軽登山講座────伊藤幸司
*この講座はBIGLOBE(NECビッグローブ)が公式に設置したstation50において2005年から2010年にかけて105回連載したものです。

【伊藤幸司の軽登山講座102】私の写真術(1)歩きながら撮る――2010.9.9
*このシリーズは全4回で、(1)歩きながら、2)絞りは開放、(3)ロボット撮影術、(4)写真選びの「10秒ルール」――となります。

私はみなさんのお手本となる写真作家ではないので真似をしていただく必要はまったありません。私の写真は世の中に幾分か存在意義を主張できる程度のレベルではありますが、日本の多くの写真愛好家の道迷い状態を指摘できるかと思います。



JR小海線の清里駅から飯盛山(1,643m)へと登る道。農村を抜け、森をくぐると、草地の広がる明るい斜面に出る。八ヶ岳と南アルプスの展望が待っています。――――2001.7.24


●写真が人を選ぶ……という考え方

 1982年(昭和57)という昔話になりますが『旅の目カメラの眼』(トラベルジャーナル新書)という本を書きました。「世界に触れる海外旅行写真術」というキャッチフレーズがつけられました。
 1995年に現在と同じワンマンシステムの登山講座を始めるに当たって、私が最大のモチベーションとしたのはこの写真術の実践でした。以来、1,200回を超える登山講座では驚くほど律儀にその方針を貫いて写真を撮り続けてきました。
 その本の中に「写真で好奇心をチェックする」という項目を立てています。そのキモの部分についてこう書いています。

────民俗学の研究者たちが、1日何本のフィルムを消費できるか競いあったというのである。最高記録は京都で1日7本であったという。プロのカメラマンなら、それが10本であっても驚かないと言うかもしれない。しかしその7本には、露出を変えて撮ったり、タテ位置、ヨコ位置にフレーミングを変えたりするムダは含まれていない。すべてのコマに、それぞれちがった内容の説明がつけられる写真なのである。
 そういう絵がらが1日に250コマあったということなのだ。
 京都でなら、という人もあるだろう。ところがその競技者のひとりがネパールの村に住み込んで、1年で、1,000本撮ってきた。1か月平均約82本、1日平均100コマになる。村人ひとりひとりの顔、家の内外、集落のありとあらゆるもの、町へ出る道すじ……。撮るべきカットは無数にあるように思われるが、実際にはどうだろう。10日もすればすべてがあたりまえになって、カメラを出すのさえおっくうになる人が多いのではないか。
 好奇心の強さや興味の幅をこの方法で一度チェックしてみるといい。────

 続いて「写真家は写真をバネにして……」という項目が続きます。そこでは私の探検部の後輩(後にテレビの海外取材ディレクター)が当時マスコミで有名だった写真家をイランでガイドしたときのエピソードを書いています。

────帰国して写真家は400本、つまり14,400枚のスライド映写をしたという。そのとき写真家はカメラマン志望だった友人に、こういったという。1枚ずつ較べていったら、あんたの写真のほうがいいということもあるだろう。しかし全体で見れば勝敗は明らかだ。そこがプロとアマのちがいだ、と。ほとんど同じような絵がらが連続するそのマラソン映写会のあいだ、友人は一度も退屈することがなかったという。────

 私自身の、大家のカバン持ちの体験も披露しています。

────そして写真家にはとてもなれないと思ったのは、その気迫であった。大型カメラで仏像を撮るときなど、写真家は興奮の極にある。私がもたもたするのはまだよいとして、どこか斜に構えたところがとても気になると、何度しかられたことだろう。そして現像上がりのネガをチェックする段になると、とてつもない失敗をしたかのようにくやしがるのである。そこで私はまたキョトンとしてしまうものだから、写真家ひとりが歯ぎしりしている。────

 私は高校〜大学と写真部に所属し、ある新聞社系グラフ誌の編集者にかわいがられたこともありました。新聞社のカメラマンにならないかという話もありましたが、大学を卒業できないうちに時間切れになりました。そして結局、カメラマンから脱落したのは、現場でのプレーの質がカメラマン的ではないうことに気づいたからです。
 そして影響を受けたのは地理学者や、民俗学者の写真でした。その流れで私たちの仲間、大学の探検部や山岳部で海外遠征に出かける後輩たちに、撮影環境を整えるという役割を果たそうとしました。映画用のカラーネガフィルムでラッシュプリント(ポジ)をとる安いシステムも開発しました。
 旅から帰った仲間の「すべての写真を見るスライド会」というのもひらいていました。すべての写真を撮影順に見ていくと、写された光景のなかに写した人物がクッキリと浮かび上がってくるのは驚きです。そして「写真に選ばれた人」かどうかが一発でわかってしまうのです。


●登山道を撮る理由


富士山西麓の毛無山(1,964m)の稜線。長い間続いたシモツケソウのエリアを抜け出ると、マルバダケブキの領域になりました。――――1998.8.9



尾瀬ヶ原から尾瀬沼に抜ける道筋に白砂田代という名の湿原があります。朝の光が差し込んで、秋の空気がキリリとした表情に思えました。――――1996.10.7



石割山(1,413m)から山中湖へと下っていく道。ノコンギクでしょうか、このときに限ってのことなのですが、道際にぜいたくな縁取りをしてくれていました。――――1997.9.20



栃谷尾根で陣馬山(855m)に登りました。登山口では霧雨でしたが、登るに従って、それが雪に変わりました。恐らく私たちだけが見た雪模様。――――1998.3.5


 いま私は、列の先頭を歩きながら、その日出合う光景をできるだけ丹念に拾おうと考えています。
 私自身の目線ではありません。その日始めてその道を歩いている人の水先案内人(パイロット)という気持ちで撮っていきます。……どういうことかというと、歩きながら「オヤッ!」と思った光景にカメラを向けて、とりあえずシャッターを切るのです。
 「オヤッ!」と思うにしても、日帰りの山の多くは、いわばB級グルメ、「もっとすごい光景」がほかの山にはゴロゴロあります。
 そういうことには知らんぷりして「オヤッ!」と思いたいのです。
 ずいぶん苦しい言い訳に聞こえるかと思います。しかしそうでもないのです。樹林帯の登山道はどこでもたいした違いはないのですが、その日、そのときの光の加減、こちらの気分で、一瞬「いい感じ」に見えることがあるのです。名店ラーメンのスープをすすった瞬間のようなものですが、ともかく「出合い」を感じるのです。
 花も出てきます。……といっても高山帯の御花畑のようなあでやかなものとは違います。小さな花が、たった一輪、その日見たすべてというようなこともけっこう多いのです。ですから道際に登場してくる花は丹念に見ていきます。
 見ていきますが、なかなか撮れるものがありません。踏み込んで、いいフレーミングをすればともかく「登山道から一歩もはずれない」というルールで撮ろうとすると、なかなか難しいのです。
 でも100点満点ではなくても80点ぐらいの花は出てくるはずと考えて期待を先へとのばして歩いていくと、ゲームはなかなか高度になってきます。
 自分の価値基準をどこに置くか、どこまでなら許容するかという問題になるのですが、この後必ず出てくると信じるかどうか、けっこう大きな賭になります。
 それから、花なら何でもいいということはもちろんいえません。珍しい花ならともかく、山野にありふれた花であれば、大騒ぎするほどのものでもないと考えることにもなります。
 しかし、ありふれて、ささやかな野の花一輪でも、咲いているその場所によって驚くほど存在感のある場合があります。そういうときにはその「存在感」を写真に撮れるかどうか、なかなか高度な撮影力を要求されます。結果がうまくいくかどうかは別として、撮るに値する光景だということはほかのみなさんにも見てもらいます。
 南アルプスの夜叉神峠の隣にある高谷山から桃の木温泉に下る道は急傾斜が特徴的なのですが、ある日、そこにはつぎつぎにキノコが現れました。そうなればもちろん写真はキノコの記録で進んでいきます。
 奥秩父の瑞牆山の場合には、瑞牆山自身の岩峰群や隣の金峰山の五丈岩などが木の間隠れにチラリと見えます。そのチラリは一瞬です。こちらが歩を進めていく時間軸と、そのチラリと見える空間が交錯する瞬間にカメラを構えていないと取り損なう類の光景です。
 「止まって落ち着いて撮ればいい」という考え方もあるでしょうが、そうなると輝きが失せてしまうかもしれません。出合いの一瞬に輝く光景はアタマで撮るのではなくて、反射神経で撮るべきだと思うことが多々あります。
 つまりできあがった写真をイメージしながら撮っているのではないのです。その光景と時間軸がクロスする瞬間にシャッターを押すという行動をしているかどうかなのです。
 小さな一輪の花も、出てほしい期待と出てきた現実がクロスした瞬間に、反射的にシャッターを切りたいのです。

 こういうふうに写真を撮るようになると、その日撮った写真の枚数が大小ばらけてきます。同じ山でもその日によって撮った写真の枚数が大きく違ってきます。
 もしそれが、プロカメラマンとしての取材なら、撮るべきものがないならないで、なんとかして「押さえ」の写真を撮ろうとします。取材カメラマンの腕は、じつは取材環境の悪い日に明らかになってしまいます。ギャラを稼ぐというのはそういうところなのです。
 逆に写真集をまとめたり、写真展、広告写真など極めつけの写真を撮ろうとする作家であれば、時間をかけたり、方法を再構築したりするなど、大手術を覚悟しつつ追い求めていくでしょう。
 私は違います。その1日に登山道で出合った光景の数をコレクションするだけです。出合いには大きな価値(絶対価値)がありますが、撮った写真には大した価値(相対価値)はないというふうに考えます。一緒に行った皆さんに「私たちはあの日、こんな光景とクロスしたのです」というふうに見てもらえばいいのです。
 登山道を撮るということは、地形上の1本の道を自分の時間軸で進んでいったとき、その日その瞬間にクロスした出来事を数え上げるという行為になります。


●私が「登山道を一歩もはずれない」理由


大菩薩峠から丹波への長い尾根道を下りました。山深いけれどゆるやかな道は青梅街道の裏道だったとか。最後に気持ちいい下りがあって、丹波の集落へと入っていきます。――――2002.4.24



1987年に始まる丹沢ボッカ駅伝競争は登山道修復のための小石を運び上げます。破壊と修復のいたちごっことなっている大倉尾根の一見穏やかな光景です。――――1997.5.24



箱根外輪山の明神ヶ岳(1,169m)から金時山へと向かう登山道。稜線から下がって冬には日向ぼっこにいい斜面の道になります。すこし後から仲間の列を撮っています。――――1996.7.13



富士山北麓・御坂山地の鬼ヶ岳(1,738m)付近。初冬の寒々とした登山道がどこまでも続いている……という気分になりました。――――1998.11.28


 私は撮影において「登山道を一歩もはずれない」ということを金科玉条のように掲げています。もちろん基本的には登山道のおかげで本来なら登れないような大きな山、高い山にも登らせてもらえるという「軽登山」の基本的な姿勢を強調したいからです。
 しかし、カメラマンとして陥りやすい大きな落とし穴にはまらないための、積極的、合理的な行動規範でもあるのです。
 もちろん最初のころ、いい花が道から見て向こう向きに咲いていたような場合、下りていって撮ったことがあります。富士吉田の杓子山で始めてレンゲショウマを見たときには、見つけた人に請われたこともあって、下りていって仰向け気味に花を撮った記憶があります。
 日本の報道写真では「代表取材」という考え方があります。皇室報道などはほとんどいつもそうではないかと思うのですが、競い合って撮るのを避けるために、代表社が撮影して各社に自由に使わせるという方法です。
 カメラマンにはアマチュアの場合でもそういう代表取材者的な感覚が潜んでいて、撮影者の権利を最大限確保したいという気持ちが出てきます。私は高校時代、カメラを持っていれば授業中でも校内を自由に動き回れるという特権を持っていました。
 そうすると、どうしたってエラくなっていくのです。山の中で花一本撮るにしても、撮る権利があるという気分に染まってきます。よりよく撮ってあげるためにベストを尽くすべきだというような気持ちにもなってきます。
 そういう撮影者の足跡が一筋あると、二人目のカメラマンはその足跡を踏むことで後ろめたさを半分にして入っていけるようになります。北アルプスのコマクサ畑にはそういう足跡がよく見られます。
 ところが、私などはその足跡に腹が立つのです。入ってはいけないのに入ったということではなくて、禁を犯してまで撮るのなら、そんなお手軽なところで手を打つなよ、といいたいのです。
 気軽に踏み込んでいく撮影者は、目標が小さい、と思うのです。たぶん一流のプロならそんな恥ずかしい痕跡など残さずに、もっと犯罪的な撮り方をしているに違いないのです。
 たとえば外国の国立公園。公園内では撮影しにくい花や昆虫、動物などがある場合、プロの取材なら隣接する境界外の森や草原で探してみるといいます。知恵か悪知恵か微妙なところですが、正攻法でいく場合なら、公園管理者との間で正式の協力関係を樹立して、正々堂々と撮影します。
 なにかあったから、チョロっと入り込んでチョロっと撮影した痕跡を見ると、その安っぽさに悲しくなります。
 さて本論。私はそこでアタマをフル回転させてみます。……といってもたいしたことはないのですが、要するに「これだけ」か「まだあるか」をできるだけ新調に推理するのです。
 登山道から一歩もはずれずに撮るという足かせがあるおかげで、観察が細かくなると感じることがよくあります。予想通りに出てくれば、それこそ大当たり、天下を取った気分です。
 その賭をもっと長い時間軸で見ていると、たとえば杓子山で見たレンゲショウマはあれだけでしたが、じつは富士山の北麓、御坂山地から道志山地にかけて、レンゲショウマの特産地になっていることが分かってきます。
 三ッ峠山でたくさん見られますし、御正体山にも十二ヶ岳にもあります。しかし圧巻はなんといっても黒岳と菜畑山です。
 登山道から一歩もはずれないという制限を加えたことによって、登山道を歩きながらの賭はいろいろ複雑に展開します。たった1本の道際の花をめぐって、アタマがぐるぐると回転したりするからです。
 写真はもう、そういう賭け事の記録でしかありませんが、その日、その1枚の写真には、いろいろな楽しさが重なってきます。来年の同じ時期に同じ道を歩いたら、この1本がやはり見られるだろうかという想像にもつながります。

 私の場合、登山講師という仕事が本業ではありません。首都圏のみなさんがごくあたりまえに出かける日帰りの山を取材して登山ガイドをまとめたいという軽い夢を描いて始めた副業です。
 時間と経費をかけて取材するならB級の山には行きません。山岳写真家も風景写真家(とりあえずここでは車を降りてから30分以上は歩かない写真家としておきましょう)も一般の人には見ることの難しい極めつけの光景を狙います。B級の光景ではなかなか商売にならないのです。
 私が『旅の目カメラの眼』の実践版として写真を位置づけて、見るべきものと撮るべきものをできるだけ一致させるという方法をとったのですが、それは「旅の目」としての山歩きを参加したみなさんに味わっていただき、私はその記録を撮り溜めていくという方法論をとったのです。
 写真が撮れるか撮れないかは私がその日「オヤッ!」と思った回数によるので、その日の山のある種の「おもしろさ」の量的結果となっています。1日あたりの撮影枚数を棒グラフにしていくと、ある種のおもしろさグラフとなっています。同じ山の同じルートでも天気や季節によって大きく変わります。その結果、B級グルメの山でも、意外に楽しい1日になりうるということが明らかになってきました。
 今年8月に出版された『東京発 ドラマチック ハイキング』(スタジオ タック クリエイティブ、1,200円+税)は首都圏の16の山について、私が撮った全写真を渡して、自由にデザインしてもらったフォトガイド(文章は後から入れました)です。


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