軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座087】くつひも――2009.9.10



■現在の登山靴では靴底と靴本体とのあいだでつなぎ役となっているポリウレタンが加水分解して5〜6年で消滅する。オリジナルのくつひもは圧倒的な耐久性といわざるを得ない。



■2008年末から使用している私の一張羅の登山靴。左がくつひもを締めた状態。右がゆるめた状態。だいたい1年で100日履くとみすぼらしくなってくる。限界は1年半といったところ。


●予備のくつひもは必要か

 私は世間の情報に疎いところがあって、旅行会社の登山ツアーや、プロガイドによる登山教室に通っているみなさんの話を聞いていると、ときどき驚くことがある。
 最近ビックリ仰天したのは持ち物リストの中に「くつひも」があるという話だった。当然あちらがメジャーだから「持たなくていいんですか?」というニュアンスで話された。
 私は1983年から中高年登山の教室に関わってきて、1995年からは自分一人ですべてをこなすワンマンシステムで1,000回以上の登山をしてきた。
 延べ人数ではすごい数になるし、登山がまったく初めてという人も多かったし、さらにいえば運動靴推進派として靴に対してはいろいろな理論武装もしてきたけれど、くつひもの予備が必要ということに関してはほとんど考えたこともなかった。考えなければならない事件もまったく起こってない。
 しかしそのとき、突如、反省もした。「くつひもをとりかえる」という必要を感じるケースがありながら、くつひもの予備を探して買うということの億劫さが先に立って、放置したことをちらりと反省した。くつひもの予備にどんなものがあるのかさえ知らずにきた。それは少々うかつだったかもしれない。
 さて「くつひもの予備」の必要性だが、私が学生だった昭和40年代、あるいは1960年代までといっていいと思うが、くつひもの予備は非常に重要な危機管理アイテムだった。予備のくつひもを持っていない不安は、今でいえば、4〜5年たった登山靴を履いているといつ、どこで靴底がパカッとはがれるか心配なので、布粘着テープや結索バンド、テーピングテープなど(ひょっとしてそのための予備のくつひも?)を用意しておいて、下山するまではがれた靴底を靴につなぎとめておかなければならない危険に似ていた。
 当時のくつひもには木綿製のものが多かったように記憶している。登山靴のホックの角張ったところでどんどんすり切れていった。丈夫なナイロンの丸ひももあったけれど、ゆるみやすかったり、ほどけやすくて、私などには使いにくかった。
 いまのみなさんにはあまりなじみがないかもしれないが、ビニロン製のクレモナというロープ(いまももちろん販売されているけれ)が、綿ロープの扱いやすさとナイロンロープの強靱さとの中間的な存在として補助ロープとして多用されていた。くつひももそういう時代にあったと考えている。
 そういう時代だったから、靴ひもは突然切れるものと思っていたし、そういう事故はいくらでも見た。しかし今、ツアー登山の参加者にとって予備の「くつひも」はどのように必要なのだろうか。私にはどうしても理解できない。靴に使うくつひもの予備という意味なら、主催者側が救急用品の中に長めのくつひもを1本入れておけばすむことだろう。
 私には答えられない難問だった。
 くつひもについて、どんなひもが予備として売られているのか調べたこともないのでそれについてちょっと反省したのは事実だ。
 じつはくつひもは、確率論的に非常に危険な装備といえる。1,000回を少し越える私の登山のなかで、2度、くつひもが直接の原因となる事故が起きている。
 1,000回のうちの2回だから0.2%の確率……ではない。1回は伊豆七島・神津島の町中で。舗装路の坂道で女性が突然バッタリ倒れた。すぐに診療所で見てもらったが、歯を1本折ってしまった。
 2回目は蓼科山から下って、蓼科牧場バス停で荷物の整理をしていたとき。このときも女性だが、突然バッタリ。このときは怪我らしい怪我はなかった。
 1回目はくつひもの、蝶結びの輪の部分が、反対側の靴のフックに引っかかったのが原因。町歩きだったので、くつひもをゆるめていたことが遠因となった。
 2回目は、くつひもを解いて、そのまま何かほかのことをしようとして歩き出したとたん、ほどけたくつひもを反対側の靴で踏みつけたのが直接の原因だった。
 重要なのはいずれも登山中の事故ではなかったということ。いずれも予想外の事故だったこと。……とずっと考えていたけれど、くつひもの危険を感じながら放置していたことからいえば、想定内の事故だったともいえることだ。
 ずいぶん前から、くつひもの扱いに関しては気になる光景がいろいろあった。その人にひとこと言っておこうか、どうしようかチラリと悩むこともあった。
 登山におけるくつひもの締め方は、くつひもをきちんとしめる登山モードと、アプローチでの、ゆったり気分でのゆるい締め方に分けられる。基本の登山モードを登山と下山に分けている人もいるかと思うが、それについては次項で触れたい。
 問題は登山モードできちんと締めたときに、くつひもが長すぎるという例が多いことだ。メーカー側が「長すぎで、文句があるか」といわんばかりに長いひもをつけている例もある。標準装備されているくつひもが標準の長さなのかどうか、きちんとチェックする基準を、私たちはぜんぜん持っていないことに気づく。
 くつひもの現在の問題点は、切れるかどうかではなくて、ジャストフィットする長さかどうかというところにあると思われる。


●くつひもの締め方

 くつひもの締め方にも古いやり方が色濃く残っている。「登りはゆるめに、下りはきつめに」というのがその代表かもしれない。
 登山靴のひもの締め方を考えるときには、まずその基準を設定しなければならない。最近では周囲はみんな「軽登山靴」になってしまったので、本格的な登山靴と見比べることが難しくなっているが、靴底がしなることなく、本格的なアイゼンを装着できる靴としておきたい。
 いまやそのすべてが、というわけにはいかないが、甲の部分には「D環」と呼ばれる金具が取り付けられていて、足首には「フック」と呼ばれる引っかけ金具がつけられている。足首を締めたくつひもを簡単にはずせるようにフックが使用されていると考えて間違いないだろう。
 その甲の部分のD環列と足首の部分のフック列の間に第3のフックがつけられている。ひもをはさむとバネで押さえられて固定されるタイプの緩み止めフックだ。
 つまり本格的登山靴では甲の部分と足首の部分の締め方を変えることができるようになっている。足首部分をしっかり締めるということは、岩場でつま先を有効に使うときのギブス効果を高める(つま先から足首へのL字をサポートする)ために重要だが、そのために甲の部分まで締め付けてしまうのは足によくない。
 ともかく、くつひもを全部締めてしまうと、平地を歩くのがむずかしい。スキー靴ほどではないにしても、平地では甲の部分は締めておいても、足首の部分は解放してやらないとどうにもならない。
 ところが軽登山靴は(軽いという以上に)平地を歩ける靴になった。くつひもをきちんと締めた状態で平坦な道を歩ける登山靴が軽登山靴といえる。
 その結果、甲の部分のD環がもっと簡便な形になったり、緩み止めのフックがなくなったりしたけれど、ブーツ型の登山靴では足首部分はあいかわらずフックがついていることが多い。軽登山靴では脱ぐときにくつひもをはずしやすいフックがやはり便利なのだ。
 さて、それがどうして「登りはゆるめに、下りはきつめに」となったのかということだが、ビシッと言い切ってしまうと「登りはゆるめに、下りはきつめに」しないと履けない靴は足に合っていないのだ。
 ほんとうは靴ひもをきちんと締めて登りも下りも問題なく歩けるかどうかで、究極のフィッティングを判断したい。しかし所詮は既製靴。メーカーによって木型が違うのでメーカーとの相性を見つけるのが第一。それでも左右の足の大きさが違うので、薄い靴下1枚で両足にジャストフィットさせるのは理論的に不可能だ。そこで究極のワザとして足と靴の空間調節をする中敷き(インソール)とくつひもの締め方で微調節しようということになる。
 話はちょっと飛ぶが、私はかねがね、軽くて柔らかな靴が登山(一般登山道の登山)に向いていると主張してきた。最近では防水のウォーキングシューズが軽登山靴の代わりに履かれるようになってようやく登山者の足にやさしい靴の時代になってきたと喜んでいる。
 ところが柔らかな靴のくつひもの締め方があまり理解されていない。話をわかりやすくするためにスニーカー(どんなタイプの運動靴でもいい)だとすると、登山用にはワンサイズ(0.5cm)からツーサイズ(1cm)オーバーのものを購入して靴ひもを先端部分から順に、足が痛いくらいにきつく締めてみることをすすめている。
 スニーカーのくつひもは以前ならハトメ、いまでは紐の輪を通して締める。それを常識的な感覚で「きつめ」に締めても、ダメなのだ。
 ともかく先端部から順々に締め上げて、足が悲鳴を上げるぐらいにしてきちんと縛る。蝶結びの輪をもう一度結び目にくぐらせると絶対にゆるまないということをご存じだろうか。ほどくときはふつうの蝶結びと同じだから使い勝手が非常にいい。言葉で説明するのはなかなか難しいけれど、蝶結びの2つめの輪を引き抜くときにさらにひとくぐりさせるとか、指先で輪を作っておいて輪を引き抜くという指使いのときには最初の輪を2重にするとか、ふつうの動きに1動作加えるだけで緩まない結びができる。
 足が悲鳴を上げるほどにきつく締めてみて、どうだろうか。くつひもは全体に平均化されて、たいていは痛さなど感じない。下りで足の爪を痛めるという心配のあるひとは、たいてい平地でジャストフィットの靴を履き、くつひもはいい加減にしか締めていない。つま先に十分に余裕のある靴をはき、靴が皮膚と一体化するように強く締めてみてほしいのだ。
 そういうくつひもの締め方に慣れてくると、軽登山靴でもみなさんくつひもの締め方が弱いのではないかと思えてくる。
 頭で考えたジャストフィットではなく、くつひもの強度ぎりぎりに締めてみて、実際に山を歩いてみてほしい。いいところも、悪いところもあからさまに見えてくる。ひもの締め方で調節できるならそうすればいいし、中敷きで解決すればそうすればいい、それでもだめなら靴を替えるしかない。
 私の周りの人たちでも軽登山靴はけっこうな数を買っている。自分の足にフィットする靴が見つかったとしても、しばらくすると新モデルが出て合わなくなる……などというショッピングテストをみなさんずいぶんやっている。
 やわらかな靴をはいて、くつひもをきちんと締めて登山道を歩いてみてほしいのが一番だが、柔らかな靴は頼りないという人が多い。そこで軽登山靴でも一度、力任せにくつひもを締めて、歩いてみてすこしゆるめてみるという方法をとっていただいたら、足と靴との関係が、良くも悪くもはっきりする……はずだ。
 さて、最後にひもの長さだが、きちんと締めて、きちんと結んで、余った部分は切ってしまうことをぜひ常識にしていただきたい。それで靴はずいぶんスマートな感じになる。


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