軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座054】ヤマビル対策――2008.4.10



■房総半島で吸血中のヤマビル――1997.7.15
ヤマビルは体重の10倍から20倍の血液を吸って、密かに脱出しようと計っている。血を吸うとからだはだんだん丸くなる。



■房総半島で逃亡を図ろうとするヤマビル――1997.7.15
からだに取り付いたまでは良かったが、まだ吸血していないのに発見された。尺取り虫のように逃げようとしているのだろうが、その辺の意志は明快でない。背に黒筋3本が正しいヤマビル。


●増えているヤマビル

 私が初めてヤマビルと出会ったのは房総半島。1997年の7月15日にアジサイの咲く麻綿原から清澄山への軽いハイキングを実施した。首都圏自然歩道の「アジサイのみち」で、スター地点を内浦県民の森としたときだった。
 県民の森の入口にヤマビルに対する注意があって、事務棟には塩水を入れたスプレーが置いてあった。靴に噴霧しておくとヒルが寄りつかないというのだ。
 道は森に入ると沢すじになり、いかにもヒルが出てきそうな湿った雰囲気になった。そして、やっぱり出た。何人目かの人が取り付かれるらしく、大騒ぎし始めた。ヒルは先頭の私が通過するとやおら頭をもたげて、次か、その次か、獲物に取り付いてくるようだ。
 当然、パニックが広がった。休憩をとる場所がない状態でズンズン歩いて、舗装路に出たところでようやく平和な気分に立ち戻れた。
 しかし、止まってみれば、被害状況は大騒ぎの印象とはまた違っていた。私の靴下の中にも1匹もぐっていたし、自覚症状なしに血がタラ〜リと垂れている人もいた。しばらくは、体中を確かめるような第2次パニック状態になった。
 このとき、私は2つのことを知った。
 まず、塩水スプレーが必ずしも効かなかったのだ。なぜかというと、片方だけやってみたら、塩水をかけた方にヒルが入った。経緯にもうすこし複雑な状況があったかもしれないが、ともかく「効かなかった」のはまちがいない。
 それから、リンパ腺を腫らした人がいた。「ヒルは血が止まらないだけで実害はないですから」といっていたことが嘘になった。じつは私も、医者に行くほどではなかったが、なんとなくおかしな感じがしたのでそういうことがあると思った。
 その後、ずいぶんいろいろな山でヒルに出会った。屋久島ではひとり10匹は大げさだとしても、全員おおさわぎして佃煮にできそうな数のヒルをつまみ出したこともある。
 いま問題になっているのは丹沢だ。シカにくっついて移動するらしく、以前は行かなかったはずのところに大量にいたりする。山の名前を書くと梅雨時以降出かけるのがおっくうになるので明らかにしないけれど。
 今年は3月25日に房総の金山ダムから元清澄山へと歩き、清澄寺に出た。首都圏自然歩道の「モミ・ツガのみち」だ。最初のヤマビル体験ルートに続く道だ。3月だから、まずヤマビルは出ないはず、と宣言していたのだが、帰ってみるとひとり被害が出ていた。根拠のない宣言だったことがバレてしまった。
 団塊の世代より前の人々は多くの人が田んぼのヒルを知っている。食われてもヘッチャラという記憶があるという。わざと血を吸わせて直した病気もあると聞いている。ヒルは生活のなかにあったようだ。(私は東京育ちだから直接的には知らないが)
 しかしいま、山にヒルがいるのも悪くないと思っている。山の中にそういうコミュニケーション不可能な生物が存在していることが正常であって、人間が意外にもろい存在だということを教えてくれることがあったほうが、ないよりはいい。3月25日の房総半島だって「ヒルは出ません」といってみても、歩きながら足元にヒルを探す目つきは、やっぱりあった。ヒルが山歩きに緊張感を与えてくれたといっていい。


●ヤマビル研究会によると

 じつは今回、予告には「ヤマヒル対策」と出ていたのではないかと思うが、正式には「ヤマビル」だそうだ。
 周囲のみなさんにヒルの話をしていたら、「娘がヤマビルの研究者です」という人がすぐ近くにいた。さっそくレポートしてもらったけれど、じつは「ヤマビル研究会」で検索すれば、本家本元のホームページできちんとした情報を得ることができる。直接ご覧いただいた方が確実かと思うけれど、こちらはこちらで話に決着をつけておかなければいけない。
 まず、血を吸われてリンパ腺をはらして医者にいった人が複数いるけれど、どうなのか。人によってかゆみが残る、腫れが残る、傷口が化膿するという例があるけれど、1週間から長くて3週間で完全に消えるという。それ以上の疾患につながる例はないという。
 ヒルに取り付かれるのを防ぐために塩水は効果があるけれど、濃度が20%ほどでないと効果は薄く、しかも忌避効果は1時間ももたないという。塩を直接振りかけるとヤマビルはナメクジと同様、確実に死ぬという。
 ヤマビル研究会が発売している忌避剤のヤマビルファイターは靴やズボンの裾、シャツの袖口にスプレーすると、忌避効果が2〜3週間も持続するという。
 ヤマビルが木の上から振ってくる……というのもどうも正しくないらしく、ほとんどは地面から人間にとりついてはい上がってくるらしい。だから靴に忌避剤を塗っておくだけでヒルを寄せつけないという。
 血を吸われた後、驚くのは長い間血が止まらずに垂れ流しになっていること。しかし吸われる血はせいぜいが1ミリリットルから2ミリリットル。吸われてもどうこうという量ではない。
 しかし血が止まらないのは困る。シャツや靴下が真っ赤に染まってそうとうに目立つ。蚊に刺されると「血はあげるからかゆみを残すな」といいたくなるけれど、ヒルは田んぼにいたチスイビル(血吸蛭)もこのヤマビル(山蛭)もわずかな血を吸ったら、丸くふくれあがって、コロンと落ちていく。痛みを感じさせないようにモルヒネのような麻酔をかけてくれるというていねいさだ。
 ところが同時に血の凝固を防ぐ物質も使っているので、数時間出血が止まらないようになる。絆創膏などで出口をふさいでもいいというけれど、正しい処置は毒蛇に噛まれたときとまったく同じだ。
 敵の口から出た薬液を除去したいのだからまず傷口を水で洗う。傷口付近にある毒物をそれ以上中に入れない処置になる。それから毒虫にさされたときにその毒を吸い出すためのインセクトポイズンリムーバー(1,000円程度)などで吸い出すといい。血液媒介性の肝炎、エイズなどや、土壌媒介性の破傷風などに感染したという事例はないということだ。
 タラタラと垂れ続ける血が止まり、かゆみがなければ、別にどうということもない。危険な敵ではないということは明らかだ。味方でもないけれど。


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