軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。
【伊藤幸司の軽登山講座052】登りの歩き方――2008.3.10
■尾瀬・至仏山の山頂手前――2007.10.10
至仏山(2,228m)への最後の登り。背後には尾瀬ヶ原が広がり、燧ヶ岳(2,356m)がそびえている。急斜面の登山道では女性にはつらい段差を要求されたりする。
■槍ヶ岳の山頂手前――2007.9.11
槍ヶ岳(3,180m)に画面奥に見える槍沢から登ってきた。槍ヶ岳山荘(槍岳山荘を改称)にあと一歩のところで、殺生ヒュッテとヒュッテ大槍が下に見える。ゆっくり登ればだれにでも登れる日本有数の登山道だ。
●「健脚」の意味
登山ガイドや登山地図に書かれている「コースタイム」が作文であるということはすでに書いている(講座24・コースタイムの考え方)。「標準的な」と説明されているけれど、何がどう標準的かということは説明を読んでみてもわからないはずだ。
昭和のコースタイムと平成のコースタイムとを比べていただくとわかるけれど、(おおまかにいえば)昭和に対して平成は所要時間が1.5倍になっている……とみていい。どちらも標準的なのだが。
登山道にある道標に所要時間が書かれている場合、それが昭和モノか平成モノかを判定するのはけっこう難しい。
つまり、コースタイムは標準化された結果なのだが、その手順が科学的でないので、根拠がバラバラなのだ。決めた人たちが「こんなもんだろう」とした標準化が多いはずだ。
私が提案しているのは、地形図上で、一定の手順によって所要時間を出してしまう。それを標準として、利用する人それぞれが自分に合った係数をかけていくというもの。
地形図上で水平距離と高度差を計り、水平距離500mを7分半、高度差50mも7分半という標準タイムに変換する(平地を時速4kmで歩くスピード=エネルギー出力を基準にしている)。登山道が傾斜約20度で作られている場合に1時間に約300m登るペースとなる。
さて、そういう標準化をしておくと、健脚度というようなものが明らかになってしまう。係数の掛け方で速い、遅いがわかるからだが、ただ単に速い、遅いというのであれば、昭和のコースタイムで歩けたから健脚……という程度のアバウトなものでしかない。
登山道は、ポピュラーな登山道であればあるほど人為的なものになっている。急傾斜をできるだけゆるやかに登らせようとジグザグに切っている。
全体的なスピードを速めたいと考える人は、自分の得意分野でスピードを上げ、苦手な分野でなんとかマイナスを小さくして、トータルで速くしたいと考えるに違いない。
心拍数で運動強度を管理してみるとすぐにわかるが、傾斜が急になると運動強度の上がり方が激しくなる。
多くの偽健脚登山者はスピードを水平方向で見ようとする。つまり風を切って歩くようなスピードを手がかりにしてると見ていい。だから傾斜の緩やかなとことで「速さ」を実現しようとする。
ところが本格的な冬山登山をした人なら、急登の場面で脚力の違いを見せつけられた体験をかならずもっている。山でほんとうに強いのは「ゆっくりだけれど、速い」登山者なのだ。
私が提唱する「1時間モデル」(講座4・机上登山のすすめ)では、1時間に水平方向に1km進むときに、高度差で300m登っている。平地では時速4kmで進むところが、登山道では時速1kmになるので、エネルギーの3/4はからだを真上に持ち上げるために使われているのだ。だから急斜面では1歩ごとの段差の大きさが健脚度ということになる。
傾斜が急になると調子を落とす健脚だったら、自分自身の能力評価を変えた方がいい。健脚に見せるために演出するよりも、まず、自分のからだに気持ちいいエネルギー出力(巡航速度)を見つけて、それを「標準」として速めたり、遅くしたりして幅を演出する。車の運転でいえばスピードメーターからタコメーター(回転計)への切り替えだ。
相対的なスピードに目を奪われていると、たぶん出力の上限でアップアップしながら追われるように歩くことになる。そうではなくて、息切れしない出力で、正直に歩いてみることだ。歩き方に迫力がなくなるけれど、それをベースにして健脚をめざすために、私は「10kg背負って10時間行動」という目標を設定している。それを日本アルプスの縦走登山を可能にする基本脚力と考えているのだが、60歳代の多くの人がクリアしている。
無駄な重さを背負うことを非難する人が多いけれど、私は「トレーニング不要」を掲げつつ、日常の軽登山を「縦走登山の一部」というふうに意識することをすすめている。日帰りを2日連続で続ければ、小屋泊まりよりハードになったりするからだ。
●ゆっくり歩くにはどうするか
登りが苦手な人を見ていると、あきらかに歩幅が広い。超初心者がバテて人生を深く反省するハメになったときにも、じつは単純に歩幅が広い。
歩幅が広いということは、すなわち平地の歩き方をしているということなのだが、もうひとつ、バテ始めた人は「ゆっくり歩く」ことで立ち直りたいと考える。
山では頭でよかれと考えたことが危険を増大させることが多いけれど、登りでバテるのもその流れといっていい。ゆっくり歩くとどうなるか。前の人から遅れるので、「リズムはゆっくり、歩幅はひろく」という流れになる。広げた歩幅の3倍のエネルギーを、からだを持ち上げるために要求されることになるので、休むどころの話ではなくなってしまう。
足踏み状態を車のアイドリングとすれば、そこからアクセルを踏み込んで回転(ピッチ)を上げていくことと、ギアを入れ替えて回転比率(スタンス)を上げていくことをうまく組み合わせたい。だからまず、足踏み状態に戻ることが重要なのだ。そこから小さな歩幅(靴と靴とのあいだに隙間が生まれないくらいの小さな歩幅)でピッチ(歩調)だけを上げていく。リズミカルなテンポが見つかったら、そこからスタンス(歩幅)を広げていく。
別のいい方をすれば「1歩でも歩数を多くして楽をする」のだ。歩数を減らして楽をするというのが平地での常識なら、歩数を増やして楽をするのが山での常識といえるだろう。
同じ結果につながるのだが、別の見方がある。それは後ろ足を使っているかどうかだ。
平地の歩き方では後ろ足で蹴って、前足のかかとで着地する。そういう歩き方に慣れているので、後ろ足で蹴ることが、両足をうまく使う歩き方に思えるようなのだ。
私は登りでは「かかとでペタペタ歩く」ことと「後ろ足で蹴らない、つま先を使わない」ことを徹底させたい。
かかとで歩くとどうなるか。歩幅を広くできないという利点がある。後ろ足で蹴らないというのも、結局は歩幅を広げない縛りとなる。
言葉で理解しようとしている人には不可解な説明だと思うけれど、現場ではそうとしかいいようがない。で、どうするのかというと、歩くという気持ちを「真上」に向ける。
上り坂になっているので、前に振り出した足のひざは曲がっている。そのひざをポンと後ろに送ると曲がったひざがのびた分だけからだが持ち上がる。
斜め上方に向かっている傾斜面に見えない段差を想定して、ひざがのびた分だけ上がっていく……という考え方なのだ。
気持ちが「斜め上方」に向いていると、たとえば滑り台を下から登ろうとするときのように後ろ足の蹴りが重要になる。そうではなくて、(1)前足をきちんと置いて、(2)最初に重心を移動して、(3)前足のひざを後ろに送って、(4)からだを真上に持ち上げる。
後ろからの蹴りを入れない、あるいはもっと厳重に、つま先をいっさい使わないことによって、自分で管理できる段差をセットして、からだを真上に持ち上げ続ける。
言葉でわかりにくい部分を別のいい方で補足すれば、前に振り出した足の曲がったひざに片手を置いて、ヨッコラショと立ち上がる。それはあるいは前足の側の肩を振り込んでいくという日本古来の武術のからだの使い方に似ているのかもしれない。後ろ足で蹴る反動を利用するのではなくて、前に出した足にまず体重を乗せていく。
そうすることによって、斜面の角度や路面の状況が大きく変わったとしても、自分の巡航速度で歩けるようになってくる。次のステップをこまかく見つけて、安定的に足場にするという足元の技術が最も重要になってくる。
機械力で一定のレベルを維持したいという人には、スント社(フィンランド)の高度計つき腕時計についている毎分の上昇/下降速度表示機能をすすめたい。毎分5mと出れば1時間に300m登るスピードだとわかる。毎分4mなら1時間に240m。その2つの数字を目安にして歩いてみると、歩ける領域と歩きにくい領域がはっきりと分かれていく。それによって、どの程度の傾斜までが自分の制御領域か、わかってくる。
心拍数で管理するという考え方ではオリンピック級選手たちも使っているハートレートモニターが、最近ではスントの高度計付き腕時計でも利用できるようになっている。これだと心拍数の上限と下限を設定すれば、一定の運動強度で歩ける領域を確認することが簡単にできる。
そういう科学兵器を使わなくても、わたしのシミュレーションマップを持って、息切れしない範囲で歩いてみれば、歩きにくい領域が赤○のパターンから読みとれるようになってくる。
速く歩くことが重要なのではない。10時間行動できる巡航速度をまず見つけて、そこから幅を広げていくことが現実的ではないかと考えている。
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