軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。
【伊藤幸司の軽登山講座084】登山道の「水抜き」が始まった――2009.7.25
■2009年6月に赤城山の荒山高原で見た意欲的な水抜き実験。これを「登山者に危険」などという「正義派」の言葉で無にされてはいけないと、今回のレポートを書くことにした。
■2008年8月に扇沢から種池山荘に登る柏原新道で見た水抜き。このかたちが、要所要所に設置されて、登山道全体を通して、谷側に壁ができているような登山道の浸食は見られなかった。
●赤城山と陣馬山で
6月に赤城山の鍋割山(標高1,332m)から荒山(標高1,572m)に登った。目的は荒山高原のツツジだったが、健脚組だったのでわりと律儀な山登りにしたのだった。
荒山高原の標高1,258メートルの十字路のような鞍部から荒山に登り、避難小屋と名付けられた休憩舎に下り、そこから棚上十字路というらしいが「芝の広場」というところに出て、荒山高原の十字路に戻った。そこから箕輪バス停へと下山したのだが、ここで報告したいのは登山道の「水抜き」についてだ。
芝の広場から荒山高原の十字路までは標高約1,250mのトラバース道で、ほぼ水平に道は延びている。歩いて10分ほどのわずかな区間だが、そこで2本、登山道をかなり大きく削った水抜きを見つけたのだ。
その道は2007年の同じ時期にも歩いているので、少なくともここ2年の間にスコップで、道の約半分と谷側の路肩をザックリと削っていた
写真を見ていただきたいが、人によっては「登山者がつまずく危険がある」と思うだろう。これは緊急に報告して、この水抜き実験をした人を擁護しておかなければならないと考えた。
7月に陣馬山から高尾山へ気持ちいい稜線歩きをしたけれど、陣馬山のあたりには、登山道を横断する形で控えめに溝を掘った水抜きがかなりの本数あった。写真も撮ったけれど、お見せする必要はないだろう、あちこちの山でよく見る水抜き溝と大きくは違わない。これも人力で、細い溝を登山道を横断するかたちで掘ったもの。
じつは陣馬山からの道では城山を過ぎて高尾山に近づくと、水抜きは違った形で次々に出てくる。登山道を横断する水抜きは同じなのだが、木組みの樋を地面に埋め込んだという印象だ。これは箱根でよく見るのと似た存在だ。箱根では登山者に、土砂を一握りでも排除してほしいと書かれている。
私がここに紹介した水抜きは、登山道に流れ込んだ雨水をできるだけうまく排除したいという意味では同じなのだが、あえて言えば目的がすこし違うように思われる。
高尾山周辺を歩くときには樋型水抜きをよくごらんいただきたいが、まっすぐな登山道にいくぶん斜めの溝を作って雨水を排除しようとしている場面も多い。その設置場所と頻度を見ていくと、これは登山道を破壊する水の力を除こうというよりも、もっと神経質に、登山道に雨が水たまりを作ると、登山者がそれを避けて道をはずして歩くようになることを防ぐために、徹底的な水抜きをしていると思われる。
陣馬山のあたりの水抜きは設置場所をもうすこし絞っていて、道がカーブするあたりで、流れてきた水の勢いを抜こうという意識が見られる。
赤城山の水抜きをごらんいただきたい。なんでこんな大胆な溝を掘らなきゃいけないのかと言う人が出そうだが、この溝は私が見たのは2本。だれかが実験的に掘ったにちがいない。この溝が豪雨の時の水流をどのように流してくれるか、確かめようとしているのだろう。
私は日本中の登山道で、こういう大胆な水抜きの溝が掘られることを期待している。後ろにもう1枚水抜きの写真を載せたが、私の目にはほぼ同じ規模の水抜きに見える。(それについては後で述べたい)
私ははじめから登山道観察マニアではなかったのだが、ダブルストックを使うことで下りの安全性を高め、膝への負担も徹底的に排除でき、チーム全体のスピードアップに重要な装備だと考えたことから、やむなく登山道を観察し始めた。「ストックは登山道を破壊する」と無知な登山者から言われるのはよしとしていたけれど、登山のオピニョンリーダーの中にもまじめにそういう人たちがいて、「登山道の破壊」についてもっとちゃんと見てくださいよと言いたくなった。そこで歩くたびに登山道の破壊についてすこしずつ考えてきた。それについてはすでに【軽登山講座43】登山道の破壊、【軽登山講座64】登山道とダブルストックなどをまとめてきた。
つまり、ダブルストックの小さな穴ぼこも、もちろん登山道の破壊に加わっている。しかしそのことが気になって仕方ないような登山者には、ぜひ、登山道の破壊が水の力によるもので、荒れた登山道に「水抜きがしてあったら……」という視点をぜひ加えてもらいたいのだ。
前記のレポートですでに書いているが、水抜きが登山道の保全に決定的だと思ったのは、丹沢の鍋割山荘に泊まったとき、草野延孝さんが「50mごとに水抜きできればいいんですがね」と語ってくれたことによる。
最近、別子銅山の見学ルートの技術的アドバイスに招かれたが、住友金属鉱山のみなさんの中には、登山ルートの水抜きという概念がすでにはっきりと確立されていた。いまは登山道であり、ハイキングルートだが、以前は鉱山そのものの運搬ルートでもあった道だ。水抜きは山岳道路の維持管理の基本的要因と考えなければいけないはずだ。
●素人考えの登山道補修をよく見てみよう
多くの登山道に、登山者のいやがる階段がある。べつに階段をつくろうとしたのではない。土留めをして登山道を保全しようと考えたのに、ある日一気に土砂を流出してもくろみが崩壊したりしている。
するとどうなるのか、放っておくと登山者は周囲の草地や林の中に歩きやすい道をみつけて、道が何本もできていく。
それをふせぐために、木製の階段のようなものを崩壊した道の上にかぶせることで人工的な登山道を構築しようとする例が多い。
その工事現場に遭遇することもあるので見ていると、資材はヘリで空輸できる。場合によってはミニユンボのような土木機械も投入して、写真に撮ると立派に見える工事が完成する。
しかし、足元は何年に一度か、何十年に一度の集中豪雨があれば、濁流が流れ下る涸れ川だから、階段登山道がブロック単位で流されてしまったりもしている。
登山道に興味が向いているみなさんには、そこが川になったときの状態をどうか想像していただきたい。あるいは徹底的に自然の驚異に身をまかせてきた北海道の登山道のように、どのあたりでバランス点を見いだすのか、荒れ果てた後の姿をじっくりと観察していただきたい。
私だって素人だが「素人考えの登山道修理」と決めつけるのは、下界の人間が設計図を書いて、そのとおり造ってしまう道路工事が行われていると考えるからだ。
そのような登山道工事に携わる人はぜひ、北アルプスの種池山荘に登る柏原新道を視察していただきたい。【軽登山講座64】(登山道とダブルストック)で使った写真をまたここで見ていただくが、太い塩ビ管を半割にした樋を写真のようにいい加減に置いてあるのに、登山道には水流でえぐられた痕跡はほとんどない。
素人考えかもしれないが、水抜きを見るときに、道に水たまりができるレベルを防ごうとするのか、道路を破壊する水流にならないように力をそげばいいのか、という基準設定が必要になる。谷側の路肩が盛り上がらないようにするだけの水抜きができていれば、路面が濡れても、流れができても、大きな破壊にはつながらない。
逆に言えば、谷側に壁が立ち上がっている部分は、強力な水抜きが必要な個所だということもできる。そういう目で登山道を見始めると、補修工事の不合理さがわかってくる。
それと、人によって踏まれた道を掘り返すことの愚かさもあんがい見逃されている。北アルプスの燕岳に登る道についてはいろいろな機会に触れてきたが、燕山荘の人たちは夏休みが始まるまでに(長野県で全県的に行われる)学校登山の受け入れのために、登山道の補修にかなりの力をそそいでいるようだ。
6月にたまたま遭遇したその補修作業では、数人のスタッフがシャベルとツルハシとノコギリと針金……といった道具を使って、こまかな補修を「心がけて」いるようだった。つまり踏まれた道をできるだけいじらずに、小さな不安定要因だけを取り除いていくというような道の手当。写真に撮っても、素人が見たら「手抜きかもしれない」と思うようなプロの仕事だ。
登山道を掘り返すのはどう考えても合理的なやりかたではない……という見方も重要になってくる。下界の人間が下界の土木工事と同じ基準で行う登山道の補修は、あるいは強力な登山道破壊工事かも知れないからだ。
そういう意味で、日本全国の登山道で、要所要所に実験的に水抜きの溝をつけてみていただきたいし、それに対してしばらくは「道路破壊反対!」などと叫ばないでもらいたい。なかには失敗の水抜きもあるかも知れないけれど、登山道において、踏まれた路面をできるだけ掘り返さないということと、谷側に壁があったら、有効な水抜きを考えるという視点が常識的になったら、日本の一般登山道はもっと安定したものになるのではないだろうか。
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