軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座051】山用カメラを考える――2008.2.10



■雪の日の陣馬山――1998.3.5
3月の霧雨の日、陣谷温泉から栃谷尾根を登って陣馬山(857m)に向かった。山道にかかるとすぐ、霧雨は雪に変わり、林を軽く吹き抜けていた。



■奥多摩・槇寄山に登る道――2006.1.14
JR中央本線・上野原駅からバスで郷原へ。槇寄山(1,182m)から笹尾根を歩こうとしていた。登りの途中、枯葉のみごとな吹きだまりが出現した。


●山岳写真……ではなくて

 私は写真家志望ではあったけれど、写真家にはなれなかった。むしろ写真編集者として山岳写真家や風景写真家の写真をたくさん見る機会があった。
 自分の写真では、昨年『山の道、山の花』というフォトガイドを出し、今年はその続編(花以外のものが主体)を出す予定でいる。この10年あまりで撮ってきた写真を(この連載で使用した写真も含めて)ガイダンスという文脈でたくさん並べている。
 山で撮った写真を本にまとめたら山岳写真家かというと、そうではない。
 話が複雑にならないように、写真のうまさとか、写真の力という写真の内容については省くことにしたい。あくまでも「山用カメラ」に話を絞っていきたいからだ。
 山岳写真家と風景写真家の違いはその行動スタイルからかなりはっきり区別できるように思われる。
 風景写真家は、たとえていえば車から30分以内のところでカメラを構える。山を撮るにしても、太陽や雲のぐあいがよくなければ裏側にまわってみるという選択肢を残しておきたい。花を対象にしたい場合は、天気よりも花の開花時期との調整がだいじだから、周辺にいくつかの候補地を用意して、まわる順序を変えることで撮影スケジュールを調節する。
 山岳写真家は、むしろ車から1日、2日、あるいはそれ以上離れたところでカメラを構える。行動範囲が広くないから、待つことでシャッターチャンスを拾おうとする。態度としては決め打ちになる。
 要するにストライクが来ると信じてそこに立つ。立ち続けることでストライクを待つしかない。
 かなり強引な説明の仕方だが、いいたいことはこういうことだ。時間軸を中心にしてみると、風景写真家は持ち駒である時間の中でベターな撮影ポイントを選ぼうとする。二次元、あるいは三次元の動きによって、何かをつかみ取ろうとする。
 それに対して山岳写真家は撮影対象を先に決めて、時間の流れ、太陽の動き、天気の動き、季節の動きという四次元の変化からねらい打ちしようとする。
 そしてどちらにも共通するのが三脚だ。4×5とか8×10という大判カメラで撮影するからという場合もあるだろうが、35mm判カメラの場合でも三脚を立てるのが原則だ。ブレ防止のためというより、レンズを絞って遅いシャッターも切れることによる撮影の幅を確保するためと、もうひとつはたぶん、三脚を立ててカメラをセットしたときに、フレーミングが確定しているということのためではないだろうか。
 大型の写真シリーズを編集するために日本の風景写真を数万枚連続的に見たことがある。天気に恵まれたり、季節に恵まれたりしたきわめつけの写真も重要だけれども「正面出し」の写真がプロの仕事としてはもっと重要だった。
 プロ野球の選手が1シーズンに50本のホームランを狙うのと、200本のヒットを狙うのとでは、自ずから姿勢がちがうようだ。天気にも季節感にも恵まれないで現場に立ったとき「正面出し」された写真は、ベストではないけれどベターではある。周囲の流れによってはそこにはまってくる可能性が残っている。なぜなら、それは対象そのものに肉薄している写真ではあるからだ。
 プロの写真の場合、写真だけを見ながらだれが撮ったか予想できるようになるとすれば、それは千載一遇のチャンスをとらえた人ではなく、眼前に広がる光景から、風景としての正面を見せてくれる人ということになる。アマチュアの腕自慢とプロの稼ぎ頭との違いはそんなところに出てくるのではないかと思う。



●山歩きのスナップショット

 時間の流れと場所の選択スタイルから風景写真家と山岳写真家を分けてみた。写真家のホームラン狙いとヒット狙いはストライクゾーンとしての「正面出し」に注目していけばすぐにわかる。
 三脚を立てるということは、それがとりあえずその位置での「正面出し」完了の表明と考えていい。ズバッとフレーミングできる人は、ストライクゾーンのしっかりした人ということができる。
 さて、私の「山用カメラ」の考察だ。風景写真の撮り方や、山岳写真の撮り方については一流の写真家がいろいろ詳しく語っているだろうと思うのでそちらを参考にしていただきたい。「軽登山」を突き詰めたい私は、ここでは「山岳スナップ写真」について考えたいのだ。
 スナップショットだから三脚は使わない。正統的な風景写真と山岳写真とはそこにおいてはっきりと一線を画すことになる。
 山を歩くということは、線上の移動といえる。地図上でいえば二次元、起伏を考えれば三次元の移動になる。それと同時に時間が経過していく。太陽の動きと天気の動きが風景の変化と勝手にシンクロしてくる。天気がドラマチックに変化するとき、たとえば嵐のときなどには、なかなか迫力のある巡り会いを楽しめる。山歩きは四次元の展開をする。
 待って撮るのではない。巡り合わせにレンズを向ける。スナップショットはそこから始まる。つまり山歩きを四次元のモードで進めながら、空間移動と時間の推移がうまく交差した瞬間を写真にしようとする。
 花があったとしよう。多くの人はその花をよりよくとらえようとして、近づく誘惑に逆らえなくなる。つまりホームランを狙うのだ。私にすれば、その花がホームランになる花かどうか疑わしいと思うようなものにも、大振りする人がいる、ということだ。
 球筋を読もうとすれば、その花がストライクゾーンにあるかどうかから、まず見極めなくてはならない。ストライクだとしても、こちら側で手が出ないという場合もある。そういうときには次の球筋を読むことになる。
 そこそこの花があったとする。遮二無二振っていくというのではなく、次の球を想定する。相手が無作為の自然だから次は読めない……はずはない。1本の花があれば、それは同じ花が次に現れる可能性を示しているわけで、目配りが変わってくる。
 私は写真を撮るときに、登山道をはずれない。はずれないことで見逃さざるを得ないことも多いけれど、その不自由さが自分のストライクゾーンをはっきりさせる。ストライクゾーンに入ってくるものを予測し、確実にとらえようとすると、それによって見えてくるものもある。
 話を花から山の風景に移すと、こちらの動きとシンクロする山の表情は意外に速く変化する。いつもそこにあるように見えていても「アッ、いい」と思うのは一瞬だ。それを逃すと、残像だけがしばらく漂う。
 見ている山の最高の表情かどうかは別として、こちらが動くに従って次々に表情を変えていくその山との、ストライクゾーンでの出合いはそう多くない。道を進む先に、ベストショットが期待できるかどうか、かなり手応えのある推理ゲームになる。
 現在では、登山者はできる限り登山道からはずれてはいけないという時代だ。登山道からはずれたい人は、登山道に頼らない山登りをすればいいのであって、そういう登山が禁じられているわけではない。
 登山道からはずれないという制約の中で何本ものホームランを打とうと思うとイライラしてくる写真家も多いだろう。しかし、私の見るところ、ホームランを打ちたかったら、ど真ん中に直球がくる場所に、自分が赴かなければムリなのだ。
 登山道からはずれないという立ち位置を決めることで、ストライクゾーンが決まる。それによって、打てる球がけっこうたくさん見えてくる。
 ……とまあ、下手な比喩で「山歩きのスナップショット」を語ってきたが、そのためにはどのようなカメラがいいか。
 コストを気にせずにたくさんの球を打てるという意味で、デジタルカメラがもちろん前提になる。それに条件をつけるとすれば、ファインダーがついているカメラ。
 たぶん、カメラメーカー系のカメラ以外ではコストのかかるファインダーが省かれたものが増えているように思われる。山で山を撮ろうとすると、液晶画面では絵が見えないことが多い。そういうときにはファインダーで(あまり精度がよくないので)中心を確認してシャッターを押す。
 それから、樹林の中で暗いときなど、液晶画面が使えるけれどファインダーで撮る場合もある。カメラを額に当てて撮ることでブレをかなり防げるからだ。
 カメラ機能として重要なのは「接写モード」と「風景モード」。ポケットタイプのデジタルカメラは接写能力としてはスーパーカメラといっていい。花でも虫でも、思い切り近づいて、簡単、かつパーフェクトに撮ることが可能になった。
 風景モードというのは、林越しに山を撮りたいときなどに、ピントを無限遠に固定する。そうしないとカメラは自動的に近いものにピントを合わせてしまう。
 それからちょっと上級カメラ向きになるけれど、ストロボを使用禁止にして、絞りを開放にしてみていただきたい。そして、逆光でも、暗闇でも、どうにも写りそうもないものでも、シャッターを切ってみる。
 冬は、カメラを冷やさないように懐に入れ、カイロなどで暖めておく。電池を長持ちさせるという効用もあるけれど、一番だいじなのはレンズを曇らせないこと。野外から屋内に持ち込んだときにレンズが曇らないだけのケアをしておきたい。
 カメラに詳しい人ならば、私がすすめているのはレンズ口径の小さなポケットタイプだということがわかるだろう。新製品で4万円前後、中古で半値というあたりの高性能のポケットタイプを惜しげもなく使うということをおすすめしたい。
 重要なのはその後だ。ホームラン狙いの人はうまくとれたものを選んで終わる。ところがどっこい、うまく撮れなかった写真がじつは重要なのだ。
 自分の写真を自分で評価するためには、全部のコマを「10秒見る」ことを昔から提唱している(『旅の目カメラの眼』1982年・トラベルジャーナル新書)。どう見ればいいのか。基本的には、シャッター押したときに見たよりも「よく撮れた」と思うかどうか。「よく撮れなかった」と思うかどうか、だ。
 撮ったときに、空間を移動する線と、周囲が変化する時間の動きとの接点でシャッター切っている。そのときのナマの印象と写真を比べることによって、自分のストライクゾーンをはっきりと確認することができる。「よく撮れた」と思うなら、そこには「神の手」の存在があるかもしれない。自分の中に潜在する未知の感性がそこに見え隠れしている可能性が大きい。「よく撮れなかった」という場合には自分の審美眼が実力の先にあるかもしれない。
 すべての写真を「10秒見る」とき、写真が動き出すことがある。語り出す感じがしたら、そこに自分の「隠された何か」が潜んでいる……かもしれない。
 写真は驚くほど自分自身を露わにしてしまうので、自分自身を写す鏡と考えたほうがいい。そこには邪悪な自分が潜んでいるかもしれないし。
 スナップショット写真の魅力は、けっきょく自分自身を写してくれることに尽きる。山歩きのピュアな環境で自分自身を露わにしてみると、新しい自分がそこにたちあがってくる……はずだ。
 オリジナル画像は全部そのままDVDやハードディスクに残しておいていただきたい。何年か後に、もう一度全部のコマを「10秒見る」とき、写真が何を語ってくれるか、お楽しみに。


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