軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。
【伊藤幸司の軽登山講座073】ダブルストック技術試論4〜5――2009.1.25
この試論は以下の項目から成り立っています。
基本編……1.長さの調節・肉体化、2.左右のバランス、前後のバランス、3.V字ポジション、4.登りのパワーアシスト、5.下りの深前傾姿勢、
応用編……6.登りの段差拡大・パワーアップ、7.下りの段差拡大・ヒザの徹底保護、8.左右50:50、9.岩場対応・V字ポジション、10.岩場対応・谷側一本勝負
■登りのストックワーク――2006.7.22
月山の雪渓。比較的急勾配の雪渓で登りのストックワークを試みると、後ろから押し上げるという感覚をつかみやすい。
■初心者のお手本になる下りの構え――2002.6.9
御坂山地の十二ヶ岳山頂からダイレクトに下る、その一番急な斜面で、はじめて深い前傾姿勢を指導。「3歩先に突く」ほぼ理想的なスタイル。
■4.登りのパワーアシスト
多くの人は登りでストック(や杖)の助けを借りたいと思っているようだが、私は長い間それに手を貸さない立場をとってきた。
放任主義をとったので、みなさんがどういうふうにストックを使うのかはいろいろ見てきた。今、あわてて私の主張するスタイルに整えてほしいとやってみたけれど、絶望的だ。ターゲットを絞って特訓してみても、私が理想とする「究極の登り」を見せてくれる人はほとんどいない状態だ。
登りで「パワーが欲しい」という発想を封じ込めたいと考えて「トレーニング不要」と宣言し「無駄を省いた登り方」を工夫してきた。パワーアシストのストックは大きな段差を乗り越えていかなければいけないときに「ピークカット」する道具と位置づけてきた。一定の負荷を超える足の負担に対して、腕力の分だけ助っ人するという考え方だ。
自動車ではトヨタのプリウスに代表される電気モーターとのハイブリッドシステムがいま脚光を浴びている。電気モーターで始動・低速運転をし、高速回転型のエンジンに対して加速時にパワーを供給、停車すると自動的にアイドリングストップとなる。ダブルストックをハイブリッド登山のアシストパワーと考えたいのだ。
注釈が長くなるが、リーダー的意識でお読みいただいている方には、とりあえずこの項目を飛ばして、できれば「9.岩場対応・V字ポジション」から遡って基本の構えに戻っていただきたい。究極のスタイルを理解しておいていただかないと、ストックの石突きが後ろ足のかかとの脇にくる確率が低くなってしまう。
さて、最初に何をするかというと、緩やかな登りでストックを引きずって歩いてもらう。両手を軽く振って、自然な歩き方をしてもらうのだ。
そのときストックは握らない。ベルトに手を通しているので、グリップを握らなくてもついてくる。ついてくるまま、ズルズルと引きずって歩いてもらう。
ひとつはストックを持ち上げるという意識を取り去ってもらいたい。持ち上げて前に持っていく気持ちを封じたいのだ。それからストックを杖のように立てる意識を捨ててもらいたい。ぶら下がった腕の先に、ストックがぶら下がっているのだから、ストックはほとんど横に寝た状態だ。
そのズルズル引っ張る状態を続けながら、腕を後ろに振るときに意識して力を加える。すると地面に着いている石突きが突き刺さる感じになる。強く押すと後ろから体を押し出す感じになる。
その動作を左右両腕を同時に動かしてみる。スキーで緩い斜面を素直に登ろうとするときに、ストックを後方に突いて、後ろに下がるのを止めるように使うのと似た状態になる。
ひとつは、ストックをズルズルと引きずる騒音がいやという人が出る。だからストックを持って動かす……のではなくて、軽くジャンプさせて引き寄せる。グリップを親指と人差し指で軽くつまんで、小指で跳ね上げてみていただきたい。グリップを握らないという意識が、ダブルストックの「肉体化」にかなり重要な要素となる。
登りではダブルストックを左右の手の振り方に合わせて、その手が地面まで伸びてしまったというような歩き方になるのだが、これは誰にでもできるはずだし、ここのところで「杖」とは違う進化の道を選ぶことになる。
登り道が急になり、大きな段差が出てきたらどうするか。多くの人はバランスの不安(頭が感じる部分)を補うためにストックを前に出そうとしてしまう。せっかく肉体化し始めたダブルストックが「杖」に引き戻される瞬間だ。
今まで自然な手の振りで引きずってきたストックを、2本同時に(左右をそろえて)引きずって、大きな段差の下から、2本同時に押し上げる。
2本のストックが「V字型」になっていて、しかもそれが「きついV字」になっていれば、石突きは後ろ足のかかとのあたり(すなわち後ろ足が置かれているステップ)に置かれる。元気のいい人なら後ろ足で蹴り上げて乗り越えようとするその段差を、足で蹴らずにストックで押し上げる。
2本そろえて、後ろ(下)から押し上げる感覚がつかめたらOKだ。
■5.下りの深前傾姿勢
ゆるやかな下りが、じつはやっかいだ。ストックの破損が起きやすいからだ。
登りではストックの石突きは体より前に出ないはずだ……私のやり方であれば。体の後ろで押し上げたら、石突きをかかとのところまで引き戻すだけ。ストックは体の後ろで突いて、引き抜くだけだ。
ところがゆるやかな下りになると、前方に突いたストックが、体の脇を通って後ろまで大きく振られることが多い。
つまり平地を大きな腕振りで歩くように、ストックが体の脇を前方から後方へと移動する。ストックに慣れてくると、これが気持ちいいから困る。なぜ困るかというと、ストックを折ったり曲げたりする事故がそういう歩き方から発生する。
登山道は岩や小石がベースとなって、それに土がかぶっていると見るのが基本だ。突いた石突きが岩と岩との隙間に入ったあと、前方に突いて後方から引き抜こうとする大きな動きだと、石突き部分が固定されたまま上部が大きな角度で動かされる。テコの原理で、ストックはかんたんに曲がってしまう。私のストックの1本も、下りでバテ気味の人に貸したら、一発で曲げられてしまった。多くの人のおおらかなストックワークは、千歩にひとつぐらいの不幸な場面で簡単に曲げられてしまう。よくある事故だが、そういう使い方をしなければ事故はほとんど起こらない。
じつはストックワークも含めて、下りの歩き方は登りの真逆と考えたい。登りでは「かかとで歩く」感じで靴底が斜面にフラットに接地する。下りでは逆に「つま先歩き」にしないと重心がどうしても後ろに残ってへっぴり腰になる。下りでストンときれいに転ぶのは全部後傾姿勢に由来する。
柔らかな靴を履いていれば、滑りそうな急斜面(路面も滑りそうな場面)で、はっきりと「つま先立ち」の効用が確認できる。驚くほど滑らないのだ。
多くの人は靴底の凹凸や靴底外周のエッジで滑りを止めてくれると考えているようだが、じつは重心移動のスムーズさが滑る・滑らないを左右する。滑りそうに見えない靴で乱暴に歩くより、足裏の感覚がシャープに伝わる柔らかな靴(靴底の形状はあまり問題にならない)を履いて、重心移動によって生じるブレをこまかくコントロールするほうが歩きのクオリティが高いと認識してもらいたい。
さて、下りにかかったら、スキーヤーが上級コースでスタートする瞬間のように、ストックを前に突く。その前方への出し方がほとんどの場合控えめすぎるので、私は「3歩前に」ということにしている。
かなり深い前傾姿勢になるので、一瞬体重をストックにかける。そこのところで、ストックを下りで長くする人と進むべき道が分かれる。
深い前傾姿勢で一瞬ストックに体重を預けてから、押し戻す感じで段差をまっすぐ下に下りる。3歩の1歩めだ。もう1歩出たところで、最初の深い前傾姿勢とストックが作る三角形の底辺中央あたりになる。そこでストックはさらに3歩先へと出す……感じ。前に突いて、前から抜くから、亀裂の多い岩場で使ってもストックがはまって折れるというような心配はほとんどない。
急斜面で深い前傾姿勢をとるのだが、それは多くの人にとっては恐怖心を感じる場面だ。ストックが体重をかけるに値する道具だと思っていない人なら、さらに恐怖は大きくなる。私や私の周りの人はそういう場面でストックが短くなった経験をかなりもっているけれど、想像に反して、ストンと縮まることはほとんどない。まっすぐ縮めるのではなくて、どちらかの方向に偏った力が加わっていることと、ストックがゆるんでも滑りにくさが残っていることによるらしく、危険なかたちにならずに仕事をちょっと怠けたというあたりですむことがほとんどだ。
多くの人はそこまで危険に身をさらすことは避けようという配慮から、体重を預けることを避けようとする。きちんと作られたダブルストックは、一瞬、命をかける仕事、すなわち車を運転するくらいの危険度には対応できる道具だと、私は思っている。
大きな段差を、ふつうなら小さな段差に刻んで下るか、手を使って、からだをよじって下るところを、ストックで深い前傾姿勢をつくって、そこにまっすぐ、そしてゆっくり、スローモーションのように沈んでいく。
やってみるとすぐにわかるが、着地した瞬間、つま先が地面をさぐっているはずだ。ストックがまだ前方にあるので、かかとを食い込ませて滑り止めにしようなどとも考える必要がない。スローモーションで下ったからといって、大きな段差をワンモーションで下るので、下りのスピードは落ちない。安全性とスピードを両方一緒に獲得するために、ダブルストックを信じて使うかどうかだ。
前方に突いて、前方から引き抜くという動作は、ストックなしならそうとう慎重に構えるような斜面ではうまくいくけれど、ゆるやかな、足元にも不安のないような下り斜面では、邪魔な感じがする。しょうがないから、歩きながらストックを軽く持ち上げてやると自然に前に振り出されるから、操り人形の足を預かっているような気分で前へ、前へと送り出さないと、うまくいかない。ダブルストックは下りの易しいところで、もてあまし気味になるという告白をしておかなければならない。
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