軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。
【伊藤幸司の軽登山講座063】塩と砂糖――2008.8.25
■足がつっただけではなかった――2007.8.25
西丹沢の大室山で足がつった人が出たが、どうもようすがちがう。ガタガタと震えだした。低体温症というべきものが出たようだ。もちろんここぞとばかり、実験的手当をいろいろやったけれど。
■行動食――1997.8.9
シャリバテを防ぐ最良の方法は、休憩時間にこまかくエネルギーを補給すること。雨が降っても、槍が降っても、風景絶佳でも、何でもいいから食べる、食べる、食べる。
●塩と芍薬甘草湯
このタイトルを見て、何のことかすでにお分かりの方が、あんがいたくさんいらっしゃる……ということを感じながら書いていきたいと思う。
私はいま、ザックの中にひとつかみの塩と、漢方薬の「しゃくやくかんぞうとう」(ツムラの68番)を常備している。
参加者のなかに医師がいて、最近巷ではこんなクスリに人気があるけれど試してみない? と渡されたのが最初だった。すぐに別の参加者から何袋かいただいた。
それで、足がつりそうな人が出ると飲んでみてもらっているのだが、結論からいうと、効くか効かないか分からない。
効くはずがないでしょう……という声も聞こえてくる。このクスリを使う人は、用心のために出発前に飲んでくるという。
その医師も、毒にも薬にもならないものを患者に飲ませたりする人だから、使うならいかにも効くように使いなさいということだろうとは分かっているけれど、私はいつも疑い深い表情で試している。
足がつるという事件は、私にはあまり重要なことと思えない。しばらく休憩時間をとって、そのあと様子を見ながら行動すれば、いいからだ。
足がつることの原因は筋肉疲労と考えていいけれど、冷えがあったり、まれに汗をかいたときには血液中のナトリウムやカリウム不足が原因となると考えられている。塩はもちろん塩化ナトリウムの補給用だ。
塩については多くの人が持っていて、だれかの足がつると何種類かの塩が出てくる。岩塩だの、天日干しの塩だの、味自慢の塩だの……だ。
たしかに、大汗をかく状況では、水分補給が重要だ。これは熱中症の危険を避け、心筋梗塞などの発生を抑えるためにも、リーダーは本気で心配りしなければならない。とくに熱中症は山で発症したら死亡率のきわめて高いものになるけれど、リーダーが注意を怠らなければ危険はほとんど回避できる。すなわちリーダー責任の病気と考えるべきものだ。
そして水分補給によって、汗がたっぷりと出、血液中からナトリウムなどを溶かし出したとすると、その補給が必要になる。
塩は、その不安に応えてくれる。ひとなめしておいしいと思ったら、一口補給するのはまちがいなくいいことだ。
それをスマートに、かつ効率よくしたいひとは、スポーツドリンクを用意している。運動によって失われるもの、汗で流れ出してしまうものを合理的に補給できる。
話が芍薬甘草湯からどんどん離れてしまったけれど、もうひとつ加えておきたい。私は山で飲む水は家の水道の蛇口からとった水道水と決めている。夏も冬もまったく同じにしているので、夏はどうしたってぬるい水、冬にはマイナス10度Cぐらいになると薄氷が張ったりする。まったく同じ水を透明のポリタンから飲むことで、その日の水の消費量をなんとなく計っている。
たぶんそれが水の基準消費量と考えられる。環境の変化によって消費量が変わることもあるだろうが、ある人固有の問題として、消費量が異常値を示すこともあるだろう。あまり正確ではないけれど、自分自身をひとつのモノサシと考えておけば、環境と行動内容に異常性の原因があるとすれば、なんとなくキャッチできる……と考えている。
有効かどうか分からないけれど、そういう客観性から見ていると、芍薬甘草湯を予防薬として出発前に飲むというひとは許し難い。クスリを飲んでからだにどれほどのストレスが溜まろうが、大したことないだろうし、どうでもいいけれど、からだに聞く前に頭が勝手に危機管理を進めてしまう警備優先主義が危険なのだ。足がつるという症状があらわになる前に、何段階もの前兆を見せてくれるはずのからだに目を向けようとしない。
足がつっても、私などはほとんどあわてない。本人がすこしつらい思いをすることと、チームがちょっと余分な時間を必要とする程度で、終わってしまうことだから。
そのときに、親切に贈られた塩をひとなめしておいしいと思ったら、それは「からだに聞く」範疇のことだと思う。
スポーツドリンクも総合栄養剤みたいによさそうな成分が全部入れてあるようなものもあるという。飲み続けていると思わぬ栄養素が過剰摂取になったりする危険性がある。すくなくとも、からだに染みわたるような感じがなくなったり、味がしつこく感じられたりするときには、からだが必要としていない……かもしれない。
●砂糖
塩のように砂糖そのものを持っている人はたぶんひとりもいないけれど、氷砂糖とブドウ糖なら持っている人がいるかもしれない。とくにブドウ糖は行動中のカンフル剤として劇的な効果を発揮することがある。たいていの人は糖分補給のための何かを嗜好品や非常食として持っている。キャラメル、あめ玉、ようかん、チョコレートやあんパンなども似た役目をになっている。山では甘いものが欲しくなるし、おいしいと思うからだ。
冬に上高地へスノートレッキングしたときのこと、ある人が突然倒れた。雪の中だから倒れたことそのものは危険を感じさえなかったが、蹴つまずいたり、滑ったり、バランスを崩したのと違って、どうも内発的なもののようだった。
低体温症によるものだったら熱中症と同様に看過できないけれど、それが突発的な病気のたぐいだったら、どうしようと、緊張した。まったく手を出せない領域のものかもしれない。
結論からいうと低血糖の症状だった。糖尿病を同居させている人で、血糖値が上がらないように管理している。そういう人は、余裕幅がないのでちょっとしたズレで低血糖になる。周囲の人には食事制限の面しか見えないけれど、低血糖になるのを警戒して、あめ玉などを口にすることで調整している。そういう人にとって、ブドウ糖のかたまりはきわめて効果的なカンフル剤だ。
真冬の上高地で、その人はいつもの調子とちがうので、血糖値を下げてしまった、ということのようだった。糖分を補給することで症状はあっけなく回復した。
低血糖という症状を何人かの人から聞いて、シャリバテ(ガス欠ともいわれる)も低血糖というふうに考えるのが正しいと思うようになった。
シャリバテも突然来る。そしてあっけなく回復する。空腹だからシャリバテになるのではない。血糖値が下がるのだ……と考えると、納得がいく。
私は医者ではないので、不都合が起きてからの手当のたぐいには重きをおきたくない。売薬などを持ち出すのはもってのほかだ。「体温計とクスリは勝手に病気をつくりだす」からだが、そのことはまたあらためて書きたいとおもう。ここでは「水と塩と砂糖」を持つことで、自分のからだの元気な状態をしっかり観察し、会話する……という提案をしておきたい。
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