軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座029】旅館泊まりの山――2006.12.25


●瞬間、はずみで決めるしかない

 これは私の癖というべきことなのだが、早くから計画を立て、準備して最前の状況を準備するということができない。
 1年前ということではない。半年前でもなくて、だいたい前の週になってあわてて宿を手配する。
 ほとんどの泊まりの計画は山小屋だから、原則として直前でかまわない。よほどのピークシーズンのときだけ早めに概数で予約しておく。
 宿の場合、収容人員が少ないので、観光シーズンになるといい宿から早々と満室になってしまう。東北の温泉宿などは紅葉シーズンにはほとんど空きがなくなっている。困るから早く予約しておく……という作戦をとるべきなのだろうが、それをせずにやってきた。
 じつは、宿が混んで本命がダメになってしまってから、あわてて探すのが、私はけっこう好きらしい。
 いまはインターネットでいろいろ探せるけれど、基本的に、全国の旅館一覧や温泉宿一覧をもっていて、困ったときには全体を集中的に見渡して、必要なら1軒、1軒電話してみる(インターネットの空き室情報はそのチェックにありがたい)
 ……というのは、本命がダメなら次、というのがあるのではなくて、計画そのものを切り替えて考えたいと考える。
 ふつうの旅行計画ならランクを上下するとか、横並びの中から探すとかするのが賢明なのだろうけれど、私の場合はこのときとばかり、計画を一から練り直してみる。
 たとえばアプローチルートを変えてみる。1日目の「腹ごなし」プランをリセットしてみる。とりあえず空いていそうな宿を安全パイと思われるところから探ってみる。
 けっこう時間がかかるけれど、道路マップを見てタクシーの値段を考えつつ、かなり自由に組み立て直してみる……ことにしている。
 せっぱ詰まったときほど(ほんらい)やらなくていいことに集中できるというのが、締め切りを守れないライターの性癖の延長かもしれない。
 山小屋の場合には選択肢が限られているし、泊まるところが決まれば、ルートも必然的に絞られてくる。しかし山麓の温泉宿などに泊まって1泊2日の山登りはいわゆる「前泊」だから、組み立ての自由度はかなり大きい。
 こちら側の条件は、山小屋の1泊2食付き料金の6,500円(たとえば丹沢)から9,000円(たとえば北アルプス)あたりならみなさん了解してくれるので、旅館泊まりの場合にはとりあえず10,000円前後としておく。足場となる都市でビジネスホテルに泊まる場合にも、夕食をちょっとぜいたくにして10,000円前後とすれば、自由度がかなりある。
 もちろん、最初からターゲットを決める場合にはワンランク上の宿に設定する場合もある。「泊まってみたい宿」の場合だ。
 逆に、旅行なら泊まらないかもしれないけれど、山歩きの支度でなら泊まってみたいという宿もある。山の中の一軒宿のなかに、そういうものがけっこうある。「アタリかハズレかわかりませんが……」ということで出かけていく。こわいもの見たさという気分でいくとき、山小屋よりはよほどいいという共通の価値観が味方になる。
 海辺の宿を探すときなど、10,000円の宿にするか、6,000円の民宿に特別料理をたのんだほうがいいか、あるいはペンションの個性に賭けるか、計画を立てるおもしろさはいろいろある。そして予算をプラス5,000円にできると、突然、一点豪華に大きく盛り上がってくるということが多い。
 国際ビジネスホテルでは世界中、どこへいっても24時間ほぼ同じビジネス環境を保証してくれるというところに価値がある。大昔、たまたま仕事上の連絡が必要で、バクダッドでバクダッドホテルに泊まったことがある。各国大使館の車がずらりと並んでいる日で、その会議だか宴会だかを仕切りひとつで聞きながら食事したことがある。
 なぜそうしたかというと、郵便局から電話しようとしても国際電話がいつつながるかわからなかったから。バクダットホテルからなら優先的につなげてもらえた。
 そういう「安全」や「安心」はすべて捨てて、「アタリかハズレかわかりませんが……」を合い言葉にして、むしろリスクにひかれて選んでみたりする。山歩きのみなさんと泊まる宿は、だから振幅幅がずいぶん大きい。
 この11年間、毎月の第4土曜日とその翌日を小屋泊まりとして、ときに山麓の宿に泊まる計画を立ててきたが、いい季節の週末には宿が自由にならない。
 それに対して以前は朝日カルチャーセンタ千葉で第2水曜日とその翌日を小屋泊まりとして、ときどき温泉宿も利用したが、平日だとほとんどこちらの希望どおりになった。
 現在は第2火曜日とその翌日を宿屋泊まりの山歩きとしているが、一般的な旅行感覚からできるだけはずれたところでヒットする宿はないかと探している。
 そういう気持ちがあるので、締め切り間際になって右往左往して探し回るという悪しき緊張感に充実感を錯覚してしまうようなのだ。
 山支度で泊まる宿というのは、選択肢がほとんど無限にひろがっているわけだから、1軒1軒紹介してもしょうがない。たまたま泊まった宿の、たまたま写真があるものを以下紹介してみたい。



■上高地スノーハイク・中ノ湯温泉旅館――2005.2.17
釜トンネル(このときは旧トンネル)をくぐって明神池往復というシンプルなスノーハイクに、前日唐沢集落でのそば食べ歩きを加えた。
中ノ湯温泉は転居してふつうに居心地のいいホテルになったが、ロビーのテラスから穂高の峰がバッチリ見えるというロケーションにこだわったという。このとき見えていたのは明神岳。前穂高岳〜奥穂高岳の吊り尾根も見えるという。(0263-95-2407。このときは1泊2食付き10,650円)



■栗駒山・温湯温泉佐藤旅館――2005.10.11
紅葉の栗駒山では山頂に一番近くて圧倒的な湯量を誇る須川温泉の須川高原温泉に泊まってみたいと思うのだが、観光客でいつも満室。
ところがそのとき、山麓の温湯温泉や、湯ノ倉温泉には泊まれて、旅情豊か。佐藤旅館は旧館がこの木造2階建て。床がスプリング状態になっていて、部屋に鍵はかからない。窓には風景がゆがんで見えるガラスがはまっている。(0228-56-2251。このときは夕食+朝食弁当、税込み9,600円)



■両神山・民宿すぎの子――2003.10.26
両神山には森林組合のおじさんたちが管理している清滝小屋(レトルトだが食事を頼める)があり、山麓の日向大谷に民宿両神山荘(とにかく料理がたくさん出る)がある。どちらもおすすめなのだが、このときは秩父盆地で宿を探した。
インターネットで元気な感じがしたので泊まってみたのがこの民宿すぎの子。藁屋根と気合いの入った料理が記憶に残る。秩父鉄道武州中川駅下車。(0494-54-0963。このときは1泊2食付きで6,500円)



■八甲田山・八甲田ホテル――2006.2.14
八甲田のスノーハイクは飛行機と酸ヶ湯温泉のパックを利用して、1日目の腹ごなしは雪に埋もれた国道103号線(十和田ゴールドライン)を傘松峠方面へスノーシューで、と決めていた。
その行きがけに八甲田ホテルで昼食をとっていたが、人気のホテルだけに、泊まりたい人が多かった。JAL STAGEの「ステイ八甲田2日間・酸ヶ湯温泉旅館」が2〜3人部屋で31,500円のところ、八甲田ホテルにすると44,800円。
プラス1万円だが、八甲田ホテルのディナーは8,000円〜10,000円。とにかくゴージャスなログハウスで上品な時が流れる、という高級感。酸ヶ湯温泉と同じ経営なのであの千人風呂に入りたいときにはいつでも車を出してくれる。ともかく、食事がすばらしかった。(017-728-2000。このときは1泊2食、飛行機、青森空港からの無料送迎付きで44,800円)



■黒檜岳・日光プリンスホテル――2006.6.14
中禅寺湖の南岸にそびえる黒檜岳に登るにはどうしても前泊が必要になる。最初は戦場ヶ原・三本松の民宿に泊まった。赤沼車庫から出る低公害バスの始発で千手ヶ浜まで行きたかったから。
日光〜奥日光にはいいホテルがいろいろあるので考えたが、タクシーの利用環境があまりよくない。そこで目をつけたのが菖蒲ヶ浜の日光プリンスホテルだった。朝食をランチボックスのようなかたちでもらえれば、早朝に直接歩き出せる。しかも菖蒲ヶ浜から千手ヶ浜への湖岸の道はシロヤシオの花も楽しめるところ。
というわけで格安のパック料金で泊まったのだが、コテージもほぼ同料金で利用できて、4名、6名、8名のサイズが組み合わせられるのでグループの場合にはかえって便利だ。しかも施設は客室とほとんど同じ。
大浴場がないために竜頭滝の龍頭温泉館・憩いの湯(0288-51-0026。800円)まで出なければならないのが唯一の不満だったが、食事は本館のダイニングルームだった。(0288-55-1111。このときは1泊2食付き、サービス料/消費税込み14,000円)



■那須岳・三斗小屋温泉煙草屋旅館――1998.11.11
三斗小屋温泉は会津中街道の三斗小屋宿から茶臼岳方面へと登ったところにある。逆に那須連峰の稜線にある峰の茶屋跡から下ってくる。大黒屋と煙草屋の2軒があって、どちらに泊まろうかいつも悩むところだ。
大黒屋はこぎれいで、食事も都会向け。それに対して煙草屋は、いまはサッシを入れて良くなったが、まさに写真のこのときには夜半から冬になって、雪が窓から降り込んできた。いろんな歴史を刻んできた古い宿という感じがする。
しかしそれでも女将の大金フサさんの顔を見て納得させられたように、お湯がいい。内風呂は3槽にして湯温調節している。露天風呂はFRPの池みたいで興ざめもするが、暗くなってからの入浴は野趣があってすばらしい。(衛星電話080-58-92048。このときは1泊夕食のみ7,300円。2005年には1泊2食付き7,500円)



■佐渡・ご縁の宿伊藤屋――2006.5.10
シラネアオイとカタクリと、行ってみて驚いたのだがオオミスミソウとが大当たりだった佐渡の宿を探していたら、インターネットに元気な宿があった。レストランを併設しているので、佐渡ならではのなにかうまいものが出るのではないかと考えた。
電話してみると10,000円と15,000円のコースだという。「高くても……」というと主人らしい声で「登山の方は10,000円でいいのでは」と。その声の調子に賭けた。
朝は5時に宿を出たかった。「おにぎりでもつくっておいていただければ、食べて出ます」といったら、朝食が写真のように用意されていた。
場所は真野新町。蘇我ひとみさん一家の近くらしい。(0259-55-2019。このときは1泊2食付きで10,000円)



■霧島山・さくらさくら温泉――2003.5.31
ツツジのミヤマキリシマを狙っての霧島山は鹿児島空港から。空港はほとんど霧島山のふもとといえる場所にある。
泊まるとなると霧島温泉だが、観光シーズンで目星をつけていたところはみな満室。ご破算して、泥パックを宣伝している日帰り入浴のさくらさくら温泉にした。宿泊もできるが、コテージがあるという。
いかにも直輸入という感じの巨大なログハウスは2階建て。車で送迎してもらう距離にあったが、広くて快適だった。(0995-57-1227。このときは1泊2食付きで11,000円)



■屋久島・ロッジ八重岳山荘――2005.6.1
屋久島には個性的な宿が多いが、ここは宮之浦川の川べりの1万6500平方メートルも緑濃い敷地に、6棟の客室と3つの風呂と、渡り廊下と……というふうに、ご主人手作りの建物が群れている。
ちょっと遊園地系になっているかとも思うけれど、新鮮は新鮮。たまたま夕食の出ない曜日だったので、宮之浦で食事して迎えに来てもらった。(0997-42-1551。1泊2食付き7,800円のところ、このときは朝食のみで5,200円)



■燕岳・中房温泉――2006.9.1
北アルプスの表銀座というのは中房温泉から燕岳に登り、大天井岳、西岳を経て東鎌尾根から槍ヶ岳に登るもの。喜作新道という名は上高地から槍沢に沿って登るルートに対して、雪崩の被害を受けない道が小林喜作によって開発されたことによる。そのパトロンが中房温泉だった。
広大な敷地の中に、さまざまな温泉が点在して、さながら温泉のテーマパーク。写真は砂蒸し。ござもあるので勝手にどうぞという感じ。
お湯はともかく、水で冷やしてあって「ご自由にどうぞ」というキュウリが絶品。
温泉旅館には旅館部と湯治部が分かれているところもあるが、ここには山小屋なみの相部屋がある。ひとりで泊まれるという安心感もだが、計画を立てる立場では「満室」になりにくいはずという意味で安心だ。(090-8771-4000。このときは相部屋1泊2食付きで9,390円)


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