軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。
【伊藤幸司の軽登山講座014】避難小屋の使い方――2006.5.10
■南アルプス・仙丈ヶ岳――1997.9.28
急に冬が来た。一面に霜がおりたような道を頂上に向けて登っていく。眼下に見えるのが避難小屋。テントもある。私たちはずっと下、森林限界に小さな屋根の見える営業小屋・馬の背ヒュッテから登ってきた。
■雲取山山頂――1998.3.29
山頂のすぐ下に東京都の避難小屋がある。小さな建物はトイレ。山頂も避難小屋も完全にオープンな空間だ。
■上越・巻機山――2002.5.9
ニセ巻機(標高1,861m)と巻機本峰(1,961m)の間にある避難小屋。雪をかくと2階の出入り口が開く。冬季用の玄関だ。
●山もいろいろ、避難小屋もいろいろ
小諸から高峰高原へと登り、車坂峠から浅間外輪山の黒斑山(2,404m)に登ろうとすると、浅間山の頭が見え始めるあたりにカマボコ型の避難小屋がある。
これは浅間山の噴火のときに降ってくる火山弾から身を守るために避難するシェルターだ。
風雨、雪、寒さ、そして噴火など、思わぬ環境の変化に対して緊急避難的に利用できるガードレールのような存在が避難小屋の基本的な役割といえる。すなわち「使われなければ幸い」という存在だ。
東北の山にハマる人がいる。たしかに東北の山はすばらしいが、避難小屋と相性が合わないとハマるというところまでは進まないという感じがする。
東北の山すそには登山者に利用される温泉宿はあるけれど、本州中央部で一般的な寝具と食事を出してくれる山小屋(営業小屋)はほとんどない。したがって山に深く入ろうとすれば、テントを担ぎ上げるか、避難小屋を利用するしかない。
山麓の温泉宿は収容人数が少ないので紅葉の時期などはすぐに満室になってしまう。避難小屋を利用すれば自由かもしれないが薄暗い「自炊生活」は重苦しい。
しかし、ひとりで自由な山旅をしたい人は避難小屋をつなげて行くだけで、深い森を軽々とさまよい歩くことが可能になる。
なかには人気の飯豊山地のように夏に管理者が常駐する小屋があり、米を持参すれば炊いてくれるという昭和30年代のような小屋もある。
しかし、無人・無料の避難小屋が東北ではスタンダードと考えられる。それらの避難小屋は、生まれは公共的なものであっても、それを支えるひとたちが仲間意識を持っていて、人の輪がその小屋に宿っている。ただ単に雨をしのぐ小屋というだけでなく、もうすこしあたたかいものがある……らしい。
そのようなあたたかさは、逆にドライな関係を阻害するので、窮屈な思いをする人もいる。東北の山では、たかが山小屋、されど山小屋というものが避難小屋に含まれている。
北海道の避難小屋はちょっと違うかもしれない。登山者の多い山には管理者が入る小屋もあるけれど、北海道の場合には登山者は基本的に探検登山を志向していて、テントを担いで気に入った沢から入っていくというような自由さがある。道のない山には沢から入るという古いスタイルが北海道の山を楽しいものにしてくれる。
だから登山者はテントを持参するのが常識とされている。テント泊で自由に山を歩くというベースの上に、利用可能な避難小屋があるという考え方が一般的なようなのだ。そういう意味ではドライな感覚で小屋を利用することができる。
●本州中央部では
日本アルプスとか八ヶ岳とか上信越の山々とか、本州中央部の山々ではカネが一番コンパクトな装備という印象がある。山小屋といえば営業小屋で、基本的な生活には困らない。
私たちはぎゅうぎゅう詰めで1泊2食つき9,000円などという山小屋に平気で泊まっているのだ。山小屋の料金は素泊まりをベースにして、金額がそれぞれの山域で協定料金を設けるか、ガイドラインのようなもので横並びになっている。
中高年登山者は清潔さと食事にうるさいので、人気の山小屋に泊まればまず問題ない。
しかしそれでも混み具合や天候によってサービス環境は変化する。国際ホテルチェーンが、いつどのホテルに泊まっても同じサービスを提供するということを目指すのに対して、山小屋は同じ金額を取りながら、状況によってサービスは激変する。
というのも、良くも悪くも山小屋は避難小屋をベースにして営業部門を上乗せしている。だから個人所有のちっぽけな山小屋のくせに、国土地理院の地形図に堂々と名前がのる。
だから高山帯の山小屋には「冬期小屋」と称する小さな施設が備えられていて、冬越しのために戸締めした母屋に触れずに、避難小屋機能を公開している場合がある。
避難小屋の場合は雨露しのいで寝るだけの施設と考えられているから、基本的な機能はどこも変わらない。あとはその日そこに泊まった人数と、顔ぶれによって天国になったり、地獄になったりするだけだ。
本州中央部の避難小屋の多くは冬の遭難防止という観点で建てられているように思うけれど、東京都の最高峰・雲取山(2,017m)の山頂にある避難小屋はひとつの理想と考えられる。
その小屋は東京都が建てたもので、二重ドアを入ると土間があり、板の間はしっかりとしてすきま風が吹き込むというような気配はない。常連の管理グループがいるというような所帯臭さはどこにもなく、すっきりとして清潔だ。
最大の欠点は水がないこと。汚いのをがまんすればトイレもある。
最大の利点は、目の前に富士山があること。それも私の好みでいえば完璧さを追求したすばらしい姿の富士山だ。
写真をやっている人なら、この小屋で仮眠して、夜明け前から富士山をねらいたいと思うだろう。車のなかで寝て夜明けを待つようなカメラマンにはまさに垂涎の的の宿舎付き撮影ポイントということになる。
埼玉県側に20分も下れば食事付きの雲取山荘があるけれど、富士山を撮りたいのならこちらに泊まった方がいい、という存在だ。
山のなかで夜明けを迎える。これこそ山によって与えられるすばらしいプレゼントだ。軽いピクニック気分で避難小屋に登り、朝を迎えて帰ってくる。そういう趣味の人にはあちこちの山に立派な御殿を見つけることができるだろう。
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