軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座090】アラコキ(アラウンド古希)登山を考える・1――2009.10.25



■2008年1月の六甲山。お二人の年齢を合わせると143歳。片道6,500円の飛行機を利用し、山上のホテルで1泊の六甲山主要部分縦走。



■2008年4月に甲府盆地が終わり富士川が始まるあたりにそびえる富士見山(1,640m)に出かけた。どんな山かわからずに参加したのは女性2人。合わせて139歳。これは下山後一宮の桃畑で。


●三人三様

 毎月早稲田の小さな会場でやってきたダブルストック講座に区切りがついたので、10月から70歳前後を対象とするアラコキ(アラウンド古希)登山の講座を始めてみた。
 このボンビバンでの告知(伊藤幸司主宰イベントのお知らせ)と私のホームページでのお知らせだけだったこともあって、初回の参加者は3人、しかも身内の人たちばかりだった。
 これまでの経験からいって、週刊誌など活字媒体に小さく載ると、10人程度の人たちが集まるということでささやかな講座が続いてきた。本を読んでくださった人がインターネット上で私の動きを知って問い合わせてきたというケースも年に10人程度はあるので、ほぼ月に1回のペースで続いてきたのだが、今回は初回が3人ということで、ちょっとつらい出発となった。
 じつはそれだけではない。朝日カルチャーセンター千葉でも数日違いで同じ名前で講義を告知した。年に何回か、登山実技への新しい参加者を獲得するために仕掛けている入門講座を、今回はそれでいこうと試みた。……のだが、じつは外部からの応募がみごとにゼロ。これまでそんなことは一度もなかった。
 そのことを集まった3人に話したら、そのひとりが一刀両断「ネーミングが悪いんです」という。カルチャーセンターなどで、同じ講師の同じ講座が、名前の違いで集まる人数に大きな違いが出ることがよくあるという。「アラコキ」なんていう妙なコトバを使うからいけないという。
 では「70歳」とか「高齢者」ならいいかというと、そこのところもやってみなければわからない。ネーミングの失敗だけにとどまらないかもしれないのだし。
 ただ私には苦い思いがある。ほんの数年前まで65歳あたりが中高年登山の大きな曲がり角と考えていた。拙著『山の道、山の風・軽登山を楽しむ』(2009.4・晩聲社)では『「中高年登山」からの脱却』という見出しも立てている。
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 じつはほんの数年前まで、私は65歳あたりが登山年齢において大きな曲がり角だと考えていた。ご本人がさまざまな老化を感じて、山歩きで周囲に迷惑をかけるのを心配するようになる。そして家族も、年齢から生じる山でのさまざまな異変を心配する。
 肉体的年齢を考える前に、社会的年齢が65歳あたりで「引退」をせっついていた……ということに私も影響されていた。ところがある日、69歳の人が「これから山歩きを始めます」と元気に登場した。
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 一瞬にして65歳超の人たちが70歳超を競う構えに変わってしまったのだ。私は1983年以来「中高年登山」に関わってきたけれど、それがいま「高齢者登山」さらに「後期高齢者登山」へとシフトしつつある勢いを身近に見てしまった。「アラコキ」というのは私にとってはかなり重要な技術課題となってきている。
 さて参加の3人だが、1935年生まれの74歳が2人と1943年生まれの66歳だ。話を聞いてみると三者三様、それぞれにアラコキ登山を展開している。
 最年長のSさんは68歳のときに標高400mの山に四苦八苦したのが、74歳の今年はほぼ毎週、9月までで、すでに35日も山に行っているという。とくに北アルプスでは水晶岳に登るべく、悪天候に翻弄されて今夏3度も挑戦したという。
 Sさんのリタイア生活は神社巡りからはじまったという。平安時代中期に編纂された律令集「延喜式」に記載された3,000社の神社を日本全国に訪ね歩くドライブ旅行をほぼ終了した後、神社が祀られている山々に目が向いたのが68歳。私のダブルストック講座に参加したのが73歳。以後、何度か私の会で山を歩いているけれど、基本は単独行だ。行きたいときに、行きたいところへ、長距離ドライブで出かけてしまうという。
 同じ74歳のもうひとりのSさんは69歳のときに「これから山歩きを始めます」と宣言して登場した人物だ。大学までは本格的な体育会系だったが、会社勤めは営業マンで、スポーツとはほぼ無縁。定年後は家族のケアのために自分の時間がとれないで、70歳を迎えようとしていた。
 70歳を目前にしてようやくつかめた自分の時間で「やったことのないものをやろう」と考えて、その手始めに登山に挑戦したという。中学・高校・大学とそれぞれの友人とのつきあいは続けてきていて、中学の友人に山歩きに誘われたのが直接のきっかけだった。
 たちまち登山にのめり込んで、朝日カルチャーセンター千葉と私の会に加えて中学時代の仲間と、それから地元の山岳会にも参加し、プロガイドの講習会で本格的な岩登りや冬山登山も体験している。ほぼ毎週山に行くという生活が現在まで続いており、最近では地元山岳会でリーダーも担当するという。「歩く暇がないくらい山に行っている」という日々が続いている。
 一番若いKさんは60歳のときに友人たちと奥鬼怒に旅行して、自分だけが鬼怒沼へ行けなかったのに発憤したという。図書館徹底利用型の読書家であるところから登山関係の本を片っ端から読んで、私にアプローチしてきた。その後インターネット情報を手がかりにして、丹沢の尾根や谷を単独で自在に歩くというのが基本。2〜3年で100回という丹沢フリークとなった。「毎日登山」発祥の地・神戸の出身なので、六甲山に代わって丹沢という日常的な山歩き。さらに地形図の講習や樹木観察など、学習型の山歩きにも積極的に参加している。
 お三方とも、言ってみれば相当の過激派だ。登山にはまり、数年間で百から二百の山にたて続けに登ってきた。そんなふうに登れることが生きている証のようにも思えるから、止まらない。体と心が明らかに上向きに激変する。
 たぶん、年齢に関係なく、筋肉は強化され、気持ちは高ぶり、登山の充実感は上向きになる。社会的年齢という常識が邪魔をしなければ、誰にでもそのチャンスは与えられる。あとはその上昇カーブが頂点に行き着いて、下降線をたどり始めたそのときに、どういう選択をするかだ。


●リタイア・転進・再挑戦

 いま私の近くに、「復活」を目指している女性がいる。名前をいえないが、こちらもSさんとしておこう。1936年生まれだから今年73歳になる。
 運動などとはまったく無縁の生活をしてきたというSさんは、15年前、東急セミナーBEのチラシで、運動靴で行ける山歩きというキャッチフレーズに引っかかってしまったという。
 私とは以来15年間のおつきあいになるが、途中からすこし関係が薄くなった。テレマークスキーにのめり込んで冬の楽しみが増えたのと、東北の山に魅せられて自分で計画することが多くなった。そして最近、私の講座に参加するたびに「そろそろ引退……?」という気持ちが強くなってきたという。
 そこで私は再挑戦を提案した。靴を軽くすること、ザックを最新式のものにすること、着るものを一新して、もう一度仕切り直ししてみることを提案したのだ。
 歳とともに老化を強く感じるようになる。とくに脚力の衰えはバテることで明らかになる。周りの人とのバテ具合を比較しながら、毎回引退を考えるなどということはつまらないと私は考えている。転進するのならいいけれど、リタイアするというのなら、一度、復活戦をきちんとやって、それからでも遅くはないと考えている。
 1939年生まれだから現在70歳の(また)Sさん(女性)が4〜5年前にリタイアを考えたことがあった。ちょうどそのころ1938年生まれのKさん(男性)も65歳という境界年齢にさしかかっていて、悩んでいた。
 たまたまのことだが、それぞれおふたりに靴を替えることを提案した。私がいう運動靴までいかないでも、防水のウォーキングシューズに替えるだけで足への負担は大きく違ってくる。フッ、と軽くなる。
 その小さな変化でおふたりは、たまたま同じ時期に同じように悩んでいて、同じように復活した。男性のKさんのほうはその後センチメンタルなひとり旅に転進していったが、女性のSさんの方は、すっかり肩の力が抜けたのか、開き直ったのか、周囲が驚くような健脚ぶりを発揮している。
 あるいはまた1936年生まれの男性で(また別の)Kさんの例がある。73歳になった今年は山との相性がよくないらしく、私のところに参加するごとに周囲のパワーに圧倒されて悩んでいる様子。自分の力が衰えて、来るたびに悔しい思いをし、周囲に迷惑をかけたと反省する。悪い循環に陥っている。
 Kさんの体力の衰えは数年前から徐々に明らかになってきている。片足のバランスがよくないのを力で制御しきれなくなってきたというのが私の見るところなのだが、もっと大きな問題がある。
 いろいろな仕事で山に出かける日がつぶれたりする一方で、リーダーとして人を連れて外国に出かけたり、ハイキングに出かけたりするようになっている。旅行は、たとえそれがかなりハードな冒険旅行で波瀾万丈、疲労困憊であったとしても、肉体的なトレーニング効果は小さいのが普通だ。それと私の場合もそうだが、リーダーとして出かける山は自分自身のトレーニングにはなりにくい。余裕幅を残して行動している限り、疲れはしても拡大再生産にはなりにくい。
 復活した女性のSさんとリタイアに揺れている男性のKさんの違いで、私にはっきり分かるのは、Sさんが以後毎月2回の山歩きをかなり厳密に維持しているということ。それと比べると男性のKさんは数ヶ月間を置いての再挑戦が、毎回うまくかみ合わずに悩んでいる。
 先に紹介した1936年生まれの女性のSさんは、再起を誓って靴を新しくした。ザックも聞くところによると神保町あたりであれこれ8時間ぐらいかけて新しいものにした。スタイルには大きな変化はないけれど、「せっかく買ったのだからあと10年は頑張らなくっちゃ」と吠えている。
 あと10年というはっきりとしたギアチェンジをしたのだから、もうほとんど問題ない、と私は見ている。これまでと同じ流れの中で体力の衰え具合にばかり目がいくのを断ち切って、もう一度自分の力を試し直し、ダメなようなら目標を定め直す。そういう選択の幅をもったとたんに、見えてくる世界が変わる。気持ちが変われば、肉体はそれなりに気持ちに追従してくれる……という小さな奇跡をこれまで何度となく見てきたからだ。
 登山という行動では同じ山を同じ時間で登っても同じ体験密度だとはいえない。経験則でとらえた山の格付けを排除して、リフレッシュした気持ちで再挑戦してみれば、これまでとは違う価値観の登山になるという可能性がある。
 登山という一般ルールを逆手にとって、同じ山を別の価値観で登れるようになれば、登山を踏み台にしてなにか別の果実を手にするということもある。肉体は確実に老化していくけれど、頭はまだ発展の余地を残している。価値観をちょっと切り替えるだけで、これまでとほとんど同じ登山を続けるという余裕幅がけっこうたっぷりと残されていたりする。
 若い人の場合より、山ひとつをめぐるドラマを見せてもらいやすいという意味で「アラコキ」世代の軽登山は私にとって興味津々、楽しみなのだ。


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