軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座033】登山道限定登山――2007.2.25



■地図を見る――2000.1.8
秩父の熊倉山(1,427m)に登ろうと思ったら道路が崩落とのこと。大持山(1,294m)に転戦した。情報が不足するとメンバーの地図を見る目も真剣になる。



■落ち葉に埋もれた道――1998.11.25
奥多摩の笹尾根を浅間峠から槇寄山へと登り方向で歩いた。尾根をたどるだけだが、落ち葉が道を隠して目先のナビゲーションがおもしろい。


●「道迷い」は簡単に起きる

 新聞報道などで登山者が遭難したとするときに「道迷い」という言葉が出てくることが多い。森林限界を超えた高山では岩稜からの転落が多いのに対して、森林帯ではその道迷いが多いはずだ。
 そのほか場所にかかわらず起こりうるのが病気に由来するものさまざま。さらに転倒などで歩行能力を阻害されて起きる小さな事故に由来するものもある。これらは内発的な事故と考えるべきだろう。
 冬になると「転落」のところに冬山特有の「滑落」と「雪崩」が来て、低山での「道迷い」は雪に隠されてさらに可能性を増してくる。
 その道迷いを恐れる人たちが「読図」を学ぼうとする。地図が読めれば道迷いを防げるのではないかと考えるのは当然だ。その読図をできる限り精密に行えるようになれば、道迷いの危険は一掃されるはず、ということでいろいろな技術が伝えられている。
 山登りのロープワークが元は船乗りの技術に由来するように、陸上でのナビゲーションも船乗りの航海術、すなわち海図に由来するものが底辺にある。つまり目印のない大海原や大平原に適した水平方向への読図技術がその基礎部分をなしているということを忘れてはならない。
 たとえば、国土地理院の地形図に磁北(方位コンパスが指す北)を表す偏角を書き込んで方位を精密にコントロールしようとする人が読図上級者に多いが、登山道からはずれないように歩こうというレベルのことを期待していたら、逆にずいぶん危険なことに見える。
 日本の山は急峻なのでわずか7度ぐらいの針のふれを気にするような人には混乱を与えるばかりで、木を見て森を見ずという危険に直結する。
 森林の中で、現在位置を確認しようとして方位コンパスを頼りにするシーンは、ほとんどない……とここでは言っておこう。稜線に出たら、尾根をたどるか、谷に下るかしか選択肢はないのだから、そこでも7度の方位差は無に等しい。
 例え話に適切かどうかわからないが、大昔に3か月かけて北米のユーコン川を約3,000km下ったことがある。カナダから合衆国のアラスカに入ると北極圏に入るのだが、川は大きく蛇行して、現在位置を推測するには流れる方向を知る必要があった。極北の地では真北と磁北の差があまりにも大きくて方位磁石はほとんど使い物にならない。いまならGPSを使うところだが、私たちはもっと素朴な航海術を採用した。太陽の「南中」を利用するのだ。
 正確な時刻がわかれば、正午に太陽は真南にある。夏の北極圏では太陽は北北東から出て東→南→西を通って北北西に沈むというような動きだから、時計で方位を推測するのが現実的だ。
 なぜ現実的かというと、私たちのカナディアンカヌーは川の流れにのって、歩く程度のスピードで下っていくしかない。カナダでは大筋で北に向かったが、アラスカに入ると西に向かって、ベーリング海峡をめざしていった。
 川からはずれることはないので、方位など知らなくてもなんの問題もないわけだ。
 さて、登山道も同じで、整備されてはずれようがない道なら、「道なり」にいけばいい。その「道なり」が危なくなって、「違う道」に踏み込んでしまった結果の道迷いを防ぎたいというのが本題にちがいない。
 道のない薮を自由に漕いで進むというのなら(これはオリエンテーリングの環境に近いと思うが)現在位置と目標との関係を方位で確認することが重要になる。しかし登山道をはずれたら「道迷い」であるなら、予定した登山道であるなしにかかわらず、道の選択違いという範囲から逸脱してはいけない。道から外れたら次元の違うところに踏み込んでしまう。
 踏み跡であれ、作業道であれ、道からはずれないという前提条件の中で、予定した登山道をたどれるかどうか、というのが基本的な要請でなければならない。地図と磁石で進もうというのは、最初から道を当てにしないと宣言しているようなものだ。


●斜面との関係をウォッチする

 繰り返しになるが、進むべき道を方位で確認しようとすることを私は軽く拒否しておきたい。当然のことながら、方位などに関心なしに、ぶつかったら右に折れる、二俣を左に、といった平地の地図の使い方は論外だ。
 日本の山は急峻でコンパクトなので、通常30分、あるいは1時間も歩くと道と斜面の関係が変わってくる。斜面と道との関係を、直登(ジグザグを含めた登り・下り)、斜めトラバース(登り・下り)、水平トラバースという5種類に分ける。
 それだけでいいのだが、トラバースの3種類を右手が山側か谷側かで6種類に増やしてもいい。
 平地の地図に近い使い勝手の登山用ガイドマップと比べると国土地理院の地形図には難点が多いのだが、登山道を斜面との関係で見ようとするときには等高線情報が圧倒的な意味をもつ。
 簡単なことで、道が等高線と直角に交わっていく(小さなジグザグの場合を含めて)か、斜めに交差していくか、ほぼ等高線に沿っていくかで道のありようがはっきりと分かれる。
 山頂にいたる尾根に取り付いたら1時間どころか数時間登り続けるということもあるが、道迷いの危険とはもう無縁の世界にいる。
 山頂に着いたとして、問題は下りにある。どの尾根を下るか、どの谷に下っていくかを選択するときに間違いがおきやすい。山頂部が平坦であれば取り付き点に向かう道そのものの選択が難しくなるし、難しいゆえに道迷いの先例も多く残されていて、誰かが間違った道が、行って返った分だけ立派に見えたりする。
 そのようなところで霧に巻かれたりすると、難易度はさらに高くなる。山頂の標識の位置から方位磁石と地形図で慎重に進まなければいけないという思いが浮上する。
 しかし、簡易測量術(基礎的航海術といってもいい)では方位を計るとなれば距離も測らなければ意味がない。巻き尺を使うか、ロープを利用するか、歩測が必要になる。地理を専門的に勉強した人なら自分の歩幅をチェックする方法を知っているし、歩幅を歩測に使えるようにコントロールする訓練もしたことがあるはずだ。
 しかし、登山者で高精度の方位磁石を持っている人はかなり多いが、それに見合う歩測技術を持っている人となるときわめてわずかなはずだ。平坦な雪面なら逆に歩測がしやすいのだが、登山道では歩幅をコントロールするだけで、すでに高度な技ということになる。
 地図と方位コンパスの活躍が期待される場でさえ、距離情報を得られなければ役立たずになる。
 要は、一発で正しい回答を得たいという考えだから難しくなるのだ。2度でも3度でもやり直せばいい、と考えたとたんに、必要とされる技術は簡単になる。「偵察」という考え方を導入するのだ。
 不安を抱いたら、すぐに、躊躇せずに偵察モードに切り替える。
 まず時計を見る。それから方位磁石を見て、北を確認する。間違っても角度を測るのではない。東西南北の北を確認するだけでいい。そして地図(できれば地形図)を開いて、地図の上を北(おおよそ北)にする。
 ひとつは、もう一度ここに戻ってくるという意識、もうひとつは30分だけ進んでみるという意識でその範囲の進むべき道の情報を地図からひろう。道と斜面との関係がどうなっているのかが、そのときもっとも重要な情報となる。
 こうして「戻る」という意識を持ちながら、予想した道をたどっているかを試みると、30分なんてかからずに決着がつくはずだ。
 国土地理院の地形図では登山道があきらかに間違ってひかれているケースが多い。通行禁止になっている道が残っていたり、新しい道が描かれていなかったりもする。そのことによって地形図を捨てる人が多いようだが、人を連れて歩く私の立場では地形図は離せない。描かれた道が間違っていたとしても、ある斜面を通り抜けるという目的に合致していればOKだ。山では通常、同じ斜面を通る2本の道は存在しない。道が2本あれば違う斜面に入っていく。
 その程度の、行動時間で30分前後の先を想像しながら「偵察モード」で進むかぎり、地図上の小さな誤りなど問題にならない。
 精密なナビゲーションももちろんひとつの技術だが、現実的なナビゲーションとは重ならない場合がある。予定した登山道をきちんとたどるために有効な道具は2万5000分1地形図と簡便な方位磁石、それと時計だ。
 高度計があればナビゲーションの精度は飛躍的に高まるし、GPSがあれば異次元に飛躍できる。しかし「偵察モード」という技術が欠落していれば、情報がどれだけ正しくても生かし切れない失敗が生じる危険が残される。


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