軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座047】高度計付き時計――2007.10.10



■奥武蔵の大持山登山口で――2000.1.8
秩父の熊倉山に登ろうと思ったら、崖崩れで登山道が閉鎖されていた。方向転換して武甲山の裏から大持山に登ることにした。途中で方向転換するときには慎重さが必要だ。



■スントのE203高度計――2003.2.18
製造中止になったけれど、これは安かったポケットタイプ。標高1,138mの扇山(中央線沿線)への登り道、標高807mの地点で、右上に1時間あたり480mの上昇速度と出ている。



■カシオの高度計付き腕時計――1998.2.5
私が56,000円だったかのシチズンの時計をしていたころ、カシオはおよそその半額で、女性向きの薄型も出た。10万円のセイコーも買った人いたが、高度計の性能と価格は逆比例していたように思われる。


●ナビゲーションの三種の神器

 かつて「地理的探検」と呼ばれたものは、地図の空白部を行動領域として、地図をつくる旅だった。
 ポルトガルとスペインが競い合った大航海時代もそうだし、シルクロードに向かったヘディンもそうだった。南極点に最初に到達したアムンセンも、たどった1本の線によって地図上の空白部を埋めたと考えていい。
 中国で発明されたという方位コンパスが、その最初の強力なナビゲーションツールとなった。太陽が真南(南半球では真北)に位置するときの高度を測れば緯度がわかる。そのために工夫されたのが六分儀だ。
 大航海時代を支えた第2のナビゲーションツールはクロノメーターだった。船の揺れにも狂わない高精度の時計である。これによって、太陽の南中時刻の変化によって経度の変化を知ることができるようになった。
 方位コンパスとクロノメーターによって、船の進路を推測する精度が飛躍した。
 その後、海や空の航行ではラジオビーコンが電波灯台として整備されて、最後には静止衛星をもその電波灯台に組み入れるまでになった。
 陸上では、地図が進歩した。20世紀の大事業としてすすめられた「100万分の1国際図」がヘディンなどの古典的地理的情報に加えて、第1次世界大戦、第2次世界大戦の航空機による写真測量の成果を取り入れてほぼ完成というころまでこぎつけた。
 ……と思ったら、米国が衛星測量による地図によって全世界の航空用地図を100万分の1(戦略航空図)と50万分の1(戦術航空図)というかたちで整えて、民間航空機用としてはもちろん、一般向けにも販売した。
 そしていま、低軌道の軍事偵察衛星に由来する衛星写真地図とGPS情報によって地理的空白など探しようのないない時代になってしまった。
 さて、三種の神器の3番目だが、「地図」としても「GPS」(携帯GPSレシーバー)としてもいいのだが、ここではそうしたくない。
 地図はすでにインフラとしてあまりにもベーシックだし、GPSはラジオビーコンの進化版だ。デジタル地図を収納したGPSを持てば決定的ともいえるけれど、かならずしもそうではない。とくに日本の山岳では。
 GPSレシーバーは複数の低軌道衛星からの信号を同時にとらえることができる。最近のものは12チャンネル受信などとして精度を上げている。衛星の方向と距離から三角測量で現在位置を計算する。
 軍事利用の精度をあえて落として民間に開放しているといっても、正確な基準点を定めて使うと、危険な土木作業で無人のブルドーザーなどを使うときに数十センチの精度でコントロールすることができるという。
 日本で普及しているカーナビゲーションも、主要な交差点などから得られる補正情報によって車は驚くほど高精度にガイドされる。
 平地でも逐次補正が有効なGPS情報だが、日本の山岳は低い山でも急峻という特徴がある。富士山に代表される30度の傾斜面では100m先で60m上がっている。同時に道はこまかく方向を変え、登山者の動きも遅いので、進行方向も示しにくい。
 そのことから、日本の山で使いやすいとされるGPSレシーバーには最近、電子コンパスと電子高度計が内蔵されて、情報を補完するようになってきた。もちろん時計機能は骨格部分に組み込まれている。
 日本の登山用ナビゲーションの三種の神器の第3は高度計としたいのだ。


●アナログとデジタル

 登山用の携帯型高度計の決定版として現在もなお絶大の信頼を得ているのはスイス、トーメン社(THOMMEN)のアナログ高度計だ。現在9,000m用が約65,000円、6,000m用が約50,000円、普及型の5,000m用(20m表示)が約25,000円となっている。
 簡単にいえばアネロイド気圧計に高度目盛りをつけたもの。密封した金属缶が空気圧によってペコペコ膨らんだり凹んだりする小さな動きを拡大して針を動かしている。
 しかし温度変化にも誤差を拡大しないなど機械精度と耐久性に圧倒的な支持を得ている。1回転1,000mの目盛板に10m刻みの目盛りがあるけれど、針の位置が目盛りの中間にある場合も10m以下の表示として読みとれるといわれるほどに信頼されている。
 トーメン社では、これは「気圧計から発展したのではなく、飛行機用高度計から発展した」と強調する。気圧変化を単純に高度表示に変換するのではなく、標高0mから標高6,000m/9,000mまで直線性をもった表示になるように較正されているという。つまり測定範囲の全域において同じ精度で読みとれるという。
 また、高度が1,000m上がると気温は6.5度C低下するという温度変化や、気象条件によって変化する低温(たとえば-20度C)や高温(たとえば40度C)にも針の動きを狂わさないように、巧みなバイメタル機構をそなえている。
 航空機用計器としての高度計は、かなり急激な上昇、下降に対応する必要がある。登山用高度計はそのままハンググライダーやパラグライダーに使用できるそうだが、パラシューティング用の高度計もほぼ同じ領域にあるようだ。
 それに対して、圧力素子を用いた電子気圧計/高度計が登場した。これは非常に小さいので、腕時計に組み込まれて、登山用として一般に普及してきた。
 私は10年ほど前にシチズンの高度計付き時計を購入したのを初めとして、カシオやスントの製品を使ってきた。あれこれ買い集めたわけではない。使えなくなって買い換えた結果が、十数年で6機種となっている。
 シチズンはいわば高級時計という造りだったが、電池交換から戻ってきたら竜頭が抜けた。カシオは電池交換の期間中に必要があって新しく買ったものの、戻ってきたものがすぐに壊れた。スントは液晶画面がダメになって本国送りの修理に出したが、けっきょくまともに動かないで終わった。現在のスントは登山用品店に電池を買いに行ったら、店員が確認のために電池蓋を開けたのがきっかけになったらしく、帰ってきたら表示高度がゼロ復帰できなくなっている。
 そういう耐久性に関する不信感があるので、高価なものはいい、というふうには考えられない。シチズンは最初の一作で高度計から手を引いたようだが、しばらく後でアウトドア用の時計カタログを作る仕事をしていたら、海外メーカーの普及型時計に搭載されていた「シチズン製ムーブメント」がまさにその高度計付き時計のもののようだった。
 クォーツ時計のムーブメントが、いまやタダみたいな安価なパーツになっているように、電子部品は普及すれば驚くほど低価格になっていく。それだけに長く大事に使うより、大きなモデルチェンジがあったときには性能が飛躍すると考えて、買い換えていくのが好ましい。
 そういう意味では、カシオの高度計付き時計が、ようやく新しい世代となった。これまでずっと高度計測は2分間隔で5m表示だったのが、5秒間隔で計測するモードを加えたのだ。
 私は標準的な登山道で1時間に300m登るのを基本と考えている。1分間なら5m登ることになる。健脚ならその倍のスピードで登る人もあり、快適な下りならその3倍のスピードということもある。2分間隔で5m表示では、表示が歩く速度に完全に抜かれている。
 デジタル化してアナログの世界を抜くには、アナログの連続表示で読みとるより速い速度で表示することが前提になる。カシオが最新のムーブメントにおいても「2分間隔で5m表示」を「トレッキングなどに適したロングモード」としているのは自己弁護としかいいようがない。
 トーメンのアナログ高度計と見比べるまでもなく、せめてエレベーターの上昇・下降に追従できる程度の精度をもたなくてはデジタル高度計として認めるわけにはいかないだろう。
 カシオが新しく用意したショートモードの「5秒間隔/最大60分」というのは1時間に最大3,600mの昇降に追随できるので歩いたり、走ったりという範囲ではアナログに置き換えることができるといえる。
 しかしフィンランドのスント社(SUUNTO)の高度計付き時計は、とっくの昔に(公表していないけれど)約8秒間隔で計測して、5mあるいは1m表示していた。表示文字が大きいのも、老眼鏡をかけない中高年登山者には重要な機能であった。
 最近追随してきたドイツ、バリゴ社(BARIGO)のムーブメントは最初の3分間は1秒間隔、以後は1分間隔で1m表記をする。
 腕時計に収納できる電子高度計が高度に対して直線的に表示できているかは、複数のものを同時に見比べてみたり、同じルートの登り・下りでチェックしてみるとかならずしも「正確」とはいえない。しかし行動時間の5分、10分の誤算には問題なく収まるので実用上は問題ない、といえる。


●ナビゲーションからエネルギー管理へ

 じつは高度計が電子化して、腕時計に装填されたことから新しい地平が開かれた。高度計と時計が結合したことによって、スントでは毎分の昇降速度が表示される。
 「5m」と出れば1時間に300mの昇降速度であるとわかる。毎分5〜6mの間でスピード調節して登りながら、ときに7m(1時間に420m)や4m(1時間に240m)まで振ってみると、健脚組とバテ気味の人がはっきりと識別できる。
 登山道の傾斜や路面に合わせた歩行速度をそれによってコントロールすることができる。人間の側の歩行能力や、エネルギー配分の目安としても使えるのだ。
 高度計は急峻な地形のなかの一本道だから、現在位置を探るときに、標高という情報を与えればほぼ一発で結論が出る。そういう意味で魔法の道具といっていい。
 さらに多くの高度計つき腕時計には電子コンパスも内蔵されている。私は簡単な「東西南北」以上の方位情報を必要としない立場だが、ともかく方位コンパスが内蔵されていることは危機管理上ありがたい。電子温度計も同様で、体温の影響下にあるので行動中はあまり役に立たないのだが、いざ気温情報(や水温、温泉温度)を得たいときにはそれなりに正確な温度計として利用できる。
 海や空の航行術がそのまま適応できる平地ではGPSでほとんどの問題が解決できてしまうけれど、日本の山岳で、登山道という1本の線をたどるときには、高度計だけで、十分価値あるナビゲーションツールとなる。
 私はだから、各メーカーの高度計つき腕時計のうち、一番安いモデル(できれば2万円以下が望ましいと思うけれど)を最初に使ってみることをすすめたい。
 その意味では、新しいカシオのシリーズが明らかに高級化路線を打ち出したようなので、その流れに対して一言批判しておきたい。
 カシオがもともと2分間隔の計測を選択したのには「省エネ設計」があったと私は考えている。防水時計であることから電池交換は工場送りで、修理費に相当する金額と数週間の日数が必要となる。日本でもユーザーにはやっかいなのだから、海外の(それも僻地の)ユーザーはどうするのだろうか。
 そこで最新のシリーズではソーラー発電を加えた。それでも発電状態が悪い場合の対策として、さまざまなパワーセービング機能が施されている。表示照明用のELバックライトも、無駄に使わない工夫が、じつにこまかく施されている。
 カシオは電波時計機能を備えて、自動的に標準時に合わせると同時に、世界の主要都市で現地時間への自動切り替えも可能にしている。ありとあらゆる機能を詰め込んで、それを省エネ設計でまとめようとしている奮闘はよくわかる。
 ともかく、いろんな機能がぎっしりと詰め込まれて、高機能時計となっているのだが、根っこのところでケチな感じの省エネに見えてしまうのはどうしてだろう。
 スントやバリゴはどうしているかというと、電池の取り替えをユーザーにまかせている。電気をたくさん使う人は、その分電池交換を早くすることになる……ということですませている。
 以前、私の友人が南米へカシオのGPS内蔵時計を持っていった。使い方が分かって、いざ本番というときに電池が切れた。工場に送らないと電池交換ができない……という隘路をカシオは圧倒的な省エネ設計で突破しようとしているようだ。その精神を大いなる挑戦と見るかどうかは人による。
 スントもじつは高機能化をはかっている。近距離無線の機能とコンピューター機能とを重ねている。それによって、同じフィンランドで開発されたハートレートモニターを使えるようにしている。オリンピック級の選手がトレーニングに用いる心拍管理システムで、陸上競技はもとより水泳にも使えるというすぐれものだ。
 電極のついたベルト型の送信機(トランスミッター)を胸につけて、腕時計型のレシーバーで心拍数を受信しながら、必要に応じて上限/下限のアラームを鳴らして運動強度をコントロールさせると同時に、記録したデータをパソコン上で解析することができる。そのレシーバー機能をスントの高度計付き腕時計が搭載した。
 登山でいえば歩き方を、上昇/下降の速度ではなく、心拍数の変化でダイレクトに管理することが可能になっている。私はかつて1泊2日の八ヶ岳赤岳登山で5人同時にハートレートモニター(フィンランド、ポーラエレクトロ社)を装着して心拍数を連続記録したことがある(『がんばらない山歩き』1998年・講談社)。そのときの発見は、バテている人は5分の休憩では心拍数は元に戻らないということだった。あるいは高度恐怖症の人が岩稜でスピードを落としたときには、心拍数は最高域にまで上がっていた。
 高度計を搭載することから始まった腕時計の進化は、いま大きく飛躍しようとしている。


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