軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座042】登山者のクマ対策――2007.7.10



■アラスカ・ユーコン川のブラックベア――1974.8
新田次郎の『アラスカ物語』に出てくるビーバー村で。3,000kmのユーコン川を丸腰で3か月かけて下ったが、姿を見たのはこの1回だけだった。



■奥多摩・鷹ノ巣山の南麓にある麓集落――2006.3.22
この集落の畑で、作業中の男性がクマに襲われて亡くなったという。私も雪が降った直後にこのルートから鷹ノ巣山に登ったが、新しいクマの足跡を見ている。


●なぜ鈴をつけるのか

 私は同行者に熊よけの鈴をつけるのを許さない。
 なぜか? 逆に聞きたい。なぜつけるのか?
 多くの人は「熊に襲われる」危険があると考えているに違いない。熊に「襲われる」のを避けるために鈴をつけるのだと考えているらしい。
 最近ではしばしば、登山口の注意書きにもそういう説明が見られるので困ってしまうのだが、登山道で登山者が熊に襲われたという例が、いったいどれほどあるのだろうか。
 文頭から穏当でない書き方になっているが、私は正直、登山道で鈴を鳴らしながら歩いている人を見ると眉をひそめたくなる。
 穏当でない言い方を重ねれば、熊というオバケを信じて鈴を鳴らしている滑稽さが登山者と山との関係をどれほどゆがめていることか。
 当初、私は「クマ出没」という注意書きをみなさんには次のように解説していた。

***
 登山者がクマを見たとします。目撃者となった登山者の何人かは警察なり地元の関係者にそのことを伝えるでしょう。そういうことが重なると、地元でも放っておけなくなって駆除しようということになる。だから、だから登山者に鈴を持たせて、クマと出合わないようにしているのであって、クマの側の危険を避けるための注意書きだと思ってください。
***

 ところが最近では、本当に登山者を熊の襲撃から守るために鈴を持たせるのだという意志を感じさせる注意書きが多くなった。
 「熊というオバケ」とクマ(正確にはツキノワグマ)の関係をほとんど考慮できずに鈴をつければ安全と信じ切っている登山者の危うさについて考えていきたいのだ。
 まず私自身がどれほどクマについて知っているかという点だが、クマに会いたい、同行のみなさんにクマの姿を見せたいと思いながら、ほとんどそれに成功していない。
 一度は北アルプスの雲ノ平で。水晶岳への登りの途中で遥か下の雪渓に黒い点があった。クマだ、クマだと伝えている声が聞こえた距離ではないはずだが、我々の姿を見つけたようなタイミングでハイマツのなかに逃げ込んだ。
 もう一度は奥日光・中禅寺湖の高山。ここでは私の講座に参加していたある夫婦が、自分たちででかけたときに道の先でクマと出合ってしまったという。中善寺湖畔のキャンプ場にはクマが出没することもわかっていて、高山に登るたびにクマを探していたのだが、ようやく5回目に念願が叶った。道の先にクマがいて、なにかを食べていた模様。私たちは列の後ろにそのことを伝えたが、クマもゆっくりと逃げ始めて、かろうじて全員がクマの姿を目撃できた。距離はかならずしも遠くなく、ジグザグ道の次の角といったところだった。千手ヶ浜で環境問題を提起するためにクリンソウを育てている伊藤さんによると、登山者に姿を見られることを恐れていないクマが1頭いるのだそうだ。
 この10年に700回以上山を歩いて、登山道でクマに出合ったといえるのはわずか1回。北海道には人を襲う危険の大きなヒグマがいて、知床ではヒグマと観光客の接近遭遇の危険が高くなっているとのことだが、私は学生時代、クラブが無雪期の知床半島縦走計画を進めていたことから2年にわたり、合計1か月ほど行動した。40人規模で半島全域にチームを展開したときにも、ヒグマと遭遇したメンバーはなく、私なども糞を見たり、ケモノ臭さを感知した程度だった。
 じつは、登山道で登山者がクマに襲われた例は、ほとんどないのではないだろうか。
 1970年に福岡大学のワンダーフォーゲル部の部員が北海道の日高でヒグマに襲われて3人が死亡したが、そのとき私の後輩たちも同じ山域に入っていた。命を落とすことにつながる決定的な出来事はどうも、捨てた荷物を取り戻すために現場に戻ったことだったようだ。
 その事例が、いまでも伝えられているように、ヒグマでも登山道で登山者とトラブルを起こす危険は(北海道大学ひぐま研究会の出没情報のおかげでもあるけれど)じつはあまり多くない。
 まして人間を敵とみなすことがほとんどないといわれるツキノワグマの場合は、山菜採りやキノコ採りの人との遭遇事故がほとんどだ。飼い犬が食事しているところに手を出したら危険なように、ツキノワグマの餌場に侵入した人間が敵となるのは当然のことだろうし、お互いに夢中になって接近したとき、クマは逃げ道を失ったことによって攻撃に出るということは知られている。
 登山道では、よほどお互いがうかつで接近遭遇した場合でも、ドラマチックな一瞬を残して離反することがほとんどらしい。
 鈴などの騒音をまき散らしながら歩かなくても、クマとはほとんど遭遇しない。逆に熊は鈴をつければつねに周囲にちらついてくる。山と穏やかにつきあいたいのなら、熊というオバケを呼び寄せる鈴などつけないことだ、と私は考えている。


●オバケの熊

 すでにどこかで書いたかもしれないが、1974年の6月から9月にかけて、北米ユーコン川をカナダのホワイトホースからアラスカを経てベーリング海まで下った。
 ホワイトホースで準備万端整えたのだが、一晩論争したのは熊対策だった。アラスカにはどう猛なグリズリーベア(アメリカヒグマ)がいるし、ブラックベアは川沿いにもっと多いといわれていた。
 村と村のあいだに数百キロの自然が横たわっているユーコン川で、熊や狼に襲われたらどうするか。まさに遭遇する確率の高い危機管理である。
 熊を倒すには大型のライフルが必要だ。同時に、それを打てる技術が必要だ。一度撃たせてもらったが、反動で弾がどっちへ飛んだか見当もつかない。しばらく経って対岸の山に土埃が立った。
 敵を倒せる能力のある武器を持ったら、先手必勝と考えるのはまちがいない。できるだけ遠いうちに倒したくなる。
 しかし敵と離れれば、撃つ技術は飛躍的に高度になる。
 考え方を変えて「専守防衛」の場合はどうだろうか。敵を確実に倒すためにはできるだけひきつける必要がある。するとライフルは危険な武器にもなってくる。引きつけて撃つという一事が、まさにハンターの究極の技術であるからだ。
 そこで防衛専門の武器が登場する。北極圏に不時着する飛行機に積まれるというショットガンだ。銃身を短く切った大型の散弾銃は、熊がぎりぎりまで近づいたところで、顔面に向けてぶっ放す。弾は広がるので致命傷は与えられないとしても、撃退はできる。今ならトウガラシエキスでつくったクマ撃退スプレーという選択になる。
 しかし、私の意見はさらに違った。ホワイトホースで話をしていると、相手はみな北緯140度あたりの南のカナダ人ばかりなのだ。東京と同じレベルでしか情報が得られない。だから……、とにかく出ようよと主張した。
 丸腰で川を下っていけば、そこにある村の男たちは多かれ少なかれ猟師なのだ。危険ならひとりやふたり、親切なヤツがいて、親切でなくても心配性のヤツがいて、護身用に銃ぐらい持ちなよといってくれるにちがいない。
 そうなったら、護身用になる銃と、それを扱う基礎訓練とをセットにして購入しよう。中古の銃ならたいした金額になるはずがない。
 ……けっきょく私が意見を通して、丸腰で下り始め、丸腰のまま3,000kmを下りきった。ベーリング海峡にでたところでアザラシ猟に加えてもらったが、22口径のライフルの弾は風に吹かれて揺れ、重力によって野球のボールのように放物線を描いた。そういうあやしい弾丸をプカッと一瞬頭をもたげるアザラシに向かって撃つのだ。
 銃を持つのはいいが、持てばかえって危険に身をさらすことになりかねないというのは国防問題と一緒だと思った。
 奥多摩の鷹ノ巣山の麓にはあきらかにクマがいる。軽井沢の別荘地で捕獲されたクマを奥多摩に放ったから、という人もいたが、その信憑性はわからない。ともかく鷹ノ巣山の南麓にある奥という集落では畑仕事をしていた男性がクマに襲われて亡くなったという。
 山菜採りやキノコ採りでの接近遭遇ではなくて、敵が意志をもって襲ったという。これが近年問題になっているクマの社会進出だ。自分たちの生活圏が人間の生活圏と重なったときに、クマは人間を敵と見るケースが生まれてくる。
 登山道で、人間を待ちかまえている熊はオバケであってクマではない。万にひとつ登山者が襲われたという新聞報道があったとして、正確に書かれていれば「熊は襲って逃げた」はずだ。軽傷を負いながら熊を撃退したという武勇談も、よく読んでみれば熊が逃げるために体当たりをくらわせたと想像できる。ただしそのとき、熊は前足で強烈にひっかくようだから、顔面が深くえぐられたりする危険がある。
 米田一彦さんというクマ研究者の『山でクマに会う方法』(1996年・山と溪谷社)に次のような一文がある。

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 クマがまだ威嚇の段階にあるときは、小走りに近寄ってきて、両足を30cmぐらい上げたかと思うと、それを地面にたたきつけ、引き返していく。これはなかなかの迫力だが、私の観察ではこのあと襲ってくることは一度もなかった。
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 日本列島のツキノワグマがおだやかな山の熊さんではなくなっているようだが、そういうリスクをかかえながら、熊さんに恐れをいだきつつ、尊敬もしつつ、登山道を歩かせていただきたいと、私は考えている。


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