軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。
【伊藤幸司の軽登山講座046】血液型の謎――2007.9.10
■古い記念写真・湯河原の幕山で――1996.5.22
千葉県最初の登山講座となった朝日カルチャーセンター千葉の一期生。その2回目が雨だったのでレジ袋での靴用防水アッパーを実験した。山頂で雨上がりのラインダンス。
■古い記念写真・八ヶ岳――1996.9.29
このときは私を含めて5人が2日間の全行程で心拍数を記録した。高度恐怖症が心拍数を劇的に上げることを発見した。
●「O型」集団
新しい本が8月始めに発売になった。『山の道、山の花』(晩聲社)というのでぜひご一読いただきたい……のだけれど、その本の話ではない。
50人ほどで内輪の出版記念パーティをやったところ、血液型のO型が17人いた。
じつは出席者名簿に、山行名簿に入れている血液型や生年月日を加えておいたところ、それが話題になったのだ。O型の17人というのは50人中の17人ではなくて、分かっている人だけで、29人中の17人、59%と出た。ちなみにA型が7人(24%)でB型が3人(10%)、AB型が2人(7%)だった。
日本人の血液型分布は一般にA型40%、O型30%、B型20%、AB型10%とされている。それと比べるとO型が倍、A型とB型が半分というかなりゆがんだ血液型分布になっているといえる。
血液型はいざ輸血というときには検査されるので、現在ではもう、本人が知っておく必要はないともいわれる。だが10年ほど前に毎回の山行にいちいち保険をかけていたころ、血液型の記入欄があったことから、私のデーベース上で今も生きている。
今回、血液型を加える必要はなかったのだが、分布の微妙なずれがあったので冗談半分に入れておいた。
血液型を管理していた10年前、20人から30人で山に行くことが多かったが、O型が半分、残りをA型とB型で分けて、AB型はいたりいなかったりということが多かった。
私が主宰する糸の会では当初から年度会員という制度にしていたのでそのあたりの特殊制もあるかと思って、朝日カルチャーセンターの登山講座でも調べてみた。休憩の折りに手を挙げてもらうという方法で何度かやってみたのだが、同様の結果が出た。
世の中一般の血液型分布と、私の山の講習会での分布とが明らかに違っている……という点では疑いをはさむ余地がない。
問題はその理由、原因、隠された法則だ。
山の休憩時間に血液型の分布を調べると、もうひとつ特徴的なことが起きた。
O型の人たちが喜ぶのだ。「私たちが多数派」ということが素直にうれしいらしい。私などはA型なので、いつも「ありふれたA型」という気がするのだが、O型みんなで手をつないで飛び上がるかもしれないというような喜び方がいつも見られた。
B型もおもしろかった。日本の標準的な分布よりも気持ち多いかなという程度なのだが、B型を全部いっしょにしてもらっては困るといい出すB型がかならずいる。自分のBとほかの人のBとは違うと主張するのだ。
●性格判断の明らかな影響
私は血液型のABO方式で性格が分かるとは思わないが、血液型であるなしにかかわらず性格を4分類という少ないパターンに分けるトリックには興味がある。分類をこまかくすればするほど「当たらない感じ」も増えていくのだが、4つぐらいの少なすぎる分類だと、意外にうまく罠にはめられると感じたことがある。
血液型の性格判断をきちんとチェックしたことはないのだが、なんとなく知っている。そのなんとなくが日本人の常識レベルかもしれないと思う。もっと詳しく知っている人の解説を上積みできる土台にはなっている。
つまり「O型の性格」というのがあるかどうかは分からないが、O型の人はしばしば「O型の性格」を意識させられて、刷り込まれているとはいえる。
私は、登山の講習会をやるときに、「お任せください」とか「大丈夫ですよ」などという保証はしない。その代わりに「お勉強の会ですから2度までの失敗は権利のうちです」などという。そういう曖昧さに対してO型の皆さんは違和感を感じにくかったのかもしれない。
ともかく、なんの保証もしないのだ。それには昔「あむかす探検学校」というので海外旅行未経験者を対象に、赤道アフリカ横断をしたり、インドでのバラバラ旅行を無理強いしたりしたときの経験がつながっている。
年齢や体力や能力を超えて、楽天的な気持ちを重要視したいのだ。「あむかす探検学校」というのはいくつかの大学の探検部や山岳部の若手OBをリーダーにした実験的なツアーで、1971年から76年にかけて10回おこなった。最初に気づいたのは新聞などで大きな募集記事を書いてもらうと、電話がたくさん鳴って手間ばかりかかって仕方なかった。わざわざ「小さな記事でお願いします」などと頼んだりした。そのほうが募集活動の歩留まりがよかった。
つまり情報との「思わぬ出会い」が重要だし、お墨付きのないほうが、来た人たちの覚悟が直接分かる。世の中に知られるようになるにつれて、参加希望者のなかに楽天的なパワーが失われてきたように感じられた。
登山の講習会を完全なワンマンシステムでやることになって、「お任せ下さい」とだけはいわないと決めてきたのは、そのような経験則によっている。あやしいリーダーだという目で見てもらうようにも心掛けてきたつもりだ。
参加する人のそういう楽天性が、どうも血液型性格判断のO型と重なるのではないかと思ったのだ。私自身の大小さまざまな失敗もO型の集団であることによって許されてきたのではないかと思う。
もっといえば、聞いたこともない伊藤幸司という講師に身をゆだねる楽天性こそ、O型の人たちが血液型性格判断によって刷り込まれたものかもしれない。
その説を進めれば、私の講習会が有名になり、信頼されるようになるなら世の中の血液型分布に近づいていくのではないだろうか。
母数の大きさに違いがあるので正確な比較にはならないけれど、糸の会が本格的に動き出した1996年にはO型40%、B型24%、AB型20%、A型16%だったのが、今年はA型37%、O型33%、B型19%、AB型11%となっている。
なんと、世の中の平均的な分布になってしまったではないか。なかにはA型参加者が圧倒的多数という山行も現れている。
ひょっとして私が有名になってしまったのかもしれない。私にとって、それは吉凶どちらの兆しと考えればいいのだろうか。
別の考え方も浮かんでくる。10年もやっていると離れていった人ももちろん多い。血液型の分布が世の中の平均に近づいたということは、O型の人が多く去ったともいえる。そうだとすればそれはO型の人の性格とされる別の要素に絡んでくるのかもしれない。O型の人にネガティブな性格が隠れているとするなら、それはいったい何だろう?
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