軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。
【伊藤幸司の軽登山講座056】靴底トラブル――2008.5.10
■登山道に捨てられたアウトソール――2007.9.25
谷川岳の天神尾根に靴底が1個転がっていた。下れば1時間でロープウェイだから、この靴の持ち主は危険な状態にはならなかっただろうが、ゴミを残していった。
■房総半島・烏場山ではがれたアウトソール――2008.1.12
靴底に残っている汚れみたいなものが、ウレタン・ミッドソールの残骸。はがれる前に処置できればよかったのだが。
●富士山で3人
私は登山靴が突如壊れるという事故を何回か体験している。そのうちの2回は富士山だった。
1回目は1999年の8月、富士宮口の新五合目で出発の準備をしていたら、ひとりの参加者の靴底がパランとはがれた。見てみるともう一方もはがれかかっている。極細のロープを常備していたのでそれで縛りつけて登山は完遂できたが、私には始めての経験だった。
2回目の富士山は2006年の8月、台風が富士山に接近遭遇した日だった。吉田口登山道の八合目で一夜を過ごして台風一過の快晴を期待していたけれど、翌朝になってもまだ台風最接近のただ中だったので、待ちきれなくて下りにかかった。そのとき、メンバーの2人が、次々と靴底をはがしたのだ。
なぜ富士山で、というのはすぐに推理できた。私の計画書に書いた一文がその引き金になっていた。富士山は火山礫の登山道なので靴が傷みやすい。そこで「できれば傷んでもいい靴でおいで下さい」と書いたのだ。
傷んでいい靴といったって、私のようにメッシュの運動靴というわけにはいかない。こまかな火山礫が靴の中に入れば、足を痛める。
そこで最近はいていない古い登山靴を引っ張り出して、ダメになったらダメでいい……とはいてきた。おかげでドラマチックにダメになってしまったというわけだ。
昔、学生時代に山に出かけたときには、針金とプライヤーが必携だった。いろんなものを応急的に直したが、登山靴も修理した。
当時は登山靴は革製で、ビブラムソール(イタリア・ビブラム社のゴム底)を張ってあった。下宿生活の新人部員が安物の靴をはいてきた。で、そのビブラムソールが……というより、靴の本体側の縫い目がゆるんで、1週間でバラバラになりかかった。靴を針金でグルグル巻きにして下山できたが、それは靴全体が崩壊する動きだった。
富士山ではがれた靴底はそれとはちがう。ゴムのアウトソール(靴底)はそのままで、本体との間を埋めていたミッドソール(中底)が泡のごとく消えていた。
●「登山靴」というイメージ
房総の烏場山は花嫁街道というネーミングの稜線歩きで人気だが、そこでも靴底をはがした人がいた。真冬の雨の日だったから、足を濡らすのがいやで、靴箱から古い登山靴を引っ張り出してきたという。
歩いていて、オヤッ? と思ったら、靴底がパッカン、パッカンはがれてきた。私は腕の見せ所とばかり細ひもで縛りつけたが、じつは成功しなかった。靴底がはがれかかっている状況ならそれでよかったのだが、いったんはがれてしまったら、ひもで縛るのは高度の技だ。歩くとすぐにゆるみが出て、はずれてしまう。
じつはテーピング用のテープを常備していた。それでグルグル巻きにしてしまうのが正解だったが、すっかり忘れてしまっていた。
おもしろいことに、この種の靴底バラバラ事件は、片方の靴で起きたら、すぐに反対の靴でも起こる。伝染するようなのだ。
ゴムの靴底と本体の間の層が、指で触るとズブッとつぶれるほどふぬけ状態になっている。これが話題(?)のポリウレタン・ミッドソールの加水分解だ。
ポリウレタンは伸びる糸やクッション製のあるシートなどにも使われているが、発泡ポリウレタンがゴムに代わって靴底に使われるようになって、靴が画期的に軽くつくれるようになったという。ゴムスポンジだと比重が0.8ぐらいになるが、発泡ポリウレタンだと比重0.4ほどでいいという。
ところが、すべてのポリウレタンにおいて、製造された瞬間から崩壊に向かうという宿命を背負っている。空気中の湿り気を吸収して加水分解するのがメーンだが、空気中の窒素酸化物でも分解は進むし、紫外線や、汗に含まれる塩分もその崩壊を促進するという。
崩壊に至る期間は一般に「3〜5年」といわれる。靴箱に入れておくと、湿度が高い分、分解速度は速くなる。慣れてくると崩壊現象の進行が外から見えるが、きちんと保存された靴だからみなさんそれに気づかない。よく見ると、中底にあたる部分にしわがあったり、切れ目が見えたりする。外見の印象はまだ十分に新しく見えていて、印象としては「一生もの」みたいなのだが、その部分に指を突っ込んでみると状態はすぐにわかる。
買って3年から5年ではない、作られてから3年から5年なのだ。同じポリウレタンはほとんどの靴に使われているようなので、私がはきつぶすメッシュの運動靴でも同じだ。以前、ナイキがゴアテックス防水の全天候型ランニングシューズを冬期限定販売していたときに、土踏まずのあたりのミッドソールに指が突っ込めるようになったことがある。でも問題がなかったのは、靴がしなやかなので、パカンとはがれるようにはならなかった。
登山靴は、軽登山靴であっても、硬くてがっしりした雰囲気につくっている。ストレスが全面に均等に加わっていくのだろう。
最近、登山道のあちこちで靴底が転がっているのを見かける。アッ! ここではがれたんだと思うけれど、この靴をはいていた人はどうしただろう。
じつは花嫁街道で靴底をはがした人も、けっきょくは靴底なしで下山した(……すみませんね、直せなくって)。外見は普通だが、足は冬の雨でびしょ濡れ状態だった……という。
昔、登山靴は一生ものというイメージがあった。だからいいものを買っておきたいと考えた。しかしたった3年から5年の寿命……しかも連続的に劣化していくというのでは寿命を考えない競技シューズみたいなものだ。
しかもこわいのは突然アウトソールを欠落させて、歩行性能を失わせる。ゆっくりとダメになっていくという猶予期間が与えられない。
こういう靴を、道具としての進化形と認めるわけにはいかない。少なくとも、ミッドソールが消滅しても、アウトソールがはがれない程度の防御措置はとられなければいけないだろう。素人考えでいえば、かかと側とつま先側に本体とはがれない処置をしてあるぐらいのことは当然だろう。自然崩壊はあるとしても、登山者を危険な状態に陥らせない処置は必要不可欠ではないだろうか。
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