軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。
【伊藤幸司の軽登山講座098】水について(5)山の水――2010.5.17
*このシリーズは全6回で、(1)飲み方、2)暖かい水、(3)冷たい水、(4)非常用の水、(5)山の水、(6)スポーツドリンク、(7)運び方――となります。
好みの飲み物を工夫するという考え方の前に、単なる水分という考え方があります。その「普通の水」はさらに危機管理用としての応用力もそなえています。
■丹沢の林道のところに流れ出した石清水。この部分だけひんやりとした風が吹き、山からの贈り物という気持ちになる。――――1997.8.7
■奥多摩の棒ノ嶺(969m)に登る白谷沢の道。足元の小さな沢は大きなゴルジュ(岩壁の峡谷)を作った張本人。わらじに履き替えて水と戯れる。歩きながら一口すくってみるといいのだけれど。――――2001.6.26
■西上州の立岩(1,265m)登山口にある千ヶ滝。滝の前に立つとちょっと汲んで飲んでみたくなる、けれど。――――2002.4.14
●山の水はおいしい?
山の水は、おいしいです。なにも見出しに「?」をつけることなく、おいしいです。
長い登りの途中で沢を横切るときなど、一口含むと、ほんとうに生き返る気持ちになります。
首都圏の登山道では、ガイドマップに載っているような山の「名水」には、利用しやすいようにパイプを埋め込んで、水を汲みやすくしてあり、たぶんカップのたぐいも添えられているかと思います。
話はすこし脱線しますが、私は学生時代に、知床半島で合計1か月近く山に入っていた経験があります。アプローチは登りも下りも沢を利用しましたからそこでは「3尺流れりゃ元の水」でした。稜線のあちこちにテントを張って長期滞在していたのですが、水くみが大きな仕事になりました。
いま、北海道では、そういう自由さはなくなったようです。主にキタキツネと野ネズミに寄生するエキノコックスが肝機能を引き起こすということで、日常生活でも手洗いや生野菜の洗浄に注意が必要で、山の沢水や湧き水も生水は飲まない方がいいとされています。ちなみにエキノコックスの卵は1分以上煮沸すると完全に死滅するので、沸かせばいいといわれます。
それほど劇的ではありませんが、本州のポピュラーな山の場合、登り切ったところに山小屋があったり、茶店があったり、立派な駐車場があったりします。
つまり山の上が無人状態とは限らなくなっているのです。そういう施設が一切なくても登山道のあちこちにトイレ場があります。登山者の数自体が半端ではありませんから、そういうトイレ汚染が下の沢水に影響していないとはいいきれません。
登山における水との危うい関係でいえば、1960年代に海外に出た貧乏旅行者と似た状態になっていると思います。外国の飲み水は不味いか、細菌に汚染されていると考えるのが常識的でした。だから旅行のガイドブックには「生水を飲むのをやめましよう」と書かれていて、現地に住む日本人はボトル入りの飲み物以外は危険で、レストランやバーの氷も危険と用心に用心を重ねて生活していました。
しかし私たちはちょっと違う視点で考えていました。「元気なうちに生水を飲もう」というのです。人間の口は日々ありとあらゆる細菌をとりこんでいます。その細菌が体内で繁殖するかしないかは、人間の体に備わっている殺菌システムが有効に働くかどうかにかかっています。
悪い細菌を取り込まないように注意するか、悪い細菌が入っても撃滅するシステムをきちんと整えておくかと二者択一するとすると、私たちは後者でした。数か月の単位で外国の田舎を歩こうと考えると、現地食に現地の水がついてきます。どうするか。
元気なうちに水に慣れること、それから水分不足にならないように注意すること。つまり体調管理にできるだけ気を配ります。
ツアー旅行者は危険な生水を避けるために、お茶を飲んだりビール(こいつは脱水機能飲料)をがぶ飲みして、できるかぎり生水に近づかないようにしていたようです。当然食生活に無理がきたに違いありません。また海外在住の日本人で神経質な人になると、空気中に漂う不審な細菌群にも注意を怠らない生活になっていました。
いま日本の山の水が、すこし警戒されています。私のまわりのみなさんも、山の水を飲むかどうか、一瞬躊躇するひとが大半です。おまけに保健所の検査で「飲用不可」などという注意書きのある水場もけっこうあります。疑えばきりがないという状態です。
そして山の水はおいしい? のかどうか。私の結論は? まだちょっと寄り道が必要です。
●おいしい水と名水
山の水はおいしいです。どうおいしいかは飲んでみなければ分からないので、できれば一口含んでみたいところです。
では私がリーダーをしているときに、山の水と出会うたびに味見休憩をとっているかというと、とっていません。ほとんど素通りです。
「できれば一口含んでみたい」などといいながら、素通りするのはどうしてか? 山の水をおいしく飲むにはそれなりの条件が必要になると考えているからです。
まずは気温、汗ダラダラの夏合宿のイメージがほしいのです。それからやはり下界とは隔絶した山の中という孤立感も欲しいところです。逆に山麓の、林道脇に蕩々と流れ出ている湧き水のように車で水くみに来ているようなお墨付きの「なんとか名水」なら味見してもいいかと思うのです。
つまり、山の水は、それだけではおいしい、とは思っていないと告白しておきます。私はどちらかといえば味音痴の部類なので、あの山ではおいしい、あの山ではいま一歩などという評価はまったくできません。論理的にいって、山の水がおいしいはずがないのです。
話は飛びますがアラビアンナイトのイメージが残る町の安宿では、素焼きの壺に入れた水が飲み水として提供されることがあります。ご存じのように素焼きの壺からは水がすこしずつしみ出ているので、それが蒸発するときに蒸発熱という潜熱を奪うので壺はほんのちょっぴり冷やされます。ほんの1度Cか2度Cではないかと思うのですが、風呂のお湯が41度Cと43度Cではまったく違うように、冷たい水はおいしいのです。からだにしみこむようにおいしいのです。
山の水はそういうおいしさだと思っていました。でもそういう説明はあまり説得力がありません。ときどきつぶやく程度に押さえていたのですが、あるとき強力な味方があらわれたのです。
ダイヤモンド社に「ダイヤモンド・ボックス」という電脳文具雑誌があったのですが、1990年の9月号で家庭用の浄水器の記事を書きました。そのときに電子顕微鏡や核磁気共鳴装置をつくっている日本電子という会社に、松下和弘さんという研究員を訪ねました。研究用の分子構造分析装置の利用開発の一環として、世界中の名水を集めて、分子レベルでの「動的構造」を調べてきた人だと聞いていました。
そのときの記事を見ながらでないと説明できないのですが、水は水素原子2つと酸素原子1つでできあがると言われるけれど、実際には最低5つの分子が結合しないと「水」と呼べる状態にはならないというのです。そして水の分子は1兆分の1秒という短い時間ごとにくっついたり離れたりする「動的構造」で、同じ水でもその分子集団の大きさに幅があるということが分かってきたというのです。
分子集団の大きい水には純粋な水を目指してつくられた純水があり、自然現象では蒸留水があるというのです。そういう水は周囲のあらゆる物質をどんどん溶かし込む能力が大きくて、飲むと体に良くないうえに、不味いのだそうです。雨水も蒸留水に近いのでこの仲間と考えると、山の清水も雨水が地表に近いところからしみ出してくるので、分子構造から見ると雨水に近いのだそうです。すなわち水自体はけっしておいしいとはいえない。松下研究員ははっきりとそういったのです。
では水博士となった松下さんの結論は────名水と呼べるのは分子構造の小さい水だといいます。世界の千か所以上の名水を集めて分子構造と味を調べた結果、水の分子集団が小さいと人間の舌の味蕾細胞に十分にとらえられて味わいが生まれ、同時に細胞レベルで吸収されやすいのだそうです。
その結果、究極の名水は、世界各地に見られる霊水(霊験あらたかな水)のたぐいで、傷や病気が治るなど奇跡の水といわれます。そういう水は例外なく分子構造が小さくて、細胞への浸透力が大きいということと関係していると松下さんはいうのです。水のそういう力は、現代医学においてもアンチエイジング(すなわち不老長寿)への期待がかかる……というあたりが松下さんのセールスのポイントになっているようでした。実験用の核磁気共鳴装置というのはおおよそ5,000万円というキカイだそうです。
松下さんの功績は、じつは日本で大きなものがありました。山の水が「名水」などと称されて有名になった影で、古くから酒蔵で利用してきた名水の相対的地位が下がってしまったというのです。そこで水の分子構造を調べてみると、山の名水と、麓の酒造りの名水とは、分子構造において歴然とした違いがあったのです。要するに同じ名水でも大関・横綱級の名水と、平幕の名水とにはっきり区別されたというのです。
話をまた脱線させますが、私の家内がある特殊な自動灌水プランターの販売にかかわっているのですが、365日・24時間、常に一定水位の水を保って、植物に好きなとき、必要なだけ水分を吸収してもらうという装置です。すると一般的な園芸技術とはまったくちがう植物と水の関係が浮かび上がってくるのですが、その最初の実験施設ではすでに20年以上水道水だけで肥料なしのまま放置した植物が繁茂しています。その元気の理由がつい最近明らかになったのですが、水道水には意図的に微量のミネラル類が混入されているのだそうです。だから天水を利用した灌水システムと水道水を利用したものとでは根本的な栄養分が違っていたのです。
ではなぜ水道水に微量のミネラルが入っているのか。想像ですが、松下さんのさらなる実験結果から推測されます。
つまり雨水に近い山の沢水・湧き水、それから山村の共同水道の水などは蒸留水に近いので分子構造も大きく、ミネラル分も少ないのだそうです。一般に名水といわれる水はワサビ田の水のように清冽なものだけれど浅い地層をくぐっただけの地下水なので、冷たさが身上という山の水。同じ環境で飲み較べたときにほんとうにおいしい水というのは、地層深くにしみこんで圧力を受けながら時間をかけて岩層をくぐり抜けてきた水だということが分子構造によって明らかにされたのです。
水道水は酒造りの水のような名水と較べれば、一般にあまりおいしい水とは考えられていません。金魚を飼っている人が水道水を使うときには、くみ置きしてから使うことで塩素臭を消すことができますが、それは水を揺するのと同様、水の分子集団を小さくして、大きな分子構造が抱え込んでいた塩素や溶存酸素を裸にすることで、塩素臭は消え、金魚が酸素を吸収しやすくするのだそうです。
同じことを金魚屋では水槽に粗塩をパラッと放り込んだりするのだそうです。天然の塩に含まれるわずかな金属イオンが水の分子構造を小さくして、同様の結果が得られるのだそうです。
この、水の分子構造を小さくする手段として、たとえば水道に浄水器をつけると、水が中空糸膜フィルターなどを通る刺激で、水の分子構造は小さくなり、それが1か月程度持続するのだそうです。
この物理的手段のひとつに超音波を当てるという方法があります。酒類に超音波を当てるとグレードが上がるといいますが、それも酒の水分を変えることによるわけです。酒酔いに効くという高価な水がありますが、あれも突き詰めれば分子集団をきわめて小さくした水ということだと松下さんはいうのです。
化学的手段ではスポーツドリンクやミネラルウォーターが体にいいという効果の多くは、水の分子構造が小さくて吸収しやすいからだといいます。スポーツドリンクに添加されたいろいろな金属イオンがいわば栄養素のように効くと考えられていますが、水そのものがあきらかに吸収されやすい状態になっているというのが、松下さんの見解でした。
山の水は、そこで飲む限りにおいて甘露です。しかし下界へ下ろせばただの水。山の水が特別においしいと思ったら、そのときおいしいと思う元気な体を持っていることに感謝すべきかと思うのです。
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