軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座027】「軽アイゼン」について考える――2006.11.25



【写真980205-308】
■「4本爪」の軽アイゼン――1998.2.5
4本の爪は向こう側にある。白いプラスチック板は雪が団子状態になるのを防ぐもの。内場合はビニールテープを巻いたり、ポリ袋を巻いたりして代用できる。ロープは3mmのナイロンロープ。



【写真020427b-236】
■軽アイゼンの実力――2002.4.28
これは安達太良山の一角を占める箕輪山の残雪。ステップを切らずにフラットに歩くには軽アイゼンとダブルストックの限界に近い傾斜と考えられるが、その実験。



【写真980205-303】
■軽アイゼンのロープ締め――1998.2.5
かかとからまわってきたロープを一度からげて締め、かかとロープをすくってから縛る。このロープは登山用の4mm。



【写真040819c-222】
■軽アイゼンの二連装――2004.8.21
土踏まずのところに装着してから、前方にもう1個固定する。ここで使用しているのは登山用の5mmロープ。


●「4本爪」は危険です……か?

 軽アイゼンと呼ばれるものは通常「6本爪」と「4本爪」。それから路面を傷めにくい「街路用」といったものがある。
 ここではその軽アイゼンについて考えたいのだが、その前に通常の「アイゼン」を知っておきたい。
 アイゼンは爪の数でいえば「10本爪」と「12本爪」が一般的だ。かかと側に4本、指側に4本、それに前爪が2本ついて10本爪。12本爪は前爪の後に補助の前爪が追加されたと理解しておくといいだろう。
 前爪はなんのためにあるかというと、そそり立つ岸壁、あるいは氷壁に立つために使われる。前爪2本を氷壁に蹴りこんで立つ、という姿をイメージしておいていただきたい。
 登山靴も、じつは「軽登山靴」と「登山靴」のちがいのひとつに、つま先で立つというクライミング能力の差がある。アイゼンのクライミング能力もその延長として前爪を長く伸ばしている。
 登山靴のつま先で小さなスタンスに立つためには、つま先のほんの数センチに全体重をかけて直立するというアクロバティックな動きを確保できなくてはならない。そのために登山靴の靴底にはシャンクと呼ばれる板(昔は金属製、いまはたぶんプラスチック製)を入れてそらないようにしてあるし、スキーブーツのように足首をしっかり固めてある。
 アイゼンはそのような登山靴のクライミング機能を氷雪の岩壁でサポートするためのものだから、まずは前爪で立てなくてはならない。靴と一体化していなければ意味がないので、厳密なアジャストが可能なのと、それが極低温で厚いグローブをはめたままの着脱でも支障の出ない構造であることと、酸素濃度の低い高所で装着する場合を考えてシンプルな操作性であることなどを厳密に追求してある。
 しかしその前爪に頼らない緩傾斜での使用を「一般雪山用」とすれば、それは前後4本ずつの爪の役目になってくる。
 これで軽アイゼンへのつながりが見えてきたと思うのだが、アイゼンの前爪をとって、急斜面には絶対に踏み込みませんというのがコンパクトにつくられた「6本爪」ということになる。アイゼンの使用領域でいえば緩斜面専用ということになる。雪崩の起きない程度の雪面や、溶けたりあふれたりして流れ出した水が凍ったような氷結面での使用が守備範囲となっている。
 軽登山靴がクライミング機能を削って、平坦地で歩きやすくしたのと同じ考え方が「軽アイゼン」を成立させたといっていい。
 さて、私が推薦する「4本爪」だが、登山用品店で相談したら「危険ですから6本爪をすすめます」といわれるに違いない。親切な店員ほど、確信をもってそうアドバイスするはずだ。
 4本爪はなぜ危険なのか。子どもの握り拳ほどの鉄の爪を靴の土踏まずに装着する。かかとのついた靴の場合はかかとの厚みと爪の長さを比べると(製品によって爪の長さはいろいろだが)路面に突き刺さる爪の部分はごくわずかでしかない。
 もっと構造的に危険な問題が内在している。平地のウォーキングではつま先で蹴ってかかとで着地するのだが、そういう歩き方をするとつま先で蹴る瞬間も、かかとで着地する瞬間も土踏まずにある4本爪は全部完全に浮いている。
 つまり歩き方によって簡単に爪が浮く……ので恐ろしい。危険な場面で危険な挙動をする道具、というのはまさしく正しい。4本爪の軽アイゼンは危険なのだ。


●危機管理ツールとしての「4本爪」

 その「危険な4本爪」を私が選んだ理由はいくつもある。一番重要なのは「お手軽アイゼン」とは考えないところかもしれない。
 雪の道で軽アイゼンをつけると歩くのが楽になる。「4本爪」より「6本爪」がたぶんより楽になる。本格アイゼンだと平坦なところでは前爪のさばきに気を使わないといけない場合があるので、ギリギリまでつけたくない。
 つまり、一般的な傾向として、気軽に装着するのは「4本爪」、最後までつけずにがんばるのが本格アイゼンというふうになる。
 これは「楽になる」という場合のことだが、私が私の守備範囲でいちばん危険な状況と考えているのは、たとえばこういう場面だ。太い丸太の橋がある。丸太1本ならもちろん渡らないで引き返す。2本並んでいたら渡れそうな気がするが、おそらくどちらかの丸太を踏んで渡っていく。安定は良くなるが、靴底と丸太との接触面での関係は、1本丸太とほとんど変わらない。そのとき丸太が濡れていたら、1本でも2本でも危険度は変わらない。私なら橋をすてて足を濡らしてでも渡渉地点を探してみる。
 そのような木の橋にいつか、どこかで遭遇するにちがいないと考えているので、私は軽アイゼンを数セット、年中持参している。アイゼンをつければ、丸木橋から転落する危険は限りなくゼロにできる。
 あとは冬の林道。実際にあったことだが、1月20日に奥多摩の陣馬山に登って、和田峠から舗装された林道を陣馬高原バス停へと下ったときだ。
 ちょうど雪が降った直後で踏まれていない雪道をぜいたくに楽しんだが、舗装路に出たら、日陰の部分がツルツルに凍っていた。
 参加者6人に対して、たしか4セットの軽アイゼンを私が持参していた。あぶないふたりに2セット使って、あとの4人には片方ずつはいてもらって、私はなし。
 氷は昼間溶けて道路を湿らせた水が凍ったものだから、鏡のようにツルツルだ。おまけに水平ではない。ほんのわずか傾斜していて、それがけっこう効いてくる。ゆっくり、あわてずに歩いたにもかかわらず、1時間ほどの間に、たしか3回、私はスト〜ンときれいに転んだ。大型ザックを背負っていなかったら後頭部を強打していたに違いない。
 私はダブルストックで慎重に歩いたのに致命的な転倒を繰り返したが、片足でもアイゼンをつけていれば、転ばないということは証明できた。
 もうひとつの例はラッキーだった。1月13日に富士急行の三ッ峠駅から三ッ峠へと登ったときのこと。あと少しというところで道は有名なロッククライミングの練習場の下をへつる。
 岩壁のすき間に小さな沢があって、流れが道を横切っていた。ほんの1メートルの幅で水の流れが凍りついて、踏んだら滑るという状態になっていた。
 調べてみると小石の頭などで滑らない部分が多く、安全第一の狭い歩幅では1歩だけ氷をまともに踏まなくてはならないと感じた。もしだれかが飛んだりしたら致命的だし、歩幅を広くしてまたいだとしても、重心移動に無理が出るので、着地した足が滑る可能性はかなり高い。
 私は全員を集めて状況を説明し、軽アイゼンをつけてもらって、通過を開始した。
 振り返ってみなさんが渡るのを見ていると、危険だという認識さえあれば、問題ないところだった。……が、後のほうでひとりが滑った。氷の滑り台に乗ったようにして滑り落ちて、堆積した落石の山にぶつかって止まった。
 落石はどれも尖って見るからに痛そうなものばかりだったが、その人は全身に傷を負いながら、結果的に大きな怪我にはならなかった。
 列の後ろにいた人によると、その日、その人はいつもと調子がちがっていて、昼食のときからおかしかったという。そのときも、なんの注意もはらわずに、滑りそうなところに足を置いて、滑ったという。
 「6本爪」だったら起きなかった事故かもしれない。が、「6本爪」だったら出さないで問題の1歩を無害化する道路工事をしていたかもしれない。安全策の微妙な分岐点であったのはまちがいない。
 あるいはまた、危険でないところで使う場合もある。私は原則的にダブルストックの使用を前提にしているので急斜面や岩稜での安全係数はかなり高い。しかしそれでも追いつかない場合には、ロープを使ったり、軽アイゼンを使ったりする。
 ちなみに、ダブルストックやアイゼンによる登山道の破壊に対する非難が叫ばれているので、いずれ機会を見て本格的な反論を掲げたいと思っているので、ここで短絡的に、そういう破壊兵器に頼るのはけしからぬと決めつけていただかないようにお願いする。とりあえず技術論として読んでいただきたい。
 下りで滑りそうな人は、ヘッピリ腰になっている。かかとで滑りを止めようとすれば、姿勢はどんどん滑りやすくなる。かかとがしっかりしている登山靴でないと急斜面を下れないという人は100%後継姿勢になっている。同じ斜面でテニスシューズのような靴底真っ平らな靴でも滑らないということを知らないからだろう。
 下り斜面ではつま先立ちで歩けば、重心が常に指の付け根あたりにあって、きわめて滑りにくい姿勢になる。
 しかしそのことがどうしてもわからない人には軽アイゼンをはいてもらう。靴底と路面との間に「滑る」という不安がなくなって、前傾姿勢がとれるようになる。そういう姿勢強制ツールとして軽アイゼンは効果的なのだ。
 同様に、足が疲労したり、怪我をした人には下りで軽アイゼンをつけてもらう。たいていはダブルストックで済むのだが、軽アイゼンもつけることによって、無駄な力を使わずにすむので、体をケアしながら自力で下山する可能性を大きくする。
 足が滑る……という不安が、超初心者のスキーヤーやスケーターのようなヘッピリ腰にならせていて、そのヘッピリ腰が派手な転倒を誘発する。そういう悪循環を断ち切るのに、ダブルストックと軽アイゼンは驚くほど効率的な役割を果たしてくれる。
 アイゼン歩行の基本は斜面にフラットに足を置くというところにあるが、軽アイゼンは爪が浮きやすいだけ慎重に足をフラットに置かなければいけない。登りではかかと基調、下りではつま先基調という(人によっては常識と反する)歩き方をきちんと理解するために軽アイゼンは有効な働きをしてくれる。


●安全へのくふう

 危機管理ツールとしての軽アイゼンを2セット、リーダーが常時携帯しているだけで、「ほんの数歩の大きな危険」を技術的にクリアできるということを自信を持って提案したい。
 が、その場合、危機管理用の軽アイゼンはベルトをかける上向きの爪(ひも通し)を八の字に開いておくことをすすめたい。
 軽アイゼンは(たぶんどれも)土踏まずに装着したら左右にずれないように上向きの爪が両側に立っている。それを左右に開くと、指の付け根あたりの足幅の広いところにも装着できる。
 2セットを前後に並べて「8本爪」にすることによって、爪が浮くという危険をかなり低減することができる。片足に装着→両足に装着→「8本爪」で使用……というふうにグレードを調整することも可能になる。
 そういうことが可能になるのも、私がアイゼンの装着をロープ締めでやっているからだろうと思う。市販されてい軽アイゼンにはナイロンテープやゴムテープが取りつけられているものが多い。だから私はメーカーからバラで買って、登山用ロープを切って使う方式に切り替えている。
 ゴムで止める方式は素人目に簡便に見えるけれど技術的にはナンセンス。不要なときにきつく縛り付けていながら、仕事をするときには伸びて力を逃がしてしまう。荷造りにしても素人にはゴムひもが扱いやすいが、プロは伸びるひもなど信用しない。
 ナイロンベルトはどうか。ひとむかし前のアイゼンバンドの流れなのだが、靴の足首にひとまきして固定するという方法が私には気に入らない。軽登山靴になったからということもあるが、靴の足首部分に巻くのでは本当の意味で締まらない。
 あるとき、白馬の大雪渓で貸し出している軽アイゼンに綿テープがつけられているのをみて、な〜んだ、ワラジと同じ方式で締めればいいんだということに気がついた。
 ロープは伸びないものなら何でもいいが、登山用品店になるパワーロープの5mm(か4mm)を3m購入して2本に切る。
 軽アイゼンの上向きの爪にロープを左右に通して、真ん中をかかと側に膨らませる。土踏まずのところで軽アイゼンを踏んでロープの両端を引くと、かかとにロープが接触する。そのまま両端をからげて結びの一段目としてきつく締める。
 先端はまだ花結びにも本結びにもしていない。していないまま後に回して、かかとに伸びているロープをすくってくる。そして靴の前面で結ぶ。
 この方式だと、スニーカーのような柔らかな靴でもきちんと固定できる。靴を選ばないという利点が生じてくる。
 手のひらに乗る4本爪の軽アイゼンをほんの2セット常備するだけで、チーム全体の命運を支配するような危機的状況を突破できる可能性がある。
 ちなみに私は軽アイゼンのひもを5mmにしている。ちょっと太めで結びにくい感じもあるが、長さ1.5mの5mmロープは、ダブルフィッシャーマン結びで輪にして、稜線のクサリ場などで危険なところに手がかりとして設置することができる。
 軽アイゼンを単なる「アイゼンもどき」と理解すればそれまでだが、一般的登山道で直面する危険な状況のいくつかに対してあきらかに有効であり、肉体的に無理な状態になった人の自力脱出をサポートする小道具としてもときに驚くほど有効な働きをしてくれる。


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