのだ。
ダブルのストックワークは、杖として片手で使う場合と比べると体の動きの左右のバランスをくずさない。左右のバランスを整えながら登り・下りすることが健康登山のかなめとなるにちがいないとも信じていたのに、見た目のダブルストックが、じつは現実にはシングルストックだったという人があまりにも多いのにびっくりした。
それからダブルストックのシングル使用ということを真剣に考えたことがあって、クサリ場では谷側の手でストックをもち、山側の手は直接ホールド(石や木やクサリ)をさがすという方法を確立した。ストックは「谷側使用」だから右手でも左手でも使えるようになっていくにちがいないという意味も含めて。
ストックを岩場で使用することに反対する人がいるが、たいていはストック論ではなくてステッキ(杖)論であるかと思う。一級品のストックの石突きは超硬合金の鋭利な刃物になっていて、岩への食い込みはすばらしい。ダブルストックというものを導入することに決めたとき、それがどれだけの能力を持った装備となるか分からないまま周囲のみなさんに推薦して買いそろえてもらったのだが、石突きの性能を見てその潜在能力を見切ったという自信はあった。岩のところで使えないのではストックが悪いか、技量が低いといわざるを得ない。
ストックを使うと、手が1mあまりのびることになる。フットワークと同時に、ストックワークも目のサポートを必要とするようになる。ストックでは足さばきに必要な情報より、もっと細かな接地情報が求められることが多いので、目はサポートに徹することによって、一桁アップした精度でこまかく道を見るようになっていく……はずなのだ。
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