軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座086】携帯電話を使うコツ――2009.8.25



■太刀岡山の太刀岩から見た平見城の牧場群。背後の山は曲岳から黒富士。この風景のほぼ全域で携帯電話が通じるようになったと想像できる。



■蛭ヶ岳の山頂。富士山の山麓に自衛隊の北富士演習場があり、その手前に湖面が白く凍結した山中湖が見える。記念写真の背後の小さなエリアで携帯電話が通じる。


●「mova」の敗北

 昨年の11月だったと思う。八ヶ岳の行者小屋から美濃戸口バス停へと出る南沢ルートを下っていた。山から下る道が沢筋の場合は、登山口へ出るまで携帯電話が通じないのが一般的だ。よほどいい角度で下界を見通せない限り、電波が通り抜けてくる可能性はきわめて少ない。
 ところがそこで、同行者の携帯電話が鳴った。緊急の用で呼び出されたらしい。
 エッ! こんなところで? と私は自分の携帯電話を出してみたのだが、ウンともスンとも反応しない。圏外なのだ。
 その前にも似たようなことがあった。茅ヶ岳の近くの黒富士から下って、平見城という名の開拓地に出た。JR中央本線・竜王駅から入ったところだ。
 牧場のたぐいが並んでいる。そこには肉用馬の肥育牧場があって、以前、熊本で食べた馬肉の話をしたら、オヤジさんが「こんどこれが熊本に行くよ」というのでびっくりしたことがある。
 そのオヤジさんがまたいた。タクシーを呼ぶ携帯が通じないので、聞いてみると「そこで通じるよ、ドコモなら」という返事。そのはずだった。来るときのタクシーで昇仙峡へと抜ける道の分岐のあたりに、ドコモの携帯電話のアンテナが建っていた。それをアテにしてず〜っと電波状態を見てきたのだが、圏外から脱しなかった。おかしいと思っていたのだ。
 そこでみなさんに携帯電話を出してみてもらうと「通じますよ」という人が何人もいる。要するに、ムーバ(mova)は通じないがフォーマ(FOMA)は通じるということが明らかになってしまった。
 山情報ではついこの間までFOMA(2GHz)はまだ通じないけれどmova(800MHz)は通じるというケースが多かった。それが逆に、FOMAは通じるけれど、movaは通じないという場面が増える状態に切り替わったということを痛感した。既設のmovaのアンテナにFOMAが加わり、新しいFOMAのアンテナにはmovaが加わらないという時代の変わり目を痛感したのだった。もちろん私はmovaからFOMAに乗り換えることになった。
 ドコモ以外はどうだろうか。山頂で「auもけっこう通じる」というところから「ドコモと変わりないかもしれない」というところまできている。ソフトバンクは山岳地帯ではほとんど信用していないから私は本気で比べたことがない。
 ともかく、登山での携帯電話の通話能力は驚くほど進歩した。今夏事故のあったトムラウシでも山頂からは携帯電話が通じる。それをはずすと山頂から4時間ほど下った「カムイ天上」のあたり、下ってきた道がトラバースに変わる地点でまた一度通じる。あの事件のとき、3人目のリーダーが客を振り落としても先を急いだのは携帯電話で事故を伝えるためだったと報道されている。
 私はmovaからFOMAに切り替えたが、auはまだ選択肢に入っていない。山からの通常の連絡ではほとんど遜色ないかもしれないのだが、たとえば四国では以前、山岳地帯にはドコモのアンテナは建っていてもau(KDDI)のものはないという状態を体験した。地方へ行ったとき、山間の村、山間の温泉、山間のゴルフ場、山間のスキー場、山間の観光施設……を対象にアンテナが1本建ったという場合にどうしてもドコモに軍配が上がる。登山者は「電波のおこぼれを利用する」という技術的認識が必要なのだが、その場合にはやはりまだドコモに有利さを感じている。


●電波のおこぼれを利用する

 たとえば丹沢山地の最高峰・蛭ヶ岳の山頂からは携帯電話が通じる。西に30kmほどのところに山中湖が見えている。距離が遠いというのなら、南に15kmほどところを東名自動車道が走っている。北に15kmには中央自動車道もある。そのどことつながるのかわからないが、山頂の西の端のせまい場所で携帯電話が通じるのだ。
 「山歩きのためのブランド物語」の第6回「FOMA」(http://bv-bb.net/bonvivant/yama/brand_006.html)では、携帯電話は直線距離で約20kmの通話能力をもっているという正式な回答を得た。海ならもっと届く場合があるというのだが、直線で20kmという通話可能距離は覚えておいていいようだ。
 たとえばトムラウシの場合、ドコモが正式に通話領域としているのはJR根室本線新得駅のある新得町の市街地だが、トムラウシ山頂からは南に45kmもある。ところが東南方向にある糠平湖や然別湖にスポット的にアンテナが建っていて、その先には上士幌町の本格的な受信エリアが広がっている。糠平温泉スキー場が約30kmだから、そのあたりの電波がトムラウシ山にまで届くのだろうか。
 携帯電話の通話エリアは、地表に小さな円を描きながら隙間なく広がっていく。そこを通り抜ける携帯電話機はいちばん強い電波を受けたアンテナを選びながらリレー式につながっていくという。
 携帯電話の電波がターゲットとするのが地表なので、電波を空に逃したくないというのが本音になる。スキー場などではアンテナを上に向けることがあるとのことだが、基本的には電波は上方に逃さない。
 そのおこぼれ電波を山頂にいる登山者はひろって通話するというイメージが重要なのだ。地元のタクシー運転手に聞くと「あのあたりなら通じる」というポイントを教えてくれる場合もあるけれど、移動しながら、体をクルクルと回転させながら電波を探すというのが基本になる。携帯電話画面のアンテナが3本ちゃんと立つ場所で電話しないと、ちょっとした姿勢のくずれで通話がとぎれてしまうことも多い。携帯電話と通話者の体の位置関係で電波状況が変わるほど不安定なことが多い。
 しかし、アンテナが遠いだけではない。眼下に高速道路がある場合など、自動車に乗って高速移動する携帯電話が途切れないようにアンテナが数多く建てられている。距離が近いのにやっぱりつながりにくいのはもう一つの根本的な理由による。
 携帯電話のアンテナは地上に円を描きつつそれを連続させているのだが、山の上からだといくつものアンテナが同時に、同距離に見えていたりする。同じような強さの電波を複数受けると、どのアンテナと交信するのか決められなくて通話が不可能になるという。
 つまりその場合は邪魔なアンテナの電波を弱くしてやらないといけない。今度も移動しながら、体をクルクルと回転させながら、通話可能な電波をひとつに絞ってやらなければいけない。
 登山道では、通じるはずの場所で通じなかったり、通じないはずの場所で通じたりするのだが、電波が弱いか、複数の電波が喧嘩しあって邪魔しているというケースが多い。だからどうしても連絡を取りたい場合には、歩きながら頻繁に携帯画面のアンテナの立ち方を観察する必要がある。
 問題はそれが遭難に関わるような緊急事態の場合だが、ひとつは電池切れの心配。登山では補充電源を非常用装備として常備したい。
 それから遭難状況では悪天候の場合が多いので、携帯電話は防水型が好ましい。しかし日常の使用に便利な携帯電話が選ばれているわけだから、その場合は防水袋を用意したい。一般にビニール袋と呼ばれるポリエチレン製の袋は透明度がよくないので、ポリプロピレンなどの透明な袋を用意しておきたい。雨の中で、歩きながら、携帯画面のアンテナの立ち方を見ることができるかどうか、それが遭難騒ぎを未然にくい止めたり、救援要請を早い段階でできるかどうかの差になってくる。


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