軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座050】通年登山のすすめ――2008.1.10



■2008年1月。私の山歩き関係の予定
正月休みの間には4月〜9月の42本の計画を決めて、この手帳に書き込んでおかなければいけない。



■奥武蔵・大霧山――2007.12.15
10月〜12月の朝日カルチャーセンター千葉の入門講座の3回目。山頂での10分休憩のあいだに、秩父盆地にあったあやしい雲が一瞬はげしい吹雪となって襲ってきた。


●「月イチ」登山の効用

 2007年、私が山に出かけたのは84回で延べ113日だった。ここ数年、だいたい同じ状態が続いている。
 基本的には毎月7回、定期の山があって、そのうち2回が1泊2日。84回で108日というのがベースで、それに増減が若干ある。夏にはすこし大きな山をやるとか、年末の小屋泊まりはお休みするとか。人数が集まらなくて中止するというのもいくつかある。
 何をいいたいのかというと、山に行くのは毎月の第何何曜日と決まっていて、連休も夏休みも基本的には考慮しないシステムになっている。
 ふつうだったらいいシーズンにたくさん登って「悪いシーズン」にはお休みするというところ、完全にベタな計画を押し通している。
 なぜそうなったかというと、私がもともとカルチャーセンターの登山講座で山歩きに関わったことによる。カルチャーセンターの講座は4〜6月、7〜9月……と3か月単位で考える。常連の生徒さんを離さないために冬も休まない。
 気がついたらそういう流れに乗っていたというのが本当のところだが、1994年以来、計画から実施まで自分ひとり(付き添いの人がいる場合もあるけれど)で講座をやるようになって、参加する人にとってもその方式に大きなメリットがあることが分かってきた。
 すでに何度も書いてきた私の基本的な主張のひとつだが「月イチ」登山に驚くほどの効用があるという発見だった。
 日帰りの健康登山をしている人の多くは、カレンダーにつけた予定日を、ほとんど「未定日」としているらしい。天気予報をチェックしながら、最終的に行く・行かないを決めているようなのだ。
 カルチャーセンター方式では3回分の参加費は徴収されてしまって、休んでも戻らない。カレンダーの予定日は確定日になっている。よほどの不都合がないかぎり、万難を排して出かけてくるという人の集合になってくる。
 山に行く予定日を確定日にするということで、月1回の軽い山歩きが驚くほどの効用を発揮する。……なんてNHK「ためしてガッテン」の最高のテーマじゃないだろうか。
 つまり、スポーツ選手なら試合日に当たるその日に、自分の最高の状態を合わせようとする努力がはじまる。
 もちろん体調もだが、家庭内環境もじっくり整えていかなければいけない。山歩きはしょせん遊びだから、笑顔で送り出してもらえるように。
 カレンダーにターゲットが示されたことによって、生活にリズムが生まれてくるのだろう。ドタバタの初回が、なんとなくうまくいく2回目につながり、3回目にはもう、下山後にゆっくり風呂に入って食事をして、1日を満喫して帰れるという成功例も出てくる。
 肉体的にも、初回の筋肉痛が2回目、3回目と明らかに軽くなって、力がついたような錯覚にひたることができる。
 だから私は「トレーニング不要」と厳しく言い渡すことにしている。未知の山に出かける不安を肉体トレーニングによってまぎらわそうとする人には見えにくい、もっと大きな効用が得られるからだ。
 肉体的なトレーニングという観点からだと、月に1回の軽い山歩きの効用は何ほどのものでもない。しかし毎月のある特定日を意識した生活からは思わざる活力が生まれてくる。
 山歩き自体は、前向きの意識でチャレンジすれば十分にクリアできる低い壁に過ぎない。その低い壁の前に「トレーニング」という難しいテーマをかかげてターゲットをどんどん巨大にさせるより、失敗も含めてチャレンジしてみようというほうが、どれだけ大きなパフォーマンスを発揮できるか……ということだ。
 私も含めて、一流のアスリート体験のない人間は、自分の力を100%発揮する機会が1度もないまま死んでいこうとしている。あるいは今度の山が、そういういい機会になるかもしれない……というような「絶対価値」に自分をおくことができれば、その人には大きなノビシロがあるといえる。
「月イチ」の山歩きをはじめた人たちの指導に関わっておもしろいのは、その人の人生にまだたっぷり残されていたノビシロの発見なのだ。だから天気予報によって行く、行かないと決められる程度の期待感で山に出かける人と私は組みしたくない。
 カレンダーにつけた印に「山がある」人生を明日からでもはじめてもらいたいのだ。


●冬こそ飛躍のスプリングボード

 朝日カルチャーセンター千葉の入門クラスがこのところ急に人数を増やしている。もう12年目になる長寿命クラスに対して、入口の役割をになわせつつ、数年ごとにリッセットしてきた。
 まだ仕事を持っている人にも参加しやすい土曜日にしたら、JR東日本のホリデーパスが使えるので千葉周辺から山に行く人には交通費が驚くほど安くなる。
 とはいえ、ここ数年、10人を切るか切らないかという存続の危機が続いていた。そうなるとみなさん辞められない(人数減による抹消の危機を自分で作りたくない)ということで講座を支え合う関係になる。
 2007年の10月に小さな異変が起きた。講座活性化のために企画した教室での講座に10人の参加があったのだ。10人という数は可もなし不可もなしなのだが、これまでは自発的にサクラを買って出てくれる人がいたりして、ときに過半が顔なじみだったりした。
 ところが10人全員が知らない人。それもカルチャーセンターの他の講座に通っている人ではなくて、新聞か何かで見て、このためだけに参加したという10人だった。
 おまけに10人のみなさんの年齢が素晴らしかった。50代終わりから、60代初め。すなわち団塊の世代なのだ。
 これは、じつは、カルチャーセンターの担当者と私にはとてつもなくうれしい出来事だった。というのは、朝日カルチャーセンターは新聞社系のものとして一時代を作った。昔新宿の朝日カルチャーセンターでルポルタージュの講座をしたことがあったけれど、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだと感じた。
 女性たちが街に出て知的欲求を満たす時代を担う存在として、直木賞作家を初めとして、さまざまな人材を主婦層から発掘した実績もある。
 しかしその後、長期低落傾向を止められないできた。1983年以来(朝日カルチャーセンター横浜や朝日カルチャーセンター立川で)私がかかわってきた中高年登山講座もブームの仕掛け人の一角に位置していたようだが、その波がそのまま高年齢化してきている。カルチャーセンター全体で見ても、波の高齢化は同じだという印象なのだ。
 だから第二次世界大戦後のベビーブーマーたちの大きな波にカルチャーセンターが乗れるかどうかがここ数年の大きな関心となっていた。
 じつは私のこの連載をさせていただいている小学館の「おとなのたまり場ボンビバン」も、その土台となっている「BIGLOBE Station50」にしても、団塊の世代の波をつかもうとする網のひとつといえるだろう。
 朝日カルチャーセンター千葉の小さな編み目に「10人全員・団塊の世代」という新しい波がきた。……新しい波、そのものかどうかは分からないが、これまでとは違う波であることは明らかだった。
 さて、これからが本題。その10人の中から実技参加者も出て、低迷を続けてきた入門クラスがほぼ倍増というにぎやかさになってきた。
 そして12月、10〜12月の3回目の山歩きの最終回に、新参加のみなさんに1〜3月もこのまま続けてくれるかどうか聞いてみた。
 うれしいことに、全員がこの冬も山を歩くという。にぎやかな山歩きがさらに続くということもうれしいが、次の夏に向けて「北アルプス」というエサをかざすことができる。10月から歩き出した人たちなので、十分な助走がとれる。「次の夏」に夢の実現が可能ということに手出しができる楽しさがやってくる。ネタのあるマジックの楽しさが味わえるのだ。
 冬は、太平洋岸では晴天率の高い登山シーズンだということを繰り返し訴えてきた。その完全な常識ラインが、一般の人たちには通じにくい。「冬山」にくくられてしまうのだ。雪雲の中の冬山と、空っ風地帯の冬の山とは似て非なるものだということが理解されにくい。
 しかし、寒さの中に身をさらすことの気持ちよさと、山に入ると意外に寒くない現実との基本的な組み合わせを知ってしまえば「日だまりハイク」のえもいわれぬ幸福感は冬でなければ味わえないものとわかる。
「月イチ」の効用を最大限享受するためには騙してでも、冬のシーズンを体験して欲しい。そうすることによって、花開く春が来たとき、からだは驚くほど山歩きに馴染んでいる。目先のトレーニングに一喜一憂している閑などないのだ。


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