軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座055】寝袋とシュラフカバー――2008.4.25



■南アルプス北岳・白根御池小屋の混雑――1998.7.18
一年で一番山が混雑するのが夏休み最初の週末。後から後から宿泊客が来て、もう定員などとっくにオーバーしている状態。トイレに起きたらもう戻る場所はないと覚悟。



■愛鷹山の越前岳中腹にある愛鷹山荘――1997.7.26
個人所有ながら公開されている。所帯道具がそろっているので生活は快適だ。真夏なのでシュラフカバー1枚でも暑すぎるぐらい。


●小屋泊まりにシュラフカバー

 寝袋とシュラフカバーという言い方は重箱読み(だか湯桶読み)みたいなものかもしれない。寝袋は以前はドイツ語読みでシュラフザックといい、最近では英語読みでスリーピングバッグと呼ぶ。
 シュラフカバーはそれでいいのだろうか。寝袋の外側にかぶせる寝袋型の防水袋で、ゴアテックスなどの透湿防水素材で作られていると驚くほど強力な装備となる。
 私がコーチングをしてきた古くからのみなさんは、たいていゴアテックスのシュラフカバーをもっている。みなさんに私はずいぶん強力に勧めたのだ。
 まず、山小屋の就寝状態が天国となるか地獄となるかは神のみぞ知る。だから安眠確保のためにシュラフカバーを持ちましょう、というのが第一の理由だった。
 山小屋は定員の基準が肩幅の45cmだから畳1枚……というより布団1枚に2人並んで寝るのを基本的なイメージとする必要がある。それが混む日にはしばしば3人になる。どう考えても不可能だからいろいろな逃げが黙認されるけれど、逃げられないこともある。雑魚寝といっても上を向いて寝るわけにはいかない。横向きに寝て、しかも寝る向きを上下交互にして足と頭と足で布団幅に治めなければならない。
 その状況では、おじさんの、山靴で蒸れた足が顔の前に来ることだって十分にあり得るのだ。いびきが耳元で発生するということも多い。寝袋型の袋は、外気を遮断するという機能をまず発揮してくれる。
 最近の山小屋では占有幅は狭くてもひとりひとりの寝袋が支給されるところもある。そうなると地獄のレベルはかなり緩和されるのだが、そうでない場合には、毛布や掛け布団の重なり目で思わぬ悲劇が起こる。重なり目で重い思いをするのつらいが、左右から引っ張られて掛け布団が逃げてしまう危険もある。
 そういうときに、布っぺら1枚とはいえ、からだをおおっているものがあると、かなり安全性は高くなる。
 加えて貴重品。財布やクレジットカードなどもだが、夜中に必要になるかも知れない水なども含めて、本来なら頭の上に置いておきたいものをシュラフカバーの中に入れてしまう。もっといえば、着替えだって入れておいて、中でもぞもぞと着替えることも可能になる。
 さらに、本来の機能として、布団が湿っていてつらい夜になるときに、その湿り気をシャットアウトしてくれる。さらにこちらの服が湿っている場合には、その湿り気がからだを冷やさないように包み込んでくれるのに加えて、おだやかに湿り気を排除してくれるので、翌朝には爽快な状態になっている……というぐあいだ。
 つまり、山小屋によって天国もあれば地獄もあり、同じ山小屋でもその日によって天国・地獄の相違があり、さらには寝る場所のたまたまの位置や、たまたま隣に寝た人との巡り合わせによって天国にもなれば地獄にもなる。
 値段は透湿防水のレインウェアと同じぐらいするのだけれど、予期せぬ最悪の状態で安眠を確保してくれる危機管理装備として、できるだけみなさんに用意しておいてもらいたいと考えていたのだ。
 話が過去形になっているが、最近ではあまり勧めなくなったし、持っている人も家においたままということが多い。
 なぜか。けっきょく、山小屋を選び、さらに時期を選ぶことによって最悪の状態をなんとなくさける技が身についた。
 そして透湿防水シュラフカバーの代用を透湿防水レインウェアでもなんとかできるということに気づいたのだ。山小屋の就寝環境があまりにも悪いときには、レインウェアを着込んで寝るという選択肢もありなのだ。歩くとジワ〜ッと足が湿る布団で、レインウェアでそれなりに安眠できたというような体験が装備を軽くしている。


●寝袋選びの難しさ

 高価なシュラフカバーをみなさんに買わせてしまったことから、避難小屋泊まりやテント泊も季節を選んで……断熱マット+シュラフカバー+フリース上下+貼るカイロというような設定でやるようにしてきた。
 ところがなかに寝袋をもってきた人がいると寝袋なら安眠できるという感じになる。保温性のないシュラフカバーでなんとか快眠しようとする努力をあざ笑うかのように「ぐっすり眠れた」などといわれると私のように意地を張る必然のないひとはそちらにぐらりと傾いていく。
 しかも畳んだときのコンパクトさからみなさん羽毛の寝袋にあこがれる。そこでも私は対抗して「羽毛より化学繊維の高級品」というのだが、羽毛の魅力というのは毛皮の魅力みたいな魔力をもっているらしい。
 羽毛を避けたい理由は、たとえばウールを避けたい理由と共通するところがある。かつてはオールウールマークが高級品というイメージだったけれど、天然繊維に追いつき追い越そうとしていた化学繊維が圧倒的なパフォーマンスを示し始めると、オールウールにも高級ウールと安物ウールがあって、なまじのウールでは高級な化学繊維にかなわないという時代になっていた。すでに1970年代に、ミラノに住む日本人テキスタイルデザイナーからその話を聞いていた。
 わかりやすくいえば、東レが極細繊維のメガネふきを出したころ、あるいはエクセーヌという人工のバックスキンを出したころから、化学繊維は天然繊維にない領域に踏み出していたといえる。
 米国の巨大繊維メーカーであるデュポン社が開発したダクロン繊維は、極北のイヌイットが防寒衣としてもっとも信頼するカリブー(トナカイ)の毛皮を目標にして繊維内に空気をたっぷり閉じこめたものに成長していった。
 寝具に使われる高級化繊綿を羽毛綿と比べると、繊維そのものに吸湿性がないのでジャブジャブ洗えるというのが利点。繊維が湿らないので汗で湿っても保温力などが落ちにくい。復元力も大きいので、小さく丸めておいても傷みにくい。
 羽毛には天然繊維なりの決定的な利点がある。吸湿作用があるので、からだから出る湿り気を羽毛自体が吸収して寝袋内の環境を整えてくれる。
 しかしそのおかげで、羽毛自体が湿ると保温力が低下する。マイナス20度Cとかそれ以下の極寒の地では吸湿力が大きな役割を果たすのだが、日本のように(テント内で)0度C前後、とかなり湿っぽい環境では、羽毛は初期の性能を維持しにくい。
 それと背中と床のあいだの敷き布団に当たる部分が、化繊のほうが圧力に負けにくい。あるいはまた、羽毛は布の縫い目などからすり抜けてはみ出してくることが多い。羽毛のジャケットなどでもそのあたりで古びた感じがしてくる。
 ともかく、勝負は羽毛(ダウンとフェザーの混合)と人工のカリブー毛皮ということになるのだが、当然のことながら羽毛の最高級品は驚くほど高価だ。そこそこの値段のものと最高の化繊綿とを比べるとどっこいどっこいではないだろうか。
 畳んだときにいくぶんかさばるというハンディを容認すれば、タフで性能劣化が少なく、メンテナンスに気を遣う必要もない化繊綿に部がある……と私は確信するのだが。
 そして厳しい条件下で寝袋で寝るときには、外側にカバーをかけ、場合によっては内側にインナーを加えるというかたちをとる。きちんとしたマットで床に逃げる体熱をシャットアウトしたら、あとは着るもので環境温度に対応するというやりくりも有効なのだ。
 ともかく、最初の寝袋を買う場合には、総重量が1,000gを越えないもので、できるだけ小さくなり、価格が1万円前後のもの……すなわち高級コンパクトタイプを選んでみていただきたい……と言い続けてきた。カタログにある対応温度などに惑わされずに。


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