軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座091】アラコキ(アラウンド古希)登山を考える・2――2009.11.10



■御坂山地の十二ヶ岳から西湖へダイレクトに下る道。難易度の高い急斜面を下ると、ひとりひとりの弱点があらわになる。技量とともに老化にも気づきやすい。



■これは御坂山地の毛無山山頂。足下に河口湖と西湖がひろがる。わずか数キロのところに街が広がっているのに携帯電話が通じにくいときには、クルクルと回転しながら移動すると複数のアンテナからの電波の干渉を遮ることができるかも。


●歩き方のチェック

 登山講座の常連のみなさんを見ていての印象だが、60歳を越えると「ある日突然」という感じで、その人の「老化」を感じることがある。
 周囲の人よりはるかに元気な人でも、連続的に見ていると今まで気づかなかった妙な動きが現れることがある。
 最初はバランスだ。周りのみなさんはダブルストックを使っているので、それが動きを拡大して見せてくれることが多いのだが、バランスに自信をもっている場面に、不安な仕草が紛れ込んでくるのに気づく。
 いろいろあるのだけれど、わかりやすい例を挙げれば段差の大きな下り。周囲の人たちが下っていく動きの中で、一瞬足を止め、体勢を整え直して下りにかかる。
 もちろんダイレクトにそう見えるわけではない。エッ! あの人が? というようなもどかしい感じがして、どうしてだろうと見ていると、動きに躊躇感が加わっている。
 もちろんその日の体調がよくなかったり、その場面が他の人より苦手なタイプなのかもしれない。だから結論づけたりはしないけれど、見たことの違和感は残しておく。
 私自身の体験だが、登山道を歩いているときに、なんとなく足が岩に引っかかると感じたことがある。たまたま一度というのではなく、連続的に引っかかる。
 気をつけていると家の中でもそういう気配が感じられる。60歳を過ぎて、いよいよ老化が迫ってきたかと思わずにいられなかった。
 それが老化現象の始まりだったかどうか定かではないけれど、私はこう考えてみた。
 足の筋力が弱ったから引っかかるのではない。目で見て段差を感知して、頭が足に命令した情報が正確でなくなったのではないか……。引き上げ幅の寸法を間違って命令してしまったことによるミスだとすれば、最初に調整するのは目と頭、すなわちセンサーとCPUだ。
 たとえば、キャッチボールで球がストライクにならないときに、腕に怒りをぶつけてもしょうがない。目標を置き直して微調整するのが先だ。それと同様、足への命令の数字を変えてみる。
 もちろん足のパワーの低下がそこにあっての話なのかもしれないのだが、そんなことは老化とかかわりなくてもありうる。疲れれば足が上がらなくなる。それを微調整する能力にミスが出てきたと考えたいのだ。
 だから、微調整とかリセットという作業が必要になるわけで、機械ものはすべからく、古くなればねじを締めたりゆるめたりしながらその作業精度を維持していくのが常識だ。それが可能なら、体内各所に老化が始まっていたとしても、内部で調整可能な範囲にとどまっているといえる。
 じつは老化が深刻になるのは、やはりパワー不足だ。それは登りに現れる。相対的な比較しかできないのだが、これまではあまり遅れなかったケースで、ズルズルと遅れていく。そういうありふれた状況が繰り返されると老化を強く感じることになる。
 私の周囲では「みなさんに迷惑をかけたくない」という言葉がそういう状態を表明している。スピードを落とせば問題ないのだが、周囲の人のスピードについていけなくなる脱落感がいよいよ「老化」と向き合う段階になる。
 人によってさまざまだが、その段階になって、最後の手段というべきものが浮上する。装備一新、再出発、全面リニューアルという切り替えだ。
 一番目は軽い靴にすること、二番目は新しいザックにして、中身も一新すること。持ち物を少なくするのだが常用装備もできる限り一新する。ずいぶんお金がかかるけれど、そうしようと決断する人なら、まず間違いなくリセットに成功する。成功する要因を内在している。そのことにはたぶん次回ふれるので、ここでは指摘にとどめておきたい。


●安全対策

 70歳を越える人たちが出てきて困ったのは保険だった。私の周囲のみなさんには、遭難時に備えるハイキング保険や山岳保険を各自でかけてもらうことにしているのだが、70歳になったら掛けられないという年齢制限が出てきた。
 調べてみると三井海上火災系の保険がその年齢制限をもうけているようだ。いろいろ探してみてモンベルの野外活動保険(ハイキング保険相当)と山岳保険が「満78歳まで有効」ということを発見した。保険料は野外活動保険が3,450円、山岳保険が8,350円だが、一番重要な遭難捜索費用が出るのは山岳保険になるので、山岳保険(1年=8,350円、3年=20,880円、5年=33,400円)をおすすめした。これはクレジット支払いに限定されるという意味でも特徴的だ。
 しかしもう一つの大きな問題が解決されていない。ハイキング保険や山岳保険は障害保険ベースなので疾病に起因する遭難事故は除外される。つまり心臓発作によって遭難したら、保険は適用されないのだ。
 70歳超のみなさんにとっては、事故が起きたときにそれが疾病に起因する可能性はどんどん大きくなる。障害保険と疾病保険の垣根を越えた遭難対策保険が待たれていた。
 待っていたのは日本山友クラブのレスキュー費用共済が、新しく「レスキュー費用保険」(日本費用補償少額短期保険株式会社)として再出発することだった。会社は松本市にあり、電話0263-31-0360、ファクス0263-31-0361。
 この保険は単純で、野外活動において遭難事故が発生した場合、警察(警察から移植された民間組織も含む)によって行われた公的な捜索・救助活動にかかった費用を最大300万円まで補償するというもの。それ以外の入院、通院、死亡、損害賠償などに対する補償はいっさいない。年間5,000円をいう掛け金は3,000円だとうれしいという感じがするけれど、傷害保険と違って疾病由来の事故にも対応するという点に大きな価値がある。年齢や遭難の原因にかかわらず「公的なレスキュー費用」についての補償が行われるというシンプルな保険となっている。
 保険を掛けたら、次は計画書だ。登山計画書は登山口に投函ポストがあればそこに入れればいいけれど、なかったり、見つからなかったりすることも多い。その場合は計画書を所管の警察署に郵送しておけばいいのだが、個人でそこまでするのはなかなか荷が重い。
 とにかく計画をメモ書きにして、家のどこかに置いておくだけで最低条件はクリアされる。いつ、おおよそどんな予定で出かけたのかがわかるだけで、いざというときには捜索範囲をしぼることができる。そこに保険の証書番号が入っていれば、周囲の人間が捜索活動にゴーサインを出しやすい。
 遭難対策は一応これでいいだろう。もうひとつ、いま多くの登山者に必要なのは携帯電話での通報だ。
 ご存じのように、山では携帯電話はつながりにくい。携帯電話のアンテナは電波を下に向けていて、上方には漏らしたくないというふうにつくられている。電波そのものは直線距離で20kmあたりまでなら届くそうだが、海と山では受ける電波の角度が違う。その点で山では「街が見えているのに電波が届かない」という傾向がある。
 もっと重要なのは、携帯電話の電波は直進性が強いので、アンテナのある街や道路などが見通せないところからでは通話の可能性はきわめて少ない。だから、山で事故が発生したら、それを通報するためには、上へ、上へと登りたい。このことは遭難時に登山者が谷へと下る危険を減らす意味でも重要で、事故が起きたらなんとかして尾根に上がろうという「常識」が生まれることを期待したい。
 そしていざ街が見通せる場所に出て携帯電話をかざしても、なかなかアンテナマークが3本立たない。圏外ならともかく、アンテナマークが1本でも立てば可能性があるわけだが、どうするか。じつは電波が弱くて通じないというのと同様に、山の上からだと複数のアンテナが視野の中にあるために、電波が干渉してどれか1本、優勢なアンテナを選ぶということがむずかしい場合が多いのだ。
 携帯電話と電波との関係を考えるときにはそれを手に持っている自分の体も電波を反射したり吸収したりという役割を果たすので、その影響を無視できない。だから1m単位でこまかく通話可能地点を探っていくというのと同時に、体ごとくるくるとまわって携帯電話に内蔵されているアンテナと人体のと位置関係を変えていく。
 登山道を歩きながら携帯電話のアンテナ記号が変化するのを見ていくと、通話できるチャンスが思わぬところで出現することがわかる。
 さて、携帯電話について最後に重要なのは、予備の電源。本当に必要なときにバッテリーがアウトになるというのがよくあるケースだ。だから(交換可能な)単三電池対応の充電器を非常用として持っておきたい。
 さらに加えれば、山での遭難と悪天候はしばしばセットになるので、携帯電話の水濡れ対策も必要だ。防水タイプの携帯電話ならベターだが、そうでなくても透明度の高い袋をかぶせるとか、電話帳機能内蔵のイヤホンマイク(ドライブ中の通話を可能にする)を利用すると本体の防水にも役立つ。
 さて、本論は通常の行動中にどのような安全対策があるかだが、それについてはこの講座の第1回を「『単独行』のリスクとメリット」からはじめている。リーダー論も含めて、お読みいただきたい。


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