軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。
【伊藤幸司の軽登山講座080】登山用ライト――2009.5.25
■丹沢・鍋割山頂の夜――1998.5.23
ライトを消せば、街の明かりがかなり強力なライティングとなる。雲の高さにもよるが、首都圏の明かりが全天照明となって、灯火なしの富士登山も十分可能。お試しあれ。
■私が携帯しているライト類
左端が夜の登山の90%をカバーできるキーライト。右端に3つ並ぶのは単3電池2本型の電球型ポケットライトで10年以上ザックに入りっぱなしのもの。中央が単3電池1本の1W型LEDで上質の光が出る。小型の3個はいろいろ実験中。
●作業用と走行用
これから登山を始めようとする人にとって、ヘッドランプは危機管理用の象徴的な道具であるらしい。夜になって「一応ライトを用意しましょう」というと新入の会員は多くがヘッドランプを取り出して頭に装着してスイッチを入れる。私は「ポケットライト」を買ってきて欲しいのに、登山用品店に出かけるとヘッドランプが標準仕様となっている。販売のプロが「両手があけられないと危険です」というのはもちろん正しいのだが、欠落している機能に注意を払っている人はほとんどいないようなのだ。そこで私は通常、ヘッドランプを首から下げてもらって、足元に向けてもらう。
じつは私も学生時代にはナショナル(現パナソニック)の単1乾電池2本用のヘッドランプを常用していて、鍾乳洞に入るときもそれを使用した。ヘッドランプが万能だと信じ込んでいた。
目からウロコとなったのは1968年だった。ナイル河遠征隊を名乗ってケニア〜ウガンダ〜ルワンダと行動したが、その時にナイロビのあるガレージで世話になった。購入したオンボロ車の面倒を見てくれたのだった。
そのときナイロビには石原裕次郎がきていた。「栄光の5,000キロ」というサファリラリーを題材にした映画の撮影で、ニッサンブルーバードが快走した。
実はその時、ブルーバードは初めて王者プジョーを押さえてクラス優勝するのだが、私たちはそのドライバーのインド系ガレージに世話になっていた。そこで、初めてラリードライバーが使う補助ライトを見たのだった。
探検用自動車というと、ランドローバーだとか、ジープだとか、ランドクルーザー、パジェロだとかの屋根に補助ランプを取り付けている姿が想像できる。ところがラリー用の車は全く違う。ヘッドライトの並びに補助ライトを取り付けるのはもちろんだが、室内からフロントグラスの内側に吸着させる補助ライトをもっていた。
その補助ライトを取り付けるのはどの位置か? 「目より上につけたらダメだよ」といわれたのだ。つまりドライバーの目の高さより上につけるライトと、下につけるライトでは機能が全く違うのだ。
影の出方がちがうのだ。目より上につけると、道路はよく見えるけれど、凹凸が見えにくくなる。目より下につけると、路面は見えにくいが、凹凸が強調される。
昼間の光線はもちろん上から降ってくるのだが、遠い距離にも同じ明るさが与えられる。ところがこちらから発射する人工的な光線の場合、光の明るさは距離の二乗に反比例する。つまり距離が2倍になれば明るさは4分の1になってしまう。高速で走るとなると、より遠くを見なければならないので光と影という強調機能が重要な意味を持ってくる。
登山道を歩くスピードではライトと目の高さのちがいなど問題ないともいえるけれど、ポケットライトを手に持って自然に振りながら歩いてみると、路面の小石も影が浮き上がってパッと見える。注目しつつ近づいていくと、その影の実体がライトの明かりで明らかになる。
私はだから、ヘッドランプは作業用(もちろん歩くことにも使えるけれど)とし、歩行用、走行用のもっと使い勝手のいいライトが開発されることを望んでいる。
●サーチライトとカンテラ
私がお金をいただいてみなさんを山にお連れする仕事で、ほとんど90%の場面で使っているのは常時ポケットに入れてあるキーライトだ。最近LEDがどんどん明るくなってきているけれど、当初のLEDの明るさでも仕事用のライトとして問題なく使ってきた。登山道を歩くために足元を照らすだけなら十分なのだ。
その明るさは、昔の人が提灯で歩いたというのと似ている。提灯は光が目に入るので合理性を追求したカンテラとしておきたいが、ローソクの小さな明るさで夜道を歩くのにはほとんど問題ない、と断言できる。最近、LEDの吊り下げランプが増えてきたが、そういうものを腰にぶら下げて歩くという時代錯誤的方法がきわめて合理的ということになるかもしれない。
そうは言っても、多くの人は自然の中では強力なサーチライトが必要だと思うはずだ。私ももちろん、集光力のしっかりしたサーチライト型のLEDライトも持参している。あるいはクリップタイプの広く明るいランプも常備している。しかし、よほど特殊な捜し物をするのでなければ、サーチライトはあまり役に立たない。高倍率の双眼鏡と同じで、遠くの文字を1字読みたいというような特殊な用途には向くけれど、たくさんの情報を集めたいと思うと仕事の邪魔になるばかりだ。
たとえば、草むらに道が消えているとしよう。そこでサーチライトを振り回すと道の入口のように見えるものがあちこちに出現する。暗闇から光と影のクッキリ映像がどんどん飛び出してくるので、どれが本物かなかなか判断できない。
そういう場面では、2分ぐらいライトを消して、自分の目の視野の外側に当たる高感度モノクロ画像で「筋」(道筋)をさがす。なんとなく気になる感じがしたときに、ライトを一瞬照らしてみると、情報が上積みされて、自然物と人工物のちがいがつかまえやすくなる。
周辺視野は想像を超える高感度なので、歩いているときに視線を水平〜上向き気味にゆるりと定めて(つまり車を高速運転しているときのリラックスした目配りをして)おいて、視野の下の方で道が動いていくのを半ば見、半ば感じとる。色はもちろん、形も定かではないけれど、白と黒の単純なパターンが動いていく。驚くほどの超高感度監視カメラのような映像に、小さな光をポンと入れてやると、その光は効果的に周囲を照らしてくれる。
だから私が先頭で道筋を探りながら、危険な要素がないかどうか見るときには、明るいライトは使いたくない。後ろの人が高性能のヘッドランプを額につけて歩いていると、その光が先頭の私の前まで飛び出してくるので、道筋をさぐる慎重さに不安がまじる。だから全員が明るいヘッドライトを振り回しながら、のろのろと歩く光景はずいぶん粗雑なものに見えてしまう。暗闇におののく恐怖の固まりと見えてしまう。
サーチライトはほとんど役に立たないけれど、大光量のカンテラはサブライトとして持っていたい。大光量というのは小さな活字が読める明るさ。地図や新聞記事が読める明るさはかなりのものだし、光を均一に当ててくれる質のいいライトであればあるだけいい。女性なら鏡を見ながら軽く化粧することのできる明るさといえそうだ。
昔はライト付きのペンも多用した。夜、いやな状態にはまりこんだら、行動中にメモをとることのと重要性が大きくなる。ペン先にライトがついていれば電池の使用に無駄が出ない。できればライト付きのペン先に地図も読めるような明るさのライトがつけられたらすばらしいと思ったが、LEDの時代になってそれも可能になってきた。
ダブルストックを使っている人は両手が開かないのでヘッドランプということになるようだが、ストックのシャフトにLEDの小さなライトを取り付けるだけで、登山道を照らすには十分だ。あるいはストックを握る小指あたりにそのライトを取り付けておくほうが自在かな、と考えたりしているところだ。
暗闇に目を慣らしておいてライトは短時間の繰り返し点灯にするというのは、じつはバッテリーを長持ちさせる使い方からもきている。いま、LEDが主流になって省エネモードとしての短時間点灯は必要なくなったので、点灯したまま、指で光を出したり、塞いだりもする。その場合は瞳が暗さになれて大きく開いた状態を維持するために、無駄な光は出さないという考え方だ。
ところが、いろいろなライトを使ってみると、ロックが甘い。いくらLEDが省エネだとしても、使う前にザックの中でバッテリーを消費してしまってはなんにもならない。
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