軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座048】「軽登山」という提案――2007.11.10



■奥秩父・甲武信ヶ岳で――2001.6.13
ずっとガスの中を登ってきた。頂上に出た瞬間に、その雲が足の下にあった。なにがどうということはないが、「よかった」と思う。



■北アルプス・唐松岳で――2002.8.7
白馬からゴンドラやリフトであがって八方尾根を登りつめたら唐松岳。山頂からは剱〜立山が真向かいに見えた。



■霧島山・新燃岳で――2003.6.1
ミヤマキリシマの季節に合わせて霧島山を縦走した。高千穂峰が眼前にそびえる稜線はおだやかな空気に包まれていた。



■箱根・明神ヶ岳で――2004.11.23
箱根外輪山の明神ヶ岳から富士山に向かってのびる道は、猪鼻岳とも呼ばれた金時山に至る。富士山と金時山の二重奏を楽しみながら。



■北アルプス・燕岳で――1996.8.24
高い山に登ったら、富士山をさがし、槍ヶ岳をさがす。槍ヶ岳登山の起点のひとつというべき燕岳で


●「中高年登山」からの脱却

 つい最近、私は「軽登山」という旗を掲げる決心をした。この連載のトップページにある「伊藤幸司主宰イベントのお知らせ」というのをクリックしていただくと【ひとりで歩くための「軽登山」技術講座】というのが出てくる。私がこれまで考え、発表してきた「中高年登山」に関する技術的な考察(この講座もそのひとつ)を、新しく「軽登山」という名のもとに整理し直そうと考えたのだ。
 私がいわゆる「中高年登山」にかかわったのは1983年からだ。朝日カルチャーセンター横浜の「山登りの手帳――40歳からの日曜登山家へ」という講座に地図担当講師として参加した。そのときの技術講師は長谷川恒男さん(故人)だった。
 講座は以後1995年まで40期続いて、大宮求さん、根岸知さん(故人)などの有名登山家が技術講師となった。「中高年登山」の草分けのひとつといえる。
 この講座のことに関しては朝日カルチャーセンター横浜登山教室+伊藤幸司という名で『トレーニング不要! おじさんの登山術』(1990年・朝日新聞社)という本にまとめている。「おじさんの」というへんなタイトルにしたのは私自身が「中高年」という言葉に違和感を感じていたことによる。「トレーニング不要」というのは、私だけの見解だったが、私が書いた本文のタイトルを書名にしてしまった。
 そのころ中年だった参加者で現在も私の会に参加している人がいるが、老年(高齢者)の領域に踏み込んでいる。厳密な規定はないようだが、いちおう40〜50歳代を中年と呼び、65歳以上を高齢者と呼ぶのが妥当なところといえそうだ。60歳代前半をどうするかというと、64歳までを生産年齢として数えるという要素を考えて中年に入れるという意見が現在のところ妥当かもしれない。
 WHO(世界保健機構)などでも65歳から74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者としているという。そのような区分が一般的になりつつあるようなのだ。登山の世界では富士山の「高齢者登拝名簿」に記帳できるのが70歳以上なのだが、あちらは不老不死の山、下界とは基準がちがって当然だろう。
 じつはほんの数年前まで、私は65歳あたりが登山年齢において大きな曲がり角だと考えていた。ご本人がさまざまな老化を感じて、山歩きで周囲に迷惑をかけるのを心配するようになる。そして家族も、年齢から生じる山でのさまざまな異変を心配する。
 肉体的年齢を考える前に、社会的年齢が65歳あたりでの「引退」をせっついていた……ということに私も影響されていた。
 ところがある日、69歳の人が「これから山歩きを始めます」と元気に登場した。「中高年になってから山歩きを始めた人」を私は中高年登山者の中核として「山の新人類」と呼んだことがある。それに従えば「高齢者になってから山歩きを始める人」、すなわち「高齢登山者」のみごとな登場だ。【ひとりで歩くための「軽登山」技術講座】にインターネット情報から参加したSさんは67歳で登山歴6か月だそうだ。
 中高年登山のブームは、じつは1980年代に始まったものが、そのまま20年移行してきたといってもいい。新しい「中年登山者」を生み出すというよりは、老齢化したブームを途中参加の同世代参加者がいくぶん底上げしてきたというのが正直な印象だった。
 団塊の世代(ベビーブーマー)が新しい登山ブームを巻き起こすという期待を私のこの連載も担っているのだが、じつはなかなかそういうわけにはいかない。そこに堂々たる高齢登山者が出現して新人として上達のステップを歩み始めると、周囲がざわめいた。
 65歳超の人々が「引退」の時期をさぐっていたところに、新人が「70歳超」を目指しているという衝撃がきた。多くの人が「引退」を保留もしくは撤回してしまったのだ。
 私の周辺ではたちまち老人パワーがみなぎって、「年長者がエライ」という価値観が一気に広がった。たちまち70歳超のメンバーが増えて、元気さを競い合う状態になっている。
 私がかかわってきた中高年登山は中年登山主体から前期老齢者を中心にする高齢者登山にシフトしてきた。もとよりその技術的問題点も大きく変化している。私は「中高年登山」というあいまいさにずっと引っかかってきたのだが、今年(2007年)の9月に「70歳対応の槍ヶ岳」というのを実施したとき、泊まった槍ヶ岳山荘(槍岳山荘を改称)の二段ベッドで「軽登山」という言葉を思いついたのだった。


●ライトエクスペディション

 軽登山は、もちろん「軽い山歩き」を意味する。
 似た言葉に軽登山靴というのがある。本格的な登山靴より軽いのだが、じつはそれは外見的なことで、「平地を歩ける靴」というのが本質的な相違点だ。平地をドタドタ歩く必要がなくなった。
 それは本格的登山靴で下界の道を歩く不都合を大幅に改良した。ターゲットが違うのだ。もちろん本格的登山靴で一般登山道の縦走路を歩くこともできるし、軽登山靴でけっこうな岩壁登攀もできる。大方の守備領域は重なっている。
 本格登山靴では平地ではひもの締め方を変えた。甲の部分はきちんと締めておいても、足首の部分は完全にゆるめないといたって歩きにくいのだ。軽登山靴でもそうやっている人がいるが、平地でも登山道でもきちんと締めるのがこちらは正解。そういうふうにつくられている。だから甲の部分と足首の部分の締め具合を別々にコントロールするための緩み止めの中間フックが本格的登山靴にはなくてはならない。軽登山靴ではそれも省略されるようになってきた。
 軽登山靴と本格登山靴が本質的なところで決定的に異なるように、軽登山も本格登山と本質的なところで異なる。技術領域が異なるのだが、その前に語っておきたいことがある。
 私は大学探検部の出身だから「軽」に関してはライトエクスペディション(軽遠征)という言葉が感覚的に染みついている。極地法と呼ばれた重装備戦術では人と荷物をベースキャンプに集積させて前進キャンプを設営していく。それは南極点争いにおける英国のスコット隊と、ノルウェーのアムンセン隊の考え方のちがいに現れていた。
 ライトエクスペディションの武器はスピードだ。防御的な側面を削り落として、攻撃のタイミングをはかる。ヒマラヤ登山でも最初は極地法がとられたが、その後はライトエクスペディションに比重が移り、無酸素というところまで装備をはぎとっていった。
 軽登山は、軽い山歩きという意味だけでなく、ヘビーデューティな装備をはぎ取っていって、自分の肉体的能力を前面に押し出していくという考え方を含んでいる。
 自分はいったいどこまでやれるのか、ということが大きく問われる。もし改善することがあるなら、その多くは自分自身の内側の問題になる。
 大きな相手に胸を借りて、できるだけ裸の自分を確かめてみる。そこから始まるライトエクスペディションの考え方を軽登山という言葉に重ねたいのだ。
 行動能力の肉体化の一番重要な部分では、足のセンサーの感度を高めるための運動靴がやはりいい。とくに下りの能力ではアクチュエーター(駆動力)としての能力も一般の想像以上のものがある。
 化学繊維によって実現されたウィックドライの肌着とゴアテックスに代表される透湿防水の多目的なバリアスーツによって、装備の軽量化は驚くほど進んだ。
 そのような装備・技術の断片はこの講座で書き連ねてきたことと、今後書き連ねていくことがすべて「軽登山」の個々の側面に対応すると考えているので、ここでは触れない。
 ひとつだけ、はっきりとしておかなければならないのは、「軽登山」の技術領域を従来からの「登山」の技術領域のなかできちんと位置づけておかなければいけないということだ。
 日本山岳会が1977年にまとめた『登山の技術』(全2巻・白水社)の目次が登山技術の体系としてわかりやすいが、「山歩き」があり、「岩登り」「積雪期登山」があり、最後は「高所登山入門」で終わっている。
 最初の「山歩き」は登山道の基本的な歩き方に加えて尾根歩き、沢歩き、やぶこぎ、ザクとザラ(ガラ場など)、雪渓技術にも及んでいる。
 その登山技術の底辺のうち、私は「一般登山道」に限定した山の歩き方をこまかく考えてきた。それは本格登山者には「ゲレンデ派」などと決めつけられるにちがいない立場なのだが、一般登山道で登る槍ヶ岳がすでにかぎりなく観光地(山岳観光地)になっている現実をありがたく受け止めようという立場なのだ。剱岳のカニのたてばいにしても、ピンやクサリがひとつ加えられるごとに技術グレードはどんどん下がっていく。
 難しいとかやさしいということではなく、あの素晴らしきフィールドのただ中へと導いてくれる一般登山道の恩恵を十分に享受して、できるだけ心と体を裸にして歩きたい。
 なにができるかということよりも、計画と行動が一致する気持ちよさを目標にして、千変万化の山岳環境と肌を接したい。
 スキーヤーがゲレンデのなかで存分に楽しむのとほとんど同等のことではあるが、一般登山道というゲレンデのバリエーションも一登山者にとっては無限に大きい。
 岩場では補助的なロープの使用まで、冬の山では樹林帯の雪山まで、という範囲を超えたい人は、あらためて基本技術から学び直すという線を明確にひくことで、登山技術や登山用具の従来型の「常識」から発する無用の混乱を避けることができる。
 「軽登山」は外見的には「軽」なのだが、それが内なる探検へとつながるとき、人生にかかわる重さではときに量りがたいものになる。人生の黄昏というべき高齢者の登山には、外に軽く内に重い「軽登山」の試みをすすめたい。


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